1: ④_(RAWから現像 カラー)2 2: 雑文1 3: 雑文1 4: 雑文1 5: 雑文1 6: 雑文1 7: 雑文1 8: 雑文1 9: 雑文1 10: 雑文1 11: 雑文1 12: 雑文1 13: 雑文1 14: fish eye検証結果1 15: fish eye検証1 16: 雑文1 17: 雑文1 18: 雑文1 19: 雑文1 20: 雑文1 21: 雑文1 22: 雑1 23: 昨今の写真事情1 24: ダッジ・チャレンジャー1 25: 不動明王1 26: 雑感1 27: 雑感1 28: 雑感1 29: 雑感1 30: 雑感1 31: 雑感1 32: 海へ1 写真一覧
メーカー名 | NIKON CORPORATION |
機種名 | D800 |
ソフトウェア | Capture One 9 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 35mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/100sec. |
絞り値 | F3.2 |
露出補正値 | -0.3 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 100 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 4096x2734 (7.42MB) |
撮影日時 | 2015-11-23 18:58:06 +0900 |
⑳+②
今現在、占星術では時代を写す木星は牡牛座を運行しています。2023年5月の半ばくらいから、それ
までの牡羊座から牡牛座に突入。そしてこの木星は2024年の6月には牡牛座を抜けて双子座になり
ます。まだ半年以上は牡牛座に留居です。
それでウクライナ戦争ではロシア(牡牛座の国)が有利というところがあって、ウクライナ軍はなかなか
進軍できないでいます。残念ながらまだ半年はこの情況が続くと思われます。
そして占星術的には同じく牡羊座・牡牛座地帯と言われているイスラエル・パレスチナで戦争が起きま
した。
ガザ地区を支配していたハマスが突然にイスラエル側に突入し戦争というか紛争状態になったのです。
興味深いことに、ハマスがロケット弾などの侵攻の準備をし始めたのが2021年くらいからであり、それは
占星術的には、ロシアがウクライナ侵攻の準備をし始めたのと同じ時期であるということです。
これは占星術では戦争の星である、土星と天王星の凶角(矩形)の投影であったということです。
その土星・天王星の星相は既に崩れていて(2023年3月から)、占星術上からは戦争は終了していなけ
ればならないのですが、無論現実はそうなっていず今もって戦争は続いていますね。こういうタイムラグ
は占星術ではよくあることですが、やはりロシア・ウクライナ戦争は大分ダレているという感じです。
実は、占星術では土星・天王星の矩が崩れた後に続いて、今度は土星と海王星の合が出現したから
です。つまり一難去ってまた一難、という具合。
つまり現在は強い戦争の現われというよりも、ダラダラの混乱と不運が続いているという感じですか。
ハマスのイスラエルへの攻撃とその報復は破壊と不幸以外の何ももたらさないのですが、本質的には
シーア派のイランのイスラエルや米国への敵害心があります。イランはロシアへの戦争協力もしているの
です。それで2021-2023初めの土星・天王星の戦争の星とは、ロシアやイランの西側への戦争であった
ということになり、占星術の意味と良く合致します。
そして魚座での土星と海王星の合は、ヨーロッパの混乱をもたらす結果となります。これは2024年の夏
まで続きますね。ちなみにこの土星・海王星は2024年の7月に牡羊座に入り、もしかすればフィリッピン
海で大津波を起こす可能性のある星相です。私は当初、これは南海トラフ大地震の発生ではないかと
危ぶんだのですが、そうではなくて地震を伴わない津波。つまり海底火山噴火の可能性が高いだろうと
いう感じです。(参考までに書くと、南海トラフは2038年に起きるというのが学説のようです)
それは別として、土星・海王星の牡羊座入りは再び中東地区に混乱を呼び起こすことになるはずです。
木星の行方も気になりますね。24年の5月までは牡牛座ですが、それからは双子座、つまり中国に有利
となるようです。これは1年間続きます。
とにかくこのところの星相は巨大惑星の集合が著しく混乱の極みが続くのですが、最終的には土星と
天王星の双子座での合で、米中戦争という形で成就するという感じです。それは2030年6月です。
土星・天王星の合は、前回は1990前後でしたが、これでソ連は崩壊しました。冷戦の終結をもたらした
のですが、今度は米中間の冷戦がそこで終わるということでしょうか。
占星術では1990年前後に土星と天王星が射手座で会合しました。これは考えてみればソ連ロシアに
とっての危機ではなくて、本当は射手座の国であるアメリカの危機だったんですね。
これに気がついていない人が多いですね。この星相によって徐々に米国はその冨や技術を敵国である
ロシアや中国に垂れ流してしまったんです。そのツケが今になってきていますね。
そして2030年前後に今度は、土星と天王星が双子座で会合します。射手座が米国ならば双子座は
中国ですね。つまり表面的には中国が負けたように見えて実際は中国の変革が始まるということです。
この土星と天王星の合は、双子座で合するも直後には蟹座で2033年から35年ほど2年間は居ることに
なります。これは日本にとっては苦しい時期です。試練の時とでも言ってよいのかもしれません。
もしかすればここらで南海トラフとなるのかも知れず、もしくは中国の崩壊で日本にも大きな余波、難民
とかで苦労するのかも知れません。
とまあ、妄想力一杯で書きましたが、世界というのは刻々と動いているのであって、変化し続けている
のが正常の姿であるというわけです。それと日本という国は自然災害が大きくてそれへの闘いが歴史
であるというところがあります。他の国は気象変動はありますが戦争だけを心配していれば済むという
のとは違います。南海トラフだげてなく首都圏震災や富士の噴火という災害もあるわけで、これからは
そういう自然災害の当たりの時期になっています。
しかし私は悲観的にはなっていません。日本という国は歴史的にそういう災害を乗り越えてきたわけで
すから今回もきっと乗り越えていくでしょう。
ところで肝心のロシア・ウクライナ戦争ですが、その帰結。それはどうなるのかというと、ウクライナ側が
勝つわけです。それは自明のことですね。同様に米中戦争は米国が勝ちます。
専制主義国家が生き延びているのはあくまで米国などの技術力や国力を持っている国の不用意な失点
からであって、本気になって米国などの西側諸国が手向かえば専制国家は勝てません。日本はかつて
の戦争で身をもって体験していることです。
日本人はこのことを良く忘れずにいて、米ソ・米中の戦いに於いても負ける側につく人は少ないですね。
それにしても何故、かつて日本は米国と戦うことになったのでしょうか。このことを深く分析している人は
稀てすね。
それは日本が大陸に進出して、日本が中国化してしまったからだろうと私は考えています。とくに軍部
がチャイナ化しました。ロシアと戦った勝った日本軍が中国軍のようになってしまったわけです。
つまり日本が中華思想化したわけです。それが大東亜共栄圏ですね。
占星術的な地政学で見れば日本と中国。共通する部分もありますがかなり違います。ヨーロッパの国々
が同じ地政学を共用しているのに対して、日本と中国は全く別の文明圏になるのですね。
このことを知っていれば、日本が上がれば中国が下がる。中国が上がれば日本が下がるということが
良く理解できるようになります。そういうシーソーのような関係が日中関係なんですね。
それで日本が身近に影響力を及ぼしていいのは、近隣の島嶼部と半島くらいのものです。そして何と
いっても米国やヨーロッパと深く結びつくことですね。
これは占星地政学から明らかなことですが、米国・西欧・日本は大洋の影響を地政学的に受けている
というのが共通しているからです。大洋とか海洋は領土でもなく人も住めませんが占星術上からは利益
を受けるのです。これは眼に見えない受益であって常識が見逃していることですね。
もしも、世界地図に日本列島が存在しなければ、今度は中国が大洋の影響を受けることになり、米欧と
並ぶことになったでしょうね。しかし現実には日本という存在が中国の太平洋への受益を妨げています。
日本人の持つ細やかな知的能力と努力心、また他への思いやりや協力精神は西太平洋の占星術的な
特質です。
日本列島は小さな島国ですがそのバックに太平洋の半分があるということ知ってほしいですね。
そう考えると日本は大国であるということになります。
面白く楽しく読ませていただきました。
実に楽しい。
メーカー名 | NIKON CORPORATION |
機種名 | D800 |
ソフトウェア | Ver.1.10 |
レンズ | 35mm F1.4 |
焦点距離 | 35mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/100sec. |
絞り値 | F1.4 |
露出補正値 | -0.3 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 140 |
ホワイトバランス | オート |
フラッシュ | なし |
サイズ | 3680x2456 (3.42MB) |
撮影日時 | 2015-11-24 01:51:42 +0900 |
⑱
今回の投稿は久しぶりに二コン機を持ち出しました。いつものようにJPEGのSサイズで撮ってだし
です。撮影は愛媛県西条市。今回は前回より天気がましだったので、南側に聳える四国山地、
石鎚山系などが望めました。
香川県も南側には讃岐山脈が走るのですが、しかし標高は1000メートル。西条市のそれは2000
メートル近いのですね。これは圧倒的な違いです。
今回は主に農村部、とは言っても沖積平野の干拓を含む先進的な農業地帯です。そこを主に撮影
しました。撮影中、何度もずっと、南側の山地を見上げていました。高山山脈は私の憧れでして、
いつかは行って見たいぞ長野県なんですが、四国で見事な連山が見られるのは四国中央市から
新居浜市、そして西条市と連なる四国山地の中央構造線地帯だけでしょう。
高い山脈と広大な農地を要する平野部。西条市にはそのどちらも備わっていて、四国で一番私が
好きなところですね。市外は田舎町らしくのんびりとしていますが、豊富な水と相まって豊かな町
です。農業も漁業も工業も発達していますので観光には力が入っていないようです。
※この撮影は弘法水と言って、海の中(漁港)に噴出した出水(うちぬき)です。真水で飲めます。
メーカー名 | NIKON CORPORATION |
機種名 | D800 |
ソフトウェア | Ver.1.10 |
レンズ | 35mm F1.4 |
焦点距離 | 35mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/320sec. |
絞り値 | F9.0 |
露出補正値 | -0.3 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 100 |
ホワイトバランス | オート |
フラッシュ | なし |
サイズ | 3680x2456 (6.07MB) |
撮影日時 | 2015-11-23 21:46:12 +0900 |
⑬
フルサイズ5000万画素で黒白を撮り、それを1/4出力するというのは、なかなか良い手だだった
かなって感じています。つまり1240万×4で5000万画素ですかね。
これはどういうことかというと、ベイヤーセンサーは基本4画素ピクセルでRGB(正しくはRGGB)を
構成しているからです。つまりその4画素は、レッドは1/4、グリーンは2/4、ブルーは1/4になります。
それを補完水増し処理をして、4画素にそれぞれRGBの色を持たせているというわけです。
それをやめて4画素単位でもって、それを1画素としてRGBとするという考え方です。そうすると
必然的に、総画素5000は1/4の1240万画素となります。
かなり大雑把な考え方ですが、これはシグマフォビオンのセンサーの仕組から学んだことです。
ではフルサイズ2000万画素の場合は、1/4すると500万画素となります。イオス5Dマーク2や3が
これに当たりますが、正直言って黒白にすると画素数が足りないという雰囲気となります。
500万画素のカラーデジタルと1200万画素のカラーデジタルを比べれば、流石に500万画素では
物足りないとなるんですね。やはり写真として1000万画素を超えなければ不満がでてきます。
それと同じで、モノクローム専用機に対抗するには4000万画素オーバーのカラー高画素モデルを
使い、それを1/4で出力すればモノクローム専用機並みのシャープで解像感のある画像が得られ
るのではということです。
こういうハチャメチャ理論の展開をしているんですが、実際に撮った画像を見るとそれはしっくりと
くるんです。まずは実践ありきですね。
2000万画素のカメラでも強烈に高解像のレンズを使い撮影条件が良ければ、まあまあの黒白画像
が得られるですがそれは例外的とでもいうもの。やはりコンスタントに解像力とシャープネスが
欲しいとなると画素数の高いカメラの出番となります。
ペンタモノクロームの黒白画像でも、カラー画像と同じようにデータ量があります。RGBを捨てて黒白
2価で撮影しているにも関わらずです。何故なの?という気がしませんか。その理由は簡単です。
パソコンやデジカメというデジタル機器はカラー画像を基本としていて、たとえ黒白画像であっても、
それはカラー画像、RGBとしてしか表現ができないからですね。それでデータ量はカラーとモノクローム
は違わないのです。
ここのところはフイルム時代とは根本的に違っています。黒白フイルムは黒白の印画紙で焼くのが
