写真編集ソフトウェア掲示板

1: 無題1  2: 早咲きの桜1  3: 1  4: 1  5: 1  6: 無題1  7: 無題1  8: 36°14'45.5"N 139°42'01.3"E1  9: 大平山から見た富士山1  10: 1  11: 1  12: 2  13: 2  14: 雑文2  15: 1  16: ⑦-11  17: ⑦-21  18: 1  19: 1  20: 1  21: 1  22: 1  23: ⑥-11  24: ⑥-21  25: ⑥-31  26: ⑥-41  27: コピペ記録1  28: 雑文2  29: 浄明寺1  30: 雑欲1  31: 雑文1  32: 雑文1   
  写真一覧
写真投稿

無題
Exif情報
メーカー名 Canon
機種名 EOS-1Ds Mark III
ソフトウェア Capture One 6 Windows
レンズ
焦点距離
露出制御モード マニュアル
シャッタースピード 1/5312sec.
絞り値 F0.0
露出補正値 +0.0
測光モード 部分測光
ISO感度 50
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 1500x1000 (1.08MB)
撮影日時 2024-03-17 20:16:49 +0900

1   kusanagi   2024/3/17 21:17

シッポ座さんの「早咲きの桜」は、ポートレート板の「夏日」と同じような微妙な雰囲気を出されていて
それが魅力となっていますね。極めて印象的で、全体的に霞み掛かかり、絵画の印象派のような
画質が気を引くのです。
夏日は意識してのピントズレだろうと思いますし、早咲きは開放値撮影による収差の発生が魅力です。
森山大道のようなアレブレボケに通じるレトリックがあって、それが返ってリアリティを出してくれるという、
言うなれば写真を見る側の想像力を強く刺激してくれるんですね。

夏日も早咲きも、絞りこんでピントがシャープであれば、非常に多くの情報量を提示してくれるわけ
ですが、それを敢えて見る側の想像力に任せたところが、写真としての新たな発見という気がします。
明るいレンズの開放値で撮影するというと、一般的にはボケを多く取った花等の近接撮影をします。
しかしそれは在り来たりであって何ら新鮮味はありません。
本来は全ピントでシャープな解像力を出すべき写真を、敢えてそうしなかったというところに、これらの
写真の大切な意味があると私は考えています。

私としては写真は遠景を含む一般風景が好きです。そこには多くのモノが写っていて、我々が裸眼
で見る光景そのものなんですね。その光景を高画素機でレンズを絞り込んで撮影すれば、本当に
普通の記録撮影となります。私が撮る写真はほとんどがそうです。
そしてそこに新たな表現として、記録撮影のようでいながら実はそうではない美意識の写真を創る
ことができる。これは眼から鱗であって、あくまでも日常の風景でありながら、それを超えた写真だと
いうところが魅力なのです。

こういう写真は最新の絞り開放でも何処かにピシッとピントが合うレンズでは撮れません。マニュアル
なオールドレンズが織り成す技です。
全ての写真は記録写真である。森山はそう言っていますが、同時に表現でもあるんだといえます。
最近のカメラは裸眼能力を超えた情報量の画像記録を残すことができます。それが当たり前だと皆
思っているのですが、それをもう一度疑ってみようや、それで本当にいいのかい?という問いかけを
するというのはとても新鮮だと思います。

夏日・早咲きの写真は構図的に奇をてらっていないところが良いのです。水平ラインは取れていて
標準のレンズでの立ち位置での撮影。ほんとうに普通です。いや過去には普通だったものが最近で
は貴重な画角となっていますが。そして写っているものもごく普通の光景です。
そういう具合に伝統的で正統派的な構図の写真がベースとなっていることが重要です。
しかしその写真は、ふんわりとして表現されている。それはどういうことかというと、我々が見ている
光景は誰もが当たり前だと思っているのですが、それを再度疑うべきだということかも知れない自問
や自己啓発に繋がることだということです。
そういう問いかけをしてくれている写真なんだということです。

少し考えると、近眼の人は遠景ではピントが合っていません。白内障の人はぼんやりとしか見えて
いませんし眩しかったりします。それが現実なんですね。とにかく当たり前の現実だと思っていたもの
が、実際にも当たり前ではなかったりするのです。それが現実です。
そういう真実の問いかけをしてくれる写真にもなっていると思っています。そういうのは、実際の光景
だけでなく、全ての世の中にも通じるのでしょう。思い込み、バイアスが掛かるというのですが、普通の
人の見方というのはそんなものです。

f1.2というレンズは、普通は夜間撮影に使ったりとか、近接の撮影なんかに使うのです。それを敢えて
シッポ座さんは普通の日中の遠景撮影に使っています。これが面白いのです。
ただ面白い画像になるのを楽しんでいるだけかも知れませんが、私はこういう手法の撮影には深い
意味があるべきだと考えています。その意味を多くの人達も気づいてくれれば、それは自ずと社会性
を帯びたプロ作家写真になると思いますね。
写るべくして写る。ではなくて、写るべくして写らない。という問い掛けです。

