1: 雑1 2: ⑦-11 3: ⑦-21 4: ①1 5: ②1 6: ③1 7: ④1 8: ⑤1 9: ⑥-11 10: ⑥-21 11: ⑥-31 12: ⑥-41 13: コピペ記録1 14: 雑文2 15: 浄明寺1 16: 雑欲1 17: 雑文1 18: 雑文1 19: 雑文1 20: 雑1 21: 雑文1 22: ①_(JPEGオリジナル)1 23: ②_(JPEG調整)1 24: ③_(RAWから現像 モノクロ)1 25: ④_(RAWから現像 カラー)2 26: 雑文1 27: 雑文1 28: 雑文1 29: 雑文1 30: 雑文1 31: 雑文1 32: 雑文1 写真一覧
メーカー名 | NIKON CORPORATION |
機種名 | D800 |
ソフトウェア | Capture One 6 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 70mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/100sec. |
絞り値 | F2.8 |
露出補正値 | -0.3 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 220 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 1367x2048 (1.49MB) |
撮影日時 | 2015-12-03 21:22:16 +0900 |
久しぶりの投稿ですが、実は写真の撮影もあまりできていません。しかし写真について考えること
が大だったわけで、そういうこともあって、少しは整理して書く気分が出てきました。
とあるネットのサイトでのやり取りは、私にとってはかなりのカルチャーショックだったと思ってます。
ああ、こういう人が居るんだということで、それは驚きであり、かつ非常に考えさせられましたね。
大まかでは、大前研一氏の低欲望社会の現象であるわけです。
この20年余ほど、日本は経済的に随分と苦しみました。米国が中国に大きく肩入れすることで、逆に
日本はパッシングされたというか、本来日本にあるべき技術や富が中国に流れてしまったのです。
その結果が日本の小子化ですし、若い世代の方は自らの欲望を抑えて生きざるを得なかったわけ
です。就職氷河期とかは記憶に新しいわけですね。そして数十万人といわれる無職の、就職ができ
ない人達も生み出しました。
写真とは何か。人それぞれに答えがあるわけですが、私の場合は、写真をすることで、野外に出歩き、
アクティブになったということがまず言えます。最初の頃は、3種のズームレンズを抱えて、イベントや
祭りの撮影に明け暮れました。そのころに知り合いになったカメラマンは多かったです。
さすがに、これは写真を撮り過ぎだということで考え方を改めて、風景撮影に振ったのですが、今度は
車で県外に出かけるというスタイルになりました。九州、山陰、紀伊、北陸、そして東北へと、撮影の
為に走り込みました。現在は地元香川と四国の撮影になっていますが、やはりカメラを持てば出歩く
という形になるのが普通だと思ってます。
写真趣味以前は、パソコンと読書という閉じこもった生活をしていましたので、写真とは何とアクティブ
なんだなって思うわけです。それが次第に研ぎ澄まされたというか、最終的には、山野の里山や溜池
の撮影に収斂していったような具合になってます。
しかし写真趣味というのは、やはり消尽的な部分が大きいとと思ってます。いわゆる道楽ですね。(笑)
出費が多くて得られるものは少ないです。これが読書やパソコンの時は、これも金は掛かりましたが
得られるものも大きかったです。パソコンは徹底的にやったので、その時に得た知識や技能というのは
今もって役に立ってます。
しかし写真はそうではないです。私が写真趣味で得たものと言えば、山歩きで体力を維持し、健康を
得るということだけだったと思ってます。それ以外はもう泡と消えてしまったという感じでした。(笑)
それはそうですよね。写真趣味って、積極的に何かを考えることじゃないですし、ただ感じて悦にいる
だけのようなものですから。だから道楽であり消尽であるということなのでしょう。
余談ですが、それが引っくり返ってしまったのが、黒白写真なんですね。カメラ機材の道楽が一変して
萎んでしまいましたから。
写真がカラーを捨て黒白になったからと言って、写真のもつアクティブさが影響を受けることはありませ
ん。カラー写真も黒白写真も撮影は何ら変わらないですから。ただ画像が違うだけです。
最近は忙しくて読書をする暇もないのですが、「半導体戦争・クリスミラー著」「情報Ⅰ・中山心太著」を
時間をかけて読み進めています。もう一度、自分はコンピューターの趣味に戻ろうという予兆かも知れま
せんね。しかし写真趣味を捨てることはありません。カラー写真はしないかも知れませんが、黒白写真は
始ったばっかり。これからが本当の黒白写真をやっていくということだと考えています。
そして冒頭に触れたカルチャーショックなんですが、これは写真を画像として究極にまで推し進めること
がどういうことなのか、ということを深く知る大きな切っ掛けになりました。
画像に埋もれ込むとでも言いますか、それは結局はモニタースクリーンに自分を埋没させるということ
ではあるんですね。
モニタースクリーンの罠とでも言いますがすか。古くはテレビやビデオ趣味。それから始ってテレビゲーム
やゲーム機、DVD、そしてインターネット、スマホにSNSなんかに変わってますが、よくよく考えてみれば
写真趣味というのも、そういうものの立派な仲間だったということなんです。
こういうモニタースクリーン文化というのは本物ではないですね。実物ではないという意味です。そして
写真は確かに本物を自分で撮るわけですが、それをスクリーンに映し出した瞬間から、リアルではなく
バーチャルに変貌してしまうというわけです。写真にはそういう罠が潜んでいるというわけです。
そしてモニタースクリーン文化というのは飽くまで受動的だということです。写真は本来、能動的である
わけですが、写真がカラーになり、そしてデジタル化して行くうちに次第に受動的な文化になっていって
しまったんではないですかね。
これをもう一度取り戻していかないと写真はダメになっちゃうという気がしています。
リアルを最小限にして、バーチャルを最大限にするという、そういう写真もあるんだということで、私は
大きなカルチャーショックを受けたわけですが、そういう写真にはやはり未来はないと思ってます。
そうではなくて、リアルを最大限にして、バーチャル(スクリーンモニター)を最小にするしか、そうして写真
をやっていくしかないと私は考えてます。
これは飽くまで私の考え方です。それと真逆の考え方感じ方をする人がいても不思議ではありません。
世界には星の数ほど様々な行き方があり、そういう生き方の表現をすることができるようになってます。
ですから否定はしませんが、それは私の行き方とは違うというだけです。
※写真は狛犬というか、ほぼ狛猫ですか。(笑) 寺院に付属した神社での撮影。
メーカー名 | PENTAX |
機種名 | 645D |
ソフトウェア | Capture One 6 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 33mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/640sec. |
絞り値 | F10 |
露出補正値 | -0.7 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 1600 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 4224x3168 (11MB) |
撮影日時 | 2010-01-04 00:42:56 +0900 |
⑦-1
黒白写真になってからというものの、以前のように機種を違えて撮影することがなくなってきました。
もう何で撮っても良く似たものだから、カメラはなんでもいいや、っていう感じです。
しかしそれだとあまり勉強にならないんで、無理やりにも機種替えで撮影しなくちゃと考えてます。
今回使ったものは古いCCDのカメラで、撮影感度は低いです。よって、ノイズが出やすいですね。
いつものようにJPEGのSサイズ(1/4サイズ)+RAW(DNGファイル)でやってますが、
⑦-1はJPEGのSサイズ(1/4サイズ)から。
⑦-2はRAW(DNG)から起こしたカラー版。彩度を落としてのモノトーン風にしてます。
この2つを比べると、⑦-1のJPEGモノクロの方が画質も良さそうに見えて、しかも印象力の強いと
いう感じになったようです。あくまでも印象というレベルの話なんですが、(実際には元は同じデータ
です)、下手なカラー写真よりも、案外にモノクロの方がスキッとしてスマートだという気がしてきま
したね。
まあこういうのは一概には言えなくて、カメラの機種ごとに違ってくるんだとは思います。今回の
カメラはCCDですので、感度こそは低いんですが、陽が当たっているところの輝度は高くなるんで
すね。日陰りところはノイズだらけですが、光が強いところはキレイにでるんです。そういうのが
印象力としてCCDの持つ良い点ですかね。
CCDカメラは解像感が低く、シャープさなどもCMOSのカメラには敵わないですね。しかしそれでも
このペンタ645Dは5000万画素あるので、ピクセル数を1/4にしても1200万画素はあります。
けっこう、黒白写真で撮ってもいけそうだなっていう気がしてます。
いろいろとカメラを変えて黒白写真をしても、やはりデジタルカメラとしての黒白写真の原点は、
なんといってもペンタ・モノクロームであるという気はしていて、それが私のデジタルモノクロームの
基準のようなものになっていますね。
リコー製モノクローム機の、あの鮮烈ともいえる解像力とシャープさ、ヌケの良さなどは、カラー機
がどんなに頑張ってみても敵わないということです。
『フォトヨドバシ PENTAX K-3 Mark III Monochrome』
http://photo.yodobashi.com/pentax/camera/k3iii_monochrome/
http://photo.yodobashi.com/pentax/camera/k3iii_monochrome-2/
http://photo.yodobashi.com/pentax/camera/k3iii_monochrome-3/
http://photo.yodobashi.com/pentax/camera/k3iii_monochrome-4/
これは写真を見るのではなく(ネットで写真を見ても分かりませんから)、カメラマンの文章をみていた
だきたいですね。
例えば、
・・・・すでに暑苦しさドバドバのテキストからもお分かりの通り、これは撮る者の冷静さを奪い去るカメラ
です。ある種の狂気すら呼び起こすカメラです。もちろん良い意味で。そして、魅力的なプロダクトとは
そういうものですよね。実際、取り憑かれたようにこのカメラで撮り歩きましたし、これほど仕事を忘れて
(=結果を考えず)撮影という行為に没頭したのも久しぶりかもしれません。以下、正直にお話しします。
ライカM MonochromやシグマのFoveonセンサー機で経験済みということもあってか、今回撮影を始めた
当初は、思ったよりも驚きはありませんでした。まあ、なにせあの時は初体験でしたからね。ただ、K-3
Mark III Monochromeでしばらく撮り進めるうちに、「このカメラ、すごいわ」と思うに至りました。つまり
ある程度の予想ができてもなお、心を鷲掴みにするカメラであり、モノクロで写真表現を極めてゆくための
完璧な素材なのです。・・・・
こんな感じでして、プロのカメラマンをも唸らせるものが、このリコーペンタ・モノクロームにはあるようで
す。そりゃあ、リコーの中では最高に良く出来た一眼レフですから、シグマとかライカとかとかは、カメラ
としてのモノが違いますからね。使いやすさや性能は比べるべきものではありません。
私としても、こうして他の方の印象文を見るに付け、やはりこのリコーモノクロームが圧倒的に優れて
いたからこそ、新しいデジタルモノクロームの世界に行けたんじゃないかって思うようになりました。
もうフイルム時代の黒白写真なんかは関係なくて、あくまでも現在のデジタルモノクロームですかね。
そういうものの扉を開いたのが、このカメラだったというわけです。
そしてリコーモノクロームを原点の基準として、一般的なカラー機によるデジタルモノクロを試していると
いうのが今の私なんでしょう。
ところで・・
https://photoxp.jp/pictures/226146
これはKazさんのキヤノン最新機種によるデジタルモノクロです。見事に決まってますね。筋肉質の
モデルさんの持つ、秘めた躍動感が静止状態でも溢れんばかりです。
R7は3000万画素のカメラですが、1/4にすれば大体この投稿写真のサイズになります。
カラー機のモノクロは、カメラの持ってるカラーフィルターでモノクロの色調節ができるのが最大のメリット
なんですが、この写真はそれを大いに使っていると思います。そうでなければもの肌の感じはでない
でしょうから。そしてバックの真っ黒感が凄いなって思います。
「カメラマン・リターンズ♯10」によると、リコーモノクロームのモノクロセンサーは偶々既製品があったの
で作れたカメラだといいます。ですからそう簡単にモノクロ専用機は作れないということです。
ということは、ユーザーはカラーカメラを使って黒白写真をこれからやっていく、というしか手立てはない
ということですね。
そしてKazさんの黒白写真をみると、頑張ればこれくらいは出来るだろうということでもあって、それは
良い指針になったということです。
モノクロ写真の強さというのは、その持っている圧倒的な印象力というものでしょうね。その印象力は
長期にわたって続く記憶に残ります。長期記憶というやつです。それは黒白が一番なんですね。
もっとも私としてはもっと気軽に黒白写真をやって行きたいのでして、これからも気軽なモノクロ写真を
追い続けるだけです。
とにかく、機材としてカラー機によるモノクロ写真では、やはり3000万画素オーバーのフルサイズ以上
が有利であるということ。やはりこれが最低限の基本かなっていう感じ。
そしてレンズは標準レベル以上が欲しいということ。
もちろん敢えてそれをパスするという手もあります。低画素のカメラで廉価レンズを使っても黒白写真も
おおいにあるわけです。しかしそれらはあくまでも応用編ですね。
黒白写真を永続的にやっていくということを考えるならば、基本のスペックを満たしたモノクロ写真を
まずやっていかないと長続きしませんから。
一番簡単な方法は、リコーなりライカの専用機を使ってみること。しかしリコーはともかく、ライカは
高過ぎです。どこかのメーカー、例えばキヤノンがモノクロ専用のフルサイズセンサーを作ってくれれば
最高なんですけどね。70万円以下でね。(笑)
メーカー名 | PENTAX |
機種名 | 645D |
ソフトウェア | Capture One 6 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 33mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/640sec. |
絞り値 | F10 |
露出補正値 | -0.7 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 1600 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 4224x3163 (9.92MB) |
撮影日時 | 2010-01-04 00:42:56 +0900 |
⑦-2
メーカー名 | RICOH IMAGING COMPANY, LTD. |
機種名 | PENTAX K-3 Mark III Monochrome |
ソフトウェア | Capture One 6 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 20mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/50sec. |
絞り値 | F2.8 |
