1: ひっそりと1 2: 無題1 3: fuji neopan 100 film2 4: 記憶する写真1 5: 大宮駅西口の桜並木1 6: フリージアの花(もらいもの)1 7: 雑1 8: 春の日差し1 9: 雑1 10: ピンボケ1 11: 無題1 12: 早咲きの桜1 13: 雑1 14: 雑1 15: 雑1 16: 無題1 17: 無題1 18: 36°14'45.5"N 139°42'01.3"E1 19: 大平山から見た富士山1 20: 雑1 21: 雑1 22: 雑文2 23: 雑2 24: 雑2 25: 雑1 26: ⑦-11 27: ⑦-21 28: ①1 29: ②1 30: ③1 31: ④1 32: ⑤1 写真一覧
メーカー名 | Canon |
機種名 | EOS-1Ds Mark III |
ソフトウェア | GIMP 2.10.32 |
レンズ | |
焦点距離 | 0.0mm |
露出制御モード | マニュアル |
シャッタースピード | 1/49sec. |
絞り値 | |
露出補正値 | +0.0 |
測光モード | 部分測光 |
ISO感度 | 640 |
ホワイトバランス | 色温度直接設定 |
フラッシュ | なし |
サイズ | 1500x1000 (1.02MB) |
撮影日時 | 2024-04-27 22:39:56 +0900 |
探検しているみたいです。
鬱蒼とした木々の影に隠れて余生をいきているかのようにも思えました。
メーカー名 | RICOH IMAGING COMPANY, LTD. |
機種名 | PENTAX K-3 Mark III Monochrome |
ソフトウェア | Capture One 6 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 20mm |
露出制御モード | 絞り優先 |
シャッタースピード | 1/50sec. |
絞り値 | F3.5 |
露出補正値 | +0.0 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 1250 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 2432x3648 (6.14MB) |
撮影日時 | 2023-04-03 01:19:49 +0900 |
もう二ヶ月以上、写真撮影ができていないのですが、できるだけ時間を作って撮影に行く、つまり
歩きの撮影をしなければならないな、と強く感じています。健康への秘訣の重要な要素が歩きなん
だということで、やはり撮影は、体力の維持、健康増進の為には絶対に欠かせませんね。
とは言え、まだ当分は撮影の時間が取れそうにありません。
写真を趣味としている人は、無意識に野外に出かけて歩くことになるのですが、おそらくその意味
を深く意識して考えている人は少ないでしょう。写真と言えば画像であり、その画像の価値を高める
こととか、より多くの画像をゲットすることとかは考えているでしょうが、画像ではなく撮影の意味を
理解して考察している人は少ないはずです。
しかし撮影、とりわけカメラ機材を持って自分で歩いていくという効果は画像生成以上に重要であって、
きわめて大切なものですね。
黒白写真は、その本当の意味は、ローコストで写真ができるということに尽きると思ってます。
黒白フイルム時代では、カラー写真に比べてフイルムやプリントが安くつく、これが主な理由でしたが、
デジタル時代のモノクロ写真においても、安さの法則は変わらないと思っています。
デジタルではカメラやレンズという投下資材が最小で済みます。優れたカメラやレンズが欲しくなる
のは写真に色があるからです。この色というものをなくしてしまえば、カメラやレンズを物色する気持ち
もなくなります。そういうことでデジタル時代に於いても、黒白写真はローコストであるということになり
ますか。
そして、私の場合は物欲意外はあまり感じなかったのですが、カラー写真では各方向の依存症が
発生すると考えられます。私の場合は物欲一辺倒でしたが、人によっては、撮影中毒(休み毎に写真
を撮りに出かけたくなる)や、画像処理中毒などが出るのじゃないかと感じます。
そういうものも、黒白写真だけにすれば解消するのではないですかね。つまりそもそも「色」という
ものは本質から外れた過剰なものであって、その過剰な無駄こそが実は人には魅力的であり、その人
をして中毒症状や依存性、はたまた逃避性向にさせるのではないでしょうか。
白黒写真のローコストとは必要にして充分であるということです。そしてそれが写真の原点であり、
写真の本質のように思いますね。
フイルム時代は技術の歴史上、黒白写真が先にあって、その時代が長く続き、それから技術が進んで、
カラー写真が訪れましたが、これはユーザーの写真技術の習得や心や精神性の獲得の上で、理に
かなったものでした。
黒白写真という写真の本質を先に知り、充分に熟すまで人々は基本を磨くことができたからです。
ところがデジタル写真では、先にカラー写真がありました。黒白写真はそのカラー写真の、いちモード
として付随していたに過ぎません。これがデジタル写真がともすれば過剰になり消尽するような写真
趣味になってしまった根本的な原因だと思われます。
現在、デジタルに於いてもモノクロ専用機がリリースされていますが、ごく数機種にすぎません。しかし
このモノクロ専用機がもっと広く安価で出るようになれば、デジタル写真事情も変わってくるかもしれま
せん。
この掲示板に於いても最近は黒白写真の投稿が多くなったように感じられますが、それらはカラーの
カメラで撮った写真を後で黒白化したものです。
残念ながらそれは本当の黒白写真とは言えず、画像処理でモノトーンとして黒白写真的にしたものです。
また最初から黒白モードで撮影したにしても、シビアに言えばカメラ技術的にはそれはモノクロ写真とは
言えません。カラー写真の変形でしかないものなんですね。
そうは言っても現実的にデジタルで黒白写真をするには、事実上このモノクロモードでの撮影手法しか
ありません。充分に時間をかければ、カラーカメラでもモノクロ撮影に専念することで、往年の黒白写真
の精神性を獲得することは可能だと私は思っています。
デジタル写真は最初からカラーが出たために、黒白写真を体験する絶好のチャンスを逃してしまった
わけです。ここにデジタル写真の不運というもがあるように思います。
最初から色香に惑わされた写真しか知らないユーザーが多いのです。それでフイルム時代と比べれば、デジタル写真の精神的なレベルは低いままに留まっていますね。撮影者のレベルは低くて、素人さん
とあまり変わらないのが実情です。そしてその御自分の低さにも気が付いていない不幸があります。
フイルム黒白時代に於いては、写真には高い文化性があったのですが、現在ではそんなものは影も
形もなくなってしまった感があります。
この掲示板もデジタルが出現した当初は多くの投稿がありましたが、今では投稿数は少なくなり、多分
写真そのものをやめてしまった人も多いと思われます。それだけデジタル写真が詰まらなくなってしまって
いる、いや、そういう本当の現実の姿を知ってしまった人が多くなったからなのでしょう。
この現状の復権は極めて難しいと思われます。
巷に言われるように、スマホに食われたから写真投稿が少なくなったのではなく、デジタル写真の本来の
持つ姿が見えるようになったからこそ、多くのユーザーは離れてしまったのだと私は考えています。
写真趣味の復権とは、ひとつは撮影の意味。撮影における身体的に関連づけられた仔細なノウハウ。
その自分に見合ったやり方の獲得です。(私はこれを自分なりに高めたと思ってます)
そして画像論としては、デジタル写真に、フイルム時代にあったような、文化的で精神性の高い、あの
「黒白写真時代」を再び取り戻すこと。
そこから再度始めないと、デジタル写真は復権しないと思います。
しかし時代はそのように向いてはいません。さらに過剰に複雑に邁進していく一方です。静止画よりも
動画であり、素人さんに迎合したAI的な写真であり、また新鮮なところではドローン撮影なんかもありま
すか。とにかく撮影と画像の能力の向上は凄いのですが、肝心のユーザー自身が捨て置かれている
ような状態が今後も加速していくという感じですね。
そして最終的には写真は人間から離れて、AIやロボットが撮影し、さらに人間に鑑賞指示するような
ものになって行くように思われます。そして人間が出来ることは、「ぐへっ」「ぼこっ」「ぐふっ」というような、
呻き声ような呟きだけかも知れません。
余談ですが、ドローン撮影は有効な撮影に化ける可能性があると思っています。現在では私の目指す
歩き撮影には向かないところもあるのですが、ドローンがさらに小型化してもっと撮影が容易になり、
普通の手持ちカメラと変わらない感覚で撮影できるようになれば面白いことになるのではないでしょうか。
こういうようなデジタル写真の社会状況というものがあり、人々は抗う素手もなく取り込まれてしまってい
ます。
私の場合、とにかく全てはペンタックスモノクロームから始りました。
黒白写真はローコストである。という観点からは、モノクロ専用機はある程度の安さでなければ意味を
なしません。ライカが最初にモノクロ専用機をリリースしましたが、あのバカ高い価格ではローコストと
いうには程遠く、やはり最初のモノクロ専用機はペンタックスモノクロームしかありません。
そういうことではモノクロ専用機は、現在ペンタックスの1機種しかありません。それも本来は計測器か
何かに使っていたセンサーを写真カメラ用に利用したものです。
このカメラの私に対する衝撃はとてつもないものだったと言えます。以来、私のデジタル写真に対して
の考え方はガラリと変わってしまったからです。写真だけでなく全ての方向に対して修正を余儀なく
されたほどです。
黒白カメラですから衝撃は派手なもではなくて、じわじわとしかし確実に効いて来るものでした。
デジタル写真以前の、パソコン趣味からの自分史すら書き換えてしまうほどのものでした。なぜIT関連
のものは過剰でエスカレートするのか、消尽と依存症を併発するのか。その全てが一挙に解けたと
いう感じで多重な波動攻撃を受けたような気がしましたね。