そして、こういうふんわりとした写真は時代を超える可能性があります。とても古い過去の写真の
ように見えるし、もしかすれば遠い未来の写真のようにも感じられる。つまり時代性を超越する可能性
があるのです。観る側の人はそれにも気が付いてくれればいいですね。
今は古い時代の写真をスキャンして、それをAIでカラー化したりする時代になっていますが、そういう
写真は時代を超越してます。古いけれど新しい。そういうトレンドに乗れる可能性のある写真です。
やはり世の中に認められる写真とは、時代の流行にも合わないといけません。

今の時代、画像処理を多用した写真が溢れています。HDRなどは最たるもの。そしてシャープで
収差を取り去り色濃くコントラストの高い写真も普通に一般的です。そういうように真実とは程遠い
写真ばかりでしょう。
しかしもう皆、そういう写真には飽きていると思ってます。
シッポ座さんの写真はフォトシップで弄くっても基本的には出せない写真ですね。やはり画質のよい
カメラで且つ古いレンズでなければ出ないでしょう。そういう意味でアナログな写真ですね。
そういうデジタル加工していない写真は長く見続けることができます。一方でデジタル加工をし過ぎた
写真は一瞥で終わりです。長く見続けることに苦痛で耐えられないと言うか。
長く見続けることのできる写真は、見る側に強い印象力を持ちながら、長期記憶となって脳内に長く
留まることが出来ます。
https://photoxp.jp/pictures/225631
この写真の女性を私は未だに忘れないでいますから。(^^ゞ 

オールドレンズは魅力です。私も確か、ミノルタMD、キヤノンFD、二コンの標準F1.2があったかなと
思うのですが、FD以外はイオスで使えます。もちろん開放収差出しF1.4でもOKなので、そういう
レンズは取り揃えて置くと今後も何かと役に立ちます。
オールドレンズ写真を、いかにも古いレンズで撮ってますよ、っていうのではなく、さりげなく普通に
撮って、結果として時代を超えた写真となすのが正解だろうと考えてます。

私は昨年、レンズでは最高と言われるコシナツァイスのオータス55と28ミリを使いました。やはり
良い写りをしますね。しかしそんなに面白くなかったわけです。考えてみれば、どんなに頑張って
みても、それは現実描写の(裸眼の)印象力を超えるものではないからです。画像はそこに人間の
想像力というものが加わらないと、写真として面白くないのだということでしょう。そしてそのレンズは
黒白写真にすると生き生きとしてくるんですね。そういう逆説めいたものがあるようです。

それにしても何故、オールドレンズや黒白写真(私の場合)なのでしょうか。
高度に発達し過ぎた情報化社会(最近は生成AIだ)への一時的反作用として捉えることもできますが、
それよりも高度化しすぎて、本来の自然から離れてしまったことへの反省があるのではないかと
考えています。
それは生きものとしての人類としての反省ですね。
その良い例が韓国の出生率です。韓国国民の半数がソウルに住むと言われていて、その結果が
世界最悪の出生率となっています。日本でも東京などの都会に人が集りすぎていますね。
日本では天変地異がありますからやがては首都圏震災で反省が生まれるでしょうが、そういう痛み
を伴わないと人はなかなか自分を変えることができません。東南海震災でもそうです。
韓国の場合は第2次朝鮮戦争が勃発しないと反省は生まれないかも知れませんが、数少なくない
人達が都市化の弊害に気づいているようです。

しかし薄っすらと人々は予感をしているはずですね。こんな時代、そう長く続くものではないと。
そういう正常な予感力を持った人達が一定数はいるということです。そういう人達がこれまでとは
違うものを求めているということではないですかね。私はそう考えることにしています。
ですから写真にしても、やたら写り過ぎるものは、そういう潜在的予感力を持った人には求められ
ていないということでしょう。
シッポ座さんの写真を見て思うのは、このベールが掛かっているような画像こそが真にリアルな写真
画像であって、本来、人間はこれ以上の写真画質を求めるものではないということです。

しかしそういう理論とは別に、柔らかくふんわりとした写真は魅力ですね。それが一番ですし。
いろいろと勝手なことを書き連ねましたが、私としてはこれは新しい写風の登場ではないかと考えて
います。オールドレンズを使った写真は多いかもしれませんが、こういうスタンダード撮影で開放F値
撮影を見たのは初めてなように思います。
そういえば私の記憶に残る作家で北井一夫がいます。彼は徹底してスタンダード撮影に拘り、広角
撮影が多かったと思うのですが、人物撮影ですらその姿勢を崩しませんでした。奇をてらわない横
位置の引きの構図。画質は黒白増感現像でした。第一回木村 伊兵衛賞を受けた作家です。

※アップ画像は失礼ながらシッポ座さんの写真を黒白化してみました。黒白にするとシャープネスを
強くしてもそう違和感はなくなります。黒白画像は色がない分、解像感、シャープネスに強いんですね。
情報量として、色彩を取るか、解像力を取るかの選択になります。
こごが人間の眼の不思議なところです。眼の仕組みというよりも脳のそれだろうと思います。