正式で、黒白フイルムをカラー印画紙で焼くというのではなかったからです。
そういうことではデジタル時代にモノクローム写真をするというのは、モノクロフイルムをカラー用の
印画紙で焼いてしまったという例えになります。それは邪道であるとしてしまえばデジタルでは黒白
写真はできません。
黒白のデジタル画像をプリンターでプリントするとしますと、全てのカラーインキを使って黒白の絵と
してプリントします。黒白プリントにマッチしたプリンターなどはもしかすれば黒インキにプラスして
グレーのインキもあるかもしれません。しかし他の赤とか青とか黄とかのインキも使っちゃうんですね。
それで実は、そういう多種の色を使うからこそ、黒白写真のプリントが生き生きとするというのがあり
ます。黒は締まって深みがでてグレーも高諧調となります。
商業写真でも実は黒白写真は墨1色ではなくフルカラー、CMYKのプロセスカラーで刷っています。
そういう風に考えてみれば、黒白写真も実はカラー写真の変形であるだけ、ということになります。
こういうのは画像論ですから現実の黒白撮影とはあまり関係がありません。とにかくデジタル画像
もプリントも実際はカラーデータで処理しているんだということです。
メーカー名 | NIKON CORPORATION |
機種名 | D800 |
ソフトウェア | Ver.1.10 |
レンズ | 35mm F1.4 |
焦点距離 | 35mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/320sec. |
絞り値 | F9.0 |
露出補正値 | -0.3 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 100 |
ホワイトバランス | オート |
フラッシュ | なし |
サイズ | 3680x2456 (5.18MB) |
撮影日時 | 2015-11-23 21:49:57 +0900 |
⑭
黒白専用機はカラー機に比べて画素数は同じでも解像力とシャープさは群を抜いています。それと
撮影感度も高くなります。とにかくカラーフィルターもローパスフィルターもないのですから当然となります。
そういう解像感とシャープさはフォビオンセンサーと同じですが、高感度力はぜんぜん違いますね。
このように、カラー機とモノクローム機はデジタル処理は同じですがセンサー・撮像素子が根本的に
違うというわけです。
モノクロ専用機は色彩がない分、解像度とシャープさ、高感度を得ました。失うものがあれば得るもの
もあるというのが世の中の理です。
黒白写真と言えば、なんとなく暗いイメージですね。占星術で言えばカラー写真が華やかな木星とか
金星や太陽という吉星とすれば、黒白写真は重苦しい土星というイメージですね。たしかにその通り
なのですが、そういう凶星の土星や天王星や海王星には手堅い実力を得るチャンスという意味もあり
ます。
質素で堅実な土星、怜悧でスマートな天王星、イメージの宝庫の海王星などなど、そういう良い意味で
捉えることが大事だろうと思っています。
カラー機で黒白をする場合、モノクロ専用機とは違って、自前搭載のカラーフィルターを操作できるという
利点があります。これで色合いではなくて黒白の配分や割り当てが可能です。グレイの調整ができるん
ですね。
モノクロ専用機だとレンズ側にレッドとかイエローやグリーンフィルターを着けて調整するのが、カラー機
だとメニュー画面で調整できます。もちろんRAWで撮れば後でソフトでも。これは大きな利点ですね。
私はとにかく黒白写真に慣れるということで、今はRAWを捨てて黒白JPEGで撮っていますが、これから
本当に黒白写真というものに自信ができれば、その時はRAW撮影をして、その現像段階でカラーフィル
ターの操作をしようかと考えています。それで黒白写真の幅が大きく広がりますからね。
しかし今はまだその段階ではないと自覚しているので、とにかくまずはカラー写真を捨てるという初歩
の段階ですから、まだしばらくはJPEGスモールモードで撮ります。
本当の黒白写真というのは、カラー写真を捨てても構わないという覚悟がなければできないと思って
ます。つまり、キラキライ色イロ主義から脱却しなければ真の黒白写真には行けないだろうということ
なんですね。
これは極めて精神的なものです。豊かさを敢えて捨てるということ。幸運を捨て苦難を選ぶということ
に繋がるでしょう。幸運というのは他力ですが苦難というのは自力で本当の実力を得るということでも
ありますから。こういう精神的なことを考えてこそ、それが私の黒白写真なのだろうと思ってます。
とにかくややこしい話は別にして、カラー機の高画素モデルを黒白カメラにして、そこに高解像度な
レンズを着ける。というのは大変に、アリで有効だということです。
フルサイズで4000万画素を超えれば、それに高解像力を持つレンズを装着すれば、モノクロ専用機と
タメを張れるというか、もしかすればカモルことができるのではないとは感じています。
正直言って、カラーの場合はフルサイズ2000万画素あればよく、それ以上は必要がないと感じていま
した。4000万画素も6000万画素も要らないということで。私だけでなく実際にそう感じておられる人は
多いのではないですか。それで皆さんもフルサイズ2000万前後のカメラを良くお使いです。
しかしこれがモノクロの専用機として使う場合には、解像感&シャープを得る為に1/4程度に圧縮する
必要性が出てきて、そこで高画素カメラの出番が出てくるというわけです。
結局は相対的なことなんですが、少なくとも現時点でのスタンダードしてカラー画像は2000万画素くら
いでよくて、白黒写真もやはりそれくらいは欲しいなとなるわけです。実際的には1000万画素~2000
万画素の黒白データが欲しいとなります。
当然ながらペンタモノクロームは2500万画素ですが合格ですね。しかしAPSなので半分としましょうか。
すると1250万画素となります。これでも合格です。(笑)
そしてカラー機を1/4化したモノクロ化カメラだと、総画素数は4000万画素から8000万画素となります。
合格できるのはアルファ7R2の4200万画素、二コンD850の4500万画素、イオス5DSの5000万画素が
それに当たります。6000万画素のアルファやシグマはもちろん合格です。これだと1500万画素になる
のでスペック上はペンタモノクロームを上回りますね。
こういう考え方が成り立つのかどうか。それは実際に自分で撮って実践してみるしかありません。自分
が十分に納得して満足できるものとなるのか否か。そういうことです。
モノクロ写真はカラー情報を捨ててますので、その分は解像力、シャープさ、そしてグレイ諧調という
ものだけで立ち向かわなくてはなりません。黒白写真なのだから適当でいい、というのは当初は許され
ますが本格的に黒白写真だけで行くとなると、持てる知識と技術を総動員しなければカラー写真には
敵わないのです。
メーカー名 | NIKON CORPORATION |
機種名 | D800 |
ソフトウェア | Microsoft Windows Photo Viewer 6.1.7600.16385 |
レンズ | 35mm F1.4 |
焦点距離 | 35mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/160sec. |
絞り値 | F10 |
露出補正値 | -0.3 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 100 |
ホワイトバランス | オート |
フラッシュ | なし |
サイズ | 2456x3680 (6.67MB) |
撮影日時 | 2015-11-23 22:34:03 +0900 |
⑮
黒白でのみ写真をしていると、カラー写真が本当に羨ましく感じます。(笑)
皆さんがカラー写真で満喫堪能されているのを見ると、なんてセレブな人達だろうって感じますね。
方や私の方は赤貧の生活を送っているようなものです。とにかく、カラーと黒白の間にも物凄い格差が
あるんですね。
カラー写真はほんとうに素晴らしいです。それはカラー写真を捨てると身に滲みて分かります。
しかしながら、カラー写真が羨ましいと感じているのでは、またまだ私は黒白写真を知らないのだろう
と思ってます。
【海外の反応】「日本人は恐ろしい民族です」と中国のTV放送で語るハーバード大学の教授の真意とは!?【総集編】
https://www.youtube.com/watch?v=_IvR-ivvwR4
ここではマイケル・サンデル、P・F・ドラッカー、ラムザイヤーの3氏が紹介されているのですが、私が
関心を持ったのは、ドラッカー氏が室町時代の水墨画や禅画などに関心を持ち、コレクターであったと
いうことでした。雪舟に代表される水墨画はほぼ黒白の絵です。これは、なるほどと感じました。
ドラッカーは経営学者であるわけなんですが、それは占星術では土星となります。
とにかく、カラー写真は黒白写真の次に来た写真であって、あらゆる面で黒白写真よりも優れているの
ですが、それは情報理論、とくに情報量の大きさに関してです。黒白写真は絶対的にこの情報量に
関してはカラー写真に太刀打ちできません。
しかしユーザーが、人が感じるその情報の質的なものに関しては話は変わってくると思っています。
つまり多すぎる情報量は返って質的感覚として妨げになる場合もあるのではないでしょうか。
黒白写真はカラー写真からすれば、削ぎ落としの理論とも言えなくはないですね。情報の削ぎ落とし
として黒白写真を見るということ。つまりは贅肉を落とすということですか。
非常に根本的な話をしたいのですが、我々が写真の趣味をすることは、その目的というものは、それは
一体何なんでしょうかね。
写真のコレクションでしょうか。色んなものを沢山撮ってそれを集めることでしょうか。写真も物のひとつ
だとすると物集めの楽しみでしょうか。
現実的にはそのようになってしまっているかも知れませんが、それを写真行為の目的だとはっきり言え
る人はあまりいないだろうと思います。結果として写真がコレクション的に集ったということはあるでしょ
うがそれが本当の目的ではないですよね。
また写真をすることの楽しみやその集積とか思い出とか言うのも簡単すぎます。
写真行為を重ねることで何らかの人生的な獲得物があるのではないかと考えるのが普通だろうと
思われます。写真はモノかも知れませんが、写真行為はモノではなくもっと何かの得がたいもの、それ
を捜し求める、いや結果として獲得することか目的と言えばそうなのかもしれませんね。
簡単に言えば人の頭の中にあるもの、それが本来の目的かもしれません。
ディアスポラという言葉があります。これは民族離散の憂き目にあった彼らの歴史を言うのだそうです。
その迫害の歴史を持つユダヤ人が、度重なる迫害によって、どうしても失うことがないものは一体何か
というと、それは奪われることのない頭の中の知識とか智恵とか思考能力とか、そういう物質でなく
形のないものであって、これだと迫害を受けても無一文になって放り出されても生きていけるということ
だそうです。
それでユダヤ人は子弟に教育を受けさせて、その頭の中のもので生き抜いていきなさい、ということ
らしいです。よく知りませんけどね。
人生において築きあげた家庭や家とか土地とか仕事や会社とかいうものは、これは迫害を受ければ
簡単に喪失してしまいます。家族は離散し、物は何一つない無一文で放り出されてしまいます。命が
あるだけまし、という具合です。
そういう究極の状態で我が身を保つものは何かと言えば、それはやはり個人の頭の中の蓄えた何かと
いうことになります。その財産のようなものです。とにかく生きている間はそれが頼りになるという具合
です。ユダヤ人が優秀だといういうのはそういう考え方の歴史があるからのような気がしますね。
これは究極の個人主義的な生き方とも言えなくはないのですが、我々日本人には想像もつかない厳しい
歴史的現実があったればこそかもしれません。
こういう話をしたのは、もしかすれば写真の行為のその原理というのも、そういうものと無関係ではない
のだろうかということです。もちろん知識全般がそうであるわけですが、その中のひとつに黒白写真と
いうものがあるのかもしれないということです。
写真は知識体系の学問と絵画芸術の間に位置するという感じですけど、物質というものがなくても成り
立つということでは、芸術というよりも知識に属するのかもしれません。
予め自分の結論を出してしまいましたが、カラー写真はともかく、黒白写真というものは画像というモノ、
物質がなくても成立する写真ではないかということです。現実が物質としてのカラー写真だとすれば
黒白写真はそのゴーストのような気がするのです。
これは飽くまで現在のデジタル時代における私の印象です。デジタル黒白写真は、写真でありそうで
いて、写真ではないのかも知れないと。物ではなく頭の中のゴーストのようなものかもしれないと。
しかしそのゴーストのようなものが、いざとなれば生きることに大変な威力を発揮してくれるのではないか
ということなんです。そういう生きる知恵のエッセンスが詰まっているような感じだと。
ところでピータードラッカー氏がその経歴からみてユダヤ人ではないのかと思う人は多いでしょう。
調べるとやはりそうだったようです。正確にはユダヤ系というようです。20世紀の知力の代表的な存在
であるドラッカー氏ですが、そういう人物が水墨画などの黒白芸術を好んでくれたのが嬉しいような気持ちになります。
メーカー名 | NIKON CORPORATION |
機種名 | D800 |
ソフトウェア | Ver.1.10 |
レンズ | 35mm F1.4 |
焦点距離 | 35mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/320sec. |
絞り値 | F9.0 |
露出補正値 | -0.3 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 100 |