このようなことは既にこの掲示板で書き連ねましたが、とにかく黒白専用機、実はこれも半導体の一種
に過ぎないのですが、そのもたらした私への影響力は甚大だったといえます。
30数年以上もの間、私は騙されていたわです。それに気づかされたのが黒白専用機というカメラで、
モノクロセンサーの半導体です。
デジタルカメラはカメラではありますが、同時に半導体機器でもあるんですね。つまりコンピューター
であり、パソコンやスマホと同じものです。同じようなスクリーンも備えていますしね。
ペンタックスモノクロームという半導体製品は、稀に見る正義の半導体だったということでしょう。そう
いう言い方をすれば。
こんなに長い間、私は騙されていたということ。それを知ったときはショックというか、大きすぎて長すぎ
て笑ってしまうほどのものでした。しかしとにかく私は知ったわけです。知ってしまった以上は、もう元
には戻れません。それでもう、私は二度とカラー写真には戻れなくなったというわけです。
デジタル写真に依存症があるということは以前から気が付いていました。何故ならば私の若い時の
フイルム黒白写真時代とは機器への欲望が違っていたからです。当時はカメラやレンズといえば、
ほんの数台数本で済んでいたものがデジタルでは桁が違っていた。それはなぜだ?というわけです。
今にして思えば当時は黒白写真であって、今はカラー写真だったからです。たったその違いだけ。
つまりは、全ては色欲だったというわけ。(笑)
色即是空空即是色。言ってしまえばそれだけのことですが、要は無駄が多かったわけです。
もっとスマートにローコストでできる写真があるわけです。必要にして充分事足りる。そういうものが黒白
だったということに気づいただけですね。しかしそれが本質で物事の根本だったというわけです。
本質で根本、それが真実。無駄が多くなると真実からは遠ざかる。きっと黒白写真とはそういうところの
要に位置しているのではないですか。
黒白写真で強く思うのは、それは自分で撮って自分で鑑賞して楽しむ写真であるということです。
一人称完結の写真です。他者に見せて云々という写真ではないわけですね。カラー写真のように見て
もらって楽しんでもらうという写真ではないということです。それを言えば動画はもっと他者の眼を意識
しています。ですから黒白写真はサービス精神のある写真ではありません。パッと見てすぐに分かる
写真ではないということ。
逆に言えば、そこが黒白写真の本質ともなっています。見るのではなく意識して読まなければならない。
能動性が求められるんです。
そういうわけで、趣味として写真をやっていくハイアマチュアに向いている写真です。言わば自己完結型
の写真行為だと思うんですね。だからこそ、今の時代、貴重なのかもしれません。
私のコメントは、無論コメント欄の枠内に直接書いたものではなく、ワードパットに書いてから、コピーして
貼り付けたものです。良い文章とは言えませんが、やはりある程度は自分で考え、練って書くという技術
を持つことは有益なことだと思っています。
これからはこういうコメントは生成AIを通していくようになると思いますが、そのようなことをすれば人間の
思考力を機械に奪われます。
そういえば文章というのは黒白の世界です。黒白写真と親和性のあるものですね。
メーカー名 | |
機種名 | |
ソフトウェア | GIMP 2.10.32 |
レンズ | |
焦点距離 | |
露出制御モード | |
シャッタースピード | |
絞り値 | |
露出補正値 | |
測光モード | |
ISO感度 | |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | |
サイズ | 1199x1500 (738KB) |
撮影日時 |
画面直進方向奥には当時市役所があったところ、
今ではすっかり整理されて高層マンションが建っています。
toyoview4x5 fujinon lens
現像ネガをダンボールでスキャン枠へ当てはめて
直でフラットベッド式スキャンしたデータです。
昨年の夏に偶然出会ったオートバイ女性との会話の中で
人と触れてこうして話ができてとても嬉しいと話していたのが
印象に残ります
写真はあったかなものと私は感じています
なので人と人とのふれあいの見えないような写真が撮れないなと
思ったなら、それはとてもつまらないものでさびしく悲しいものと捉えています
文化って人が動いて触れて人が居ないと、存在しないとできないものなんじゃないかなーって
写真の昇華させるようなそんな写真が撮りたい、そう思って撮ってる自分も居ますけど
写真を昇華させるって撮影したその人の昇華をも意味するのかなとも
写真、むつかしいですね
コロナ禍を経て写真撮影という行動も変わったように思えます
写真を通じてというか、人との関わり大切にしたいと思います
メーカー名 | Canon |
機種名 | EOS-1Ds Mark III |
ソフトウェア | GIMP 2.10.32 |
レンズ | |
焦点距離 | 0.0mm |
露出制御モード | マニュアル |
シャッタースピード | 1/332sec. |
絞り値 | |
露出補正値 | +0.0 |
測光モード | 部分測光 |
ISO感度 | 160 |
ホワイトバランス | 色温度直接設定 |
フラッシュ | なし |
サイズ | 1500x1000 (1020KB) |
撮影日時 | 2024-04-12 20:41:04 +0900 |
ご飯を写メすると人の脳は食したと記憶してしまい
その後のご飯を疎かにしてしまう。。
そんなことを見聞きした記憶があります。
板倉町、東洋大学
キャンパス内には図書館があり板倉町より撤去した後にも建物は残るのか
行政、自治体とも不透明とされる。。
この日はまだ学生がちらほら、研究室にも人の姿は見えて
どこか静かな雰囲気でした。
学生と目が合えば「こんにちは」と交わされて、
何か質問というか今後のことをちょっと聞いてみたい気持ちは隠していました。
学内より北方向に目を振れば桜並木が立ち並び満開の桜、
手前の壁の奥、日陰の中には喫煙所があります。
若い方はどこかドライでクールでと短絡的に考えてしまいそうになりますが
きっと何処かでモヤっとするなと合点のいかない動きにも何とか自分の位置を
探しながらも自分を押し付けて世の中に釘つけているのかなと
思ってしまいます。
大人だっていつも平坦な装いをしつつも実のところどこかで
子どもと同じように地面に打ち付けてなんてことないさって振りをしているのかもしれませんね。
メーカー名 | Canon |
機種名 | EOS-1Ds Mark III |
ソフトウェア | GIMP 2.10.32 |
レンズ | |
焦点距離 | 0.0mm |
露出制御モード | マニュアル |
シャッタースピード | 1/166sec. |
絞り値 | |
露出補正値 | +0.0 |
測光モード | 部分測光 |
ISO感度 | 320 |
ホワイトバランス | 色温度直接設定 |
フラッシュ | なし |
サイズ | 1500x1000 (973KB) |
撮影日時 | 2024-04-10 19:46:10 +0900 |
それまでカラー撮影していたのを何故か2枚モノクロで撮影してました。
都心部は独特で迷路めいていて、歩くのが楽しいですね。
メーカー名 | Canon |
機種名 | EOS-1Ds Mark III |
ソフトウェア | GIMP 2.10.32 |
レンズ | |
焦点距離 | 0.0mm |
露出制御モード | マニュアル |
シャッタースピード | 1/1328sec. |
絞り値 | |
露出補正値 | +0.0 |
測光モード | 部分測光 |
ISO感度 | 125 |
ホワイトバランス | 色温度直接設定 |
フラッシュ | なし |
サイズ | 1500x1000 (989KB) |
撮影日時 | 2024-04-02 20:27:34 +0900 |
いつものom zuiko 55mm f1.2
開放絞り撮影
適正露出って最初につまづくというか
絞りとシャッタースピードからくる変化をicpでは教えるらしく
絞りとシャッタースピード、iso感度、
これらをいつも把握していたいなあと思います。
先人の教えにならいこの一枚はraw→jpg変換しました〜
メーカー名 | RICOH IMAGING COMPANY, LTD. |
機種名 | PENTAX K-3 Mark III Monochrome |
ソフトウェア | Capture One 6 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 50mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/100sec. |
絞り値 | F2.8 |
露出補正値 | -0.7 |
測光モード | 中央重点測光 |
ISO感度 | 200 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 1365x2048 (1.81MB) |
撮影日時 | 2023-07-15 00:24:35 +0900 |
私が、この20余年間、デジタルで写真趣味をやって、それで何が良かったのか、さて何を自分は
得たのだろうかと、そういうことを改めて考えると…
①まず現場主義が身についたこと。見たいな、撮りたいなと思えば、千キロ車で走って行くことも
したこと。
②そして徹底的に歩くことが写真であることを知ったこと。これが結果として健康維持にすごく役に
たっていること。
③最後に理解できたことだけど、写真画像の大きな落とし穴に気が付いたこと。すっかり分かって
いることだと思っていたことが、実は何も分かっていなかったことだと知ったこと。(でも実際、これは
紙一重なのですが)
やはり写真というのは、その得られる画像と、写真の写真する行為を切り離して考えていかないと、
上手く行かないのではと考えています。つまり、モノという写真画像と、モノではない写真行為と
いうものを、この2つを全く別のものであるという認識が必要ではないかということです。どちらが
重要かと問われれば勿論、画像ではなく写真行為そのものです。