私もデジタルカラー写真が1千万画素余くらいまではカラー画像を楽しめたのですが、2千万画素
以上の時代になると違和感がでてきました。私だけでなく、その時代からこの掲示板でも多くの
投後者が去ったと記憶しています。私にしても撮影だけして撮りっぱなしが多くなりましたし。

私が記憶に残っている投後者では、Gさんという方が、(色々と機材遍歴をしたけど)、思い切って
ライカモノクロームに行くか…と言っておられたこと。その記憶が私に強く残っていたので、それで
ペンタッククスモノクロームが出たときに買い求めました。もし彼のあの発言がなければ、私は黒白
写真に行けなかったかもしれません。
それとMさんという山岳写真をしておられた方が、最終的には写真はスマホで良いんだという発言
をされていました。それを最後に掲示板を去ったのですが、これも印象に残っていますね。
こういう慧眼をされた方がおられたわけで、この掲示板のレベルの高さがうかがえます。

コメント投稿
早咲きの桜
Exif情報
メーカー名 Canon
機種名 EOS-1Ds Mark III
ソフトウェア GIMP 2.10.32
レンズ
焦点距離 0.0mm
露出制御モード マニュアル
シャッタースピード 1/5312sec.
絞り値
露出補正値 +0.0
測光モード 部分測光
ISO感度 50
ホワイトバランス 色温度直接設定
フラッシュ なし
サイズ 1500x1000 (868KB)
撮影日時 2024-03-17 20:16:49 +0900

1   シッポ座   2024/3/17 12:01

 地元公園に咲く桜をどんな塩梅か?と出掛けてみると既に満開でした。
first takeの写真、om zuiko 55mm f1.2解放です。

コメント投稿

雑
Exif情報
メーカー名 RICOH IMAGING COMPANY, LTD.
機種名 PENTAX K-3 Mark III Monochrome
ソフトウェア Capture One 6 Windows
レンズ
焦点距離 10.0mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/50sec.
絞り値 F3.5
露出補正値 -0.7
測光モード 中央重点測光
ISO感度 200
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 2048x1365 (2.19MB)
撮影日時 2023-08-19 23:48:32 +0900

1   kusanagi   2024/3/11 22:26

https://www.youtube.com/watch?v=LtA5SQr6Iao
『GR Special Talk』森山大道 × 野口智弘 --- [CP+2021 リコーイメージング オンラインセミナー]
https://www.youtube.com/watch?v=LOvXiJAM5Rg
保存版「森山大道」#Daido Silk

Hasselblad Award Winner 2019
https://www.youtube.com/watch?v=pAbhkLxhn40
①Ten Questions with Daido Moriyama - part one
https://www.youtube.com/watch?v=oveYsV5ubzA
②Ten Questions with Daido Moriyama - part two
https://www.youtube.com/watch?v=Yj3UtUdOnvI
③Ten Questions with Daido Moriyama - part three
https://www.youtube.com/watch?v=NuST3XTyfO8
④Ten Questions with Daido Moriyama - part four
https://www.youtube.com/watch?v=BHy666sqizk
⑤Ten Questions with Daido Moriyama - part five
https://www.youtube.com/watch?v=truAAYWeiqg
⑥Ten Questions with Daido Moriyama - part six
https://www.youtube.com/watch?v=O7IOuyUibx8
⑦Ten Questions with Daido Moriyama - part seven
https://www.youtube.com/watch?v=Gd8azHdc8eU
⑧Ten Questions with Daido Moriyama - part eight
https://www.youtube.com/watch?v=E2V1oLcZztI
⑨Ten Questions with Daido Moriyama - part nine
https://www.youtube.com/watch?v=htLBL3m4tmQ
⑩Ten Questions with Daido Moriyama - part ten
https://www.youtube.com/watch?v=xtVraiNqoOo

写真とは記録であるとか、発表された写真は受けるとる側のものであるとか、そういうのは
一般的なものですね。敢えて特別なものではありません。私の考えとしては、森山の写真とは、
歩くことであり歩いて撮影するということだろうと思っています。森山にとっては、それは至極
当たり前のことなので、彼自身強くは言っていませんが、それが森山写真の本質だろうと考え
てます。
それは太古の狩猟採集文明のような人類にとっての本質的なものであって、それを無意識に
実践しているということてす。彼の撮影映像をみると、ほんとにキョロキョロと何かないかと、
うろついてますね。しかも逃さないように素早く。これは良い獲物がないかと探し回っている
石器時代のハンターのようです。
そこに森山写真の本質的性があり、それが高度に都市化された現代に於いても、欧米人にも
評価を受けているというところだろうと思うわけです。そこに深く強い意味があると。