ホワイトバランス | オート |
フラッシュ | なし |
サイズ | 3680x2456 (5.67MB) |
撮影日時 | 2015-11-23 23:21:49 +0900 |
⑯
この掲示板もコロナ禍をかい潜ってから随分と変わったというところがあります。総体的に皆さん大人
になったような気がして、落ち着いてきたというか思慮深くなったような気がしてます。そういう意味では
コロナの流行下で写真をあまり撮れなかったというのがプラスに働いていると思ってます。中には驚く
ほどに(良い意味で)変わられた方もおられますね。
コロナ禍であまり写真を撮れなかったというたけでなく、その2・3年間分だけ歳をとった、というところも
あるんでしょう。なるほど、高齢化社会を地で行く掲示板ではありますね。(^^ゞ
写真行為は自我を発揮する極めて個人主義的なものです。そういう意味で西洋文化の系統に属する
でしょう。自分が写真なるものをしたいからするのであって、あまり他人目というものを気にしない文化
のように思います。つまり他者に迎合することの少ない芸で趣味ですか。まあ空気なんか読んでいては
確かに写真はできませんしね。
そして世の中の時流にそって、さらに自身の運勢に沿っても、自分の写真も変えていくというのが写真
というものであると思ってます。
それでも写真は永遠に極められないものなんですね。極点などというものはどこにもありません。ただ
淡々と自分の写真をやっていくというだけしかできません。
この掲示板は一般的な写真投稿サイトとは違って、あくまでも自分でカメラをもって写真を撮影するという
写真愛好者たちの掲示板です。それで自分の作品を見せるというよりも他の投後者の写真を見て、
ご自身が啓発されるという面が大きいのではと思ってます。
ああこの人はこういうカメラを使ってこういう写真を撮るのか、という具合で自分が発するサインよりも
受け取るシグナルのほうが高いのでしょう。そういうのはこの掲示板が始まった当時から、そういうよう
な伝統があるようで、今となっては極めて稀な写真のサイトになっているみたいです。
こういう掲示板がもう何年も十何年も続くというのは奇跡のような思いがします。
私が積極的に掲示板に投稿しだしたのは東日本大震災の年の2011年からですから、それからも既に
10年以上経っています。私が本格的にデジタル写真を始めたのは2000年ころからですが、その時の
自分の予想では、まあ10年はこの写真趣味でいけるだろうが、それ以降は続かないだろうと考えてい
ました。
それがいまだに写真をやっていて通算20年余もデジタル写真の趣味を持つことができています。それは
ひとえに、この掲示板のなせるお陰ではないかと感じ入っています。
この掲示板を運営し維持してくれている管理人さんには感謝の念しかありません。そしてこの掲示板に
写真投稿をされコメントも書かれている多くの方々にも御礼を申し上げたいと思います。
橘玲著 バカと無知 -人間、この不都合な生きもの 新潮選書
橘玲・安藤寿孝共著 運は遺伝する -行動遺伝学が教える成功法則 NHK出版新書
というような本を今読んでいるのですが、こういう本で述べているような現実があるというのがこの世の
中の通例でして、とくにネットでのやり取りなどは非常によく正確に書かれていて関心をしています。
私としてはそういうことは有り得て当たり前だという感覚でしたので、当初から自分のコメントでの発信は
一方通交にしています。いちいちの追コメントに応えることなどはしていません。そんなことをしていては
自分の写真論などは出来ないだろうと最初から感じていましたので。
私が純粋にデジタル写真をやっていたのは最初の10年間であって、この掲示板に投稿しだしてからは
写真ではなく写真論をやっていたのだろうと思ってます。写真行為論とでもいいますか。
そしてその場を提供してくれたのはこの掲示板であって、これがなければありえなかったろうとでも言える
ものでした。
例えば私の今の黒白写真は写真表現としての黒白写真では全くなくて、写真行為としての黒白写真
です。前者は画像でありモノですが、後者は人の行為そのものを言います。
撮影をオートマチックではなくてマニュアルで撮影をする。とか、オールドレンズを態々使いにくいデジイチ
で撮影をするというのも、それも写真行為ですね。
写真論は最終的に写真をする人の総体的な行為論に収束するのではないかと考えています。
ですから写真する人、そのものが作品と言えば言えるのでしょうか。(^^ゞ
メーカー名 | NIKON CORPORATION |
機種名 | D800 |
ソフトウェア | Ver.1.10 |
レンズ | 35mm F1.4 |
焦点距離 | 35mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/400sec. |
絞り値 | F10 |
露出補正値 | -0.3 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 100 |
ホワイトバランス | オート |
フラッシュ | なし |
サイズ | 3680x2456 (4.69MB) |
撮影日時 | 2015-11-23 23:24:59 +0900 |
⑰
占星術的風水的に申しますと、黒白写真行為というものは(カラー写真に比して)不足のそれですから、
土星・天王星・海王星という所謂凶星下にあります。
そして華やかなカラー写真は、吉星としての木星・金星・太陽という具合ですね。
私も最初はデジタルでカラーをやっていました。面白かったなあっていう時期は、デジカメが1000万画素
以下の時代でした。その当時はCCDセンサーのカメラでしたね。画像としては不足感のあった時代です。
それが1000万画素、そして2000万画素となり現在は数千万画素の時代なんですね。
そして自分としては画素数が上がり、カメラの画質も洗練されていくにつれて、違和感が芽生えていった
という気がします。
これは何故だろうかと考えますと、凶星の星の下に生まれたこの私にとっては、豊で華やかで綺麗な
現在のカラー写真には向いていないということだろうと思います。それで不足感や抑圧感のイメージが
ある黒白写真に再び自分の居所を見出したのだろうということなんですかね。
ですからこれは、つまり黒白写真行為は、あくまで私だけの特殊な話であって、多くの人々は恵まれて
豊かな吉星のもとに生まれているのだから、最新の優れたカラー写真が最適だということです。
事実、私の皆さんが撮るカラー写真を見るのは楽しみです。そういう写真を見るにつけ、自分もそんな
写真を遠慮なく撮れたらいいのになあって思うのですが、それは私には分不相応であることを知って
います。
つまり写真行為というのは人によって違うのであって、それはけっして一様ではないのです。
人それぞれにピッタリと当てはまる写真というのがあって、それを各人が見つけ出す。ということだろう
と思いますね。
私の場合は、カラー写真ならば600万画素くらいがちょうど良かったのです。しかし技術発展は留まって
くれませんから、どんどんと画素数という情報量も画質も上がっていきます。そうすると私には分不相応
になってしまったのです。
黒白写真はカラー写真に比べて情報量は単純化すれば1/3から1/4ですね。RGBやCMYKというのを
思い出してくれれば分かると思います。それで逆算して600万画素を3倍から4倍すれば、現在のカラー
写真のレベルになるだろうと言うことです。
そしてさらに私はカラー写真機を黒白専用機のレベル(その解像感やシャープさ)に上げようとすれば
さらに1/4になるので贅肉を削ぎ落としたものになるのです。
5000万画素で1250万画素匹敵、3600万画素で900万画素匹敵という具合です。それをまた1/4とすれ
ば、400万画素とか300万画素ですかね。(笑) そういうカメラ、昔はありました。イオス1Dやイオス30D
です。そういうカメラほ昔に使っていた時代は充実していたと思います。
一頃フォーサーズ機に親しんだ時期もありました。1千数百万画素のカメラで、何といってもそのセンサー
が小型で、その情報量が大きなセンサーに比べれば少なかったというのが理由だったかも知れません。
今はそういうカメラはスマホになるのでしょうか。スラムさんの投稿写真を見て、スマホ写真も良いじゃ
ないかって思ってます。
私はまた一頃、超高画素高画質のカメラを批判していたことがありました。そういうカメラは自分を見失う
のではないかということだったわけです。
しかし皮肉なことに今は5000万画素のカメラを黒白化して使っていますね。使い切ることができないと
感じていたカメラも、黒白化して画素数を1/4にすれば、ちょうど良いんですね。(笑)
とにかく私にとっては、デジタルカラー写真ならば300~600万画素くらいがちょうど良かったのですね。
その当時は、まだフイルムカメラが主流だったんではないですか。カラーフイルムはライカ判リバーサル
ならば情報量としてはデジカメの2000万画素くらいだろうと言われていました。デジカメ600万画素の
時代、フルサイズ2000万画素というのはなかったんですよ。
あのデジカメにとって古き良き時代が今も続いてくれていれば、ほんとうに良かったんだけど、そうは
いきませんでした。時代は非情なんですね。
そして上に政策があれば下には対策、対抗策がある。ということで私は黒白写真行為というものを捻り
出したのではないでしょうか。
メーカー名 | Canon |
機種名 | EOS 5DS |
ソフトウェア | |
レンズ | 24-35mm F2 DG HSM | Art 015 |
焦点距離 | 25mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/128sec. |
絞り値 | F2.0 |
露出補正値 | +0.0 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 200 |
ホワイトバランス | オート |
フラッシュ | なし |
サイズ | 4320x2880 (3.55MB) |
撮影日時 | 2015-02-06 23:13:38 +0900 |
⑦
写真のキラキラ色イロ、これを取り除いた、もしくは濁りを除去し、その本質のみを蒸留したものが
黒白写真だ、という考え方を私はしているんですが、無論これはあくまでも私個人の考え方、捉え方
です。
とにかく黒白写真をしていくと、気は楽になりますね。よけいなことを考えずに済みます。無駄をしなくて
済むといいますか、シンプルな写真行為となります。色気がなくなるのだから当然ですけど、考えてみ
れば、これまで本当に無駄なことばかりをしていたという裏返しです。
5W1Hという言葉があります。これは新聞記事とかビジネス書などの文章を書く場合には必要なことで、
これを欠いた個人的主観の文では通用しないということです。
写真に於いてもそういうものがあるとすれば、カラー写真も黒白写真も5W1Hに関してはそんなに
違わないということです。黒白写真もきちんと最低限の5W1Hがあるということですね。
写真として5W1Hを考えると、それは画像として見せるということではなく、写真として読ませるという
ことになるのんも知れません。見せるのではなく読む、のです。写真を観る側も、読む、考える、という
ことに繋がるんではないでしょうか。
一方、見せる、というのは魅せるでもあり、理性ではなく感受性に訴えるものです。浸るということでも
ありますか。黒白写真は色という情報量が少ない分、より5W1Hに拘らないと、ほんとうに何を撮ってい
るのかわからないような写真になります。
尤もあまり理屈に囚われ過ぎると変な写真になりますしね。とにかくシンプルでストレートにいければ
それで良いんではないでしょうか。
そして、これは絶対的かなって思うのは、黒白写真は撮った自分は満足ができるということです。
写真を見ている他人は関係ないなっていうことで。自己充足感が高い写真だろうということです。
ここが特に大事なところで、黒白写真は個人的に満足感の高い写真手法だということです。ですから
誰かに頼まれて写真をする場合には、カラー写真でないとダメなんですね。自分が満足できるからと
いって、他人に黒白写真を押し付けることはできません。これは当然ですよね。
もちろんこれはカラー写真、デジタル写真が全盛の現代に於いてでの話です。そういう時代に黒白
写真をするということは、極めて個人的でマイナーで、典型的な少数派のエゴということでもあります。
私だけは黒白写真で多いに結構、満足だぜ、ということです。
今の時代における黒白写真というものの、その本質はきっとそういうところにあるんではないですかね。
黒白写真になってからは、機材に関心がなくなってしまった。これではメーカーも写真屋さんも困って
しまいます。消費者としてGDPに貢献もできなくなってしまう。そうみれば黒白写真はエゴなんです。
写真はキラキラ色イロ。それに堪能して満足感を更新し続けていくことが現代の写真です。それに
背を向けてしまってはこの世の中は成り立たなくなってしまう。まあ大げさですけどね。しかし何事も
例外があるもので百人の内、一人くらいはそうでない人間がいてもいいもんです。
メーカー名 | Canon |
機種名 | EOS 5DS |
ソフトウェア | |
レンズ | 24-35mm F2 DG HSM | Art 015 |
焦点距離 | 25mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/128sec. |
絞り値 | F2.0 |
露出補正値 | +0.0 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 250 |
ホワイトバランス | オート |
フラッシュ | なし |
サイズ | 4320x2880 (5.34MB) |
撮影日時 | 2015-02-06 23:14:20 +0900 |
⑧