カメラ技術の発展は、この画像を常に高度化する方向でやってきました。つまりよい絵が得られる
ようにと技術は発展してきたのです。
しかし写真行為という面では、技術の発展はむしろマイナスのところが大きいです。私が若い時分
に使っていた、完全メカニカルカメラ(フイルムカメラというのではなく)と黒白フイルムの崇高性は、
今のカメラには得ようとしても得られないものなのです。
だからこそ、当時の写真には文化があったんですね。今のデジタル&ネットの写真などに文化など
ないですから。有態に言えばネット、スマホ、そして生成AIなんてのは劣化現象そのものです。
それでは今はデジタルカメラしかないからそれでやっていくのですが…
メーカー名 | Canon |
機種名 | EOS-1Ds Mark III |
ソフトウェア | GIMP 2.10.32 |
レンズ | |
焦点距離 | 0.0mm |
露出制御モード | マニュアル |
シャッタースピード | 1/166sec. |
絞り値 | |
露出補正値 | +0.0 |
測光モード | 部分測光 |
ISO感度 | 250 |
ホワイトバランス | 色温度直接設定 |
フラッシュ | なし |
サイズ | 1051x1500 (1010KB) |
撮影日時 | 2024-03-28 00:20:20 +0900 |
最近まで機嫌切れ125pxを使い切ってようやくkikipanを入手したフィルムが入っています。
次は期限切れkodachrome64が待ってる
メーカー名 | RICOH IMAGING COMPANY, LTD. |
機種名 | PENTAX K-3 Mark III Monochrome |
ソフトウェア | Capture One 6 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 50mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/100sec. |
絞り値 | F2.8 |
露出補正値 | -0.7 |
測光モード | 中央重点測光 |
ISO感度 | 200 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 1365x2048 (1.81MB) |
撮影日時 | 2023-07-15 00:24:35 +0900 |
写真撮影をする前に調べるか。それとも撮った後で調べるか。
正解は、まず撮る前に調べて、撮った後は、さらに深く調べるということではないですか。
知る、そして理解するということは写真にとっては極めて大切なことでして、これをせずに写真を
するのは、普通の人がするような、観光地での記念写真のようなものです。
ピンボケ写真は良いのです。何故ならばそれが写真だからです。
水平線が傾いているのもいいんです。何故ならばそれが写真だからですね。
露出がダークだったり白く飛んでいたりするのも良いものです。何故ならば写真はそういうもの
だからです。
便利なネットやスマホで人々が劣化しているように、写真にも劣化の進展度合いがあるようです。
カメラ技術の進展から察するに、写真が劣化の道を進んだのは…
①自動露出、②オートフォーカス、③モータードライブです。現代のデジカメはこれらの基礎の上に
成り立っているカメラです。これに、別格④としてカラー写真を入れてもいいでしょう。
これらの技術を使えばつかうほど、多分、写真というものは劣化をしていきます。
オールドレンズをデジイチ(キヤノンデジイチ)で使うとき、ピントのMFだけでなく露出も手動でやら
なければならないことに気づきます。どうやらカメラの仕組上そうなってしまうようです。(ソニー等の
ミラーレスカメラはそうではありません。正確な露出が得られます)
とにかく4つのうち、2つからは自由になれるということで、写真の劣化を防ぐことができる可能性が
高まりますね。ですからオールドレンズを使うということは、自分の写真の復権をするということ
でもあるようです。私も黒白写真の直前はオールドレンズに眼が向いていましたから。
これはシッポ座さんの影響です。
現在のオールドレンズのブームはソニーのようなミラーレスカメラでのことです。これは画像優先の
考え方であり、確かに綺麗な画像は得られますが、写真行為の本質にまで迫るものではありません。
とにかく写真撮影から、ピントと露出を撮影者が取り戻したとき、半分は写真復権が進んだことに
なります。
しかし、まだ半分ともいえます。
モータードライブとは迅速な撮影ができるというたけでなく、幾らでも撮影が出来るということを意味
していて、それはデジカメの本質みたいなものです。モータードライブを捨てるということは、デジカメ
を捨ててフイルムカメラに戻るということで、さすがに敷居が高すぎますか。
そこで出てきたのが黒白カメラです。デジタルモノクロ写真です。ここまで行くと4つのうち3つを制覇
したということで、ほぼ写真を取り戻したということになるのではないでしょうか。
自分の写真を取り戻すということは、翻っては自分自身を取り戻すということかもしれません。
メーカー名 | Canon |
機種名 | EOS-1Ds Mark III |
ソフトウェア | GIMP 2.10.32 |
レンズ | |
焦点距離 | 0.0mm |
露出制御モード | マニュアル |
シャッタースピード | 1/5312sec. |
絞り値 | |
露出補正値 | +0.0 |
測光モード | 部分測光 |
ISO感度 | 800 |
ホワイトバランス | 色温度直接設定 |
フラッシュ | なし |
サイズ | 1000x1500 (986KB) |
撮影日時 | 2024-03-24 23:57:36 +0900 |
取材じゃないけど、
写真撮影に入る前後って大切だなとひとり噛みしめました。
こちらの桜は前回撮影の桜の花をzuiko 55mm f1.2で撮影したデータです。
偶然にこちらの桜の木を植えた方と立ち話をして
ニコンF3やらレンズ数本を安価に売却してしまったよ
そんな話をしていました。
定点撮影とは違うのですがこうして話を聞いて
敬意を知って撮影するのには撮影に変化が生まれて
力が入るというか、、にしてもピンボケな写真上げるなよー なんですけどね。
なんてゆっかどう写そうとかも大切なんだけど
前もって知ることは私にとってもっとも写真撮影よりも大切だったんだなーって
そう思いました。
独り言でした〜
メーカー名 | Canon |
機種名 | EOS-1Ds Mark III |
ソフトウェア | Capture One 6 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | |
露出制御モード | マニュアル |
シャッタースピード | 1/5312sec. |
絞り値 | F0.0 |
露出補正値 | +0.0 |
測光モード | 部分測光 |
ISO感度 | 50 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 1500x1000 (1.08MB) |
撮影日時 | 2024-03-17 20:16:49 +0900 |
シッポ座さんの「早咲きの桜」は、ポートレート板の「夏日」と同じような微妙な雰囲気を出されていて
それが魅力となっていますね。極めて印象的で、全体的に霞み掛かかり、絵画の印象派のような
画質が気を引くのです。
夏日は意識してのピントズレだろうと思いますし、早咲きは開放値撮影による収差の発生が魅力です。
森山大道のようなアレブレボケに通じるレトリックがあって、それが返ってリアリティを出してくれるという、
言うなれば写真を見る側の想像力を強く刺激してくれるんですね。
夏日も早咲きも、絞りこんでピントがシャープであれば、非常に多くの情報量を提示してくれるわけ
ですが、それを敢えて見る側の想像力に任せたところが、写真としての新たな発見という気がします。
明るいレンズの開放値で撮影するというと、一般的にはボケを多く取った花等の近接撮影をします。
しかしそれは在り来たりであって何ら新鮮味はありません。
本来は全ピントでシャープな解像力を出すべき写真を、敢えてそうしなかったというところに、これらの
写真の大切な意味があると私は考えています。
私としては写真は遠景を含む一般風景が好きです。そこには多くのモノが写っていて、我々が裸眼
で見る光景そのものなんですね。その光景を高画素機でレンズを絞り込んで撮影すれば、本当に
普通の記録撮影となります。私が撮る写真はほとんどがそうです。
そしてそこに新たな表現として、記録撮影のようでいながら実はそうではない美意識の写真を創る
ことができる。これは眼から鱗であって、あくまでも日常の風景でありながら、それを超えた写真だと
いうところが魅力なのです。
こういう写真は最新の絞り開放でも何処かにピシッとピントが合うレンズでは撮れません。マニュアル
なオールドレンズが織り成す技です。
全ての写真は記録写真である。森山はそう言っていますが、同時に表現でもあるんだといえます。
最近のカメラは裸眼能力を超えた情報量の画像記録を残すことができます。それが当たり前だと皆
思っているのですが、それをもう一度疑ってみようや、それで本当にいいのかい?という問いかけを
するというのはとても新鮮だと思います。
夏日・早咲きの写真は構図的に奇をてらっていないところが良いのです。水平ラインは取れていて
標準のレンズでの立ち位置での撮影。ほんとうに普通です。いや過去には普通だったものが最近で
は貴重な画角となっていますが。そして写っているものもごく普通の光景です。
そういう具合に伝統的で正統派的な構図の写真がベースとなっていることが重要です。
しかしその写真は、ふんわりとして表現されている。それはどういうことかというと、我々が見ている
光景は誰もが当たり前だと思っているのですが、それを再度疑うべきだということかも知れない自問
や自己啓発に繋がることだということです。
そういう問いかけをしてくれている写真なんだということです。
少し考えると、近眼の人は遠景ではピントが合っていません。白内障の人はぼんやりとしか見えて
いませんし眩しかったりします。それが現実なんですね。とにかく当たり前の現実だと思っていたもの