露出補正値 | -0.7 |
測光モード | 中央重点測光 |
ISO感度 | 3200 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 2048x1365 (2.69MB) |
撮影日時 | 2023-07-16 01:57:12 +0900 |
①
昨年の写真としての私の1年は、自分なりに大きな出来ごとがありました。前半はいつものように
レンズ遊びでやりましたが、しかし後半はどんでん返しの黒白写真ライフに大転換してしまったのです。
この黒白写真ばかりの撮影がいつまで続くのは分かりませんが、今の私の写真のスタンダードは
黒白写真であり、もう二度とカラー写真が主体になることはないのかなあ、という感じになりました。
カラー写真と黒白写真には、実は大きな違いというか隔たりがあります。同じ写真として一括ることは
不可能ではないのか、とすら思っています。それはまったく別の写真文化なのかもしれないと感じて
います。
黒白写真は、思うにフイルム時代の自家現像の経験がなければできないのではないか?とすら
感じます。
例えば、俳優の佐野史郎さんが黒白写真の愛好家ですが、彼の母の実家が老舗の写真館。そして
医師だった父が写真マニアだったということで、氏は子ども時代から自然と黒白写真に接していたと
言います。薫陶を受けていたと言っていいのかもしれません。それくらいの経験というか環境がなけれ
ば、黒白写真の良さというものは実際のところ分からないかもしれませんね。
つまり黒白フイルムでの体感的な経験の有無が必要なのかも、とすら感じています。
面白いことにカラー写真も黒白写真も、それはフイルム時代でも現在のデジタルカメラであっても、
同じ機材が使えるという不思議さです。フイルム時代はカメラに入れるフイルムを変えればとぢらでも
可能であり、デジタル時代ではカメラ設定、もしくはPCソフトでの変更だけで選択が可能です。
それぼとに近似であって親和性が保たれているのに、その両者は文化として異なるという具合です。
しかし黒白フイルム写真の経験や記憶があるような人は稀ですね。佐野さんにしても父が残した膨大
な黒白フイルムや写真を見て、それで黒白写真の良さに気がついたと申されていました。もしその父の
遺産がなければ佐野さん自身も黒白写真に目覚めなかったかもしれません。
私の場合にしても、過去の黒白フイルムの経験は淡く封印されていて、それが目覚める切っ掛けは
黒白デジタルカメラの購入がきっかけになっています。もしこのカメラを手にすることがなかったならば、
もしかすれば私も永遠に黒白写真に向かうことはなかったのではないかと感じています。
このちっょとした切っ掛け。歴史時間の揺らぎのようなものが、その後の人生の歴史時間を変えてしまう
という不思議さですか。そういうものもあるのかも知れないねっていうことですか。
私が黒白写真をするようになってから、その劇的変換は、無駄なことをしなくなったということです。
無駄だったこと、贅肉を削ぎ落とせたということですか。それは機材にしても、時間にしてもそうでして、
シンプルさが増したということです。
もう何度も記しましたが、カラー写真のもつ属性である、キラキラと色イロがない黒白写真は、それを
製作する人間に対してもキラキラ色イロ感覚を削いでくれるようです。このキラキラ色イロは考えてみれば
写真自体の本質ではありませんね。言わば過剰な付加物であったわけですから、黒白写真に転換して
も写真そのものは変わらずで、事実、私の写真の撮影はちっとも変わっていません。
すでに撮影そのものは黒白写真に行くまでに自ら自覚して贅肉を落としスマートにしていたからでしょう。
それで大きく影響を受けたのは、機材に対しての無駄な欲望がなくなったということになります。
カラー写真はまさに豊穣という言葉が当てはまります。それは色情報が多岐に渡り、カメラやセンサー、
レンズの、種々の影響を複雑に受けて多様化するからです。それらをいちいち抑えていけば切がない
ほどです。
黒白写真をそれらを無駄なものとしてバッサリと刈り込んでいくわけですね。そりゃあ、機材に対しての
欲がなくなるのは当然なのでしょう。
黒白写真に行くまでに、私自身は既に自分の写真行為は、写真という画像ではなく写真を撮影するという
写真する行為の方に向いていました。つまりはカメラを手にして、それを手土産にして、自分が撮影に
かこつけて歩く行為自体が目的であるという風に。
とは言え、やはり撮った写真の画像は気になるものです。撮った写真をあまり見なかった私ですが、
この獲得画像の縛りというものはやはりあったわけで、それでレンズ遊びなんかもしていたわけですね。それを徹底排除できたのはやはり黒白写真です。
黒白写真をするには、その黒白の表現の良さ、奥の深さとでも言うのですか、と、いうものを自覚できな
いと行えません。これがない限りは黒白写真を永続できず、カラー写真のキラキラ色イロに留まるという
ことになります。
これは本質的にはその人個人の美学の問題です。黒白に美意識を見出すのは、多分、不足感という
独自の美意識を理解できていないと難しいかもしれません。例えば水墨画とか枯山水という美意識は
決してカッコイイものではないと思っています。それは不足していて、貧であり、さびしいものです。しかし
それで十分に事足りるという強さがないと理解できないものかもしれません。
デジタルモノクロームではわかりませんが、商業印刷ではカラーとモノクロではコストの違いは大きいの
です。版代が4倍となります。日本画ではさらに差があります。岩絵の具は高く金箔ではもっと。水墨画
は墨のみなので安くあがります。こういうコストの面から考えるとカラーとモノクロには大きな違いがある
ことになります。
デジタル写真は基本がカラー対応なのでそういうコスト面のことを考えることはありませんが、本来は
カラーとモノクロには大変な差があるということです。フイルム時代のカラーとモノクロにも大きな違いが
ありましたね。
そうは申しても、黒白写真は何も我慢するだけのものではなく、そこに積極的な美意識を見出さなけれ
ば長く続けることはできません。黒白写真も極めれば黒白専用機とか、カラー機でも多画素高画質の
カメラが必要になり、レンズも良いものとなるのですが、そこまで行ってしまうと黒白写真の本質を踏み
外すことになりかねないので注意が必要です。
私はまだ黒白写真の撮影はJPEGの小サイズでやっています。同時記録でRAWも保存していますが、
まあ滅多に開けることはありません。まだまだ黒白写真としては入門クラスだと自覚しているので、
カラー画像の見えないJPEGで行こうというわけです。そして何といっても、JPEG撮影は簡易で無駄を
最小にできる点が高評価です。
画質はRAWでの黒白現像に比べれば随分と落ちるわけですが、そういう画質意識は写真の本質とは
違うと思ってますので。こういう意識もカラー写真時代ではなかったことで、黒白写真にしてから芽生えた
新しい意識です。
デジタルカラー写真は、何が何でもオーバースペックで、オーバークオリティです。まず撮影量からして
フイルムとは桁違い。撮影スピードもそうです。昔はクオリティも劣っていたデジタルですが今は完全に
逆転しています。この過剰なスペックにユーザーは振り回されているという気がしないでもありませんね。
その過剰さを本来のユーザーの等身大に戻す、振り返るという意味で、現在のデジタル黒白写真は
意味を持つのではないでしょうか。
そういうのはデジタルの、ピントがシャープすぎるという反発からマニュアルレンズでの撮影に。というの
もそうでしょう。撮れすぎるへの反発からマニュアルピント、マニュアル露出、三脚撮影というのもあるはず
です。
そう考えれば黒白写真も、そういうゆったりとした使い方をしたいっていう、ユーザーの意識から行き着く
ひとつの到達点だとも言えます。
※投稿した写真は年末恒例の金比羅山参拝での撮影。レンズはいつものシグマではなくて、ペンタックス
20-40ミリです。やはりシグマと違い、諧調が豊かですね。小型レンズなのでバッテリーグリップ不装着で
撮影。陽も落ちているのですが良い描写をしてくれます。RAWで現像すれば格段によくなるのですが
JPEG小サイズでの撮影。
メーカー名 | NIKON CORPORATION |
機種名 | D800 |
ソフトウェア | Capture One 6 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 24mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/640sec. |
絞り値 | F13 |
露出補正値 | -0.3 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 800 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 2048x1367 (1.88MB) |
撮影日時 | 2015-12-29 23:57:58 +0900 |
②
年末仕事終わりの午後から登った鷲の山。300メートルちょいの小さな里山ですが、讃岐平野では異形
の姿をしていることで有名です。写真は南面からの撮影ですが、東側には採石場があり古墳時代からの古代から採石かが行われていた由緒ある山です。柔らかい柱状の安山岩が採れ加工しやすく、この石
で彫った狛犬は最高です。
この南面ルートは直行登山でして、後から調べるとあまり登った人はいないようですが、それでも登山路
には踏み後がありましたので利用はされているようです。いつもは手に持つカメラを肩に掛け両手も使っ
て小枝や笹根を掴みながら登る羽目になりました。帰りは尻をつけズリ落ちながらの下山。(笑)
翌日は時間をかけて西側から入山し、この山は実は東西ではなく南北に長い山です、アップダウンの多
い南北縦走をこころみました。起伏と変化に富んだ素晴らしい山でしたね。植生がまばらで見晴らしが
良いのもいいです。
写真は麓の溜池からの鷲の山ですが、左右の手前に伸びた小山は山体崩壊の跡です。この池はその
崩壊地の間の空間に作られた池ですね。崩れ去った鷲の山の崩壊痕の尾根筋が見えますね。抉れて
いる部分が崩壊した部分です。香川にはそういう崩壊痕跡が多くて、これは歩いてみれば直ぐに分かる
ほどです。崩壊して堆積したところは平らなんです。そして山になると一気に急傾斜になるんです。
日本アルプスなどの高山では崩壊すればそのまま谷に落ちて、それはすぐに土砂となり川から海へ流れ
落ちますが、川もない雨も降らない香川では、山体崩壊の跡がそのまま残るという現象をみることが
できるのです。
この鷲の山は、もともとは台形の台地状の山だったんですが、山体崩壊を繰り返しながら現在のような
尖ったギザギサの山容になったんですね。鷲が羽を広げた様ということで名づけられた山です。
この山の、加工しやすい輝石角閃石安山岩は風化すると白い土になるようです。写真では溜池の水際
が白いのでも分かります。
この輝石角閃石安山岩は柔らかく風化しやすい岩石のようで、しかも縦に柱状節理が走っていてさらに
風化の度合いが高いようです。台地状の山はメサと呼ばれていて、屋島とか大麻山がそうですが、上部
に載っている安山岩は硬くて崩れ難いのです。しかし鷲の山はそうではなかったので風化と崩壊を起こし
現在のようなギザギザの山になってしまったようです。
植生としてはウバメカシ、クヌギ、山桜など。赤松も昔は多かったはずですが、現在は枯れて絶滅状態。
今の香川の里山はすべからくそうです。イノシシとは2匹遭遇しました。夕暮れは彼らの縄張りですから。
細々とした石材採取くらいで何の役にもたたない山ですが、昔はこういう里山から落ち葉採取(肥料や
燃料として)や、木々(松ノ木や樫)を伐採して利用されていたわけですけど、今はただそこにあるだけ
の山になってしまいました。麓にはかつて耕やした畑の痕跡が多々見受けられました。
頂上には中世の山城跡があったそうですが、こういうのは本当の山城ではなくて、俺が一応は制覇して
いるんだぜ、というくらいのプレゼンのようなものです。山頂は平らですがそんなに広くありません。
こういうことを色いろと考察しながら山に登り、写真を撮っていくというのが私のスタイルになっています。
香川にはこういう里山と溜池がごまんとあり、一生かかって撮影しても、そのほんの一部しか見ることが
できません。しかし皆すべて個性的であり同じものはひとつとしてありません。
メーカー名 | NIKON CORPORATION |
機種名 | D800 |
ソフトウェア | Capture One 6 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 70mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/400sec. |
絞り値 | F10 |
露出補正値 | -0.3 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 800 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 2290x4912 (11.1MB) |
撮影日時 | 2015-12-30 00:00:47 +0900 |
③
上の鷲の山を撮影しているとき、空に舞う鳥がいることに気づきました。ミサゴだ。私の大好きな鳥です。
着けている24-70ミリで撮ったのがこれ。同時記録したRAWデータから起こして、左右を大きくトリミング
しています。拡大してみるとミサゴでしたね。何しろ望遠レンズなど滅多に持参していませんから、標準
や広角で野鳥も撮影するのが私のやり方。(笑)
ミサゴは全国各地に生息していますが香川では三方を海に、そして川はないですが溜池が多いので
彼らも食っていけるようです。最近は溜池に浮上式太陽光発電設備が出来つつあり彼らにとっては迷惑
なことかもしれません。
メーカー名 | RICOH IMAGING COMPANY, LTD. |
機種名 | PENTAX K-3 Mark III Monochrome |
ソフトウェア | Capture One 6 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 50mm |
露出制御モード | 高速プログラム |
シャッタースピード | 1/2000sec. |
絞り値 | F2.0 |
露出補正値 | -0.3 |
測光モード | 中央重点測光 |
ISO感度 | 200 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 2048x1365 (1.4MB) |
撮影日時 | 2023-07-17 00:37:45 +0900 |
④
里山歩きには医者いらず・・・これで理解できたのが、里山の中腹から麓にはお地蔵さん巡りが多くの
山で設置されているんですね。
なぜ山なのか? ひとつは場所の問題。平野部は耕作で貴重です。山だとその辺は緩やかです。
しかし何といっても大切なのは、お地蔵さんを巡り参拝するのは老人であるということ。現役から退いた
隠居の老人。特に長生きするおばあちゃん。
おばあちゃんは歳をとっても元気でいて欲しい。その願いが里山に地蔵さんを作ったのではないです
かね。おばあちゃんはただ地蔵さんにお参りするだけでなく、花も添えたり涎掛けなんかも着せたり
します。信心深いおばあちゃんであるからこそ、山で歩いて健康で長生きできるというわけですよ。
お地蔵さん巡りの社会人類学とでも言えそうな思いつきの考察ですが、案外と外れてはいないと
思っています。お地蔵さん、これを石屋に作らせて(けっこう金はかかりますよ)、それを山にまで持って
いって設置して、当然に道も作り、メンテナンスもし続けないといけません。
こういう一種の宗教的なインフラとでもいうんですかね。村人がお金と労力を出し合って造るわけです
が、その効果はあるのだということで、村人は納得しているわけですね。
「里山歩きには医者いらず」。おばあちゃんが長生きはしても病気だとすると大変です。お金は掛かるし
世話もすることで若い人の労力が削がれます。
「写真趣味老人に医者いらず」。・・・そういうのもあるんではないですか。(笑) お爺ちゃんには長生き
して欲しいけど、病気で寝込まれると困ります。ボケても困るし。いつまでも元気でカメラを持ってそこら
辺を歩いてくださいな。と、若い人が言っている様な・・・気がしませんか?