そしてもうひとつ、得られた写真という画像を最低限のスタイルにしているということでしょう。
得られた釣果を誇らないスタイルでもあるんです。獲物というのは獲りすぎるといけないわけ
ですが、そこをきちんとセーブしていないとマンモスハンターのように文明崩壊をしてしまうから
です。
画像はモノクロであり、しかもアレブレボケと低品質としていますね。このセーブ感がするどい
のです。彼が長く写真をやってこれた秘訣がその画像にあるというべきです。ですから彼の
膨大な作品をを見続けていても読者は見飽きないというか栄養過剰を起こさないですみます。

森山氏は1938年10月10日の生まれですが、むろん出生時刻は不明です。
そこで占星術でもって逆算してみますと、とりあえず15時20分くらいかなっていう数字が出て
きました。勿論仮説段階です。ASCは水瓶座の最後。木星が乗ります。またイコールハウスの
天頂には金星があります。こんなことを書いても分からないだろと思いますが。
とにかく大変に優れた天才的な人物です。そして改革的で知性的な人ですね。
そして大変にバランスが取れていて、王道を行くようなチャートになってます。決して奇抜な人
ではなさそうです。それで多くの友人に恵まれたという感じですかね。


とにかくこんな感じで、森山大道が私なりに少しは理解できたというところが今回の収穫となり
ました。そこには写真の本質というものがあり、森山が教えてくれたという気がしています。
私も、長らくデジタル写真をやってきて、もしかすれば無駄な時間を過ごしてきたんではないか
なという危惧を抱いていたんですが、半分は正鵠を得ていたということで(歩きの撮影)、それで
良しとするところです。もちろん半分は画像溺愛ということで間違っていたわけですけどね。
これは本当に大きな間違いをしていたと思ってます。

私としてはこれから多分、写真趣味から離れていくだろうという予感がしています。
森山氏のようなプロ写真家には、例えば写真集出版というような具体的なモノがあるわけです
が、アマチュア写真人にはそういうものがないからだと気が付きました。歩き撮影と黒白写真は
確かに正解なのですが、それだけでは写真はやっていけないだろうということですかね。
これまで20年間もデジタル写真をやってこれたのは、カラー画像という耽溺があったからこそ
でしょう。その麻薬が切れれば写真趣味の継続は難しくなるという気がします。
しかしもう一度、カラー画像に浸ることはできません。一度気がついてみると元には戻れない
わけですね。浦島太郎が玉手箱の白煙を浴びた後はもう再び龍宮城には戻れませんでした。

黒白写真を続行していくには、これにはプリント写真による表現力が欠かせないと思っています。
それは黒白フイルム写真時代と同じです。それはどういうことかというと、ネット写真では無理
なのではないかということだろうと思うわけです。
そして、ネットでのデジタル的な写真はあくまでカラー写真でなければならないという気がして
います。そして黒白写真は本来的には紙による写真文化であったということでしょうか。
しかしそれはあくまでも他者に対しての表現の場合です。実際のところ自分で写真を完結する
場合では、自宅のPCモニターで充分に黒白写真をすることができます。

私が面白いなあと思ったのは、スラムさんの投稿手法です。スマホで地元近辺の撮影をされて
それを随時アップロードされています。興味深いのは掲示板に上げる画像は最低限の画質だ
ということです。実際の撮影では普通の画質で撮っているはずですが、投稿ではピクセル数を
落としています。
ここに、二重の基準がスラムさんにあるわけですね。自分で見る写真と他者に掲げる写真とは
違うものにしているということです。もしかするとそういう手法がデジタル黒白写真にも通用する
のかも知れません。

この二重性は森山にもありますよね。彼の写真は徹底的に歩いて撮影をするということなので
すが、そのことは読者には伝わりません。多くの読者は森山の写真の真実を知ることはできない
ということです。
森山は写真とは、とにかく一枚でも多く撮影することだとか、考えるよりも撮れって言ってますが、
そういうメッセージは実は嘘であり、本当は歩き撮影では、そのようなことは必須で当然のことだ
というだけです。写真とは関係がなくて、歩きに関係することだからです。
私も森山のような撮影をしていますが、(ただし山里の撮影で)、一秒でも時間が惜しいわけで、
撮影はスピーディですし、最低限の機材しか持っていきません。ですがら彼の撮影手法はよく
わかります。

こういう具合に、写真には秘められた真実と、表に出されるものとは違うのだということです。
こういうことを知らないと多くの読者は騙されてしまうんですね。ですから写真を見る読者は、その
秘められた真実というものを自らが発見しなければならないということになります。
デジタルモノクロも同様でして、やはりモノクロ専用機がなければ本当にはデジタルモノクロという
ものが理解できません。カラーデジタルでのモノクロモードでは、所詮はカラーのモノクロ風でしか
ないんですね。
しかしネットで上げれたモノクロ写真ではその両者の相違が判別できません。しかし自分でやれは
直ぐに分かります。ここでも写真の真実というものは隠されているというわけです。

この真実の秘匿性こそが写真であるという気がしています。いや写真だけでなく全てに於いて、
真実というのは隠されていて表からは容易に見ることができないというのが、そもそもこの世の中
であり、この世界というものではないでしょうかね。