が、実際にも当たり前ではなかったりするのです。それが現実です。
そういう真実の問いかけをしてくれる写真にもなっていると思っています。そういうのは、実際の光景
だけでなく、全ての世の中にも通じるのでしょう。思い込み、バイアスが掛かるというのですが、普通の
人の見方というのはそんなものです。
f1.2というレンズは、普通は夜間撮影に使ったりとか、近接の撮影なんかに使うのです。それを敢えて
シッポ座さんは普通の日中の遠景撮影に使っています。これが面白いのです。
ただ面白い画像になるのを楽しんでいるだけかも知れませんが、私はこういう手法の撮影には深い
意味があるべきだと考えています。その意味を多くの人達も気づいてくれれば、それは自ずと社会性
を帯びたプロ作家写真になると思いますね。
写るべくして写る。ではなくて、写るべくして写らない。という問い掛けです。
そして、こういうふんわりとした写真は時代を超える可能性があります。とても古い過去の写真の
ように見えるし、もしかすれば遠い未来の写真のようにも感じられる。つまり時代性を超越する可能性
があるのです。観る側の人はそれにも気が付いてくれればいいですね。
今は古い時代の写真をスキャンして、それをAIでカラー化したりする時代になっていますが、そういう
写真は時代を超越してます。古いけれど新しい。そういうトレンドに乗れる可能性のある写真です。
やはり世の中に認められる写真とは、時代の流行にも合わないといけません。
今の時代、画像処理を多用した写真が溢れています。HDRなどは最たるもの。そしてシャープで
収差を取り去り色濃くコントラストの高い写真も普通に一般的です。そういうように真実とは程遠い
写真ばかりでしょう。
しかしもう皆、そういう写真には飽きていると思ってます。
シッポ座さんの写真はフォトシップで弄くっても基本的には出せない写真ですね。やはり画質のよい
カメラで且つ古いレンズでなければ出ないでしょう。そういう意味でアナログな写真ですね。
そういうデジタル加工していない写真は長く見続けることができます。一方でデジタル加工をし過ぎた
写真は一瞥で終わりです。長く見続けることに苦痛で耐えられないと言うか。
長く見続けることのできる写真は、見る側に強い印象力を持ちながら、長期記憶となって脳内に長く
留まることが出来ます。
https://photoxp.jp/pictures/225631
この写真の女性を私は未だに忘れないでいますから。(^^ゞ
オールドレンズは魅力です。私も確か、ミノルタMD、キヤノンFD、二コンの標準F1.2があったかなと
思うのですが、FD以外はイオスで使えます。もちろん開放収差出しF1.4でもOKなので、そういう
レンズは取り揃えて置くと今後も何かと役に立ちます。
オールドレンズ写真を、いかにも古いレンズで撮ってますよ、っていうのではなく、さりげなく普通に
撮って、結果として時代を超えた写真となすのが正解だろうと考えてます。
私は昨年、レンズでは最高と言われるコシナツァイスのオータス55と28ミリを使いました。やはり
良い写りをしますね。しかしそんなに面白くなかったわけです。考えてみれば、どんなに頑張って
みても、それは現実描写の(裸眼の)印象力を超えるものではないからです。画像はそこに人間の
想像力というものが加わらないと、写真として面白くないのだということでしょう。そしてそのレンズは
黒白写真にすると生き生きとしてくるんですね。そういう逆説めいたものがあるようです。
それにしても何故、オールドレンズや黒白写真(私の場合)なのでしょうか。
高度に発達し過ぎた情報化社会(最近は生成AIだ)への一時的反作用として捉えることもできますが、
それよりも高度化しすぎて、本来の自然から離れてしまったことへの反省があるのではないかと
考えています。
それは生きものとしての人類としての反省ですね。
その良い例が韓国の出生率です。韓国国民の半数がソウルに住むと言われていて、その結果が
世界最悪の出生率となっています。日本でも東京などの都会に人が集りすぎていますね。
日本では天変地異がありますからやがては首都圏震災で反省が生まれるでしょうが、そういう痛み
を伴わないと人はなかなか自分を変えることができません。東南海震災でもそうです。
韓国の場合は第2次朝鮮戦争が勃発しないと反省は生まれないかも知れませんが、数少なくない
人達が都市化の弊害に気づいているようです。
しかし薄っすらと人々は予感をしているはずですね。こんな時代、そう長く続くものではないと。
そういう正常な予感力を持った人達が一定数はいるということです。そういう人達がこれまでとは
違うものを求めているということではないですかね。私はそう考えることにしています。
ですから写真にしても、やたら写り過ぎるものは、そういう潜在的予感力を持った人には求められ
ていないということでしょう。
シッポ座さんの写真を見て思うのは、このベールが掛かっているような画像こそが真にリアルな写真
画像であって、本来、人間はこれ以上の写真画質を求めるものではないということです。
しかしそういう理論とは別に、柔らかくふんわりとした写真は魅力ですね。それが一番ですし。
いろいろと勝手なことを書き連ねましたが、私としてはこれは新しい写風の登場ではないかと考えて
います。オールドレンズを使った写真は多いかもしれませんが、こういうスタンダード撮影で開放F値
撮影を見たのは初めてなように思います。
そういえば私の記憶に残る作家で北井一夫がいます。彼は徹底してスタンダード撮影に拘り、広角
撮影が多かったと思うのですが、人物撮影ですらその姿勢を崩しませんでした。奇をてらわない横
位置の引きの構図。画質は黒白増感現像でした。第一回木村 伊兵衛賞を受けた作家です。
※アップ画像は失礼ながらシッポ座さんの写真を黒白化してみました。黒白にするとシャープネスを
強くしてもそう違和感はなくなります。黒白画像は色がない分、解像感、シャープネスに強いんですね。
情報量として、色彩を取るか、解像力を取るかの選択になります。
こごが人間の眼の不思議なところです。眼の仕組みというよりも脳のそれだろうと思います。
私もデジタルカラー写真が1千万画素余くらいまではカラー画像を楽しめたのですが、2千万画素
以上の時代になると違和感がでてきました。私だけでなく、その時代からこの掲示板でも多くの
投後者が去ったと記憶しています。私にしても撮影だけして撮りっぱなしが多くなりましたし。
私が記憶に残っている投後者では、Gさんという方が、(色々と機材遍歴をしたけど)、思い切って
ライカモノクロームに行くか…と言っておられたこと。その記憶が私に強く残っていたので、それで
ペンタッククスモノクロームが出たときに買い求めました。もし彼のあの発言がなければ、私は黒白
写真に行けなかったかもしれません。
それとMさんという山岳写真をしておられた方が、最終的には写真はスマホで良いんだという発言
をされていました。それを最後に掲示板を去ったのですが、これも印象に残っていますね。
こういう慧眼をされた方がおられたわけで、この掲示板のレベルの高さがうかがえます。
メーカー名 | Canon |
機種名 | EOS-1Ds Mark III |
ソフトウェア | GIMP 2.10.32 |
レンズ | |
焦点距離 | 0.0mm |
露出制御モード | マニュアル |
シャッタースピード | 1/5312sec. |
絞り値 | |
露出補正値 | +0.0 |
測光モード | 部分測光 |
ISO感度 | 50 |
ホワイトバランス | 色温度直接設定 |
フラッシュ | なし |
サイズ | 1500x1000 (868KB) |
撮影日時 | 2024-03-17 20:16:49 +0900 |
地元公園に咲く桜をどんな塩梅か?と出掛けてみると既に満開でした。
first takeの写真、om zuiko 55mm f1.2解放です。
メーカー名 | RICOH IMAGING COMPANY, LTD. |
機種名 | PENTAX K-3 Mark III Monochrome |
ソフトウェア | Capture One 6 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 10.0mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/50sec. |
絞り値 | F3.5 |
露出補正値 | -0.7 |
測光モード | 中央重点測光 |
ISO感度 | 200 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 2048x1365 (2.19MB) |
撮影日時 | 2023-08-19 23:48:32 +0900 |
https://www.youtube.com/watch?v=LtA5SQr6Iao
『GR Special Talk』森山大道 × 野口智弘 --- [CP+2021 リコーイメージング オンラインセミナー]
https://www.youtube.com/watch?v=LOvXiJAM5Rg
保存版「森山大道」#Daido Silk
Hasselblad Award Winner 2019
https://www.youtube.com/watch?v=pAbhkLxhn40
①Ten Questions with Daido Moriyama - part one
https://www.youtube.com/watch?v=oveYsV5ubzA
②Ten Questions with Daido Moriyama - part two
https://www.youtube.com/watch?v=Yj3UtUdOnvI
③Ten Questions with Daido Moriyama - part three
https://www.youtube.com/watch?v=NuST3XTyfO8
④Ten Questions with Daido Moriyama - part four
https://www.youtube.com/watch?v=BHy666sqizk
⑤Ten Questions with Daido Moriyama - part five