黒白になれば、レンズは何を使っても一緒。ということを書きましたが、実はそれはいい加減なことを
書いたのであって、実際は違います。優れたレンズを使えば、当然ながら黒白写真でも優れた画質
を提供してくれます。
しかし今や、私はそういうことを、優れた画質の黒白写真をするという気持ちにはなれません。私として
は黒白写真は、もうJPEGの低画素サイズで十分とすら思っているのですから。
私が写真を始めた当初に、それが黒白フイルム写真だったということは極めて幸いだったかなって
思うところがあります。もしカラー写真から写真趣味を始めていけば、おそらく写真の意欲が衰えた時、
写真もそして撮影も自然に消滅していくだけだろうと思われるからです。
とにかく黒白写真に親しみがあったという記憶があることで、いまはこうして黒白写真で過ごすことが
できています。そして黒白写真は撮影に於いては何も影響を及ぼすことがありません。
ここが黒白写真の見事なところで、画像は大きくダウンするけど、撮影には変らないという事実です。
私が黒白写真に行ってしまった本当のところは、やはり過去への回帰だろうと感じてます。
ながらくデジタルで写真をやってみて、昔の自分の写真(黒白写真だった)とは違うんではないかという
違和感がどうしても拭えなかったんです。20年間余もデジカメをやってきたんですが、その間ずっと
その疑問はぬぐえませんでした。今になって判明したのは、それはパソコンの趣味の延長線でしかない
のではなかったのかということでした。実際、そうだったと思ってます。
ところがひょんなことから黒白カメラを手に入れて、そこでやっと昔やったスタイルの写真に戻ることが
できたというわけです。ですから今までのデジタル写真とは隔絶していくのは当然のことだったという
ことですね。
パソコン趣味の延長にあるのは当然に写真ではなく画像でした。そういうのはネット写真の評論化的な
鑑賞趣味というのが最近はあるらしいのですが、それも写真ではなくて画像趣味だというのと同一です。
メーカー名 | Canon |
機種名 | EOS 5DS |
ソフトウェア | |
レンズ | 24-35mm F2 DG HSM | Art 015 |
焦点距離 | 24mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/128sec. |
絞り値 | F3.5 |
露出補正値 | +0.0 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 200 |
ホワイトバランス | オート |
フラッシュ | なし |
サイズ | 4320x2880 (7.34MB) |
撮影日時 | 2015-02-06 23:17:35 +0900 |
⑨
シッポ座さんの・・
https://photoxp.jp/pictures/225467
https://photoxp.jp/pictures/225471
これは、tamron200-500 f 5.6ですね。こういう望遠レンズを使うっていうのは面白いんです。なぜかって
いうと、ひたすら身体的能力、腕力を鍛えられるからですね。AFではなくMF望遠だとさらにそうです。
こういうレンズは普通のレンズ遊びとはちょっと趣が違うかなって、私は思ってます。
レンズ愛好家だげてなく野鳥の撮影をされる方もこういう類の望遠レンズを使います。想像するに、彼ら
は野鳥を撮りたいっていうことが半分と、もう半分は自分は重量級レンズを使いたいっていう心意気で
あって、その2つが融合しているのだと考えてます。
ですからこういうレンズは、使いたいから使う。それが正解だろうと思ってます。
もしスマホのようなもので野鳥が難なく撮れる時代がくれば、野鳥撮影の熱は一気に覚めて野鳥オタク
は消滅するでしょう。
私は広角好きの人間であって望遠レンズは趣味ではないんですが、ただし望遠端が300以上のレンズは
多少持っていて、このタムロンも所持しています。こういのを持ち出すと、手持ち撮影であっても鍛えられ
ますし、三脚使用であっても三脚の重さが加わるので同じく鍛えられます。
こういう超望遠撮影。これは肉体と密接に結びついていますので、単なる機材道楽とは違うと思って
います。ですから超望遠レンズでなくとも、重量級レンズでさえあれば広角や標準レンズでもOKなんで
すね。しかしまあ普通は超望遠レンズとなります。
これは机上論の理屈ではなくて、骨身に滲みる男の現場世界での話です。
私の場合はレンズが2キロまでは手に持って歩いて撮影することができます。ボディが1キロなので合計
3キロです。それでもあまり長く歩くことはできませんね。それで、今でも欲しいなって考えているシグマ
60-600ミリは、レンズだけで3キロ弱なので計4キロとなり諦めています。
https://www.rentio.jp/matome/2019/04/sigma-60600-sports-review/
もし、4キロの機材を不自由なく持ち歩いて使えたら、それは素晴らしい事ですね。それで現実的には
シグマの旧製品の50-500までしか使えません。これはレンズ2キロクラスなのでオーケーなんです。
このシグマ60-600ミリ。最近、ミラーレス用も発売されていて、そちらのほうは少し軽くなっています。
https://www.rentio.jp/matome/2023/01/sigma-60600mm-dg-dn-os-review/
AFと手振れ補正能力は凄いようです。しかし画質はデジイチ用と変わらないようです。この新型のミラー
レス用レンズは、ソニーとパナソニックのミラーレス向けでイオスR用はないみたいです。
改めて上記のシグマ60-600デジイチ用の記事を見ると、重量は2700グラムです。これにフィルターを
付けると3キロ近くになります。
レンズフードはネジ固定式というのは嬉しいです。フードに手を添えて撮影してもフードが外れるということ
がないからです。そして三脚座が立派で、手持ちの場合はこれを上に回して左手で持つことができるから
です。
こういう機材は性能とか使いやすさとかが問題ではなく、その重量こそが正義です。この重力との戦い
に勝つことに意義があるんですね。
50-500、60-600という重量級高倍率ズームレンズは、重さの正義だけでなく、標準域までカバーして
くれていて、その標準レンズの場合にも重さが2キロ3キロというバカバカしさも魅力です。ズームロック
を掛ければ文字通り重量級標準レンズとして使えるのです。こういうレンズ、他にはコシナがあるだけです。
メーカー名 | Canon |
機種名 | EOS 5DS |
ソフトウェア | Microsoft Windows Photo Viewer 6.1.7600.16385 |
レンズ | 24-35mm F2 DG HSM | Art 015 |
焦点距離 | 27mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/128sec. |
絞り値 | F3.2 |
露出補正値 | +0.0 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 200 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 2880x4320 (4.33MB) |
撮影日時 | 2015-02-06 23:18:23 +0900 |
⑩
デジタル写真はフイルム写真とは違います。その決定的な相違はなんだろうか、と思いますか?
応えは実に明瞭です。写真にパソコンが介入するか否か、です。もっと正確に申せばモニター・スクリーン
ですね。
そしてこのモニター&スクリーンこそが、キラキラ色イロの正体であるということでもあるのです。
私は長らくデジタルで写真なるものをやってみて、どうしても違和感が拭えなかったと言いました。過去の
フイルム黒白写真とは違うものであったということで、結局、デジタル写真とはパソコン趣味の延長であっ
たのだろうと結論づけました。
つまりデジタル写真、いやデジタル文化というそのものがキラキラ色イロを本質的に内蔵しているという
ことなんだろと思うのです。そしてこのキラキラ色イロとは無論人工的に作られたものであって、現実の
ものではないということです。
パソコンのモニター&スクリーンは当初はブラウン管でしたがそれが液晶になり現在では有機液晶も
取り入れられています。これらはフイルム時代の紙の写真と比べて自己発光しているというのが決定的
に違います。フイルムも印画紙もプリント紙も反射光でもって見える素材ですが、モニター&スクリーンは
それ自体が発光しているものです。
現実光景はどうでしょうか。その殆どは反射光で光景が形作られています。自己発光しているものもあり
ますが、大部分は陽の光の反射光で間接光として認識できるものであるわけです。
キラキラ色イロとは有り体に言えば自己発光、それ自体が発光するのが最も効力があるのです。また
自己発光と同じくらいに反射率が高いものであるわけです。例えばゴールドとか宝石の類ですね。
昔から宝石とか金とか鏡とかは魔力のあるものとして認識されていました。それで為政者はそのような
ものを好み、民衆に向けてその効力を放ったのです。
ここまで書けばもうお分かりだと思うのでずか、パソコンで見るものは全て自己発光であり、キラキラ
色イロの魔力でもって、我々は自己暗示に掛かるだろうということであるんですね。パソコンでもスマホ
でもそうです。モニター&スクリーンという人工光はそれを見るものをして暗示にかからせ、現実感覚を
喪失してしまうというものなのです。
デジタル写真というものは、ゆえにその本質として現実感覚を失わせしめ自己暗示に掛からせてしまう
ものなんです。と、そのように私は考えています。
こういうような認識ができれば、なぜ黒白写真なのか。ということが理解できてもらえると思ってます。
黒白写真はデジタル時代に於いて可能な限り、キラキラ色イロ感を喪失させようとする試みであるという
ことなのです。
このことは単にデジタル写真の文化だけでなく、現在のデジタル世界の文明そのものへの本質的な問い
かけにも繋がっているということでもあります。私は、世界がキラキラ色イロである限り、この文明は現実
感覚を維持することは不可能なのではないかと考えるまでに到っています。
そこまで大げさでもなくとも、写真という文化において、やはり自己発光のキラキラ色イロというものは
写真のその本質を見失しなさしめるものであるとの考えなのです。
皆さんが綺麗キレイと感じているデジタル写真とは、あくまでもモニター&スクリーン上でのキレイという
感覚でしかありません。それは現実とは異なります。
有り体に言えば、そもそも現実感覚というものは人間の心の中、脳内に記憶としか存在しえないもの
です。我々か写真を撮る際に記憶として裸眼の現実光景を心に写しとめるのですが、それこそが現実
だというものでしょう。そして写真として記録されたものはそれとは異なって改変されています。デジタル
写真ではそれがキラキラ色イロとなるわけです。
デジタル写真に於いて、黒白写真化するということは、意識的にこのキラキラ色イロの効力を減衰させる
意図があるということですね。そうすればより現実感覚に近づくのではないかということです。
ここまで書いてきて、この本意が理解できる人は殆どいないだろうということに気がつくのですが、それは
ともかくデジタル写真での黒白写真の立ち居地はそういうところにあるのだろうと考えています。
つまり写真として、デジタルカラー写真よりもデジタル黒白写真のほうがより現実感覚に沿うものであると
いうこと。それこそが写真の本来の役割に近いものであるのではないかということなのです。
最もデジタル写真も紙にプリントすればカラー写真でも問題がないと考えています。なぜならば紙出しは
反射光であるからです。しかしカラープリントをする前に関門としてモニター&スクリーンを通さなければ
ならないのでどうしてもキラキラ色イロから逃れることは難しそうです。
この現実感覚に寄り近いだろうというデジタル黒白写真。その本質性に気がついたからこそ、もうカラー
写真にはもう戻れないだろうという気分になっているのです。
カラー写真よりも現実的な黒白写真。不思議だと思われるかも知れませんが、現代に於いてはそれは
より本質に迫るかもしれないとう、現在という時代の現実感覚だろうと考えています。
当初はやがて飽きてくるだろうとして軽く考えていた私の黒白写真。それが時を追うごとにより強固に
なっていくのですが、このような気分になったことは初めてのことですね。その理由を何とかして見つけ
出したいと願っているのですが、その判明し難い理由というのは、大体こんなところにあるのだろうと
いうことです。
様々な複合的な理由によって起きているというのは確かです。しかし最大の理由としてこのデジタル時代
として、決して通り過ぎることのできないモニター・スクリーンが鍵を握っているように思われてならないの
です。
ペンタックスK3M3モノクロームは、その表示デザインにおいても黒白を徹底しています。メニュー画面で
カラー表示になる場合もあるのですが、背面モニターは通常は黒白での表示です。そこまでしなくても
いいんではないかと思うのですが、設計者は黒白を一貫して貫いているようです。モニターはカラー液晶
なのでこれは意図的です。
設計者は意識的にユーザーが黒白世界に没入するようにしているわけですね。それでこのカメラは
相当に煮詰められて設計されているという気がします。それもある特定の個人が主導権を握って設計
したという感じです。なんというか、この技術者はカラー写真を否定しているのではないかと思うほど
です。
つまりこのカメラはキラキラ色イロを徹底して排除してしまったカメラであるということです。カラーである
のは光学ファインダーだけなんですね。その徹底ぶりに今更ながら驚いています。
この設計者の意図した徹底的な設計思想というものがなければ、もしかすれば私はこれほどまでに
黒白写真に没入しなかったかもしれません。無言で語りかけてくるキラキラ色イロの排除。