※写真はフイルム時代の50ミリF1.4レンズ。ちょっと柔らかすぎて黒白の風景写真には向かないかも。
メーカー名 | RICOH IMAGING COMPANY, LTD. |
機種名 | PENTAX K-3 Mark III Monochrome |
ソフトウェア | Capture One 6 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 20mm |
露出制御モード | シャッター速度優先 |
シャッタースピード | 1/320sec. |
絞り値 | F2.8 |
露出補正値 | -0.3 |
測光モード | 中央重点測光 |
ISO感度 | 12800 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 2048x1365 (2.31MB) |
撮影日時 | 2023-07-17 02:25:47 +0900 |
⑤
黒白写真にしてから、ほんとうに機材に関しての意欲がなくなって、撮影意欲は衰えないですが、使う
機種は限られてます。これまでに良く使ったカメラは、ペンタK3M3Mとイオス5DS/5DS2・3と、二コンD800
くらいかな。ペンタK2やシグマも1回使ったか。何故かそれ以上に使いたいという気がおきないんですね。
しかしこれは考えてみれば、普通のカメラマンと同程度であるわけですよ。
ではなぜ自分は多機種に渡ってカメラやレンズという機材を手にしてきたのだろうかというと、そういう
疑問が当然に涌くのですが、それは各種の機材の相違が見えてくる良質な受動機、パソコンやモニターと
いうものに投資をしてきたからだと思うんです。
そういう受動機というか受信機に、普通はあまり投資しませんね。適当なやつを1つ買ってそれておしまい
です。ですからカメラやレンズを換えても違いが分からないというわけです。
ということで結論付けられるのは、多機種に渡って機材を試されているユーザーは、それなりの受動機
システムを持っているということでしょうね。逆算すればそういうことになりそうです。
しかしこれもまた、オーバースペックであって過剰投資であったということになります。
それともうひとつ、画像を受け取る人間側の問題もあるでしょう。例をあげると味音痴の人は何を食って
も同じであるということ。そういう裏事情もあるのかもしれないですね。
ともあれ、使う機材が少なくて済むというのはメリットであって、メンテナンスが容易であり保管場所にも
困らないということ。大変にコストパフォーマンスに優れています。なにも考えず適当ににカメラを掴んで
撮影に出かけることができます。このスマートさも黒白写真になってからの優位点です。
そして私の場合、黒白写真は基本、JPEGの小サイズで撮影しています。汎用性のあるJPEGですので
どんなソフトウェアでも開くことができ、動作も圧倒的です。ここは物凄い時間と労力の節約になります。
黒白写真の場合、カラーほどRAWとJPEGの画質差は感じないで済みます。本当はカラーもモノクロも
同程度の画質の相違があるはずですが、黒白はそう感じないですむだけなのでしょう。
このJPEG撮影でやるというのも、黒白写真であったればこそであって、これまでのRAWカラー写真と
比べて、圧倒的なコストパフォーマンスとタイムパフォーマンスを獲得するもとなっています。
コスパとタイパに関してはS9000さんが論説を書かれていましたが、私としては単に無駄を削ぎ落として
軽くする短くするという具合にしか考えていません。過剰クオリティは必要がないという考え方ですね。
考えてみますとカラーに比べてモノクロームはその情報量が1/3であるわけなので、1/3に削ぎ落として
も問題がないという大前提があります。
トータルな撮影データ量を1/3にするには、撮影ショット量を減らすという考え方もできます。マニュアル
撮影や三脚撮影がそれに当たります。AFや自動露出に比べればそれくらいに落ちるでしょう。三脚
撮影となればもっと落ちます。
そういう考え方をすれば黒白写真は便利さをそのままに、もっと過激に実質総量を減らしてくるという
感じです。
カラー写真からモノクロという大きな壁さえ乗り越えれば、黒白写真ほどコスパ・タイパの優れたものは
そうそうはないというところでしょうね。
よくよく考えてみれば、私が若い頃に黒白フイルム写真だったのは、当時はネガカラーフイルムが未熟
であったことや、リバーサルカラーフィルムは高価すぎたということもあって、必然的に黒白写真になら
ざるを得なかったのですけど、やはりそこにはコストが優れていたというのが根底にありました。
ですから学生の身分でありながら写真ができていたわけですね。
この白黒写真優位のコストパフォーマンスは、デジタル写真になってからも生きているわけでして、さらに
タイムパフォーマンスすらも獲得しています。
コンパとかタイパといのは経済学、エコノミーからの視点ですが、無視はできないことだと考えます。
写真趣味の経済学とでも言うんですかね。そういうものあるんだと考えています。
※写真は社殿はなくて石の祠と囲いがあるだけの弁天さんを祭った宮。正月の供物として定番の、
お酒、塩、お米、水、そして餅。
私は大小のお宮さんやお寺の写真を撮りますが、参拝はしませんし手を合わすことはありません。
しかし賽銭はいつもあげています。ここにも正月だけの小さな賽銭箱が置いていました。
お賽銭は撮影料というわけ。(笑) お賽銭だけでなく、寄進のチャンスがあればそれをもやっています。
匿名での寄進ですね。
この世の中、只のものはありません。ただで利用できると思っていても、誰かがそれを負担しているか、
または我々にも回りまわって請求が来るのに気がつかないだけです。ならば私としては、出来る限り
直接的に支払うのがシンプルかなって考えてるだけですね。量販店ではケーズデンキとドラッグストアの
コスモスがそうしてます。好感がもてますね。
メーカー名 | NIKON CORPORATION |
機種名 | D800 |
ソフトウェア | Capture One 6 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 70mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/500sec. |
絞り値 | F11 |
露出補正値 | -0.3 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 800 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 2048x1367 (1.62MB) |
撮影日時 | 2015-12-30 01:22:01 +0900 |
⑥-1
黒白の風景写真で私が気に入っているのが、茫洋として遠くに行くに従い消失するグラデーションです。
その消失感というのが遠近感を生むと言いますか、黒白写真独自の美学にもなっていると思ってます。
水墨画でもこのような手法を使います。遠くに行くにしたがって、墨を薄く表現するのですね。
黒白写真はカラーに比べて、解像力とシャープさに優れているのですが、この茫洋感覚はそれとは真逆
です。むしろ想像力を駆使させる手法となっています。これは極めて東洋的な感覚なのだろうと思って
います。カラー写真に於いてのボケ手法と同じかもしれません。
この茫洋にはフィルム時代でしたら粒子感、デジダルではノイズ感を加味することで、さらに味がでると
考えています。単なるグレイのグラデーションではなく、そこに情報消失の感覚を織り込むというか。
メーカー名 | NIKON CORPORATION |
機種名 | D800 |
ソフトウェア | Capture One 6 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 70mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/640sec. |
絞り値 | F13 |
露出補正値 | -0.3 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 800 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 1367x2048 (1.58MB) |
撮影日時 | 2015-12-30 01:29:36 +0900 |
メーカー名 | NIKON CORPORATION |
機種名 | D800 |
ソフトウェア | Capture One 6 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 70mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/320sec. |
絞り値 | F9.0 |
露出補正値 | -0.3 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 800 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 2048x1367 (1.61MB) |
撮影日時 | 2015-12-30 01:48:10 +0900 |
メーカー名 | NIKON CORPORATION |
機種名 | D800 |
ソフトウェア | Capture One 6 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 70mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/400sec. |
絞り値 | F8.0 |
露出補正値 | -0.3 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 800 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 2048x1367 (1.5MB) |
撮影日時 | 2015-12-30 01:51:52 +0900 |
メーカー名 | NIKON CORPORATION |
機種名 | D800 |
ソフトウェア | Capture One 6 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 24mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/200sec. |
絞り値 | F7.1 |
露出補正値 | -0.3 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 100 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 2048x1367 (1.8MB) |
撮影日時 | 2015-12-04 00:03:04 +0900 |
★キヤノン板 『老人写真事情~写真とは遠い日の花火ではない~ 』 コピペ記録
https://photoxp.jp/pictures/226050
老人主体の写真展を鑑賞してきました。若者写真事情を考えると同時に、老人写真事情と
いうのも考えてみましょう。ちなみに両者は断絶したものではなく、ある程度は連続体を構成
しています。
---------------------------------------------------------------
・老人写真趣味としての『サロン型写真趣味』(厳密な芸術写真という意味ではなく)の存在。
・撮影(個人あるいは撮影会)→大判プリント・額装(額装まで主宰者が一括作業することも
ある)→展示会場設営→会場をサロンとして各種茶話(思い出話、自慢話、情報交換等)を
楽しむ・・・という一連のサイクルを毎年楽しむ。
・少しずつ衰退している。
・衰退理由は、コロナ禍で開催が中断し再開が困難、参加者の高齢化など担い手の不足。
・これほど高齢者が増えているのに、高齢者主体の写真教室、写真クラブの会員は減少
している。
・2000年代のデジカメブーム、団塊世代の大量退職者の趣味サロンデビューといった、
ボリューム層が徐々に消えていっている?