https://www.youtube.com/watch?v=truAAYWeiqg
⑥Ten Questions with Daido Moriyama - part six
https://www.youtube.com/watch?v=O7IOuyUibx8
⑦Ten Questions with Daido Moriyama - part seven
https://www.youtube.com/watch?v=Gd8azHdc8eU
⑧Ten Questions with Daido Moriyama - part eight
https://www.youtube.com/watch?v=E2V1oLcZztI
⑨Ten Questions with Daido Moriyama - part nine
https://www.youtube.com/watch?v=htLBL3m4tmQ
⑩Ten Questions with Daido Moriyama - part ten
https://www.youtube.com/watch?v=xtVraiNqoOo
写真とは記録であるとか、発表された写真は受けるとる側のものであるとか、そういうのは
一般的なものですね。敢えて特別なものではありません。私の考えとしては、森山の写真とは、
歩くことであり歩いて撮影するということだろうと思っています。森山にとっては、それは至極
当たり前のことなので、彼自身強くは言っていませんが、それが森山写真の本質だろうと考え
てます。
それは太古の狩猟採集文明のような人類にとっての本質的なものであって、それを無意識に
実践しているということてす。彼の撮影映像をみると、ほんとにキョロキョロと何かないかと、
うろついてますね。しかも逃さないように素早く。これは良い獲物がないかと探し回っている
石器時代のハンターのようです。
そこに森山写真の本質的性があり、それが高度に都市化された現代に於いても、欧米人にも
評価を受けているというところだろうと思うわけです。そこに深く強い意味があると。
そしてもうひとつ、得られた写真という画像を最低限のスタイルにしているということでしょう。
得られた釣果を誇らないスタイルでもあるんです。獲物というのは獲りすぎるといけないわけ
ですが、そこをきちんとセーブしていないとマンモスハンターのように文明崩壊をしてしまうから
です。
画像はモノクロであり、しかもアレブレボケと低品質としていますね。このセーブ感がするどい
のです。彼が長く写真をやってこれた秘訣がその画像にあるというべきです。ですから彼の
膨大な作品をを見続けていても読者は見飽きないというか栄養過剰を起こさないですみます。
森山氏は1938年10月10日の生まれですが、むろん出生時刻は不明です。
そこで占星術でもって逆算してみますと、とりあえず15時20分くらいかなっていう数字が出て
きました。勿論仮説段階です。ASCは水瓶座の最後。木星が乗ります。またイコールハウスの
天頂には金星があります。こんなことを書いても分からないだろと思いますが。
とにかく大変に優れた天才的な人物です。そして改革的で知性的な人ですね。
そして大変にバランスが取れていて、王道を行くようなチャートになってます。決して奇抜な人
ではなさそうです。それで多くの友人に恵まれたという感じですかね。
とにかくこんな感じで、森山大道が私なりに少しは理解できたというところが今回の収穫となり
ました。そこには写真の本質というものがあり、森山が教えてくれたという気がしています。
私も、長らくデジタル写真をやってきて、もしかすれば無駄な時間を過ごしてきたんではないか
なという危惧を抱いていたんですが、半分は正鵠を得ていたということで(歩きの撮影)、それで
良しとするところです。もちろん半分は画像溺愛ということで間違っていたわけですけどね。
これは本当に大きな間違いをしていたと思ってます。
私としてはこれから多分、写真趣味から離れていくだろうという予感がしています。
森山氏のようなプロ写真家には、例えば写真集出版というような具体的なモノがあるわけです
が、アマチュア写真人にはそういうものがないからだと気が付きました。歩き撮影と黒白写真は
確かに正解なのですが、それだけでは写真はやっていけないだろうということですかね。
これまで20年間もデジタル写真をやってこれたのは、カラー画像という耽溺があったからこそ
でしょう。その麻薬が切れれば写真趣味の継続は難しくなるという気がします。
しかしもう一度、カラー画像に浸ることはできません。一度気がついてみると元には戻れない
わけですね。浦島太郎が玉手箱の白煙を浴びた後はもう再び龍宮城には戻れませんでした。
黒白写真を続行していくには、これにはプリント写真による表現力が欠かせないと思っています。
それは黒白フイルム写真時代と同じです。それはどういうことかというと、ネット写真では無理
なのではないかということだろうと思うわけです。
そして、ネットでのデジタル的な写真はあくまでカラー写真でなければならないという気がして
います。そして黒白写真は本来的には紙による写真文化であったということでしょうか。
しかしそれはあくまでも他者に対しての表現の場合です。実際のところ自分で写真を完結する
場合では、自宅のPCモニターで充分に黒白写真をすることができます。
私が面白いなあと思ったのは、スラムさんの投稿手法です。スマホで地元近辺の撮影をされて
それを随時アップロードされています。興味深いのは掲示板に上げる画像は最低限の画質だ
ということです。実際の撮影では普通の画質で撮っているはずですが、投稿ではピクセル数を
落としています。
ここに、二重の基準がスラムさんにあるわけですね。自分で見る写真と他者に掲げる写真とは
違うものにしているということです。もしかするとそういう手法がデジタル黒白写真にも通用する
のかも知れません。
この二重性は森山にもありますよね。彼の写真は徹底的に歩いて撮影をするということなので
すが、そのことは読者には伝わりません。多くの読者は森山の写真の真実を知ることはできない
ということです。
森山は写真とは、とにかく一枚でも多く撮影することだとか、考えるよりも撮れって言ってますが、
そういうメッセージは実は嘘であり、本当は歩き撮影では、そのようなことは必須で当然のことだ
というだけです。写真とは関係がなくて、歩きに関係することだからです。
私も森山のような撮影をしていますが、(ただし山里の撮影で)、一秒でも時間が惜しいわけで、
撮影はスピーディですし、最低限の機材しか持っていきません。ですがら彼の撮影手法はよく
わかります。
こういう具合に、写真には秘められた真実と、表に出されるものとは違うのだということです。
こういうことを知らないと多くの読者は騙されてしまうんですね。ですから写真を見る読者は、その
秘められた真実というものを自らが発見しなければならないということになります。
デジタルモノクロも同様でして、やはりモノクロ専用機がなければ本当にはデジタルモノクロという
ものが理解できません。カラーデジタルでのモノクロモードでは、所詮はカラーのモノクロ風でしか
ないんですね。
しかしネットで上げれたモノクロ写真ではその両者の相違が判別できません。しかし自分でやれは
直ぐに分かります。ここでも写真の真実というものは隠されているというわけです。
この真実の秘匿性こそが写真であるという気がしています。いや写真だけでなく全てに於いて、
真実というのは隠されていて表からは容易に見ることができないというのが、そもそもこの世の中
であり、この世界というものではないでしょうかね。
清原達郎氏の「我が投資術」角川 というのを読んでいますが、清原氏が言うには、自分には弟子
がいないので、自分が獲得した投資術を皆に公開したいと言っています。
読んでいて確かに面白いですね。しかし、やはり本当の事は書かれていないという気がしています。
本人にとっては当たり前のことでも、核心的なものは、当人自身も気が付いていないのであって、
読者は本当はそのことを知りたいのに、それが書かれていないというもどかしさがあります。
しかし著作でもインタビューでも、そういうものではないですかね。
本当に大事なものは、本人自身も気が付いていない。そういうことです。
ですから、森山でも清原でも、読者は、その語られていないことを抉り出すようにして読者自身が
発見していかなければならないと思ってます。
清原氏の生年月日は不明です。1959年生まれとしか。生年月日を知って占ってみたいなあと思う
のですが、それはかなわないようです。
彼は東大卒で野村に入社したわけですが、ドロップアウトしてます。東大出で世の中から弾き出さ
れた人間というのは実に面白いんですよ。私も個人的に2人ほどそういう人間を知っていますが、
普通の人間とは違います。というか、彼らこそ本当の人間であって、普通の人は人形みたいなもの
ですからね。(^^ゞ
昔、悪霊に取り付かれた家がございました。その悪霊をなんとか取り払って欲しい。と若い坊さん
が相談を受けました。が、どうすればいいのか分かりません。そこで物知りの和尚さんに相談
したところ、こう言われました。
「このお経をその部屋の中で一晩中唱えなさい。ただし、悪霊が色んな悪さをしますよ。姿を変えて
驚かせたり、幻惑したりして部屋から追い出そうとします。それでも一晩中、絶対に障子を開けて
外に出てはいけません。もし障子を開けて外に出ようとすれば悪霊に殺されてしまいます。
どんなに恐ろしいものを見ようが聞こうが、それは悪霊の幻に過ぎませんから、ただ一晩中、お経を
唱えていればいいのです。朝になれば悪霊は去って生きます。」
そして、若いお坊さんは覚悟を決めて部屋でお経を唱えました。すると恐ろしげな物音と共に怪物
が現れます。怖かったのですが、彼は必死でお経を唱えました。
その後、亡くなったはずの母親の声が障子の外から聞こえてきます。「お前の姿が一目見たい。
こっちに来ておくれ」と。しかし、和尚さんの言葉を思い出し、これも悪霊の仕業に違いないと誘惑を
振り切りました。
すると今度は、「私はお兄さんと幼い時に離れ離れになった妹でございます」という声が聞こえて
きました。そう言えは自分に妹がいると聞かされたことがある。それでも彼は会いたいという気持ち