それでなのか、私は装着するレンズはシグマのレンズです。シグマレンズは一部ロゴに金字が使われて
いるだけで地味な外観ですね。私はこのレンズがカメラにピタリと合っていると思っていて、純正レンズ
を使わないでいます。バッテリーグリップもペンタ製ではなく自作改造のものを使っています。
このカメラこそが私にとっての玉手箱であったと思ってます。目覚めさせてくれたカメラですね。
もしこのカメラがリリースされなくて、またもしくは自分が手にすることがなければ、私のキラキラ色イロは
まだまだ続いただろうということです。
メーカー名 | Canon |
機種名 | EOS 5DS |
ソフトウェア | Microsoft Windows Photo Viewer 6.1.7600.16385 |
レンズ | 24-35mm F2 DG HSM | Art 015 |
焦点距離 | 24mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/128sec. |
絞り値 | F3.5 |
露出補正値 | +0.0 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 200 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 2880x4320 (8.56MB) |
撮影日時 | 2015-02-06 23:22:32 +0900 |
⑪
キラキラ色イロ主義が芽生えたのはデジタルからではありません。その発生はネガカラーフイルム
からだと思っています。おそらく1980年代から。
私が黒白フイルム写真をやめてから20年余で再び写真趣味に舞い戻ったのですが、その当時は
ネガカラーが全盛でした。そして当時の写真人たちのバブルさに驚いたものです。高級機をバンバン
と購入して、猫も杓子もキラキラ写真・カラフル写真で舞い上がっていたのですね。
そしてデジタルカメラ、デジイチがぼちぼち出現した時代でもあったのです。
私が70年代に黒白フイルム写真をシコシコとやっていた時代とはまるでちがっていたので面食らった
ものです。そして写真の文化には程遠いオジサン達も多く写真趣味人となっていました。
そのような人達を傍目に私は初期時代のデジタル写真をやり始めたのですが、しかしながらこの私
も次第に、彼らと同じく、今度はデジタルでもって、キラキラ色イロ写真に邁進していっというわけです。
カラーフイルム時代でキラキラ色イロ主義だった多くの方は、デジタル時代になってからは、大半は
写真趣味から離れていったのではないでしょうか。引き続き、デジタルでも写真をやられている人も
居るにはいるのでしょうが少ないだろうと思ってます。
それで時代を大きく分けますと、
1.黒白フイルム時代・・・カメラはメカニカルカメラ。当然にMFレンズです。
2.ネガカラーフイルム時代・・・カメラは電子制御カメラ。AFとMFの混在
3.デジタルカラー時代・・・勿論デジタルカメラですね。
私の場合、1から3に飛びました。2も少しはやりましたが。
この1から3まで全て体験された方を知っています。実はその方の影響で私はデジタルカメラに入った
んですね。現在は90歳を軽く過ぎている方です。しかしこの人も正確に言えば、2は1の変形でして
カラー写真はリバーサルフイルムを使っていたんです。このリバーサルカラーは1の時代に出現して
いたもので、私も少なからずのカラーリバーサルを撮影していました。
この90歳余の先達は、黒白フイルム自家現像から始められたわけで、その当時の撮影は、私がやって
いた写真スタイルや被写体などと共通するものでした。
そしてこの方が電力会社を退職して嵌ったのがカラー撮影でのヨーロッパ撮影です。10回くらい渡欧
されたんではないですかね。膨大なリバーサル写真を撮られていました。使ったカメラはコンタックス
です。そしてツァイスレンズ。
そしてデジタル時代となってからは、主に撮り溜めたフイルムをスキャンしてそれを自費出版されると
いう趣味にいきました。PCでスキャンして自分でプリントをして展覧会なども開いていました。
と同時に、キヤノンデジイチとかフジミラーレスカメラなどもデジタル写真として撮影されていましたね。
しかし私としては先達のパリのカラー写真なんかより、それ以前にやられていた黒白写真のほうに
理解を示したというか、気に入っていました。
結局、先達のカラーの渡欧写真はバブルといいますか、私が言うところのキラキラ色イロそのもので
あったろうということです。先達とはパソコンでもって知り合いになったのですが、PCが不具合になれば
私に電話をしてくれて私は駆けつけたものです。当時の私はPC趣味まっしぐらでしたから私は重宝さ
れていたのではないでしょか。(笑)
先達は有名な大学を出て地元大手の企業に勤め上げたわけですから非常に優秀な方でした。カラー
時代でも普通のオッチャン達の写真趣味レベルとは別格であったわけですが、それでもキラキラ色イロ
主義に嵌ってしまったわけです。
先達は機材の趣味ではなく撮影旅行の趣味がバブルでしたが、コダックのリバーサルフイルムを惜しげ
もなく使い、旅費も相当なものだったわけですから、これも立派なキラキラ色イロ主義に陥っていたという
わけです。
インテリ人でしたから写真と当時に随筆の趣味もあって同人会に参加して随筆作品も多く発表されて
います。
年齢的に言えば、先達がヨーロッパ撮影真っ最中であったのと同じ位の年齢で、この私はキラキラ色
イロを捨てました。バブリーな写真から卒業をしたということですかね。
そういう意味で、私は先達を超えたかなって思うことにしています。(笑)
4.デジタルカメラでの白黒写真への一部復帰
これを上記の写真時代遍歴に付け加えてみたいと考えてます。
ライカが最初にモノクロームデジタルをリリースしたのは、2012年8月からでしょうか。初期モデルは
CCDのセンサーです。2011年が東日本大震災だったのでその翌年ということになります。
1800万画素フルフレーム、カラーフィルターとローパスフィルターを搭載していません。この後に出現
したモデルはCMOSセンサーですので、CCDセンサーでは唯一のモノクロームカメラということに
なります。
このカメラの出現でもって、デジタル黒白写真は出現したということになります。そして2023年の
ペンタックスモノクロームが続くわけですね。
しかしだからと言って、写真時代がデジタルモノクロームに変わった、ということではありません。
時代は変わらずカラーデジタルの時代真っ盛りですから。その時代に於いて、極々少数の写真趣味人
がデジタル時代でも黒白写真が出来るということを初めて知った、ということであるのです。
2012年から2023年へは何と11年も過かっています。それほどにデジタルモノクロームの世界は
マイナーであるということです。次のメーカーがモノクロームを出すのにはもう10年はかかるのでしょうか。
もちろん、ライカやペンタックスがなければ黒白写真は出来ないのか?というと、理屈的にはできない
わけではありません。普通のカラーデジダルでもって、モノクロモードにするだけで黒白写真はできます。
しかしそれを永続してやり続けることはできません。
モノクロ専用機は絶対にカラー写真が撮れないのです。この違いはとてつもなく大きくて、そのカメラが
主張する声は厳格です。
私は現在、イオスでも黒白JPEG写真を撮っています。これもカラー写真にすることはできません。
そういうことではペンタックスモノクロームと同じです。しかしイオスは設定を変えればすぐさまカラー
写真を撮ることがでます。しかしペンタックスは永遠にカラー写真が撮れない。
こういう厳格さがあるからこそ、人はカラーを諦めて黒白に行くことができるんだと思っています。そして
キラキラ色イロという世界から抜け出すことができるのです。
黒白世界からキラキラ色イロへ戻ることはできます。私もやがてはカラー写真に復帰するでしょう。
しかし精神的にはもう昔の自分ではないだろうということです。
人間は痛い目をして、始めて性根に入るというか自分を変えることができます。
モノクロカメラを使ったところで私は痛い目はしていないんですが、実はこのところ、体調は良くありま
せん。とくにこの夏場は堪えました。どうやら不整脈が出ているようで不調の医術的な理由はこれの
ようです。そういう意味では私は痛い目にあっているということでもありますね。(笑)
世界はどんどんと変わっていきますし自分自身も自ずと変化して行きます。いつまでもこれまでの
やり方が通用するわけではありません。成功体験に拘ってはいけないんですね。積極的に変えてい
かないと返って取り残されてしまいます。
メーカー名 | Canon |
機種名 | EOS 5DS |
ソフトウェア | |
レンズ | 24-35mm F2 DG HSM | Art 015 |
焦点距離 | 35mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/128sec. |
絞り値 | F3.5 |
露出補正値 | +0.0 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 200 |
ホワイトバランス | オート |
フラッシュ | なし |
サイズ | 4320x2880 (3.92MB) |
撮影日時 | 2015-02-07 00:20:34 +0900 |
⑫
今回の投稿は、JPEG撮って出し、そのものでいきます。つまりパソコンでのソフトを何も介していない
というわけです。イオス5DSにシグマ24-35ミリを着けてます。
JPEGのSサイズでの撮影です。1260万画素となり、通常の5000万画素の1/4のサイズというかピクセル
数になります。なぜ1/4なのか、分かる人には分かるだろうと思いますが、黒白画像にしたとき、もっとも
解像感がありシャープな描写になるだろうと思ってます。とは言えJPEG撮影なのでだいたいの話です。
JPEG撮って出し、というのは何だかカッコイイ。と自分では思っているのですが究極の手抜き写真でも
ありますね。
今回の撮影場所は、古墳跡の神社の撮影でした。撮影途中で本格的に雨になり、秋雨が堪えました。
が、黒白写真には相応しい天候だったかなって思ってます。黒白撮影は全天候型でなければならない
と思っているので。
メーカー名 | |
機種名 | |
ソフトウェア | PaintShop Pro 19.00 |
レンズ | |
焦点距離 | |
露出制御モード | |
シャッタースピード | |
絞り値 | |
露出補正値 | |
測光モード | |
ISO感度 | |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | |
サイズ | 4000x3000 (784KB) |
撮影日時 | 2023-11-06 08:01:50 +0900 |
オリの標準ソフト使用です
まずまずの結果でした
発売から8年経過のレンズ。
メーカー名 | |
機種名 | |
ソフトウェア | PaintShop Pro 19.00 |
レンズ | |
焦点距離 | |
露出制御モード | |
シャッタースピード | |
絞り値 | |
露出補正値 | |
測光モード | |
ISO感度 | |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | |
サイズ | 4000x3000 (767KB) |
撮影日時 | 2023-11-06 08:02:17 +0900 |
専用ソフトでどの程度補正されるのか
比較するためこちらの掲示板を使ってみます。
オリの8㎜FEレンズ使用
メーカー名 | RICOH IMAGING COMPANY, LTD. |
機種名 | PENTAX K-3 Mark III Monochrome |
ソフトウェア | Capture One 6 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 17mm |
露出制御モード | 絞り優先 |
シャッタースピード | 1/640sec. |
絞り値 | F6.3 |
露出補正値 | -0.7 |
測光モード | 中央重点測光 |
ISO感度 | 200 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 3648x2432 (6.21MB) |
撮影日時 | 2023-05-18 21:46:56 +0900 |
①
https://photoxp.jp/pictures/225375
ペンタックスSPとは懐かしいです。私も随分と昔に、友人のSPを借りて撮影していました。友人は
SVだったかな。それも持っていました。長らく借りていたお礼に、コムラー24ミリ(M42)をあげましたけ
どね。
レンズって、特に電子接点のないマニュアルレンズは、一種の男の宝石類に相当するのかも知れない
と思う時があります。(笑)
オールドレンズを初めとするレンズ類は実用として使うレンズでもあるんですが、むしろコレクション的
要素が強いでしょう。
カメラ本体もそういう要素が強いです。これは精密機械ですね。機械式腕時計のコレクターは多いの
ですけど、それなんかは典型的なコレクションする趣味だと言えます。
それから電子機器なんかもそれはそれで魅せられるちところがあります。私もPC自作趣味をしていた
当時は、あの煌びやかな電子ボードにやられていたところがあったんだと思ってます。一種の宝石の
輝きがあるんです。CPUの半導体集積回路のチップは別名、石と言われていましたから。石ってつまり
宝石のことです。(笑)
私も古いオールドレンズは好きでコレクションは増える一方だったのですが、ところが、モノクロ専用機
を手に入れ、さらに普通のカラーカメラもモノクロで撮るようになってから、機材やレンズへの興味が
スコーンとなくなりました。とりわけレンズですね。これは自分でも驚きであって、今年の春まではレンズ
に邁進していたのに、黒白写真に行ってからは不思議なくらいに興味が失せましたね。