・そろそろバブル層が「高齢者デビュー」に達しつつあるが、この世代から下は、団塊世代
から上のように無趣味を誇るような企業戦士気風が薄く、退職前から余暇・趣味活動に余念
がないため、退職後の余暇を考える傾向にないかもしれない。(かといってスパッと線引き
できる境界線もないと思う)
・バブル世代以下がサロン(茶論)的活動を嫌うものではなくて、サロン的写真活動は、
オタク文化の行動形態と大いに被る。(額装写真を前に語らうのも機材を並べて語らうのも、
いずれ劣らぬオタク趣味。)
・サロン的写真趣味とは異なる「放し飼い型写真展」にも出くわす。
・サロンスペースを想定しない、常駐当番のいない、放牧型の展示がそれで、彼らは承認
欲求ではなく表現欲求のみに従っているのかもしれない。(それを偽装した、実は承認欲
求まみれの展示も一方では存在する。ただし承認欲求のない撮影者はこの世に一人も
存在しない)
・写真表現や撮影技術はそれぞれであるが、どちらの展示でも心引かれるものは散見する
ため、あくまで分類上の違いであり、写真そのものに明確な違いはない。
------------------------------------------------------------
・・・・サロン写真、という表現は「芸術志向の強い写真」という文脈で使われることがあるよう
ですが、ここでは「額装した写真を前に茶飲み話を楽しむような写真スタイル」を指しています。
40代以下の人々がそれをしないわけでもないです。また、20代も実は「額装なんてコスパも
タイパも悪い」なんて言いません。重点の置き方はわかりませんが、10代の人々の額装写真
展もよく見かけます。
アナログ→デジタル→アナログの反動振り子現象の一環で、物質感と手触りのある写真と
しての額装写真が若者にブームとなる時期も来ると考えています。
余談ですが、20代に聞いてみると、「タイパ」は彼らが言い出したものじゃないのだそうで、
「うだうだと無駄な時間が流れる会議や上司の自慢話を聞かされる飲み会を嫌って断った
結果、その上司層が若い人々はタイムパフォーマンスを重視するから仕方ない、と言い訳に
使ったのであろう」との見解がありました。
その上司層は、かつて「新人類」と言われた世代であろうが、そのワードもまたその上司層
が造り出したものであります。
そもそも「時は金なり」「光陰矢の如し」とか、昔からタイパに類したことわざは存在するし、
人類の進歩は時間を克服する戦いでもあったのです。医療=長寿命、家電・即席食品・代行
サービス・宅配=消費可能な時間の拡大、高速交通機関=生存時間のうちに移動できる
範囲の拡大、デジタルカメラ=写真アウトプットの即時消費・・・というように。
SF上の概念でしかありませんが、何らかのテクノロジーにより、人間のクロックを高速化す
ることで、有限の時間から無限の時間を取り出すというものがあるそうです。移動時間中に
仕事や趣味を楽しむ環境づくりというのもこれに近い考え方で、ラップトップパソコンやウォー
クマンなどもこのカテゴリーに入ってきます。
老人と若者では時間の流れる感覚が違うのでしょうが、セイコーが発表している時間白書
では、若者は将来に対する不安を持っていて、これは単なる社会不安というよりも、自分が
若さを喪失していくことに対しての不安があるようです。若いうちの時間を無駄に過ごしたくな
いという焦りが、本当の意味での「タイパ」なのかもしれませんな。
https://www.seiko.co.jp/timewhitepaper/2023/
この時間白書では、年齢に対するステレオタイプ的な考え方に対する反発の意見も見られ
ます。要するに老人写真も「遠い日の花火ではない」ということで、別に老人ポートレートも、
老人ポートレート写真家もじゃんじゃん出てきてほしいものであります。
老人は、現在と同時に今に至る過去からの時間を楽しむ観点で写真に向き合うのですが、
そうした老人写真家は被写体としてもとても魅力的であり、彼らの背中には重厚長大な物語
を感じるところです。
★キヤノン板。『爽やか美人百景 ~若者写真事情~ 』 コピペ記録
https://photoxp.jp/pictures/226046
とある忘年会で、20代の男女に、どのような写真を撮っているか、またどのように保存して
いるか尋ねてみました。
-------------------------------------------------------------------
・会話に参加した20代は男子1名、女子3名。
・保有している撮影機材は全員スマートフォンのみで、デジカメ、フィルムカメラ(使い捨て
カメラを含 む)、チェキの使用者はいなかった。
・撮影は配偶者や彼氏彼女との記念写真、旅先の風景、趣味の作品の撮影など。
・保存はスマートフォン内部で済ませているが、ごくまれにプリントすることもある。
・プリントはコンビニ等を利用。
・・・・これらの傾向はスマホ撮影者のプリント動向調査とおおむね似通っている様子。
https://mmdlabo.jp/investigation/detail_1939.html
・チェキ写真は全員が認識しており、うち女子2名が「かわいいので好き」との感想。
・チェキ機材がなくともコンビニでスマホ撮影の写真をチェキ風にプリントするサービスがある
とのこと。
・スマホ撮影写真と、大口径レンズ+デジタル一眼レフで撮影した写真とを見せたところ、
後者について、1名の20代女子から「写真がキレイ」との感想あり。具体的にどうキレイと
感じるのか尋ねたところ、「写真館で撮影した写真のようだから」との感想あり。
・この20代女子は、「キレイな写真」として「写真館で撮影する写真」をイメージしているが、
彼女はいわゆる『インスタ女子』であり、写真趣味で言うところの「ボケフォト」や「ポートレート
写真」には親和性を感じるとのこと。(ただしそうした用語を使っているわけではない)
・また、彼女は、節目節目で写真館(スタジオ撮影とは限らない)で撮影してもらってきた経歴
があること。またかなりの美貌の持ち主で、写真を撮られることに抵抗がなく、また自らの
美意識の表現としてセルフポートレート撮影にも関心が高い様子。
・少しだけ、彼女のインスタを見せてもらったが、なかなかに魅力的だった。
・フォトブックを注文した経験は全員なし。女子3名のうち2名は新婚だが、ウエディングフォト
のサービスとしてもフォトブックを利用しなかった様子。
・20代男子も趣味は多様で、料理から「オリジナルの皮靴作り」まで、その記録のためスマホ
撮影する機会は多いとのこと。
・この20代男女4名のうち、趣味レベルで写真に関心があるのはインスタ女子の1名と思わ
れるが、残りの3名もスマホ撮影機会は多い。
・インスタ女子以外の女子1名が、地域フォトコンの部門賞に入賞した経験があるとのこと。
それは撮影者としてでなく被写体として。だが、地域振興のフォトコンはそのへんが寛大で
あり「未発表で応募者本人が撮影した写真であること」という制約はないが、それ以前に、
ある意味、20代女子が「写真は撮影者ではなく被写体人物のモノ」という考えを持っている
こととも思えた。
・・・・「チェキ写真がかわいい」というのは、やはり20代女子である私の娘も、自分ちのリビン
グに家族写真をチェキ風にプリントしてたくさんディスプレイしているので、理解できます。
余白にメモやメッセージが書き込めるのもよさげです。なお、私の娘もチェキ機材は保有して
おらず、スマホ撮影を「チェキ風にプリント」しているもので、専用アプリでプリント注文し、
最寄りの店舗で受け取るとのこと。
・・・・フォトブックは、コロナにより市場拡大が失速した傾向が見られ、例えばキヤノンは
今年、いったん撤退しています。キヤノンは2024年中を目処に新サービス開始との意向では
ありますが、「努めてまいります」との表現であり、再開を保証するものではありません。同社
の主力商品「フォトジュエルS」は私も利用していますが、写真印刷のクォリティに文句はない
ものの、飾り文字やレイアウト、背景などが20世紀的で、このあたりが競争力の低下につな
がったのかもしれません。
https://cweb.canon.jp/photojewel-s/
・・・・私は残念ながら今年は「キレイな女子」写真をあまり撮れませんでしたが、春先までの
名所・写真映えスポットで観察している限り、インスタ的撮影は一段落し、TiKTok系の撮影を
見かけることが多く感じました。しかし、女性の「キレイに撮りたい、撮ってほしい」という願望
が衰えるはずもなく、「被写体であり撮影者でもありたい」「ワタシが撮るキレイなワタシ」とい
うセルフポートレートジャンルは確固たるもののようです。
・・・・デジタルネイティブ世代もぼちぼち結婚して子供を持つ年齢となってきており、彼ら彼女
らは家族の写真共有サービス「みてね」を大いに活用しています。
このサービスはMixi社のメガヒット商品であるが、自らの子育て期の記憶が薄れつつある
親世代(つまり私あたり)と、子供の写真を共有することで子育て情報、助言(あるいは小言、
説教かもな)も共有できています。
新規子育て世代は、月齢なりの発達発育に不安を持ちがちだが、「みてね」で共有されて
いる現在の子供写真は、その子たちが大人になって子育てする側になるとき、貴重な記録
資料となるかもしれません。
我が家の場合、子供の撮影は、20世紀末に生まれた娘は幼稚園まではフィルム・デジタル
混成で、21世紀になって生まれた息子は、デジタルのみで写真を残してますが、とても月齢
ごとの記録をカバーできるほどの写真は残っていません。もちろん、「みてね」が物理的にも
商業的にも、これから先20年、現在のフォト共有サービスを継続できるかどうかは未知数で
ありますが。
・・・・それにしても、写真関係の統計を検索すると、しばしば「デジタルほどクリアには撮影
できないフィルム写真が、なぜか人気復活」という趣旨の記述によく出くわします。
2005年頃の記憶では「フィルムほどクリアーには撮影できないデジタルだが、利便性から
人気沸騰」というような表現が目立っていたと思います。
2000年代は、写真館で七五三撮影をお願いしても、デジカメは構図確認のための補助手
段であり、供給される写真にネガフィルムが添えられていたものです。老舗の子供写真館
スタジオアリスは、2006年まではフィルムであったとの情報もあります。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14186112664
上記は個人の顧客による推測ですが、スタジオアリスがフィルムからデジタルに移行する
にあたっては壮大な中央制御システムを構築したようで、子供写真と顧客情報が高度な
個人情報であることに鑑みて、セキュリティも確保できる独自システムを2005年度から順次
導入した、との報道も残っており、上記の個人顧客の情報と時系列はほぼ一致します。
https://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/0509/09/news061.html
なお、スタジオアリスは出自がフジフィルムグループ企業との合弁であり、その後、フジ
フィルムとの事業提携も行って現在に至っているため、撮影機材にFinePix S3Proあるいは
S5Proが使用されていたとの情報があります。
デジタルの普及とそれに伴うアナログの衰退、そして反動のようにアナログが復活してくる
傾向は、音楽メディアでも同様ですが、デジタル消費が時短と省スペースをもたらすことで
生じた時間と空間をアナログ消費にあてる。つまり時代に応じた余暇消費の最適化というも
ので、最近言われる「モノ消費→コト消費→トキ消費」も新規のものではなく、人類はずっと
それを繰り返してきたものだと思います。
たとえば最初期の写真は、相当な時間が掛かるし描写にも限界はあっただろうけれども、
絵画よりは格段に早く、精密で忠実な表現(再現)を可能にしたと思われます。かつて絵画
は、今日の記念写真の機能を果たしていたと思うのですが、写真にその立場を争奪されるこ
とで、絵画は抽象画や超常画、戯画などの別方向に進み、かえって表現として多角化したよう
に思えます。
写真のフィルムに対して、音楽のレコードはスクラッチなどのDJ用途で新しい表現に活用
されていますが、一方で「使用していると音質が劣化する」というレコード特有の要素も「時間
を楽しむメディア」と、むしろポジティブにとらえられる可能性があります。
フィルム写真は現像焼き付けに時間はかかるし、時間とともに品質は劣化していくものです
が、それもまた「時間を楽しむ」ことでもあるのです。
・・・・忘年会で4名と話をしただけで「若者の写真事情」を断定することはできませんが、大が
かりな意識調査結果ではどうでしょうか。
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000346.000044800.html
20代以下の「カメラ単体の保有率」は50%を切っていますが、スマホもかなり高性能なカメラ
だと考えると、現在の20代はほぼ100%カメラを保有していると言えるでしょう。この調査にお
いて一人の10代男性がカメラを保有している理由を「彼女を綺麗に撮りたいから」としている
のが印象的です。
そもそもカメラはその歴史の大部分、「世帯普及率」が普及の指標であったわけですが、
1980年代に飽和状態に達したカメラの世帯普及率の数値に、2020年代のスマホは達してい
るわけで、スマホをカメラに含めるなら、2020年代のカメラ世帯普及率は100%に近づいてい
ると考えられます。
https://tokaigakuin-u.repo.nii.ac.jp/records/2495
上記「写真コミュニケーションの社会史」は論文ではありますが、写真趣味の人間にとって
は楽しい読み物です。