清原達郎氏の「我が投資術」角川 というのを読んでいますが、清原氏が言うには、自分には弟子
がいないので、自分が獲得した投資術を皆に公開したいと言っています。
読んでいて確かに面白いですね。しかし、やはり本当の事は書かれていないという気がしています。
本人にとっては当たり前のことでも、核心的なものは、当人自身も気が付いていないのであって、
読者は本当はそのことを知りたいのに、それが書かれていないというもどかしさがあります。
しかし著作でもインタビューでも、そういうものではないですかね。
本当に大事なものは、本人自身も気が付いていない。そういうことです。
ですから、森山でも清原でも、読者は、その語られていないことを抉り出すようにして読者自身が
発見していかなければならないと思ってます。

清原氏の生年月日は不明です。1959年生まれとしか。生年月日を知って占ってみたいなあと思う
のですが、それはかなわないようです。
彼は東大卒で野村に入社したわけですが、ドロップアウトしてます。東大出で世の中から弾き出さ
れた人間というのは実に面白いんですよ。私も個人的に2人ほどそういう人間を知っていますが、
普通の人間とは違います。というか、彼らこそ本当の人間であって、普通の人は人形みたいなもの
ですからね。(^^ゞ 

昔、悪霊に取り付かれた家がございました。その悪霊をなんとか取り払って欲しい。と若い坊さん
が相談を受けました。が、どうすればいいのか分かりません。そこで物知りの和尚さんに相談
したところ、こう言われました。
「このお経をその部屋の中で一晩中唱えなさい。ただし、悪霊が色んな悪さをしますよ。姿を変えて
驚かせたり、幻惑したりして部屋から追い出そうとします。それでも一晩中、絶対に障子を開けて
外に出てはいけません。もし障子を開けて外に出ようとすれば悪霊に殺されてしまいます。
どんなに恐ろしいものを見ようが聞こうが、それは悪霊の幻に過ぎませんから、ただ一晩中、お経を
唱えていればいいのです。朝になれば悪霊は去って生きます。」
そして、若いお坊さんは覚悟を決めて部屋でお経を唱えました。すると恐ろしげな物音と共に怪物
が現れます。怖かったのですが、彼は必死でお経を唱えました。

その後、亡くなったはずの母親の声が障子の外から聞こえてきます。「お前の姿が一目見たい。
こっちに来ておくれ」と。しかし、和尚さんの言葉を思い出し、これも悪霊の仕業に違いないと誘惑を
振り切りました。
すると今度は、「私はお兄さんと幼い時に離れ離れになった妹でございます」という声が聞こえて
きました。そう言えは自分に妹がいると聞かされたことがある。それでも彼は会いたいという気持ち
と涙を押し殺してお経を唱え続けました。
そうこうしているうちに空が白み、悪霊の声は聞こえなくなりました。ようやく夜が開け、小鳥の鳴き声
も聞こえて来ました。「自分は悪霊の誘惑に打ち勝ったんだ」。
そう思い、彼は障子を開けました。
しかし、外はまだ真っ暗。そのお坊さんは悪霊に殺されてしまいました。
                                     (清原氏の著作からの一文です)

・・・・・・えっー、これ、部屋に時計があれば、こういう失敗はしなかったですね。(^^ゞ 何ていうのは
なくて、悪霊が時計を操作するのは朝飯前だったでしょう。
浦島太郎の物語とは全く違って恐ろしさ百倍です。
※山道を歩いていて、やっと頂上か。と思いきや、単に人工樹林の森が終わっただけで、ここから
自然林の深い森が始るのでした。頂上はまだまだ遠い。(笑)

コメント投稿

雑
Exif情報
メーカー名 RICOH IMAGING COMPANY, LTD.
機種名 PENTAX K-3 Mark III Monochrome
ソフトウェア Capture One 6 Windows
レンズ
焦点距離 18mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/160sec.
絞り値 F4.5
露出補正値 -0.7
測光モード 中央重点測光
ISO感度 200
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 1365x2048 (1.98MB)
撮影日時 2023-07-14 23:50:26 +0900

1   kusanagi   2024/3/3 22:07

中平卓馬回顧展 
https://bijutsutecho.com/magazine/news/report/28422
ウイキペディア https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B9%B3%E5%8D%93%E9%A6%AC
生年月日は1938年7月6日とあり、そして、1977年9月11日未明、酔いつぶれて昏睡状態に陥る。
意識は回復したものの、言語能力と記憶に障害が残る。・・・とあります。
私はこういう写真家をあまり評価しないですね。

「アレ、ブレ、ボケ(荒い画面、手ブレや被写体ブレ、ピント外れの意)」
この意味を中平は理解していなかったように思います。今にして思えば、アレ・ブレ・ボケこそは、
当時の時代の、画像溺愛、画像に浸りすぎることを諌めていた写真手法であったのだろうと思うの
ですが、つまり、それで本来の写真行為に立ち帰ろうとする運動のようなものだったろうと考える
わけですが、中平にはそこまでの思考がなかったのだろうということです。
もしかすれば彼は全てが、模倣の人ではなかったでしょうか。