これは一体何なんでしょうね。結局、レンズってカラーの色が占める割合が大きいということでしょうか。
黒白にしちゃうと、もう何のレンズでも一緒って感じですからねぇ。(笑)
ただまあ、機材への興味が失せたというのは、黒白写真とは関係がなくて、私か人生上において、そう
なるべき時期に来ていたというだけかも知れません。つまりは、だんだんと写真に興味がなくなりつつ
あるだけなのか、それとも違う方向に行きたかっただけの話かも知れないですから。
それにしても思うに、黒白写真は現像の一環として簡単にできるわけでして、それならばこれまでどうして
黒白写真にこだわることがなかったのか。という根本的な疑問です。20年間もデジタル写真をやってい
て、そういうことは一度もなかったわけでしてね。もちろん、偶にRAWデータを黒白にして遊ぶっていう事
はあったわけですけど、それは一時的なものだったわけです。
そこのところは多分、黒白専用機を手にしたことが切っ掛けになっているはずです。このカメラを持ち出し
た時には、絶対にカラーでは撮れませんから。それは、フイルム時代において黒白フイルムを一旦詰め
込むとカラーで撮れないというのと同じです。黒白専用機というのはいたって不器用なんです。
カラー写真と黒白写真の間には超えがたい垣根があるように思えます。
しかし一旦突破すれば、私に限らず、誰でも人は黒白写真でも満足が行くのではないかと思うところが
あります。
特に私の場合は、大昔に黒白フイルム写真ばかり撮っていたから、その垣根も比較的低かったと思えま
すね。しかし垣根は垣根で、やはり越えにくい障害物であったわけです。それがゆえに20年間もデジタル
写真をやっていてもその垣根を乗り越えることができなかったわけですから。
黒白カメラは、ほんの冗談のような経緯で購入したものです。まあ、ちょっと変なカメラが出たので興味
本位で手にしようか。という感じ。
そのカメラがこんなに自分の写真に対する考え方を変えてしまうとは想像だにしていなかったことです。
想定外という言葉がそのまま当てはまります。
これまでも例えばシグマのカメラとか、そういう変なカメラなんかに私は興味はあったんですね。それで
その程度の関心で黒白専用機を買ってしまったんです。黒白機を買うその直前でも、MFの高級レンズを
買いましたがその程度の関心の延長線上にあるものでした。
誰にでも白黒写真に行く可能性がある・・・というのは、やはり難しいかなって感じます。私の場合は写真
がカラー化する以前の経験があったればこその黒白回帰であるわけでしょう。
そういうはMFのレンズやカメラを使っていたことがある人だけが、現在もデジタルでMFレンズを本当に
使えるのかも知れないからです。若い人が興味本位で一時的にMFレンズを使うのとは訳が違うからで
す。MFレンズで露出はマニュアルで永続的に写真を撮るということは、きっとそういうことだと思うんです
ね。
そういう写真のスタイル。基本的なスタンスというのは極めて本質的なものだと感じます。まず最初にそれ
がありき、という感じで、ここをないがしろにすると全てが変になるという気がします。
結局のところ、私の黒白写真は、写真を始めた当時の自分の心意気というか心根というか、その原点に
立ち返りたかっただけなのではないかと思えてきます。
私が最初に使ったカメラは当然にMFカメラ、マニュアル露出のカメラでした。だから、黒白カメラを買う
直前に、私はオールドなどのMFレンズを物色していたんですね。その自然で且つ、さらなる延長線上に
あったのが、黒白写真であったというだけでしょうかね。
写真は回帰する。永劫回帰とでも言いますか、自分の眼の延長線にある写真というものも、人生と同じ
ように、回帰し繰り返すのではないでしょうか。
このように考えると納得がいくところがあります。私の場合、黒白写真はMFレンズの次に来るもので
あっただけのものである、ということ。これで少し気が楽になり、次にはカラーでMFレンズを使ってみよう
かなって思いました。
それにしても、黒白写真のインパクトは想像以上に大きくて、機材・レンズへの関心が吹っ飛ぶほどでした
から。黒白写真恐るべし、黒白写真とでも申しましょうか。(笑)
本当に黒白写真は異世界の代物です。というのか、昔のフイルム黒白写真は自然であったけれど、現代
のデジタルな黒白写真は、世界が違うという写真なのではないかと感じます。異形とでも言いますか、
カラー写真が自然な時代に於いて、黒白を敢えて使うというのは、なんというか異物が出現する気配を
感じます。
※冒頭にリンクしたシッポ座さんのお写真。月の写真ではありますが電線り写真でもあるんですね。
彼の非凡さを感じる写真にもなっています。
メーカー名 | RICOH IMAGING COMPANY, LTD. |
機種名 | PENTAX K-3 Mark III Monochrome |
ソフトウェア | Photoshop Lightroom 4.4 (Windows) |
レンズ | Sigma or Tamron Lens |
焦点距離 | 17mm |
露出制御モード | 絞り優先 |
シャッタースピード | 1/640sec. |
絞り値 | F6.3 |
露出補正値 | -0.7 |
測光モード | 中央重点測光 |
ISO感度 | 200 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 6192x4128 (14.7MB) |
撮影日時 | 2023-05-18 22:37:35 +0900 |
②
前号で、私の黒白写真は自分回帰の写真行為なのではないかと記しました。
なるほど、それはある意味で当たっているでしょう。しかしデジタルな黒白写真はぞれだけではないと
思っています。黒白写真は私の機材愛というか機材への欲望を徹底的に低下せしめる働きがあるよう
だからからです。
こんなことは写真を初めて初めての体験です。これまで色んな機材、カメラやレンズ、三脚からPCや
ソフトや、とにかく写真に関する何でもの機材漁りに向かっていたものが、それらを全否定するように
なったからですね。否定というか、感心が失せてしまったわけです。これまでの何らかの魔力というも
のが一挙に消失してしまったという感じです。
返すがえす、これは驚きです。率直に言って今や自分が使うカメラは1台だけでいいです。ペンタK3M3
モノクローム1台でいいですし、それがダメなら黒白化したイオス5の1台で満足なんです。
レンズも実用として必要な数本で十分。
そういう最低限の、しかしそれでいて十分に事足りる必要最低限の機材でいいんだとなるわけです。
これまでこういう経験をしたことはありませんでした。機材は放って置いても自然に増えるものとしか
自覚してなかったですから。
こういうのはやっぱり、黒白写真がもたらした効果だろうとしか考えられないんですね。
ここがやはり重要です。
実はかつてのフイルム黒白写真をやっていた当時も、カメラ遍歴は多少ありましたが基本的にカメラが
1台か2台。レンズも数本の所持でしかありませんでした。そういうことで黒白写真というのはフイルムも
デジタルでも共通して、機材愛や物欲に関してはストイックであると見られることです。
カラー写真のように豊満潤沢、飽食世界ではないということです。ここがカラー写真と黒白写真の決定的
な相違だろうと考えられます。
カラー写真をやっていても機材にあまり関心がない人もおられます。しかしそういう人は被写体に対して
飽くなき欲望を発揮するようです。色んなところへ行って写真を撮り続けていたいという。どちらにせよ、
無駄にお金を使うということでは、これは同じですよね。
言葉を代えて言えば、つまりはそれは消費意欲です。黒白写真はその消費の意欲を減退させる働きが
あるようです。
消費への欲望、物欲、そういうものを黒白写真は減退する方向に向かうのだろうということ。つまり、
カラー写真とは「色」です。色気ですね。写真から色気を取り除けば、留まることを知らない欲望が自然
と削ぎ落とされるというのではないですか。これは決定的なような気がしてます。
カラー写真やデジタル写真は、以前から比喩的に感じていたのですが、浦島太郎の龍宮城であるという
こと。そこですね。太郎がどっぷりと浸かった煌びやかな竜宮物語の世界に嵌ってしまうこと。それが
カラー写真でありデジタル写真であるということ、なんではないですか。
そして太郎が、夢中になっていた乙姫様や鯛や平目の舞い踊りに見飽きて、帰りたいと願い再び以前
いた村に戻ったとき、太郎は玉手箱を開けてやっと現実に戻るわけです。あら不思議、そこには白髪の
老人がいただけの姿になるわけです。
亀に連れられて龍宮城に行き毎日毎夜夢のような世界を見ていたのが、玉手箱を開ければそれらは
スッと消えて、別の現実の世界が待っていたとなるわけてす。
此処で言うところの、亀も玉手箱も、きっとそういうアイテムは実は同じカメラであり写真なわけです。
浦島太郎の物語は日本全国にあって、それどころか世界中にあるようです。我が県にもあります。(笑)
そこに写真というものの二重性、相反する対価の価値観が潜んでいるといってもいいんではないですか。
それこそが写真というものの真の姿かもしれないです。
浦島太郎の物語は、実は人の人生の物語そのものだと捉えることができます。ハレとケの二重世界でも
ありますから。そこには竜宮の夢心地もあるだろうし、冷め切った現実の世界もあるんだということ。
大げさに言えばそれは生と死の対比でもあります。
デジタル黒白写真は月光写真であるという感覚もありますね。満月下で見る世界は黒白世界です。色彩
は感じられずにモノトーンの世界があるだけ。太陽の日中世界はエネルギッシュで色香に溢れています。
かたや月光の光は密やかです。
もう自分も年齢的に緩やかに写真をやっていく時期になったと感じています。そういう時に黒白写真に
再び回帰したのではということですかね。
そしてもうひとつあろうかと感じています。カラーという旺盛な消費欲が他のものに変わっていくのでは
ないかという期待です。消費には色んな意味があります。経済的に言えば生産と消費は対になっていて
GDPとかの経済指標の要素です。そして言葉で生産的、消費的と言われるように、消費とは受動的な
意味合いも含んでいるように見られています。
黒白写真は画像的に言えば最低限の写真であり低成長化での消費行動のようなものです。ぎりぎりもう
これ以上削ぎ落としのないような写真世界。今流行りで言えばエスディージーズでしょう。それでいて撮影
に関して言えばカラーも黒白も同じです。
黒白写真になったからと言って、私が主体とする撮影に関しては何の違いはみられません。
私が黒白写真でいい、という背景には、撮影自体は何の影響も受けず変化も見られないからですね。
ただ結果としての画像が違うだけです。
撮影は生産行為。そして得られた画像は消費行為。こう考えれば生産自体は落とさずに消費だけを落と
すことができるというわけです。つまり生産したエネルギーが全て画像として消費されるというわけでは
なくなってくるということ。
生産と消費は釣り合っているとすると、生産で得られたエネルギーは全て画像の消費されるのではなく、
もっと別のものに変換されて、出来れば再生産への投資に回したい。そういう願いがあるんですね。
考えてみればこれまでは無駄に金銭も時間も労力も消費していたということも言えますね。撮影自体も
無駄が多かったかもしれません。ましてやカラーとして画像に泡として消えてしまったエネルギーや物質
は無駄だったかも知れないです。こういうことをこれからは考え直すことができるかもしれません。
黒白写真が低消費であるというのは確かでしょう。フイルム時代であれば即金額に関わりましたから。
デジタル時代でも機材欲としてガラッと違ってきてます。私が注目するのはそこなんですね。
私が黒白写真をするに当たって、かつてのフイルム黒白の経験がものを言っていると思います。初めて
黒白写真をするのではない。これは二度目であるということ。そういうことでは老練です。気構えができて
いるということかも分かりませんが。
太郎の物語では玉手箱を空けてからの人生が描かれていません。あれから太郎はどうしたのでしょうか。
ちょっと気になりますよね。(笑) 私が物語りの続きを書くとすれば、タイムスリップした世界で老人に
なった太郎。・・・そこでやっと太郎は深い眠りの夢から覚めて、胡蝶の夢と知ったということになるのです。
メーカー名 | RICOH IMAGING COMPANY, LTD. |
機種名 | PENTAX K-3 Mark III Monochrome |
ソフトウェア | Photoshop Lightroom 4.4 (Windows) |
レンズ | Sigma or Tamron Lens |
焦点距離 | 17mm |
露出制御モード | 絞り優先 |
シャッタースピード | 1/1250sec. |
絞り値 | F6.3 |
露出補正値 | -0.7 |
測光モード | 中央重点測光 |
ISO感度 | 200 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 6192x4128 (12.3MB) |
撮影日時 | 2023-05-18 22:43:32 +0900 |
③
写真に於ける色というもの。それは宝石の輝きと似たようなものがあります。キラキラとしていて魅力的
です。それは多分、野鳥なんかも宝石的ですよね。構造色というんですか。あのキラキラ感。それから
花なんかもカラフルです。自然界でも人工下でも多くの種類の煌びやかさがあります。
花鳥風月といいます。それは人が虜になる対象物を言った言葉なんですが、花も鳥も、そして風景も
そして月も、( これは女性を比喩的に表わしているのかも知れませんね)、それらは全てキラキラとして
宝石のようなものです。女性自身が陥る衣装なんかもそうですね。バカみたいに衣服をコレクションして
いますから。(笑)
キラキラでカラフルで多様性がある。それらは全て色です。「色」ですね。そうですね、皆さんが大好きな