と涙を押し殺してお経を唱え続けました。
そうこうしているうちに空が白み、悪霊の声は聞こえなくなりました。ようやく夜が開け、小鳥の鳴き声
も聞こえて来ました。「自分は悪霊の誘惑に打ち勝ったんだ」。
そう思い、彼は障子を開けました。
しかし、外はまだ真っ暗。そのお坊さんは悪霊に殺されてしまいました。
(清原氏の著作からの一文です)
・・・・・・えっー、これ、部屋に時計があれば、こういう失敗はしなかったですね。(^^ゞ 何ていうのは
なくて、悪霊が時計を操作するのは朝飯前だったでしょう。
浦島太郎の物語とは全く違って恐ろしさ百倍です。
※山道を歩いていて、やっと頂上か。と思いきや、単に人工樹林の森が終わっただけで、ここから
自然林の深い森が始るのでした。頂上はまだまだ遠い。(笑)
メーカー名 | RICOH IMAGING COMPANY, LTD. |
機種名 | PENTAX K-3 Mark III Monochrome |
ソフトウェア | Capture One 6 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 18mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/160sec. |
絞り値 | F4.5 |
露出補正値 | -0.7 |
測光モード | 中央重点測光 |
ISO感度 | 200 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 1365x2048 (1.98MB) |
撮影日時 | 2023-07-14 23:50:26 +0900 |
中平卓馬回顧展
https://bijutsutecho.com/magazine/news/report/28422
ウイキペディア https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B9%B3%E5%8D%93%E9%A6%AC
生年月日は1938年7月6日とあり、そして、1977年9月11日未明、酔いつぶれて昏睡状態に陥る。
意識は回復したものの、言語能力と記憶に障害が残る。・・・とあります。
私はこういう写真家をあまり評価しないですね。
「アレ、ブレ、ボケ(荒い画面、手ブレや被写体ブレ、ピント外れの意)」
この意味を中平は理解していなかったように思います。今にして思えば、アレ・ブレ・ボケこそは、
当時の時代の、画像溺愛、画像に浸りすぎることを諌めていた写真手法であったのだろうと思うの
ですが、つまり、それで本来の写真行為に立ち帰ろうとする運動のようなものだったろうと考える
わけですが、中平にはそこまでの思考がなかったのだろうということです。
もしかすれば彼は全てが、模倣の人ではなかったでしょうか。
そして、デジタル時代におけるモノクロ写真とは、あの時代のアレ・ブレ・ボケのようなものかも
知れないなという気がしています。
https://www.1101.com/n/s/kotaro_iizawa/2021-04-10.html
当時というのは60年代後半、闘争の時代。
そうですね、70年代はじめくらいまでの、
政治や社会が揺れ動いていた時代です。
そこへ「アレ・ブレ・ボケ」が、出てきた。
・・・とあって、時代背景は必ずしも良い時代ではなかったわけです。
その時代に登場したのが森山大道ですね。
何を撮るかを決めず、
カメラだけを手に持って町に出かけて、
目の前に現れたものを捕まえていく。
何人か、そのスタイルの先行者がいて、
独自の方法論として
確立していったのが森山さんだった。
・・・森山は、写真を画像ではなくて、もっと広い写真行為として捉えていたように思います。そこに
森山と中平の決定的な違いがあるように思えます。
森山大道
https://www.1101.com/daido-moriyama/index.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E5%B1%B1%E5%A4%A7%E9%81%93
しかし森山が世界的評価を受けるようになったのは、森山が50歳代になった90年代以降なんですね。
https://www.youtube.com/watch?v=xLsEpQV_DqA
https://lp.p.pia.jp/shared/cnt-s/cnt-s-11-02_2_aad3c16c-fdf4-4687-a06e-76519fbf768a.html
森山は1938年10月10日生まれですので、中平とは同年代です。しかし人生後半の様相はまるで
違っていました。その違いは何かというと森山は撮影が主体であり徹底的に東京を歩いたということ
ではなかったですか。しかし中平はそうではなかったようです。
中平は終生、写真を画像論としてでしか捉えられなかったのに対し、森山は撮影における歩きを
重要視しました。その違いが人生後半において決定的な相違となって表れたとしか思えません。
とにかく、アレブレボケもデジタル時代のモノクロ写真も、共通するのは画像に比重を置きすぎること
への考え直しや再考察のように私には思えます。その本質は、写真とは画像だけで考えるものでは
ないということなのですが、しかし写真=画像=作品というモノだと信じて疑わない人からは、それ
らは新しい画像の表現の様式としてしか思われていない点です。
そこに大きな齟齬があるのではないでしょうか。その食い違いの主な原因として、写真を受け取る側
はモノとしての写真でしか作家・撮影者と接することができないからでしょうね。
アレブレボケもデジタル時代のモノクロも、その時代の写真の画像力を弱めたものです。情報が
不足し、美的魅力も減退しています。しかしそこを狙っているのですから当然です。
ですから私は写真を画像の視点からではなく、どのように撮影をしたのか、どういう考えて撮影をする
のか、という観点でやっていかなければならないと思ってます。写真よさようなら、ではなく、本当は、
画像よさようなら、ですかね。
しかしこの考え方は永遠に人々には理解されないことだろうと思います。森山がリバイバルできたのは
黒白写真というカラー時代での新鮮さからでしょう。都市化という時代にもマッチしていたでしょうし。
一般的には理解できなくとも、実際に写真をコツコツと撮っている人間からは、森山の真髄は理解
できるのではないでしょうか。また写真に初めて接する優秀な若い人からも理解可能かもしれません。
アレブレボケ写真は、ほんの数年しか続きませんでした。一時の流行だったわけですね。もっとも
森山などは生涯、その写真手法で続けたわけですから、時代と個人とは違います。
アレブレボケ写真に違和感を感じた写真人は多くて、嫌われた写真だったろうと思いますね。期しくも
私はその時代に写真を始めたということもあって、当然に若くて、アレブレボケ写真に新鮮さを感じた
ひとりです。
同様なことはデジタル時代のモノクロ写真にも言えるだろうと思ってます。流行として(実際は流行にも
なってないけど)は数年で終わるはずです。しかしここでも時代の流行と個人の考え方とは違います。
デジタルモノクロームをずっと続ける写真人もいる筈ですね。
そしてカラー写真は魅力的です。高級機材を使ったカラー写真には多くの人が虜になっているわけ
です。こういう私もそのうちの一人であるわけですが、その魅力には抗し難いものがあるわけです。
しかし森山は生涯、その写真の持つ画像の魅力というものに囚われることはありませんてした。森山
が世界的評価を受けているのは、真にはその理由に拠るはずです。
しかし森山がアレブレボケ写真を長く続けられた本当の理由については、語られることはありません。
https://www.youtube.com/watch?v=y9ZNw19idcI
https://www.youtube.com/watch?v=Kjb58Gtx9Iw
森山の撮影光景が見えますが、想像以上に歩いている。走っている場合もあるんですね。私の予想
は当たったなって感じです。80歳になってもこういう撮影がてきるってのは本当に驚きでした。
余談を書くと、占星術では森山は土星がとても強いです。なるほどっていうところです。
メーカー名 | RICOH IMAGING COMPANY, LTD. |
機種名 | PENTAX K-3 Mark III Monochrome |
ソフトウェア | Capture One 6 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 17mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/400sec. |
絞り値 | F10 |
露出補正値 | -0.3 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 200 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 3554x2369 (4.54MB) |
撮影日時 | 2023-04-02 22:45:09 +0900 |
写真とは何か、ではなくて、写真をするということは何なのか。と自問すれば、それは見聞なの
ではないかと思うようになりました。自らの見聞を広めて、しかも確度を高めるということ。机上論
ではなくて、実地での思考をするということではないでしょうか。
こういうことはあまり考えたことはないのですが、改めて自分の写真とは何だったのかと問うと、
自分の思考の広さと強さ、そして正確度なのではないかと思うようになりました。
多くの人達の思考というか考え方は大体は人様からの見聞であって、他人から聞いたことを
そのまま覚え込んでいるに過ぎないと思います。そこに自分の思考というものが少ないですね。
誰それが、先生やテレビが言っていたことを、そのまま真実と思い込んで自分の考え方とする。
それは違うと私は思うのですが、大概の人達はそのようにしていると思います。
自分独自の思考を持っている人などは本当に少ないと思いますね。
写真という行為は、もしかすれば反社会的な行為かも知れないと思うときがあります。少なくとも
今のロシアとか中国とかでは本当の写真はできないと想像できます。ああいう権威主義的(専制