そして、デジタル時代におけるモノクロ写真とは、あの時代のアレ・ブレ・ボケのようなものかも
知れないなという気がしています。
https://www.1101.com/n/s/kotaro_iizawa/2021-04-10.html
  当時というのは60年代後半、闘争の時代。
  そうですね、70年代はじめくらいまでの、
  政治や社会が揺れ動いていた時代です。
  そこへ「アレ・ブレ・ボケ」が、出てきた。
・・・とあって、時代背景は必ずしも良い時代ではなかったわけです。

その時代に登場したのが森山大道ですね。
  何を撮るかを決めず、
  カメラだけを手に持って町に出かけて、
  目の前に現れたものを捕まえていく。
  何人か、そのスタイルの先行者がいて、
  独自の方法論として
  確立していったのが森山さんだった。
・・・森山は、写真を画像ではなくて、もっと広い写真行為として捉えていたように思います。そこに
森山と中平の決定的な違いがあるように思えます。

森山大道
https://www.1101.com/daido-moriyama/index.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E5%B1%B1%E5%A4%A7%E9%81%93
しかし森山が世界的評価を受けるようになったのは、森山が50歳代になった90年代以降なんですね。
https://www.youtube.com/watch?v=xLsEpQV_DqA
https://lp.p.pia.jp/shared/cnt-s/cnt-s-11-02_2_aad3c16c-fdf4-4687-a06e-76519fbf768a.html

森山は1938年10月10日生まれですので、中平とは同年代です。しかし人生後半の様相はまるで
違っていました。その違いは何かというと森山は撮影が主体であり徹底的に東京を歩いたということ
ではなかったですか。しかし中平はそうではなかったようです。
中平は終生、写真を画像論としてでしか捉えられなかったのに対し、森山は撮影における歩きを
重要視しました。その違いが人生後半において決定的な相違となって表れたとしか思えません。

とにかく、アレブレボケもデジタル時代のモノクロ写真も、共通するのは画像に比重を置きすぎること
への考え直しや再考察のように私には思えます。その本質は、写真とは画像だけで考えるものでは
ないということなのですが、しかし写真=画像=作品というモノだと信じて疑わない人からは、それ
らは新しい画像の表現の様式としてしか思われていない点です。
そこに大きな齟齬があるのではないでしょうか。その食い違いの主な原因として、写真を受け取る側
はモノとしての写真でしか作家・撮影者と接することができないからでしょうね。
アレブレボケもデジタル時代のモノクロも、その時代の写真の画像力を弱めたものです。情報が
不足し、美的魅力も減退しています。しかしそこを狙っているのですから当然です。

ですから私は写真を画像の視点からではなく、どのように撮影をしたのか、どういう考えて撮影をする
のか、という観点でやっていかなければならないと思ってます。写真よさようなら、ではなく、本当は、
画像よさようなら、ですかね。
しかしこの考え方は永遠に人々には理解されないことだろうと思います。森山がリバイバルできたのは
黒白写真というカラー時代での新鮮さからでしょう。都市化という時代にもマッチしていたでしょうし。
一般的には理解できなくとも、実際に写真をコツコツと撮っている人間からは、森山の真髄は理解
できるのではないでしょうか。また写真に初めて接する優秀な若い人からも理解可能かもしれません。


アレブレボケ写真は、ほんの数年しか続きませんでした。一時の流行だったわけですね。もっとも
森山などは生涯、その写真手法で続けたわけですから、時代と個人とは違います。
アレブレボケ写真に違和感を感じた写真人は多くて、嫌われた写真だったろうと思いますね。期しくも
私はその時代に写真を始めたということもあって、当然に若くて、アレブレボケ写真に新鮮さを感じた
ひとりです。
同様なことはデジタル時代のモノクロ写真にも言えるだろうと思ってます。流行として(実際は流行にも
なってないけど)は数年で終わるはずです。しかしここでも時代の流行と個人の考え方とは違います。
デジタルモノクロームをずっと続ける写真人もいる筈ですね。

そしてカラー写真は魅力的です。高級機材を使ったカラー写真には多くの人が虜になっているわけ
です。こういう私もそのうちの一人であるわけですが、その魅力には抗し難いものがあるわけです。
しかし森山は生涯、その写真の持つ画像の魅力というものに囚われることはありませんてした。森山
が世界的評価を受けているのは、真にはその理由に拠るはずです。
しかし森山がアレブレボケ写真を長く続けられた本当の理由については、語られることはありません。

https://www.youtube.com/watch?v=y9ZNw19idcI
https://www.youtube.com/watch?v=Kjb58Gtx9Iw
森山の撮影光景が見えますが、想像以上に歩いている。走っている場合もあるんですね。私の予想
は当たったなって感じです。80歳になってもこういう撮影がてきるってのは本当に驚きでした。
余談を書くと、占星術では森山は土星がとても強いです。なるほどっていうところです。