お金。この典型というか発祥は金です。ゴールドですね。あの輝きと色。一説にはそれは太陽の象徴
だといいます。そのゴールドが姿を変えて貨幣になり今もって人々を虜にしていますから。
そしてもし、写真に色がなくなれば、それらのキラキラ感とかカラフルさは一挙に消失してしまうことに
なります。これは劇的です。明度の上下しかなくなる写真。それが黒白写真です。
それから黒白写真という場合。決定的に意味することは、本当に黒白写真でしか撮れないカメラで
フイルムであるということが大きな意味を持ちます。
黒白フイルムを詰めたカメラはフイルムを交換しない限りカラー写真は撮れないのです。もっとキツイの
はデジタルの黒白専用機です。
これはフイルム時代の黒白写真よりも強烈です。フイルム時代はたとえ黒白写真を常套としていても
フイルムをカラーにさえすればカラー写真がとれました。ところがデジタル黒白専用機は絶対に未来
永劫に黒白写真でしか撮れないんです。その存在感は極めて異様です。
私は思うに、カメラのファームウェアのアップデートで、手持ちのデジタルカメラを黒白化するサービス
があったら面白いなって思ったりもします。そのアップデートを実行すると、もうずっと白黒でしか使え
ないカメラになります。つまりモノクロ専用機となるんですね。(笑)
私は思うに、黒白専用機というのは、カラーのデジタルカメラで撮った黒白写真とはさほどに違わない
と思っています。解像力やシャープさが違うだけだと。ですから高画素のフルサイズや中判のデジタル
で黒白写真をとればペンタックスのモノクロームと同等か、もしかすればかもれると思ってます。
画像的には確かにそうです。
しかし私がここで問題にしている写真の黒白写真としてのスタイルやスタンスとは、画像的な技術的
なこととは関係がないんです。黒白でしか撮れないカメラがあるということ。その存在性を言っている
んですね。
言い換えれば、黒白写真とは「色」というキラキラ感やカラフルさを排除したカメラであり写真であると
いうこと。専用機は永遠に色を拒否したものであるという存在だということです。
私はこれに打たれたというか、圧倒されたわけです。その結果、機材の欲望が一挙に消し飛んで
しまったということですか。
色という夢を打ち砕かれてしまい白髪の太郎となったような事態ですかね。
しかしこれこそが黒白写真の本質ではないか、というわけです。
メーカー名 | RICOH IMAGING COMPANY, LTD. |
機種名 | PENTAX K-3 Mark III Monochrome |
ソフトウェア | Capture One 6 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 37mm |
露出制御モード | 絞り優先 |
シャッタースピード | 1/640sec. |
絞り値 | F6.3 |
露出補正値 | -0.7 |
測光モード | 中央重点測光 |
ISO感度 | 200 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 3648x2432 (5.15MB) |
撮影日時 | 2023-05-18 23:46:49 +0900 |
④
絵画において黒白というのはあるのかと問えばありますね。書とか水墨画です。黒白写真はそれに相当
します。モノトーンの世界です。衣装でも白や黒や灰色しか着ない人がいますかねぇ。(笑)
そしてなんといっても黒白なのは書籍の類です。新聞でもややそうです。カラーにすると価格が上がる
のもあって未だに黒白というのが主流です。しかし書籍なんかは文字ばかりだからカラーにする必要性
がないという理由もあります。文字をカラーにすると却ってウザイですから。
自動車でも黒白の塗装が多いです。これは目立ちすぎるのを嫌うとか、飽きを防ぐというのもあるんでは
ないかと思います。
しかし写真に於ける黒白というのはそれらとは違う要素が大きいですね。写真というのは自分の視力の
延長というところがあり、純粋に絵画とは違う側面を持つからです。鏡であり眼鏡でもあるんです。
一眼レフの場合、ファインダーに見える世界は当然にカラーというか自分の視力そのものです。ところが
撮影された結果としての写真は黒白であるというわけです。この落差が肝心で大切です。
ペンタックスモノクロームはライブビュー撮影もできます。しかしそれを使うことは例外的です。通常は
光学ファインダーでしか使いません。それで光学ファインダーのないミラーレスカメラで黒白写真をしよう
かという気には全然なれません。なんか興醒めな気がするからです。
ライカも確か黒白専用機はM型が主流です。M型は光学ファインダー装備ですからね。
黒白写真は結果としての画像だけでよいのであって、撮影時にまで黒白である必要性はないのであり、
むしろファインダーは自然であるべきだと思っています。
ミラーレスカメラだと黒白撮影をする場合にファインダーにまで影響が及んでしまって、それだと撮影と
いうものに画像の影響が及んでしまい、それはちょっと面白くないからですね。
黒白写真は画像が貧弱な分、撮影を大事にするやり方ではないかと思います。記録される画像には
色がなく、それでその色情報は自分の撮影時の記憶だけ、ということになります。
このごろはスマホでもパソコンでもネットでも、何でも簡単に記録したり調べられたりするので、人は
記憶も思考も弱くなっているように思えます。機械頼りなんですね。それでよいのかという問題が指摘
されたりしてますから。
私の写真術は何よりも撮影を大事にしたいと思ってます。撮影時に歩くことを心掛けているのもそうです。
結果としての画像はどうでもよいかなって具合ですね。
面白いのはカラーで撮っていたときは撮影した写真を殆ど見なかったのに黒白撮影をするようになって
からは結構みているんですね。これ逆転的で面白い現象です。多分、黒白にすればどう写っているの
かが気になるからかもしれません。カラーの場合は撮影時に見た記憶のとおりに写っているのが普通
ですから。
メーカー名 | RICOH IMAGING COMPANY, LTD. |
機種名 | PENTAX K-3 Mark III Monochrome |
ソフトウェア | Capture One 6 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 17mm |
露出制御モード | 絞り優先 |
シャッタースピード | 1/400sec. |
絞り値 | F6.3 |
露出補正値 | -0.7 |
測光モード | 中央重点測光 |
ISO感度 | 200 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 3648x2432 (5.29MB) |
撮影日時 | 2023-05-18 23:51:16 +0900 |
⑤
結局、私が強く思うに、写真からキラキラ・色々感なるものを取り除いたのが黒白写真ではないかと
いうことになります。キラキライロイロをなくした写真というわけです。
そしてもっともキラキラ色々感が最も原理的に少ないのは、デジタルのモノクロ専用機ということになり
ます。何故ならばこのカメラは未来永劫黒白写真しか撮れないからです。
ペンタックスがモノクローム専用機をリリースしたのは、ひとつはライカで先例があるということ。ユーザー
へのアンケートで黒白専用機の要望が高かったことがあげられそうです。大体はユーザーの昔の黒白
フィルムへの哀愁から来ていたのだろうと思います。
しかし実際に発売してユーザーが使ってみると、それはちょっと違っていたという気が私はしているん
です。フイルム時代の黒白カメラは同じカメラがカラーカメラになり得ました。フイルムを変えれば大丈夫
ですから。ところが黒白専用機はカラーカメラにはできないのです。そのカメラはずっと黒白のまま。
この違いは大きいです。
ですからデジタルモノクローム機は手元に於いてすっと黒白写真なるものを主張し続けるのです。
もちろんモノクロ機を購入されるユーザーは当然に普通のカラーカメラをお持ちです。なのでカラー写真
を撮りたければそちらを使えばいいだけの話です。
そうは言っても、モノクロ機の断固とした主張性は揺らぐものではありません。私は黒白機として生まれた
のだからずっと黒白のままでいます、と主張し続けるのです。レンズが交換できないカメラが主張する
ように、私はこのレンズのままで一生過ごします、というところでしょうか。
このカメラの暗黙の声を聞くことができるのかどうか。
そこが分かれ目だろうと考えています。多分殆どのこの黒白専用機を手に入れたユーザーはまるで
交換レンズのひとつのようにして、このカメラを受け入れているのではないでしょうか。同じモデルの
K3M3というカラー機をお持ちの方は特にそうでしょう。(そういえば、黒白写真しか撮れない交換レンズ
が発売されれば面白そうです。冗談です。(笑)
かつて、リコーで撮像素子の部分が交換できるカメラが発売されたことがありました。APSの大型セン
サーでも交換すれば使えたカメラです。しかし不人気だったのでデスコンになりましたし、中古価格も
安かったです。そういう小手先のカメラはユーザーは良しとしなかったようです。
このリコーは考えてみれば、フイルムが交換できるフイルムカメラ時代のデジタル版であったわけです
が、このメーカーの思惑は通用しなかったわけですね。
ペンタックスK3M3モノクロームは非常によく出来たカメラです。基本となったカメラの出来が良かった
のです。これが不出来のカメラを基にしたのであれば、この私もさほどの感化を受けなかったと思われ
ます。キヤノンであればベストセラーの5Dシリーズをモノクロ化したようなものです。
使いやすくて高性能、デザインも良い。このK3M3は一般の方にも好印象をもたれています。私が使って
いるのは、モノクローム専用機だとは分からないはずですので、そもそもK3M3が優れているという証し
になります。イオス5Dシリーズと同等の人気度を持っています。素人さんの素直な眼を侮ることはでき
ません。
とにかくこのK3M3モノクロームがなければ、私は黒白写真に邁進することはなかったわけですね。
これは確かです。
このカメラが私自身に及ぼした影響はすごくて、私はこれまでの写真に対して大きな転換を余儀なく
されました。もちろんこの私の変節?は、私が過去にモノクロ写真を長らくやってたという経験があった
からなのは間違いがないでしょう。多くの、カラー写真から写真を始めた御仁はこのようにはなりません。
黒白写真という文化を経験していない人には、ものめずらしいカメラで終わるのではないですかねぇ。
フイルムで出来ることはデジタル時代でもできる。つまり、アナログで出来たことはデジタルでもできる
ということ。そういうことの証しにもなっています。
ちょっと残念なのは、モノクローム専用機を最初に出したのは日本のメーカーではなかったということ。
日本はいつも2番煎じで物真似の域を出ないのは残念です。
メーカー名 | RICOH IMAGING COMPANY, LTD. |
機種名 | PENTAX K-3 Mark III Monochrome |
ソフトウェア | Capture One 6 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 17mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/60sec. |
絞り値 | F2.8 |
露出補正値 | -0.7 |
測光モード | 中央重点測光 |
ISO感度 | 200 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 2432x3648 (5.2MB) |
撮影日時 | 2023-05-19 01:51:27 +0900 |
⑥
今回の一連の投稿写真は伊予西条市での撮影です。隣の愛媛県ですが、感覚的には香川県になる
かなっていう感じです。(笑) 燧灘の沿岸地域なので雰囲気的に香川と変わりません。東予地域と
言います。東から四国中央市(川之江と三島)、新居浜市、西条市、今治市と続きます。
東予までは気軽に行くことができ、高速道を使って1時間くらい。やはりほぼ県内という感覚ですね。
伊予西条市は名峰石鎚山への入り口であり、その石鎚山系から流れ出る水が伏流水となって、西条
市の平野を潤します。
うちぬき、と言って掘れば地下水が溢れ出るということで、この出水の豊かさが西条市を支えています。
ウイキペディアよりコピペ
https://www.youtube.com/watch?v=fy6chjMSmxQ
日本製の半導体が世界シェア5割を超える最盛期だった1980年代後半に世界シェア1位・2位・3位であったNEC・三菱・日立の3社は、1991年1月にNHKで放送された『電子立国日本の自叙伝』第1回でも電子立国日本の象徴として取り上げられた三菱電機西条工場(現・ルネサス西条工場)、操業を開始した1984年当時はファクトリー・オートメーションの到達点とされた「全自動化ファブ」)を筆頭として、数百億円規模の当時の最先端ファブを日本国内にいくつも建設したが、元々はメモリ向けだったその設備を法定耐用年数の5年を過ぎたあたりでマイコン・ASICの生産に転用しており、ルネサス統合後の2010年時点でもそのまま継続して運営していた。そのため、2010年当時のルネサスは世界のマイコンメーカーの中でも特に、1980年代から1990年代にかけて稼働したレガシー工場を多く抱えているのが特徴だったが、採算性の悪化から、150mmウェハ以下のライン・350nmプロセス以前のラインは全て閉鎖し、損益分岐点を下げるために工場もほとんど売却または閉鎖し、前工程は那珂工場(旧日立)と川尻工場(旧NEC)と西条工場(旧三菱)、後工程は米沢工場(旧日立米沢電子)と大分工場(旧NEC SKY)に機能を集約する方針を2013年に示した。・・・・
とあります。西条に三菱のDRAM導体工場があるのは昔から知っていましたが、訪れたのは今回が初め