主義)国家では自分の考え方を持つことが許されないからです。
写真を美学そのものたと思っている人は、ロシアやチャイナでも写真ができるでしょう。国家が
定めた美学の方向に何の疑いもなく模倣するだけでよいのですから。
北井一夫氏の「村へ」という写真集に感銘を受けた自分なのですが、考えてみれば北井氏は東京
の下町ま生まれでしょう。そういう彼が成田空港建設の反対運動を撮影することがきっかけとなり、
つまりは村へ行き、これまでは見知らぬ世界だったことへの見聞を広めることになったわけです。
そういう意味での見聞であり、写真行為だということです。
そして良く知る為にはカメラや写真が必要であったということ。そこに机上論の空想過激思想は
ありません。そこが桐島聡とは決定的に違っていたということ。
多くの一般の常識人とか社会人というのは、都合のよい人達です。そういう人達ばかりだと為政
するのは楽ですね。しかしそうではない人達が一定数います。多分、写真をしたいという人達は
そういう、世間から見ると、まつろわぬ人達の中に入るのではないかと考えられます。
それから写真をする人間は自然人だと思います。それは常識人とか社会人とかとは反対の側に
いる人達かもしれませんね。でもそういう自然な人達がいるからこそ、この社会が危うくなった時、
その方向性を正してくれるようにも思えます。
私は思うに、写真をすることはとても自然なことであって、息をするように飯を食うように写真を撮る
ことだと思うのです。ですから写真に妙な美学や芸術というものを挟み込むのは根本的に間違って
いると思っています。そして自然な写真行為を続けることの結果として、見聞が広まっていくという
ことではないですかね。この見聞を定見の確立と言い直してもよいですし、要するに自ら考えること
への習慣付けのようなものです。
それで長く写真を続けていくと、その積み重なった見聞は深い地層となり、個人を強く大きくしていく
のではないですか。こういうのは物知り博士やAI人工知能には絶対に出来ないことだと思います。
写真人は、その思考の裏づけに、自ら見た撮った動いたという背景があるのであって、これは写真を
しない人間には得られない、たぶん想像もできない利点だろうと考えます。百聞は一見にしかず、
とはよく言うことですが、
百聞は一見にしかず(何度も聞くより一度見た方がいい)
百見は一考にしかず(何度も見るより一度考えた方がいい)
百考は一行にしかず(何度も考えるより一度行動した方がいい)
百行は一果にしかず(何度も行動するより一度成果を出した方がいい)
こういうのもあるのです。それで写真行為とは、上の3番目までは自動的にやっていることになるよう
です。もちろんそれは正しく写真をすれば、という意味です。そういうことが自然に身についてくると
いうことで、けっこう自信を持っても良いのではないかと思ってます。
写真には落とし穴がありますね。
これに嵌ってしまうとなかなか抜け出せないですし、全てを無駄にしてしまうところがあります。
それは画像です。写真ではなく画像に入れ込んでしまうと、正しく写真をすることができなくなります。
綺麗なものばかり撮っていてはいけませんね。
メーカー名 | NIKON CORPORATION |
機種名 | D800 |
ソフトウェア | Capture One 8 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 35mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/640sec. |
絞り値 | F6.3 |
露出補正値 | -0.3 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 100 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 2048x1367 (1.24MB) |
撮影日時 | 2015-03-05 23:27:32 +0900 |
ウクライナ戦争に関して、トップニュースが舞い込んで来ました。
26日、パリで開催されたウクライナ支援国際会議。マクロン大統領の発言の骨子として・・・・
ウクライナに向けてミサイルや弾薬を共同供与。ウクライナへの派兵を選択肢の一つとして
議論する。その可能性を排除せず。
サイバー攻撃対策・ウクライナでの軍備生産・モルドバやベラルーシ国境の防衛・地雷除去。
対ロシア制裁の抜け穴で第三国や企業への制裁強化。
そして・・・我々の未来を米国の有権者に預けない。(笑)
ヨーロッパがやっと本気になったかなって感じです。かつてモンゴルが欧州に攻めてきた時、
欧州各国は一致団結して戦い、蒙古を排除した歴史があります。(そしてモスクワはモンゴル
に屈して蒙古の子分になったんですね)
今回の会議は、すっかり蒙古顔になった某大統領にとっては、かなりのショックだったろうと
思いますが、歴史を知らない彼はそれを理解できない可能性があります。
ウクライナは昨年の6月からの反転攻勢に失敗したと見られています。それは今も続いていて、
今、ウクライナは最高に苦しい時期だろうと思います。占星術では23年6月から24年の5月の
1年間は、木星が牡牛座を運行し、これは占星地政学的にロシアに有利なんです。しかし今年
の6月から木星は牡牛座を脱して双子座に行きます。( これはチャイナに有利です)
もっと先を見ると、25年の7月には土星と海王星が牡羊座で合し、ヨーロッパやウクライナが
苦難の末にイニシアチブを取ると出てます。
※写真は通称、讃岐富士の飯の山。422メートル。
メーカー名 | PENTAX |
機種名 | 645D |
ソフトウェア | Capture One 6 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 100mm |
露出制御モード | 低速プログラム |
シャッタースピード | 1/200sec. |
絞り値 | F14 |
露出補正値 | -0.7 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 1600 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 2048x864 (1.46MB) |
撮影日時 | 2010-01-04 01:19:43 +0900 |
渡良瀬遊水地は栃木県というよりも、関東平野全体の(つまり利根川だ)の宝だと思ってます。
しかし遊水地を写真に収めるというのは、絵としてなかなか難しいのです。
こちらでは溜池の撮影がそうなんですが、池というのは低くて平らで、そもそも聳えるものがなく
見つけ出しにくいというのがあります。それで、池の撮影では背後の山々を入れて撮影すると
いうのが私の定番です。そうすると池が生きるのです。
また、周辺の山から池を遠く俯瞰して撮影するという手もありますね。最近ではドローンで撮影
するという手もあるのでしょう。
その背後の山に遠州の富士を選ぶというのは、スケールがでかいです。その発想は家康並み
ですか。家康は富士が見えるところであれば領地替えになっても構わないと言ったそうです。
確かに関東の北端からも富士は見えるんですね。知りませんでした。(^^ゞ
※写真は讃岐山脈から見た満濃池。日本一の溜池です。
メーカー名 | Canon |
機種名 | EOS-1Ds Mark III |
ソフトウェア | GIMP 2.10.32 |
レンズ | |
焦点距離 | 0.0mm |
露出制御モード | マニュアル |
シャッタースピード | 1/512sec. |
絞り値 | |
露出補正値 | +0.0 |
測光モード | 部分測光 |
ISO感度 | 1250 |
ホワイトバランス | 色温度直接設定 |
フラッシュ | なし |
サイズ | 1500x1000 (1.3MB) |
撮影日時 | 2024-02-28 22:11:03 +0900 |
富士山が1日きれいに見える日でした
場所は36°14'45.5"N 139°42'01.3"Eより。
メーカー名 | Canon |
機種名 | EOS-1Ds Mark III |
ソフトウェア | GIMP 2.10.32 |
レンズ | |
焦点距離 | 0.0mm |
露出制御モード | マニュアル |
シャッタースピード | 1/1024sec. |
絞り値 | |
露出補正値 | +0.0 |
測光モード | 部分測光 |
ISO感度 | 800 |
ホワイトバランス | 色温度直接設定 |
フラッシュ | なし |
サイズ | 2500x1667 (1020KB) |
撮影日時 | 2024-02-28 21:00:29 +0900 |
さっき携帯で撮った写メも掲載しましたが
こちらはタムロン五百で撮った写真です
ちいとピンボケなのはご容赦ということで。
メーカー名 | Canon |
機種名 | EOS 5D Mark III |
ソフトウェア | Capture One 6 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 28mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/128sec. |
絞り値 | F2.8 |
露出補正値 | +0.0 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 800 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 2880x1002 (2.18MB) |
撮影日時 | 2023-10-01 22:20:46 +0900 |
『ゴジラ-1.0』VFXメイキング<大ヒット上映中!>
https://www.youtube.com/watch?v=tej6GCean34
日本最強コンテンツ 70年愛される「ゴジラ」最新映画 制作の裏側(2023年12月1日)
https://www.youtube.com/watch?v=OQJWwXmGZNQ
山崎監督も雄叫び!アカデミー賞にゴジラがノミネート 日本映画は今後どうなる?