「若い女性にとって写真撮影や写真そのもののハンドリングは日常的な行動パターンの一つ
となり、写真は人との関係の中で消費するもの」
「高齢男性にとっての写真は道具立てにも注意を払うことが必要な特別な行為であり、写真
は消費するものではなく精魂込めて作り上げ鑑賞するもの」といった解析は、多分にステレ
オタイプ的ではあるものの、若い女性にとって写真は、より日常のものとなり、高齢者が各種
オタク化していくことを予測した点では、概ね当を得たものと言えそうです。
カメラ単体での世帯普及率は低下しても、写真撮影機材としての世帯普及率は飽和に達
し、個人の撮影枚数も、1980年代とは比較にならない数字となっていると思われます。
ちょっと乱暴な言い方をすれば、1980年代の標準的なアマチュアカメラマンよりも、2020年
代のスマホ女子のほうが、総合的な写真技能は優れている可能性もありえます。感じ方も
考え方も人それぞれですが、写真をコミュニケーションのツールとして自由自在に活用する
若い人たちは、まぶしく、うらやましくも思えるものです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以上、2点ほど、S9000氏は良く分析されていると思い、コキペにて記録させていただきました。
一部文脈などをオリジナルから変更しているところがありますが、これは私自身が見やすく、より
良く理解できる為に行った操作です。
私自身は、もう世間一般の写真事情には関心が薄れてしまい、既に関心は遠くなってしまったわけ
ですが、昨今の老若男女達がどのようにして写真たるものを楽しんで居られるのかが分かり、大変に
有意義な分析だと思っています。
このフォトXP写真掲示板は、参加者のほとんどが高齢者であり、そういう意味では写真を楽しむ高齢
者達のサロン的役割を果たしているものと思われます。言わば現代のデジタルサロンですかね。
メーカー名 | NIKON CORPORATION |
機種名 | D800 |
ソフトウェア | Capture One 6 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 70mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/125sec. |
絞り値 | F5.6 |
露出補正値 | -0.3 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 100 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 1367x2048 (1.49MB) |
撮影日時 | 2015-12-03 21:23:10 +0900 |
「わびさび」、グーグルでちょっと検索してみました。(^^ゞ
・・・そもそも「侘び寂び」とは? 日本特有の美意識である「侘び寂び」。 「侘び」とはつつましく、質素な
ものにこそ趣があると感じる心のこと。 一方、「寂び」とは時間の経過によって表れる美しさを指します。
侘しい・・・心を慰めるものが無く心細い。 静かで物寂しい。 みすぼらしい。
寂しい・・・「寂しい」の意味 「寂しい」の「寂」という文字は「ひっそりとして静かなさま」を表すことから、
「物寂しい」情景や状況を表す際に使われます。 例えば、全く人の気配のしない路地裏や荒廃した野原
など、誰がみても「寂しい」状態であることがポイントです。
・・・「寂しい」は、人の気配のない場所や物静かな状況。「淋しい」は誰かを失った孤独な心情に使われ
ます。今回は、混同しがちな「寂しい」と「淋しい」の意味や違い、使い方、類語、英語表現などを解説しま
す。・・・
等々。こんな感じですかね。(^^ゞ
なお、
西行法師は全国津々浦々歩いているようで、こちら香川県の善通寺の里山山中にも西行庵があります。
えっー、こんな質素な庵に一時住まれていたのかと驚くほどです。
https://www.kukainavi.com/spot/watch/entry-34.html
https://www.fureai-cloud.jp/_view/tie/doc/view/4426/
私が言うところの風水、西洋占星術では、わびさびとは蟹座であり月です。つまりは母親であり、無償の
愛を示します。自らは腹をすかせボロを纏っても子どもには恥ずかしくない格好をさせる。それが何よりも
喜びでありまた強さでもあるのです。
それを美意識に転化させたのが、所謂わびさびではないのでしょうかね。本来は美とは何の関係もない
ものなのですが、日本人のもうひとつの特徴である華美でエネルギッシュな獅子座的な美学がそうさせる
のでしょう。蟹座的な母に大事に育てられた、獅子座的な子どもの、その眼で母を賛美しているような。
しかして、わびさびとは日本人特有の、母親のような生き方を美意識化させたものだといえそうです。
海外で話題の映画、ゴジラ・マイナスワンを見てきました。マイナスというのは戦争でゼロになった日本に
さらに追い討ちをかけるように、ゴジラが上陸し破壊をして、ゼロからマイナスになっちゃった・・ということ
から名づけられたようです。
映画では敗戦直後の東京が映し出されます。東京は瓦礫の山で人々はボロを纏っています。わびさび
そのものの時代ですか。しかし海外の反応では、この映画は美しいといいます。映像も美しいのですが、
やはりそのストーリーが美しいと感じさせるのでしょうかね。
この映画、なんと年明けからは黒白映像で再上映されるそうです。今度は黒白でゴジラを再度観ようか
と思っています。
わびには 簡素な様も入るかもしれません。
枯山水や 兼好法師が徒然草で、語っている
慎ましい住み家の様子等。
尚、西行が大磯で読んだ歌があります。
こころなき 身にもあはれは 知られけり
鴫立沢の 秋の夕暮
メーカー名 | Canon |
機種名 | EOS 7D |
ソフトウェア | Photoshop Elements 19.0 (Windows) |
レンズ | EF-S18-55mm f/4-5.6 IS STM |
焦点距離 | 18mm |
露出制御モード | 絞り優先 |
シャッタースピード | 1/64sec. |
絞り値 | F5.0 |
露出補正値 | +0.0 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 100 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 2200x1467 (955KB) |
撮影日時 | 2021-12-11 18:48:58 +0900 |
わびさび とは何か?
春雨の 軒たれこむる つてづれに
人に知られぬ 人の住み家か 西行
メーカー名 | NIKON CORPORATION |
機種名 | D800 |
ソフトウェア | Capture One 6 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 24mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/125sec. |
絞り値 | F5.6 |
露出補正値 | -0.3 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 800 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 1367x2048 (2.12MB) |
撮影日時 | 2015-12-11 01:32:00 +0900 |
私の黒白写真とは何か。それが次第に分かりつつあるように思います。黒白撮影に嵌ってしまった
わけですが、そのスタイルとしては、よくよく考えてみれば・・・
例えば、F344さんの三脚を使った写真。氏は三脚撮影以外の撮影はほとんど見られません。
そして、シッポ座さんの、オールドレンズでのマニュアル撮影。これもそれ以外の撮影はないのでは。
こんな感じで、本来オールマイティに撮影できるデジタル写真を、敢えてその撮影スタイルや撮影手法
を狭めることで自身の写真をやられているわけですが、そういうのと同じように、私も黒白撮影をやって
いるだけじゃないかと考えれば、至極納得のいくことであるのです。
撮影手法やスタイルを狭めれば、これは撮影枚数は自然と落ちます。その累計総情報量は少なくなる
というわけです。三脚での撮影は極めて撮影枚数は少ないはず。MFと露出マニュアルも自然と撮影数
は少なくなります。
それからスラムさんの、これは投稿のスタイルですが、低ピクセルでの投稿ですので当然に情報量は
少ないです。そして私の黒白撮影も同様であって、撮影枚数は多いのですが(手持ちだしAF撮影で)、
しかし黒白にすることで情報量はカラーに比して1/3になるのです。JPEGスモール撮影なので、さらに。
こういう具合に、身に余ったデジタル写真の過剰情報量を自ら減らしていくというスタイル。その手法。
これがデジタル写真時代に於いて、自らを失わない手法でスタイルなのではないかと思い立ったわけ
です。
そう考えると、私の黒白写真なんぞは決して新しい手法ではなくて、F344さんやシッポ座さん、スラム
さんの後追いをしていただけだと理解できます。そしてこういう撮影者自身の独自なスタイルは、自身
以外には通じることはなかろうということも理解できるわけです。
三脚撮影は分かってはいてもそれを常用する人は少ないですし、マニュアル撮影にしてもそうです。
良さそう、面白そうだと表面的には理解できたとしても、それを自分の撮影・写真スタイルとする人は
ほとんどいないでしょう。
しかし三脚撮影も、マニュアル撮影も、嵌ればはまるんではないですか。私も当然にそれらを少しずつ
やったことはあるんですが、それに強く親しむことはありませんでした。そして私が嵌ったのは黒白写真。
方向が違うだけで、そういう特定の写真術に敢えて自分をはめ込むことで得られる充足感というのは
確かにあるんです。自分はもうこれ以外のスタイルには行かないという決意のようなもの。
しかしこれはよっぽどでないと、その境地には行けません。私にしても黒白写真を知らなかったわけで
はなくて、黒白写真しか撮れないカメラを手にすることで初めて、それを突破できたのですから、如何に
その関門が高いのかがわかります。
こういう独自スタイルを獲得すると、写真とか機材とかに目移りすることがなくなります。色んな写真を
撮りたいとか、種々の機材を使ってみたいという雑欲がなくなるんですね。つまり目移りをしなくなる。
ストレートに自分の写真に向き合うことができるようになるのでしょう。
機材欲がいっぱいだった私が、黒白写真以降に購入した機材は、ペンタモノクローム用にと購入した
たったのレンズ1本だけ。今まで自分からすれば驚くべき変貌です。
結局は雑欲の排除というものが本筋としてあるんではないですか。そしてそれは写真としての情報量
を低減することではじめて得られるもの。この情報量逓減の法則というものがあるということ。これを
知ることが極めて大事だろうということです。
※投稿写真は石仏ですが、実は彩色している石仏なんです。それは黒白写真ては分かりません。
良い具合に彩色が薄れてきてイメージーなんですが、それを(記憶として)知っているのは撮影者である
私だけ。しかしその楽しみを他者に伝えようという気は起きません。写真や撮影の自分だけの楽しみ
を全て伝えるというのは本当はできないものですし、またそうすべきだとも思いません。そういうのも
雑欲のように思えてます。
メーカー名 | NIKON CORPORATION |
機種名 | D800 |
ソフトウェア | Capture One 6 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 16mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/100sec. |
絞り値 | F4.5 |
露出補正値 | -0.3 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 100 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 2048x1367 (1.67MB) |
撮影日時 | 2015-12-10 01:23:04 +0900 |
⑳+⑤
先日の新聞記事。フジフイルムのチェキが売れているそうです。売上高1500億円に。15年3月期に
比して今年は3倍。4期連続して過去最高の更新が続く。
写真をプリントする不便さがスマホ世代に新鮮。専用フイルムの生産供給が追いつかない状態。
チェキにスマホに接続すればスマホ内に撮り溜めた写真もプリントできる。世界のチェキは数千万台。
年間10億枚が撮影される。スマホでは年間数兆枚撮影されるという。これもチェキは取り込みたい
ということらしい。
富士フイルムHDの24年3月期の連結営業利益のうち、最大のものはヘルスケア部門で1120億円
だが、カメラなどのイメージング部門は、前年比21%増の880億円。全体の3割。そのイメージング
部門の営業利益のうち数百億円をチェキ事業占めて、営業利益率は20%と全部門で最も高い。
欧米が最大市場、ついで日本や中国などのアジア市場。
販売が伸びている背景には、アナログ感やレトロな味わいがスマホ世代に支持されているという。
チェキはフイルムが出てきて数分間かけて徐々に写真が浮かびあがる。そのアナログ感や粗い質感
がエモいという。タイパなど効率を優先するデジタル社会に息苦しさを感じる若者は少なくない。社会
分析として、効率的な社会が進めば進むほど、非効率だが自分だけの体験が楽しめるアナログへの
反動が背景にあるという。
※エモいとはエモーション、エモーショナルの意味か。感情・感動的?