コメント投稿

雑
Exif情報
メーカー名 RICOH IMAGING COMPANY, LTD.
機種名 PENTAX K-3 Mark III Monochrome
ソフトウェア Capture One 6 Windows
レンズ
焦点距離 17mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/400sec.
絞り値 F10
露出補正値 -0.3
測光モード 分割測光
ISO感度 200
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 3554x2369 (4.54MB)
撮影日時 2023-04-02 22:45:09 +0900

1   kusanagi   2024/2/29 22:17

写真とは何か、ではなくて、写真をするということは何なのか。と自問すれば、それは見聞なの
ではないかと思うようになりました。自らの見聞を広めて、しかも確度を高めるということ。机上論
ではなくて、実地での思考をするということではないでしょうか。
こういうことはあまり考えたことはないのですが、改めて自分の写真とは何だったのかと問うと、
自分の思考の広さと強さ、そして正確度なのではないかと思うようになりました。

多くの人達の思考というか考え方は大体は人様からの見聞であって、他人から聞いたことを
そのまま覚え込んでいるに過ぎないと思います。そこに自分の思考というものが少ないですね。
誰それが、先生やテレビが言っていたことを、そのまま真実と思い込んで自分の考え方とする。
それは違うと私は思うのですが、大概の人達はそのようにしていると思います。
自分独自の思考を持っている人などは本当に少ないと思いますね。

写真という行為は、もしかすれば反社会的な行為かも知れないと思うときがあります。少なくとも
今のロシアとか中国とかでは本当の写真はできないと想像できます。ああいう権威主義的(専制
主義)国家では自分の考え方を持つことが許されないからです。
写真を美学そのものたと思っている人は、ロシアやチャイナでも写真ができるでしょう。国家が
定めた美学の方向に何の疑いもなく模倣するだけでよいのですから。

北井一夫氏の「村へ」という写真集に感銘を受けた自分なのですが、考えてみれば北井氏は東京
の下町ま生まれでしょう。そういう彼が成田空港建設の反対運動を撮影することがきっかけとなり、
つまりは村へ行き、これまでは見知らぬ世界だったことへの見聞を広めることになったわけです。
そういう意味での見聞であり、写真行為だということです。
そして良く知る為にはカメラや写真が必要であったということ。そこに机上論の空想過激思想は
ありません。そこが桐島聡とは決定的に違っていたということ。

多くの一般の常識人とか社会人というのは、都合のよい人達です。そういう人達ばかりだと為政
するのは楽ですね。しかしそうではない人達が一定数います。多分、写真をしたいという人達は
そういう、世間から見ると、まつろわぬ人達の中に入るのではないかと考えられます。
それから写真をする人間は自然人だと思います。それは常識人とか社会人とかとは反対の側に
いる人達かもしれませんね。でもそういう自然な人達がいるからこそ、この社会が危うくなった時、
その方向性を正してくれるようにも思えます。

私は思うに、写真をすることはとても自然なことであって、息をするように飯を食うように写真を撮る
ことだと思うのです。ですから写真に妙な美学や芸術というものを挟み込むのは根本的に間違って
いると思っています。そして自然な写真行為を続けることの結果として、見聞が広まっていくという
ことではないですかね。この見聞を定見の確立と言い直してもよいですし、要するに自ら考えること
への習慣付けのようなものです。
それで長く写真を続けていくと、その積み重なった見聞は深い地層となり、個人を強く大きくしていく
のではないですか。こういうのは物知り博士やAI人工知能には絶対に出来ないことだと思います。

写真人は、その思考の裏づけに、自ら見た撮った動いたという背景があるのであって、これは写真を
しない人間には得られない、たぶん想像もできない利点だろうと考えます。百聞は一見にしかず、
とはよく言うことですが、
百聞は一見にしかず(何度も聞くより一度見た方がいい)
百見は一考にしかず(何度も見るより一度考えた方がいい)
百考は一行にしかず(何度も考えるより一度行動した方がいい)
百行は一果にしかず(何度も行動するより一度成果を出した方がいい)
こういうのもあるのです。それで写真行為とは、上の3番目までは自動的にやっていることになるよう
です。もちろんそれは正しく写真をすれば、という意味です。そういうことが自然に身についてくると
いうことで、けっこう自信を持っても良いのではないかと思ってます。


写真には落とし穴がありますね。
これに嵌ってしまうとなかなか抜け出せないですし、全てを無駄にしてしまうところがあります。
それは画像です。写真ではなく画像に入れ込んでしまうと、正しく写真をすることができなくなります。
綺麗なものばかり撮っていてはいけませんね。

コメント投稿
無題
Exif情報
メーカー名 NIKON CORPORATION
機種名 D800
ソフトウェア Capture One 8 Windows
レンズ
焦点距離 35mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/640sec.
絞り値 F6.3
露出補正値 -0.3
測光モード 分割測光
ISO感度 100
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 2048x1367 (1.24MB)
撮影日時 2015-03-05 23:27:32 +0900