て。まだあったのだ・・・という感慨にひたりました。もうとっくに無くなっていると思っていたので。
半導体工場はご存知のように膨大な水を使います。洗浄水ですね。熊本のTSMCしかり。郷愁が半導体
アイランドを言われるのはその豊富な水や地下水に拠ります。
うちぬきの水はそのまま飲めます。旧加茂川の跡地にあるようで、地図で見ても古い河川の跡だと分かり
ます。こういう出水は香川にもあります。特に多いのが善通寺市から多度津町にかけて。しかし西条市
の出水は、うちぬき、というくらいで、つまり地面を打ち抜くと地下水が自噴する、その水量と水域が違い
ます。
愛媛県は経済的に工業が発達していて、香川県のように観光に頼ることがありません。それで観光案内
図を貰おうと思うと、市役所に行けって具合で、休日だと開いてないじゃん?ということになります。
そうだ、JR駅は置いてるかな。というような具合で、このうちぬき文化を知らない人が多いようです。
西条市で有名なのが秋祭り。ちょうさ、といって出し車ですね。とても豪華で、豊かな地域だということが
よく分かります。このちょうさ文化は東予地域全域だけでなく香川の観音寺市にもあって、同様の祭りの
文化が分布しているのがわかります。
ちょうど野外音楽会が開かれていて、けっこう上手かったシンガーのお姉さんが、愛媛県は最高、西条市
もサイコーと語っておられました。愛媛県は文化的に四国四県のなかではトップだと思うので納得のいく
話です。
最近は地元ばかりの撮影です。近場で撮影して可能な限り運動として歩きたいと願っていますので必然
的に県内や近県での撮影となります。
晴天の良い日が続きます。毎日曜日、ビューティフルディですね。しかし私は撮影には出かけず、日曜
大工に勤しんでいます。(^^ゞ 別に何かもう写真を撮る気がしない感じなんですね。もうこのまま写真
は止めちゃうんではないかと心配なほどです。(笑)
原因は分かっています。もう黒白写真でしか撮らないから。 しかしまだカラーで写真を撮る気もしないん
ですね。まだまだ写真は黒白でやってみたいと思ってますから。なので、もしかしたらこの状態が黒白
写真趣味での正常値なのかもしれません。
1ヶ月に一度、写真が少しばかりの撮れればいいんじゃないか。そんな感じです。そしてカメラやレンズ
に対しての関心も欲望もゼロになってます。これも原因は分かっています。黒白写真だと、どんなカメラ
やレンズで撮っても皆同じですから。(笑)
しかしこういう黒白写真を私は若い時に10年ほどやったわけですね。ほぼ黒白フイルム写真ばかり。
稀にリバーサルフイルムで。こんな黒白写真を昔にやれて今はできないというわけではないですね。
まあ、デジタルと紙焼きの違いはありましたが。
10年でフイルム1000本くらい撮ったでしょうか。ということは年間100本です。1ヶ月では8本です。1回の
撮影で4本使ったとして、4×36で140ショットくらいなんですね。
1回の撮影で140ショットしか撮れなかったのが黒白フイルム写真です。自分でフイルムを巻いて、撮影を
して自分でフイルム現像、そして暗室で紙焼きして写真とした。そういう黒白フイルム写真だったわけです。
デジタル時代だと、140ショットなんかあっという間にショットしてしまいます。RAW現像なんかもPCの前で
あっというまに出来てしまう。プリントなんか面倒なので、PCモニターの絵をみて十分という感じ。
それがデジタル写真です。おまけにそれをPCの前で一瞬にしてネット上にアップできる。そういう時代なん
ですよね。
またネット上では多くの方の様々な写真を観ることができます。これもあっという間に出来てしまうというこ
と。
しかし私はそれに違和感を感じていて、そんなに簡単に写真ができてしまうということに不信感を長く持ち
続けていたんです。それが本当の写真なのかなと。
写真を黒白で撮るようになったのは、これはほんの偶然のことです。ペンタックスから黒白専用機が出て
しまったから、というのがそれで、そこから黒白写真に突入したというだけのことです。
黒白専用機は本当に黒白写真しか撮れません。(笑) それは簡単でカメラがそういう具合に出来ている
からです。それを言えば、カラー写真が撮れるカメラというのもそういう具合にカメラができているからなん
ですね。
カラー写真機では黒白モードで黒白写真も撮れます。でもこれを当たり前だと思わないでください。その
原理を説明できる人は数少ないと思いますよ。
そしてカラー写真と黒白写真の違いというものを説明できる人も少ないでしょう。さらに黒白写真を連続
して出来る人も少ないはずです。そしてその結果としての黒白写真の効果というものをデジタルで経験し
た人も少ないはずです。少なくともこの掲示板では私だけです。
黒白写真には黒白写真なりの魅力というものがあるようです。その証拠に私は今も黒白写真でしか撮り
たくないと思っているからです。使うカメラはカラーが撮れる写真機なのに、態々カラーを破棄して黒白
写真で撮りたいと切望しているのです。
ペンタックス黒白機はきっかけに過ぎずで、これからも今までカラー機として使っていた既存のカメラや
レンズでもって黒白写真だけをやっていきたいと思っているのです。
これは考えてみれば驚きではないですか。クリックひとつでカメラ設定をカラー化できるのに黒白写真しか
選ばない、ということに。
それは多分、カラー写真と黒白写真は一人の人間の中には混在できないからだろうと推察しているの
です。黒白写真とはきっとそういうものだろうということです。
黒白写真は敢えて例えれば満月下の光景に似ています。よく花鳥風月といいますが、花写真、鳥写真、
風景写真を撮る人は多いのですが、月下の写真を撮る人はまずいません。しかし月光写真が黒白写真
だと言いたい訳ではなくて、日常とは違う目で光景が見れる写真という、そのひとつに黒白写真がある
ということなのです。
そういう意味で黒白写真に近いというか同じ部類に赤外線写真があると思ってます。
黒白写真はカラー情報を破棄した清貧の写真であるとか、というような消極論ではなくて、積極的に言え
ば、カラーとは違うプロトコルで写真をすることなのだ、ということです。
黒白しか使えなかった過去のフイルム時代の黒白写真ではなくて、現在のデジタル写真で敢えて黒白
写真をする理由とは、カラーな皆さんとは違う視点に立って写真をするということ。そういうことだと思えて
きます。
ちょっとイマジンしてみましょう。何かの疾患で眼で見える光景がカラーではなく黒白になったとしましょう。
道路の信号がちょっと不便、というくらいでさほど日常生活には支障を来たさないと思われます。(笑)
これは簡単にミラーレスのカメラで疑似体験をすることができますね。
簡単に言えばそれが黒白写真です。黒白な日常。
機材にはもう関心がなくなっていると書きましたが、もし黒白専用機でフルサイズのものが出れば購入
すると思います。現在でもライカではあるんですがあまりにもバカ高なので関心外ですけど、国産のカメラ
でフルサイズ黒白機が出れば嬉しいなって思ってます。
カラー機を黒白化して使うのと黒白専用機とはやはり違います。専用機のほうが本物の黒白カメラです
からね。
まあ、こんな具合でこれからも私の黒白写真は続くのだろうと考えています。
今は懐かしい世界となりつつあるデジタルカラー写真の世界。あれは浦島太郎の龍宮城だったのかな、
と感じられるほどに。(笑)
とは言っても、カラー写真のほうは皆さんが撮ってくれているので、それを見ることで充足されていると
いうことは言えますね。やっぱりカラー写真というのも良いものです。
メーカー名 | RICOH IMAGING COMPANY, LTD. |
機種名 | PENTAX K-3 Mark III Monochrome |
ソフトウェア | Capture One 6 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 10.0mm |
露出制御モード | 絞り優先 |
シャッタースピード | 1/160sec. |
絞り値 | F3.5 |
露出補正値 | +0.0 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 200 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 3648x2432 (5.57MB) |
撮影日時 | 2023-04-03 01:28:34 +0900 |
サンパチェンス
https://photoxp.jp/pictures/225217
工夫のない構図かつ名前も知らない花
https://photoxp.jp/pictures/225288
というのがありましたが、サンパチェンスに2次コメント投稿された方は、自分で写真を撮らない人だ
ろうと感じます。自分で写真をするのではなく、ネットで他者が投稿された写真を鑑賞するのが趣味。
という方ではないでしょうか。最近はそういうタイプの若い人が多くいそうです。
多分、テレビやビデオ鑑賞のようなものとして、ネットにアップされた種々のネットの写真をご覧に
なっているのではないでしょうか。そして視聴者の一人として、一言いっておきたかったというだけで
はないですかね。
そういう方は、写真を鑑賞することと、自分で写真をすることの違いというものが理解できていない
ように思われます。観ることと行うこととは全く違うのだということが奇妙に不鮮明になっているよう
です。現在はそういう時代でしょうか。
メーカー名 | Canon |
機種名 | EOS 5D Mark III |
ソフトウェア | Capture One 6 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 28mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/128sec. |
絞り値 | F2.8 |
露出補正値 | +0.0 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 500 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 2880x1920 (4.5MB) |
撮影日時 | 2023-10-01 22:22:11 +0900 |
まず最初に。
https://photoxp.jp/pictures/225255
このコメントで・・・
>この車、マニュアルトランスミッシュンです。しかもシフトは 通常のHパターンではなくてシーケンシャ
ルタイプですね。映画の中だけの改造車でしょうか。
これは誤記でしたね。MT車ではあるんですが、普通の4速Hパターンのシフトでした。しかしちょっと
変わったデザインのシフトですね。下記の動画を見ていくと分かると思います。
動画・・・
生涯の相棒。ダッジチャレンジャー|Andfamilys Co.®︎ 村上 游(Dodge Challenger_1970)
https://www.youtube.com/watch?v=XU4MA8r0T2M
【初代ダッジ チャレンジャー】1974 DODGE CHALLENGER爆走試乗あり。ずっと憧れだった初代チャレンジャー買った青年の物語。NA大排気量を途絶えさすな。
10 Little Known Facts About Kowalski's '70 Challenger - Vanishing Point
https://www.youtube.com/watch?v=aWl4AWJ9LHs
https://www.youtube.com/watch?v=9juSfDUCpVI
1970 Dodge Challenger R/T arrival at our hotel in Carlisle.
https://www.youtube.com/watch?v=MgqA2PDu71U
Vanishing Point (1971)
https://www.youtube.com/watch?v=p6oEgHeN6t8
Vanishing Point - Start and end scenes finally edited together
https://www.youtube.com/watch?v=ElKHlwKuSYs
Best of the Vanishing Point Challenger
https://www.youtube.com/watch?v=2UG6UW6xxTI
After the Action: The Fate of 10 Movie Car Chase Icons
https://www.youtube.com/watch?v=rvzl7lwrmTs
Dodge Challenger 1971 RT 440 Sixpack Cold Start
https://www.youtube.com/watch?v=lSzyZ-ubGaM
the LAST Vanishing Point Challenger - 1970 Dodge Challenger RT HEMI
https://www.youtube.com/watch?v=lJnZ-Nsl05I
このチャレンジャーは米国でも人気なんですね。初期型チャレンジャーを追っかけていきますと
いくらでも動画かでてきます。
人気の秘密は、ますはデザインが秀逸です。前後左右ともオーバーバンクが大きくて、それが
いかにもアメリカン・カーという雰囲気を醸し出しています。そしてシンプルなデザインで無駄が
ありません。とにかく大変に美しい車なんですね。
そしてチャレンジャーは初期型が4年ほど生産されて、以降事実上モデルとしては途絶えています。
この希少性というのも人気のひとつです。そして映画の人気というのも大きくあるでしょうね。
動画リンクで最後のものが(その最後で)、アメリカの田舎を走っている姿が見られます。
東京の首都高を走るチャレンジャーには、ちょっと違和感がありますが、それもいいかなって思い
ますが、やはりアメリカ車はアメリカの大地を走るのが自然という気がしますね。