※タイパはタイムパフォーマンスらしい。コストパフォーマンスがコスパなのでもじったのでしょう。
とまあ、こんな感じの記事でした。
そしてすぐさま思ったのは、私自身の黒白回帰もこのチェキ現象と変わらないのだということでした。
チェキのじんわりと絵が出てくるというのは、黒白フイルム時代の暗室での現像を思い起こしますし、
粗い画質というのも情報量の低下ということで黒白写真と共通しています。
つまり人間、あまりにも高効率で過剰情報量という状態には耐えられないというか、そんなものは長続
きしないということでしょうね。それは極めて非人間的であり、そもそも人間の脳はその仕組みから
して、そのような状態には馴染めないということでしょう。
さらに思ったのはタイパ世代ではない比較的時間の余裕のある高齢者は高画素で高画質なカラー
写真でよいけれど、タイパ世代の若いスマホ世代では逆転していて、低画質の情報量の少ないアナ
ログ感を感じさせる写真がよいのだということですね。現代の写真趣味世代は、もう高齢者ばかりで
あるというのも、そういうことが背景にあるような気がしてなりません。
チェキも黒白写真も、自分だけの密やかな楽しみであるということでも共通しているのが特徴です。
しかしそれは極めて重要であるわけですね。この自分だけの楽しみというのは一見して、非社会性の
ように思われるかもしれませんが、そのような現象が広く行われていれば、それは結果として社会現象
になるわけです。
デジタル写真はここに来て第3世代に突入したという感想を持ちます。
第1世代は写真がフイルムからデジタルに移行した時代。
第2世代はデジタルカメラが高画質化し、他方でスマホというモバイルカメラが登場したこと。
そして第3世代とはその反動で、いつでもどこでも写真+高画素高画質な写真から、もう一度写真を
見直してみようかという新たな時代でしょうか。
こうして考えてみると、私が黒白写真にすんなりと慣れてしまったというのが良く理解できるように
なったと言いますか、それもひとつの社会現象であったということで納得ができるようになりましたね。
メーカー名 | NIKON CORPORATION |
機種名 | D800 |
ソフトウェア | Capture One 6 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 16mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/100sec. |
絞り値 | F4.0 |
露出補正値 | -0.3 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 560 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 2048x1367 (2.5MB) |
撮影日時 | 2015-12-10 01:25:06 +0900 |
⑳+⑥
新聞記事で、エヌビディアの論説がありました。このAI企業は台湾系アメリカ人のジェンスン・フアン
が共同設立し以来CEOを勤めています。記者会見や講演では黒い革のジャンパーを着ることが多く、
これの写真を見たことは多いでしょう。かっこよくて中華系に見えない風貌です。
99年に最初のGPU(グラフィックボード)をリリースし、以来パソコンのパーツとしてはビックネームです。
特にゲーム機では絶対的に地位を占めています。このGPUチップの半導体を実際に製造しているの
が台湾のTSMCですね。
そして記事では現在の生成AIブームは、このエヌビディアのGPUの存在なくしては成り立たなかった
と書かれています。生成AIはニューラルネットワークの技術に基づいていますが、現実には膨大な
計算量が発生し、それを逐次こなしていく強力な並列的な計算能力がものをいいます。
GPUはゲーム機などのモニター画像の生成能力に進化した半導体ですが、これが生成AIに向くと
いうことらしいです。ファン氏がAI市場に自社のGPUが能力に気づいたのが2012年。4年後AI向けの
スパコンをオープンAIに納入。以来そのスパコンが生成AIの開発に使われています。
つまりゲーム機とAIは計算力がモノを言う世界であり、ゲームとAIは近似にあるということではない
でしょうか。
ゲーム機の画像をリアルに表現しようと思えば光の陰影をつけることですが、そうすれば立体的に
見えますからね。その処理は膨大となりますし当然に動画ですからスピードを求められます。そういう
ゲーム機で鍛えられたエヌビディアのGPU半導体。これが事実上、現在の生成AIブームを引き起こし
ているということです。
ここまで書いてきて、なんだ、生成AIとはゲーム機の副産物というか、もしすれば生成AIとはゲーム
機そのものではないのかと私は思いました。しかしだからこそブームになるんですね。ゲーム機は
世界中で人々を虜にし売れまくっています。(世界中のゲーム機はどれほどあるのでしょう、任天堂
からプレイステーションそしてインターネット参戦ゲームまで) ゲーム機が市場して成り立つように
生成AIも世界を席巻する。その基本はゲーム性でしょう。そしてその内幕は単純で膨大な計算世界。
別の見方をすればAIなんて言っているけどそれはゲームAIだったというわけです。
しかし記事はゲームだからといって侮ってはいけないとも書かれています。あのゲームの世界が、
もし現実化すると思えばそれは震撼すべきことではないですか。世界の人々はゲームの中の無数
のキャラクターと同じようになるということで、それを生成AIがこれからモニターの中の世界ではなく、
この現実の世界で作り上げていくということに他ならないのですから。
とはいえ、私はそんなに大げさなことは起きないと思います。バーチャル世界とリアルな現実世界とは
全く異なるからです。それでも我々の意識が、これから生成AIに迎合して、人間自体がゲーム化、バー
チャル化するのは避けられないことだと考えています。
例えば既にデジタルがもたらす写真世界に於いて、我々はそのモニター画像が本物のように錯覚を
しています。それを与えてくれたのはエヌビディアのGPUですね。そしてGPUという半導体は写真画像
やゲーム画像だけでなく、これからは人間の思考にまでその影響力を及ぼしていくというわけです。
画像生成だけでなく、所謂ものを見るという視覚情報は人間の思考の中枢と深く結びついています。
上手く画像を作れるようになれば、それがそのまま思考をも制御するというのは容易に想像がつくこと
ですね。画像生成GPUはそのまま思考の生成AIになるというの当然のことだったかもしれません。
そして以前からデジタル写真はゲーム脳に通じるのではないかと考えていましたが、これはハズレで
はなかったようです。
私も黒白写真に慣れつつあるのですが、半年経過してみて、これまでの自分のカラー写真は現実とは
異なる作り物(生成画像)だったということが少しずつ分かりかけています。それはゲーム脳に近かった
ということかもしれません。
メーカー名 | NIKON CORPORATION |
機種名 | D800 |
ソフトウェア | Capture One 6 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 35mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/100sec. |
絞り値 | F4.0 |
露出補正値 | -0.3 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 100 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 2048x1367 (1.27MB) |
撮影日時 | 2015-12-10 01:27:47 +0900 |
⑳+⑦
「ジオガイトが1400 万年前のカルデラ跡発見!」 「三豊コールドロン」
https://taikai.geopark.jp/2023/wp-content/uploads/sites/6/2023/10/%E3%83%9D%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%EF%BC%88%E5%89%8D%E5%B7%9D%EF%BC%89%E3%80%802023.0922%E6%9C%80%E7%B5%82%E7%89%88.pdf
「髙松コールドロン(クレーター)五座 一筆書き縦走」
http://shimanamitai.sakura.ne.jp/r3-2gcrater5.html
こういうのがあるんですが、いづれも1400年前の巨大カルデラ火山の名残です。コールドロンといいます
が、それにしてもあまりにも古い地質学的な年代ですね。
しかし、面白いことに、現在の地名で、三豊コールドロンの場合は、火上山があり、高松クレーターの場合
には日山(麓の自治会館には火山と・・)と、日妻山があるんです。ひかみやま・ひやま・ひつまやま・・・
こういう「火」のつく山は香川には他にはないと思います。
このような古い年代のコールドロンは日本各地にあります。別に珍しいことではないんですけど、現地名
との関連が面白いんですね。昔の人々はその山が古の火山の名残と無意識の内に気づいていたので
しょうか。
香川の山の多くが、約1400万~1100万年前に起きた瀬戸内火山活動の名残です。そこで膨大な量の
溶岩や火山岩火山灰が溢れ出て、それが長い間に浸食されて残った部分が、今の三角山や台地状の
山となって残っているのです。当然にカルデラ火山レベルの巨大火山があってしかるべきだと言うことに
なるのですが、それがやっと見つかりつつあるということで面白いかなって感じます。
火のつく山は香川には上記のものしかないと書きましたが、実はもうひとつあるんですね。高松市国分寺
町と綾川町にまたがる、火の山、及び火の山北峰です。
http://natsumomohana.lovesick.jp/hinoyama290225.html
高松クレーターに近いのでここも何らかの関連があるのかも。
こんな感じで、地質とか歴史とかの興味が私にはあるんでして、その関連で写真を撮っております。こう
いうのは写真愛好家には少ないでしょうけど、一般の山歩き趣味の人や歴史好きの人とは通じるようで
す。
写真愛好家の方々の興味の対象は、極めて限られていて、イワユル何々ジャンルという以外のものは
撮れないようです。その点は一般の方達の自分の興味のあるものを素直に撮影するのであって、写真家
よりも一般人が優れていると思うところです。
写真趣味の方々はどうしても美学というものが邪魔をするんですかね。それとも写真やカメラの事ばかり
考えていて、自分の好きな被写体とは何ぞや、ということに気が回らないのかもしれません。
メーカー名 | NIKON CORPORATION |
機種名 | D800 |
ソフトウェア | Capture One 6 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 26mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/160sec. |
絞り値 | F6.3 |
露出補正値 | -0.3 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 100 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 2024x1351 (2.52MB) |
撮影日時 | 2015-12-03 20:53:28 +0900 |
⑳+④
最近はもう、自分の眼と脳が黒白対応になっているかのようで、最初に見るモノクロ写真と、その同じ
RAWデータからカラーを起こしても、後のカラー写真は不満足なんですね。なんか違うって感じてます。
自分が記憶している自然なカラーとは違って作り物の感じがするんですね。
人間は最初に見たものに強く拘るところがあって、その最初に見たものとは私の場合は黒白画像なん
です。それで同じ写真をカラーで見ても違和感がでるんだろうなって思ってます。
これほどまでに自分が黒白写真、モノクロームに入れ込むとは思ってもみませんでした。想定外という
のは、ほんとにあるんだということです。
私は写真は記録写真でよいとして、撮りっぱなしが多かったわけです。それで写真そのものに対する
思い入れは限りなく無くなっていたと思っていたんですが、そうではなったということでしょう。
カラーよりも黒白写真に拘泥するということは、まだ写真に思い入れが残っていたということですから。
面白いことに黒白になってから、撮った写真をけっこう見ているんですね。これもまた驚きです。
RAW+JPEGカラーで撮影している人は多いと思います。これのメリットはPC上で動作の速いJPEGで
確認をして、それがらこれぞと思う写真をRAWから改めて現像するほうがスピーディだからです。
それと同じ感覚で+モノクロJPEGで行くとPC作業の負担が軽減されます。肝は、PC保存時に、RAW
とJPEGを別フォルダにして保存することです。
私の場合はモノクロしか見ないという前提でやってますんで、この別フォルダ保存は絶対条件ですね。
殆どはRAW保存のデータを見ることはありません。特例を除き、ほぼ完全にモノクロJPEGのSサイズで
完結します。
モノクロ写真はカラー写真に比べて情報量は1/3です。これはPC上データではなくて脳内の情報量の
ことを言っています。この1/3というのは次元が違うというレベルです。したがって画像を見ても眼と脳
の疲労が異次元レベルで少なくなります。それで私は以前のように撮りっぱなしではなく、撮った写真
を大方に見ることができるんですね。
このモノクロで思い出すのが、かつてGEMさんが思い切ってライカモノクロームを買ってみようかと、
呟いたことです。もし彼がモノクロ機を使っていれば、もしかすれば、私のようにカラーを捨てることが
出来たかもしれません。
モノクロは情報量として1/3と書きましたが、JPEGのSサイズであればPC上でも軽快なデータ量である
わけですから、PC操作の負担も劇的に軽くなります。カラーを捨て更にRAWを捨てれば、こんなにも
写真が楽になるのかというわけで、とにかく劇的な労力低減であるわけです。
何事も考え方次第。今回はそれを深く学んだという気がします。
写真に対する思い入れが自分にはまだ残っていたという発見は嬉しい気がします。もうカラーで撮影の
最後には、写真は自分の歩きという健康維持の為の方便に過ぎないとすら考えていましたからね。