https://www.youtube.com/watch?v=TJ8C3ClgMPg
オマケ
War Thunder Cinematic : J7W1 Shinden From Godzilla Minus One ゴジラ-1.0, 震電
https://www.youtube.com/watch?v=k87eYYFsgHE
こういう映像画像の制作現場というのは、これはプロの仕事ですから、我々趣味の楽しみ方とは全く
違います。そういうのはプロの写真家とも同じです。頭はフル回転させていますし時間にも追われ
ています。じっくりと画像に没入するというか無駄に耽溺している暇はないんですね。
良く似た画像とも言えるものをモニターで見ていても、プロとアマチュアとは脳の中が全く違います。
そういうのは仕事でゲームを製作する人達と、その出来上がったゲームを楽しみ消費する人達とは
頭の脳内の働き方が180度違うということだと言うわけです。
一方はそれで金を稼いで他方はそれで時間も金も失っているということ。
よく似た画像でも、金をとって人様を満足させるのか、それとも密かに自分だけを満足させるのか。
その違いはあまりにも大きいです。大方のアマチュアはそのことがよく分かっていますので謙虚な
写真行為をしています。
メーカー名 | Canon |
機種名 | EOS 5D Mark III |
ソフトウェア | Capture One 6 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 58mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/197sec. |
絞り値 | F5.7 |
露出補正値 | +0.0 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 100 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 2880x1920 (2.67MB) |
撮影日時 | 2023-10-01 00:14:34 +0900 |
カラー版
【MAD】ゴジラ−1.0 [ Godzilla Minus One ] Theme
https://www.youtube.com/watch?v=E3b61vU3qNc
モノクロ版
All Godzilla -1.0/C Scenes In Order - Godzilla Minus One
https://www.youtube.com/watch?v=SXJyN5x-0G0
オマケ
War Thunder Cinematic : J7W1 Shinden Godzilla Minus One/Minus Color
https://www.youtube.com/watch?v=v6eUkGngKJI
CGのモノクロって初めて見ました。
こうして見比べてみると、やはりモノクロは映像がよく分かりません。私は既にカラー版の映画を
見ているので、モノクロ版を見ても分かりますが、初めての人がモノクロ版を見ても細かくは分か
らないんじゃないですかね。
しかし画像はモノクロのほうが綺麗ですね。静止画となるとその画像の綺麗さ、そして解像力の
良さが生きるという気がしてます。
私は今の若い人(若ぶってる高齢者のことです)はモノクロ写真は分からないと思ってます。でも
本当に若い人だと分かるかも知れません。なにしろ、このゴジラの映画はZ世代が作っているん
ですね。
現在、10歳代末から20歳代の人はこれから恵まれた時代に生きることになりそうです。ちょっと
羨ましいような気がします。
メーカー名 | Canon |
機種名 | EOS 5D Mark III |
ソフトウェア | Capture One 6 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 28mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/128sec. |
絞り値 | F5.0 |
露出補正値 | +0.0 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 200 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 2880x1920 (2.59MB) |
撮影日時 | 2023-10-01 00:39:00 +0900 |
占星術などは、一般的には関心のないことなのですが、私はこの占星術という、人の人生、及び時代
の風景の解析に興味があります。そしてこの占術と写真とは、案外に関係があるのではないかと
以前から感じていたのです。
今になって思うのは、写真は写真でも黒白写真に限定して、両者は関係があるのかもしれません。
私は昨年から黒白写真を始めました。もしかするとカラー写真にはもう戻れないかもしれません。
この黒白写真というのは、カラー写真と違って、すんなりとは写真が見えません。カラー情報がないので
特別な分析をしないと見えてこないというところがあります。しかし写真としての骨格は勿論あります。
それでカラー写真とは、随分と見方が違ってくるのだと考えています。
人の人生や性格や運勢というものも、色気を取り去ったところから見えてくる法則性というものがあると
して考えるのが占星術なのですが、それは極めて黒白写真のスタイルに似ていると思うのです。別の
言葉で言えば、この2つは共時性があったということです。
私のこれからの人生は、残り少ないかも知れませんが、この占星術と黒白写真でやっていこうと考えて
います。この20年余、無駄な時間を過ごしてしまったと思っています。それは後悔というのではなくて、
時代がそうだったのだと考えることにしています。しかしこれからの10年余はそうではないでしょう。
確実に時代が変わってきていることを感じるからです。
https://photoxp.jp/pictures/226611
この桐島容疑者の分析は、リバースエンジニアの類で、出生時刻が不明の場合、ネットからの色々な
情報を得て肉付けして分析し、不明の出生時刻を割り出すやり方です。時刻がでれば占術として動きが
出てきて、また占星術として完全となり、自由に計算ができるようになるのです。
そのためには、言わば写真でいうところのカラー情報というものが必要になります。
そういうわけですから、黒白写真(占術世界)だけではダメであって、カラー写真(現実世界)もなければ
ならないとなるのです。
ここでの私の能力とは、黒白とカラーの間を行き来できることだと思っています。
余談ですが、生成AIでもってモノクロ写真をカラー化できるようになりました。そうならば占星術もAI化
するのは時間の問題です。しかし本当に大事なのは、占うことではなくて占術を探求することのほうが
より大切です。最近はもっと上があるのではないかと考えるところがあります。
ぷぷっ
メーカー名 | Canon |
機種名 | EOS 5DS |
ソフトウェア | Microsoft Windows Photo Viewer 6.1.7600.16385 |
レンズ | 28mm |
焦点距離 | 28mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/128sec. |
絞り値 | F5.7 |
露出補正値 | +0.0 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 100 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 2880x4320 (4.62MB) |
撮影日時 | 2015-02-13 20:45:37 +0900 |
写真というのは、見る力が必要ですが、これは何も写真に限らず、物事を見る能力というのは重要
です。そしてそれに劣らず、聞く力というのも大切だと私は思っています。見ると、聞く。この2つは同じ
くらいの深い意味合いがあるんではないですかね。
例えば人の顔を見て話すというのと、むしろ相手の声を聞いてこちらも話すというのがあるわけです。
もしかすると見るよりも聞くほうが間違いがないのではと思う時があります。見ることだけでは案外に
相手を知ることができないかも知れなくて、それよりも相手の声を聞くほうの方がより正確なんでは、
と感じることがあります。
写真というのはともすれば見ることだけで完結してしまいそうになるわけですが、これは大いに片手落ち
のところがありそうです。投稿写真にはコメントがつきます。これは言わば聞くことに通じるわけですが、
それは読むというになるとしても、基本は相手の思いや考えを聞いている、ということになるのだろうと
思ってます。
そして写真という画像自身も、ただ見る・見せるということだけでなく、相手の語りかけという声を、画像
から読み取る、もしくは聞き出すということをしなければならないだろうと考えるわけです。
仕事柄、相手と会話する時、この場合は見ることではなく圧倒的に聞く能力がものを言います。正確に
聞き取れなければこちらも話すことができないからです。相手の話すことを最後まで正確に聞き取る。
これが営業職の第一歩ですかね。(笑)
そういう社会生活のいろはがあるとしても、やっぱり、この聞き取る能力を写真に生かすことは難しい
かもしれません。写真はやはり見ることと見せることに軸足を置いているものなのですから。
それでも、この、聞くこと、聞かせることを写真なるものに生かせれば、面白いのじゃないのかなって
思うことがあります。
見ること、見せることは一瞬で完結するのですが、聞くこと、聞かせることは、一瞬ではなくて、時間の
経過や流れが必要です。ですから、静止画よりも動画のほうが、聞く・聞かせることに長けているよう
な気がしますね。しかし我々は静止画という写真マニアですから。
とにかく、自分でも分けがわからんことを書いてますが(^^ゞ、これからの撮影では、ただ見る、観察する
だけでなく、被写体の声を聞くことを考えながら、写真を撮って行きたいなって考えてます。
結局は、人は見たいものだけ見て、見せたいものだけを見せるという我意識があり、その点は、聞くと
というのは比較的我意識が少ないと感じるからです。
ぷす~!
メーカー名 | RICOH IMAGING COMPANY, LTD. |
機種名 | PENTAX K-3 Mark III Monochrome |
ソフトウェア | Capture One 6 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 20mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/50sec. |
絞り値 | F3.5 |
露出補正値 | -0.7 |
測光モード | 中央重点測光 |
ISO感度 | 320 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 2048x1365 (2.09MB) |
撮影日時 | 2023-08-19 23:58:34 +0900 |
写真に文字が入るというのは、街中だと普通ですが、これが山奥だと、ちょっと、ほっとするところが
あります。あるいても歩いても、木々と石と落ち葉の山道で、可愛い看板、いや説明案内板か。
これに出会って、それまでの行けどもいけどもの道を、やっと引き返す切っ掛けになりました。
山歩きはやはり確実に、自分の健康と体力の維持に繋がるようです。このところ忙しくて山歩きが
出来ていなかったのですが、案の定、体力が落ちているといのが如実に分かるようになります。
やっぱり自分には山歩きが必要であるということ。そしてそのためには写真とカメラが必須なのだと
いうことも。私の写真と機材は、この自身の維持の為にこそ役立っていると自覚するようになりました。
カメラや写真というハードウェアを駆使するソフトウェアとして、こ撮影歩きの哲学があるということ。
ぷ~!