カメラを手に持てば自然と歩くというわけで、その歩きこそが私の写真であると思ってましたから。
それが黒白写真を獲得して徐々に変わりつつあるということでしょう。そういうことでは私の写真の復活
をしてくれたのがモノクロ写真であるというわけ。なんか面白いものですね。
このように現在のデジタル写真を捉えている人は世界中で、もしかすれば私一人かも知れませんが、
いやどうしてとうして、世界というのは広くて、多分間違いなく私と同じ結論に達している人は、この日本
にも多く居られると思ってます。私の考えていることは誰でも意識があれば到達することなので同様の
結論を得ている人は多いでしょう。
ライカがモノクロームカメラを出した。そしてペンタックスも出してくれた。もうその時点で時代はモノクロ
写真への意識変革が始っていたというべきです。ペンタックスのリリースには、多くのユーザーがモノクロ
カメラを願望していたという事実があります。
モノクロ専用機はカラー機と違い、絶対的にカラー写真は撮れません。カラー機をモノクロモードで撮影
したり、カラーRAWをモノクロ出力するのとは次元が違うからです。
モノクロ機をペンタックスに念願したアンケート提出のユーザーは、そういう覚悟を半ばは持っていたと
思われます。
しかし大部分のモノクロ機願望の人は、おそらく専用機であれば本格的な白黒写真が撮れるから、
それでモノクロ専用機が欲しいと思っていたでしょう。そういうこの私もそうでした。
しかし実際にモノクロ機を使ってみると、まあ確かに画質としてはカラー機のモノクロとは違うよねって
分かりましたが、私の場合はそれだけに収まりませんでした。
ペンタモノクロームを買われたユーザーの9割8分は、カラー写真がメインであって、たまにモノクロ機で
遊んでみるか、という優雅な使い方をされているはずです。
私の場合はやっぱり、大昔に黒白フイルム写真を10年くらいやっていたという実績があったからこそ、
100人中の98人とは違っていたのだろうと思ってます。
黒白フィルムの長巻を買ってきてそれをパトローネに詰めることから始まり、撮影したフイルムは現像
タンクで現像定着水洗をし、乾かしてカットして、そして暗室(自作の暗室の場合も)で、引き伸ばし機で
露光し、印画紙をフイルムと同じように、しかし今度は大規模に現像定着水洗をする。そして乾燥。
この手順のどれをとっても手抜きをすれば良い写真はできません。
こういうことをやったことがない人間に黒白写真の良さが分かるはずがありません。
写真趣味は簡単ですね。カメラを買ってパソコンでやるだけ。少し前はカメラとフイルムを買って写真屋
に任せるだけ。そういうのは自分で写真をやっているのではなく、やらされているだけなんです。
経済学的なコンシューマーとしての役割を果たしているだけ。間違ってもクリエイターじゃないです。
最近のバカ丁寧な二重敬語の、「写真をやらさせていただいています。」、そのものです。
カメラやレンズを買わさせていただいてます。
写真を撮らさせていただいています。
パソコンを使わさせていただいています。
ソフトウェアをつかわさせていただいています。
インターネットや掲示板を使わさせていただいています。
みなさん、写真を見てくれてありがとう、と言わさせていただきます。
つまりは人任せにすると自分は何も得られないということでしょうね。
黒白フイルム写真の経験がなければ本格的に黒白写真はできないのか。
そんなことはありません。デジタル時代でも黒白写真に邁進することはできます。ただし条件があります。
カラー写真を捨てることからしか始りません。
「写真をやらさせていただいています。」から抜け出すことでしかできません。
カラー写真をやめることができれば誰でも黒白写真をすることができます。これは二者択一ですから。
そうすると始めて「私は写真をやっている」と言えることができます。
というのは、もちろん大嘘です。(笑) 写真は楽しければ良いのであって、それにはカラー写真は欠かす
ことができません。黒白写真なんかに嵌る人間はどこか偏っているわけです。老後を写真趣味として過ご
すことには意味があることですね。現代はビジュアルの時代です。その時代に遅れないためには、自ら
写真を撮影しPCやタブレットを操作しネットに参加することは有意義なことですね。
また写真をすれば色んな観光地にでかけ、人と交わることもできます。
※投稿写真はJPEG1/4サイズ撮影をし、少しPCソフトでシャープネスを落としてます。二コンはキヤノン
に比べて最初からメリハリがあります。レンズは24-70ズーム。
メーカー名 | Canon |
機種名 | EOS 5DS |
ソフトウェア | Capture One 9 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 28mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/128sec. |
絞り値 | F4.0 |
露出補正値 | -0.3 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 200 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 4320x2880 (14.2MB) |
撮影日時 | 2015-02-13 23:16:17 +0900 |
⑳+③
ところで、パナソニックのDC-G9M2というのが人気のようです。ライカモノクロームというモードがある
んですね。パナはライカ社と協業していますから、そのライカのモノクロ専用機のネームをもじった言葉
を借用しているんでしょうけど、確かにこれは便利でJPEGで撮影する場合は特に有用かと思います。
それはそうと、ペンタモノクロームに次ぐモノクロ専用機、とりわけフルサイズのカメラが出でくれないか
なって期待しているんですが、パナソニックさんが出してくれたら嬉しいですね。
パナのフルサイズカメラはDC-S5M2なんですが、これを元にモノクローム専用モデルとしてくれれば
言うことなしです。
DC-G9M2やDC-S5M2のモデルは、この板ではORCAMさんが投稿されています。
黒白写真は私が今やっているようにカラー機のデジカメでも問題なくできるんですが、やはり本格的な
黒白写真は専用機には敵いません。と言いますか、専用機あってこその権威付けが出来るのであっ
て、つまりカラー機のモノクロ化とモノクロ専用機は、兌換紙幣と本物のゴールドのような関係になりま
すか。(笑)やはり金の裏づけは必要かと考えています。
これは世間一般的に通用するという意味でそうなのであって、本当のところはカラー機をモノクロ化を
したもので十分なのですね。自分がモノクロ専用機としてのみ使用すると宣言すれば、カラー機でも
立派なモノクロ写真が撮れるんです。(^^ゞ
もし、カメラのファーウェアアップデートで、「あなたのカメラはこのソフトのアップデートで、これからは
モノクロでしか撮れなくなります。しかしモノクロモードは現状よりも高画質になり、且つバラエティも
増えています。」というのがあったとすれば、人はそのアップデートを受け付けるでしょうか。これを
やれば無料でモノクロ専用機を手にすることになるのですが。
しかしそういう人は世の中には皆無かというと、きっと幾ばくかの人がモノクロ化にするんではないか
と思われます。センサーのカラーフィルターを駆使できるモノクロカメラは、それはそれで面白いから
です。
冗談は別にして、これからはカメラ搭載のモードとして、黒白写真がより以上に洗練されてくるのは
確かでしょう。デジタルのスチルカメラ部門として、その立脚点のひとつとして黒白写真があるという、
そういうスタンスが一般にも認められてくるのではないでしょうか。純粋で高尚な原理主義的な静止画
カメラとして、ブランドと評判を高めたければ黒白写真の高画質化は避けて通れない気がしています。
すでに黒白写真に特化したプリンターがあるように、モノクロに向いたグラフィックカードやモニターなど
を搭載したPCやソフトウェアなども出れば面白いです。
この20年間はデジタルカラー写真の時代だったわけですが、これからはカラーだけでなくモノクロも
写真として市民権を得るようになるかも知れませんね。まあ占星術的にはそうなってます。(笑)
モノクロを主体に自分の写真をやっていくとすれば、おそらく誰もが自分の意識というものを変えざる
を得なくなるように思います。私にしても、もうカラーでは写真をしたく無くなっていますからね。
カラー写真は皆さんに任せます。私はモノクロでいきますから、という具合です。
写真には、カラー意識とモノクロ意識というものがあって・・・という感じで、写真の根本を揺るがすほど
の写真の意識変革が訪れるかもしれません。大げさですねえ。
https://photoxp.jp/pictures/225633
これはモノクロ写真をキヤノン板に投稿したものですが、はっきり言えば何が写っているのかよく分から
ない写真となっています。いや、そもそもモノクロ写真というのは、カラー写真に比べれば、そういうもの
であって、分かりやすい写真ではないのです。カラーに比べればモノクロは情報量としては1/3になり
ます。ですからモノクロ写真には説明が必要なんですね。
新聞写真にしても本の写真にしてもモノクロ写真であればその写真の説明がなされています。写真には
タイトルが必要というのも説明がなければ写真はよく分からないというのが根本にあります。
今回はその写真のカラー版を上げているのですが、これとてもあまり良く分からない写真でしょう。
この写真は半ば耕作放置されたミカン山の撮影なのです。この車はバンですが、かつては農作業の
諸道具を収めていた車なんです。倉庫として使っていたわけで、だいたいは里山で見かける放置車は
そういう役割をしていたわけです。いらなくなったから捨てたという車ではありません。倉庫として第2の
役割を担っていたわけですが、ミカン山自体が見捨てられると倉庫車も放置車となります。
モノクロ写真は撮影者以外の他者が見る写真としてはすこぶる不便な写真です。
ところが撮影者自身がするにはモノクロ写真は立派に写真として成り得る写真なんですね。それは
撮影者は撮影時に得た記憶というものがあって、それを基にモノクロ写真を見ることができるからです。
撮影時記憶+モノクロ画像なのであって、それでやっと完結する写真なのではないですか。
つまりモノクロ写真は他者に見せるというサービス精神には富んでいないのです。
しかし撮影者としてはモノクロ写真は楽しめるのですし、無駄がない実にスマートな写真であるわけです。
特に現在のデジタルモノクロ写真というのは、徹底的に撮影者自身の為の写真であって、撮影者だけが
有意義に楽しめる写真ではないのか、と思い始めてきました。
カラーデジタル写真というのは、そういうことでは他者・鑑賞者にオモテナシをする写真かも知れません
ね。カラー写真は何も考えずにパッと見て分かる写真でしょう。これは何なのかと考えながら読み取る
ような写真ではありません。でもモノクロ写真はよっぽどよく見て考えて読み取ることをしなければならな
い写真であるわけです。
こう考えるとカラー写真とモノクロ写真の違いはものすごく大きいです。
そしてカラー写真とは、オモテナシをするがゆえにそれは撮影者や作者にとっては大きな重荷になって
いるんではないでしょうか。カラー写真はモノクロに比べて情報量の多さから3倍は疲れる画像だといえ
ます。
現在のデジタル型モノクロ写真は、あくまで撮影者個人が楽しむべき写真であって、鑑賞者へのオモテ
ナシを振り切った写真だと言えそうです。
しかし考えてみますと、なぜ撮影者がお金を掛けて苦労して撮った写真を、鑑賞者は無料で観ることが
できるのですか。それはおかしいことではないですか。なぜ鑑賞者は、撮影者が鑑賞者の為に手取り
足取りして尽くさなければならないのでしょうか。それで得るものは撮影者に何かあるのでしょうか。
これらは根本的な問いですね。それから鑑賞者の側からしても、そんなに尽くして写真を見せて貰っても
しようがないというところがあります。押し売りは御免だし只ほど高いものはないということで鑑賞者側
も貴重な時間を奪われていることになるのです。本当に見たかったら写真も読み解いてみなさい、という
ことです。
もしかすればお互いに不利益を被っているのが現在のデジタルカラー写真かも知れません。
とにかくモノクロ写真、取り分けJPEG撮影は撮影者としては大変に楽です。こんなに楽ちんに写真が
できるものとは知らなかったです。(笑) そして機材に対する物欲もなくなったように、無駄なことをしなく
なりました。そういうわけでデジタルモノクローム写真は、スマートでエスディージーズですし、これこそが
現代の写真ではないかと思うほどです。
今回は、黒白写真は、撮影者には分かるし楽しいのですが、鑑賞者にはよく分からない写真だ。そういう
ことが、私にも次第に理解できつつあるということで書きました。
撮影者は撮影時のカラーの記憶があるからなんですね。しかし鑑賞者にはそれがない。この違いは大き
いです。撮影者はモノクロ写真をカラー写真として類推して見ることが出来るけれど、鑑賞者はそれが
できないということ。
そして撮影者にとってモノクロ写真はストレスフリーです。画像で疲労するということがない。これは狙い
通りでした。
モノクロ写真をカラー化できるサービスが盛んです。クラウドAIを使ってやるんですが、やがてはモノクロ
写真を、AIを使用して鑑賞するということが流行るかもしれません。(笑) もう人間はAIに敵わなくなって
いるのかも知れずで、黒白写真を読み解くことができなければAIに頼ることになるのでしょう。
私にも大昔に撮った古いフイルム黒白写真が多々あるのですが、当然に既に撮影当時の記憶はありま
せん。そうなればAIでカラー化して鑑賞するという手がありますね。
私は建前としてはモノクロJPEGで撮影していますが、同時記録でRAWでも記録しています。別保存を
していますので、そのRAWを見ることは、今回のような例外を除き、していません。
この、モノクロしか見ていないというのが大事であって、それでモノクロJPEGにしているんですね。
それで随分と黒白写真に慣れて来ていて、ずっとこのままで行けそうな感じです。
古いカメラは何台もあるので少しずつ、これまでカラーで撮ってきたカメラを今度は黒白で撮っていこうと
考えています。そういう意味で機材には不足していません。
モノクロで撮影すると機材ごとに違う顔を見せるというか、それぞれに個性があるんですね。無論装着
するレンズでも異なります。キラキラ色イロを削ぎとった写真が少しずつ分かるようになっているのかも
知れません。
考えてみると本当にカラーRAW写真画像は人を疲れさせるというか、無駄な消耗をさせることがわかる
ようになりました。そしてそういう写真とは余所行きのオモテナシの写真なのであって、自分が本来として
楽しむ写真ではなかったということも分かるようになりました。
亀ならぬカメラに乗せられていたわけです。(浦島太郎です)
モノクロにセットしたカメラは、何故か以前カラー設定と違って自分に忠実なような気がしています。
フイルムを詰めたカメラのように生きものとは感じませんが、自分を裏切ることのない純粋な道具として
感じられるんです。不思議にカメラが軽く感じられるみたいです。
デジタルモノクロームには不思議な力があるように思います。一時は、私のモノクロとは若い時分に
やっていたフイルム黒白写真へのノスタルジーではないのか。とも考えていたのですが、そういうもので
はないですね。オールドレンズを使えばノスタルジックになるとかいうのとは次元が違っています。
敢えて申せば、2千から数千万画素のカメラ時代に、数百万画素のオールドなデジカメを使うのに似て
いるのですが、それ以上にストイックで本質的でしょう。
色を削ぎ落としキラキラ色イロを無くしたモノクロですが、本当はキラキラ色イロは自分の脳内に自分の
中にあったのだ。ということにも気づかされました。画像の中のキラキラ色イロよりも、そういう魅力的な
ものは本来は、自分の中にあるほうが良いですからね。
とにかく自分で撮影するモノクロ写真というのは一般的な概念としての黒白写真とは違うのだということ
です。自分撮影の黒白写真は、モノクロであるようでいて脳内記憶を使ったカラー写真であるということ。
もっと良く慣れれば、人様が撮影した黒白写真もやがてはカラーに見えてくるだろうとの予感もあります。
モノクロ写真を撮りだしてからまだ半年も経っていません。
それでも様々なことがわかるようになりましたが、まだまだこれからでしょうね。モノクロ写真とは何かが
分かるようになるのは。
メーカー名 | NIKON CORPORATION |
機種名 | D800 |
ソフトウェア | Ver.1.10 |
レンズ | 35mm F1.4 |
焦点距離 | 35mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/100sec. |
絞り値 | F3.2 |
露出補正値 | -0.3 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 100 |
ホワイトバランス | オート |
フラッシュ | なし |
サイズ | 3680x2456 (4.03MB) |
撮影日時 | 2015-11-23 18:58:06 +0900 |
⑲
純粋にモノクロ写真、モノクロ画像とは何なのか、というと、これはとっても難しいと思っています。
私にはとてもじゃないですが分かりません。それでも自分なりに考察すると・・・
それで4っつほど作例を上げますが、
①モノクロJPEGオリジナル、つまりJPEG撮って出しです。調整はなしでカメラの設定のまま。
②上記の画像を編集ソフトで微調整したもの。
③同時記録のRAWデータからモノクロに現像したもの。
④RAWデータからの普通のカラー現像をしたもの。
それぞれ自分の主観に基づいて調整しています。(①以外は) レンズはコシナ35ミリF1.4で柔らかい
レンズですね。最新のMFレンズです。建前上JPEGのモノクロモードSサイズで撮っていることにして
いますが、実際はRAW同時記録でやってます。ただしJPEGとRAWは別保存としていて、常はモノクロ
しかPCで見ていません。
モノクロの画像に慣れた眼には、もうカラー画像は、何だか作り物のような感じがして違和感があるの
ですが、それは自分が撮影時に裸眼で見て抱いていたイメージと、カラー画像が違うのだろうという
気がしています。つまり脳内記憶画像とカラー画像の、ちぐはぐな違和感が生じるのですね。
その点はモノクロ画像だとコントラストのみなので、きっと色情報は記憶画像で補っているので落差が
でないんでしょう。勿論これは心理的なものです。
モノクロ①から③は、主に白い花が白く飛んでいるところがあるので、それを出そうとして調整を試みて
います。やはりRAWデータは調整幅が大きいですね。それから当然ながら解像感やシャープさは
RAWが勝るでしょう。なにせ元のデータ容量が違いますから。しかしJPEGのSサイズでも調整をすれば
十分に見れる画像となっているのは頼もしい気がします。
撮影時に裸眼で見て抱いていたイメージと、カラー画像が違うのだろうという・・・これは当然の話です。
どんなに頑張っても、裸眼の想像力というか期待値を上乗せしたイメージには、実際の写真というものは
敵わないのであって、それは写真の宿命のようなものです。
私は思うに、モノクロ写真は撮影時の自分のカラーイメージを損なうことなく維持できるということが利点
として上げられると思っています。しかしそういう撮影時の初期のイメージというものは儚いものでして
やがては消滅していくでしょう。それで初期イメージの記憶が無くなったときに改めて保存された
モノクロ画像を見るときには、再び自分の想像力を求められるのだと感じています。
つまり有り体に言えば、モノクロ写真とは徹頭徹尾、想像力の産物であるといことかも知れません。
画像は想像力の原資を提供するだけで、それを写真とするのは見る者のイメージ力で想像力でしかな
いのかも知れませんね。
それからカラー画像は、パッと見た印象で済ませられることが多いのですが、モノクロはパッと見た目で
は分からないところがあり、どうしても細部を良く見てそれから類推して全体に戻るという見方をする
ところかあり、写真の見方がカラーに比べて複雑です。
それで黒白画像は細部の表現が大切だろうと思います。つまり解像力やシャープさが大事だろうという
ことです。もちろん中間色のグレーの諧調も大切なんですが。( これを損なうと写真としての立体感が
なくなります。ベターっとした絵では幾ら細部が良くても写真とはならないでしょう。)
黒白写真における細部の解像と怜悧さを得る為には、やはり優れたカメラのセンサーや装着レンズが
ものをいいます。しかしまあこれはキリがないのでそこそこで良いのだと思います。
とにかく黒白写真は極めて難解だと思っているのですが、これを地道にやって行くと結果としてカラー
画像でも、そのスキルが上がるという気がしてますね。
現代に於ける写真の基本はあくまでカラー写真です。人間の眼はカラーで認識できていてその仕組は
不思議にデジタルカメラと同じです。そういう意味でモノクロ写真は異端児であるわけですが、このモノ
クロ写真を学ぶことで、よりよくカラー写真がスキルアップするのは間違いがないでしょう。
メーカー名 | NIKON CORPORATION |
機種名 | D800 |
ソフトウェア | Capture One 6 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 35mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/100sec. |
絞り値 | F3.2 |
露出補正値 | -0.3 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 100 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 3680x2456 (3.59MB) |
撮影日時 | 2015-11-23 18:58:06 +0900 |
⑳
写真撮影に於いて、カラー写真も黒白写真も何ら違いはないのですが、実は少しだけ違う場合があり
ます。それはミラーレスカメラで撮影する場合、ファインダーがモノクロモードだとそのファインダーまで
モノクロ化するということです。もちろん光学一眼レフの場合はそういうことはありません。
昔あるサイトで、モノクロフイルム撮影をする場合に光学ファインダーもモノクロだったらいいのに!という
のを書いている方がおられました。私はそういうことを考えたことがなかったので少し驚いたのですが、
ファインダーはあくまで現実光景の小窓であるべきであって、このような考え方には違和感を覚えたもの
です。
こういうのは被写体としての現実と、結果としての写真画像を混同しているのではないかということです。
入り口と出口の混同、主客転倒と言ってもいいかもですね。
ミラーレスカメラで、電子ファインターはカラー表示のままで、そして記録はモノクロという具合に選択で
きればよいんですが、そういうことができるという話はあまり聞きません。
とにかくコンスタントに黒白写真を撮りたい場合、やはり光学ファインダーのあるデジタル一眼がベストと
いう気がしてます。(ライカのようにレンジファインダーでもいいです)
そして私はまだミラーレスで黒白撮影をしたことがありません。する気が起きないというか。
メーカー名 | NIKON CORPORATION |
機種名 | D800 |
ソフトウェア | Capture One 9 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 35mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/100sec. |
絞り値 | F3.2 |
露出補正値 | -0.3 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 100 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 4096x2734 (4.03MB) |
撮影日時 | 2015-11-23 18:58:06 +0900 |
⑳+①
デジタルカメラはフイルムカメラに比べて、全て電気で動くというか、フイルムのような柔らかい生の部分
がありません。メディアは単にデータを記録するものでしかなく無くても構いませんし。
フイルムの代わりに半導体チップが全てを携ります。この半導体集積回路こそがフイルムに相当するもの
でして、その半導体を作成する過程で写真の技術が応用されています。現像定着洗浄だけでなく、ステッ
パーという巨大な引き伸ばし機(ではなく縮小機の露光装置)が使われています。一番高額な機器では
ないですかね。例えば、こういうの。
世界が依存するオランダの半導体装置メーカーASML
https://ampmedia.jp/2023/05/01/asml/
https://ja.wikipedia.org/wiki/ASML
つまり、デジタルカメラとは、大きく考えれば、そういう半導体製造の最終端末部でしかないのだということ
です。それは我々のネットに接続したPCが、グーグルなどのクラウドサーバの端末でしかないのと同じです。
「光と影のTSMC誘致」 深田萌絵編集 かや書房刊 という本があります。高度な半導体を製造する為に
膨大で良質の水と、同じく膨大な電力が必要で、かつ環境汚染も大きいということを報告しています。
そういうのはインターネットサーバーシステムとか、AIサーバーシステムでも同じであり、日々膨大な
電力を消費し、それが地球環境を悪化させているのは間違いがないことです。
世界が半導体化・ネット化・EV化すればするほど地球は温暖化していくというジレンマというか、逆説が
あるようですね。便利は決して只ではないのです。
デジタルカメラでは無限に写真が出来る。それは本当は嘘です。その過剰すぎる画像と引き換えに
我々は環境や資源、そして未来を失っているのですから。
「TSMCが熊本の水汚染を引き起こす」
https://www.youtube.com/live/ZmDrRjRqiWc?app=desktop
【ゲスト:深田萌絵〔 IT ビジネスアナリスト〕】及川幸久
https://www.youtube.com/watch?v=JT7E9pqDbhQ
半導体工場が次々火災。ついに日本のルネサスまで!背後に・・の影?
https://www.youtube.com/watch?v=3ryA5nuFCfw&t=10s
こういうのをみると、なぜ台湾という、二流国なのに世界最先端の半導体が作れるのか。以前から不思議
に思っていたのですが、その理由が分かったように思います。台湾人といえども半分は中国人ですし、
台湾の国としての歴史は新しいのです。結局は日本や米国という先進国が半導体製造を手放したのは、
環境汚染などのデメリットが大きくて、環境意識の低かった台湾や中国へ押し付けたということではない
かと思うこどあります。そう考えると納得がいきますね。
ところで、グーグルマップなんですが、意匠が変わりました。地形図になったのは便利です。そして何と
いっても大変化は、韓国の地名表示が日本人の読めないハングル文字から漢字になったことです。
これは日韓の接近の政治事情を反映しているものと思われます。
台湾が好きで韓国が嫌いな人はネット民の中に多いんじゃないですか。しかし韓国は日本にとって無くて
はならない国ですね。だいたい両国の歴史が違います。韓国朝鮮半島の歴史は古く日本とも深い関係が
あるんですね。そして韓国は国家ですが、台湾はまだ独立国家とは言えない段階ですね。
「半導体ビジネスの覇者」-TSMCはなぜ世界一になれたのか? ワン・バイルー著 日経BP刊
を読み進めていますが、米国の強いバックアップがあればこそ、TSMCはナンバーワンになれたという
のが良く分かります。そういうのは日本の企業もそうでしたね。しかし日本とは少し違うところがあるよう
で、創業者は中華系米国人と言っても差し支えないレベルのような気がします。米国との緊密度が日本
とは違うという感じです。中国人はとことん米国人になれるというか、そういうのは良くも悪くも日本人には
できない芸当です。
ところでTSMCが日本にやってきました。日本にとっては外資ですね。エルピーダメモリを買収したマイク
ロンと同じような外資系になるわけですが、はたしてどこまで日本がTSMCの技術を取り込めるのか、
そこに興味があります。そして半導体製造の微細化技術はもう限界に達しているみたいですね。だから
こそTSMCは台湾を出て、日本だけでなく米国やドイツにも工場を作っているのでしょう。これまでとは
シーンが変わりつつあるようです。
とにかく日本人を目覚めさせるには外国人、外国軍に外資というのが、日本の歴史の通り相場です。
つまり外圧がないと日本人は眠ったままになりますからね。そういうことでTSMCの黒船は大歓迎です。