1   kusanagi   2024/2/28 22:10

ウクライナ戦争に関して、トップニュースが舞い込んで来ました。
26日、パリで開催されたウクライナ支援国際会議。マクロン大統領の発言の骨子として・・・・
ウクライナに向けてミサイルや弾薬を共同供与。ウクライナへの派兵を選択肢の一つとして
議論する。その可能性を排除せず。
サイバー攻撃対策・ウクライナでの軍備生産・モルドバやベラルーシ国境の防衛・地雷除去。
対ロシア制裁の抜け穴で第三国や企業への制裁強化。
そして・・・我々の未来を米国の有権者に預けない。(笑)

ヨーロッパがやっと本気になったかなって感じです。かつてモンゴルが欧州に攻めてきた時、
欧州各国は一致団結して戦い、蒙古を排除した歴史があります。(そしてモスクワはモンゴル
に屈して蒙古の子分になったんですね)
今回の会議は、すっかり蒙古顔になった某大統領にとっては、かなりのショックだったろうと
思いますが、歴史を知らない彼はそれを理解できない可能性があります。

ウクライナは昨年の6月からの反転攻勢に失敗したと見られています。それは今も続いていて、
今、ウクライナは最高に苦しい時期だろうと思います。占星術では23年6月から24年の5月の
1年間は、木星が牡牛座を運行し、これは占星地政学的にロシアに有利なんです。しかし今年
の6月から木星は牡牛座を脱して双子座に行きます。( これはチャイナに有利です)
もっと先を見ると、25年の7月には土星と海王星が牡羊座で合し、ヨーロッパやウクライナが
苦難の末にイニシアチブを取ると出てます。

※写真は通称、讃岐富士の飯の山。422メートル。

コメント投稿
無題
Exif情報
メーカー名 PENTAX
機種名 645D
ソフトウェア Capture One 6 Windows
レンズ
焦点距離 100mm
露出制御モード 低速プログラム
シャッタースピード 1/200sec.
絞り値 F14
露出補正値 -0.7
測光モード 分割測光
ISO感度 1600
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 2048x864 (1.46MB)
撮影日時 2010-01-04 01:19:43 +0900

1   kusanagi   2024/2/28 22:07

渡良瀬遊水地は栃木県というよりも、関東平野全体の(つまり利根川だ)の宝だと思ってます。
しかし遊水地を写真に収めるというのは、絵としてなかなか難しいのです。
こちらでは溜池の撮影がそうなんですが、池というのは低くて平らで、そもそも聳えるものがなく
見つけ出しにくいというのがあります。それで、池の撮影では背後の山々を入れて撮影すると
いうのが私の定番です。そうすると池が生きるのです。
また、周辺の山から池を遠く俯瞰して撮影するという手もありますね。最近ではドローンで撮影
するという手もあるのでしょう。
その背後の山に遠州の富士を選ぶというのは、スケールがでかいです。その発想は家康並み
ですか。家康は富士が見えるところであれば領地替えになっても構わないと言ったそうです。
確かに関東の北端からも富士は見えるんですね。知りませんでした。(^^ゞ 

※写真は讃岐山脈から見た満濃池。日本一の溜池です。

コメント投稿
36°14'45.5"N 139°42'01.3"E
Exif情報
メーカー名 Canon
機種名 EOS-1Ds Mark III
ソフトウェア GIMP 2.10.32
レンズ
焦点距離 0.0mm
露出制御モード マニュアル
シャッタースピード 1/512sec.
絞り値
露出補正値 +0.0
測光モード 部分測光
ISO感度 1250
ホワイトバランス 色温度直接設定
フラッシュ なし
サイズ 1500x1000 (1.3MB)
撮影日時 2024-02-28 22:11:03 +0900

1   シッポ座   2024/2/28 18:18

富士山が1日きれいに見える日でした
場所は36°14'45.5"N 139°42'01.3"Eより。

コメント投稿
大平山から見た富士山
Exif情報
メーカー名 Canon
機種名 EOS-1Ds Mark III
ソフトウェア GIMP 2.10.32
レンズ
焦点距離 0.0mm
露出制御モード マニュアル
シャッタースピード 1/1024sec.
絞り値
露出補正値 +0.0
測光モード 部分測光
ISO感度 800
ホワイトバランス 色温度直接設定
フラッシュ なし
サイズ 2500x1667 (1020KB)
撮影日時 2024-02-28 21:00:29 +0900

1   シッポ座   2024/2/28 14:58

さっき携帯で撮った写メも掲載しましたが
こちらはタムロン五百で撮った写真です
ちいとピンボケなのはご容赦ということで。

コメント投稿

雑
Exif情報
メーカー名 Canon
機種名 EOS 5D Mark III
ソフトウェア Capture One 6 Windows
レンズ
焦点距離 28mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/128sec.
絞り値 F2.8
露出補正値 +0.0
測光モード 分割測光
ISO感度 800
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 2880x1002 (2.18MB)
撮影日時 2023-10-01 22:20:46 +0900

1   kusanagi   2024/2/21 21:56

『ゴジラ-1.0』VFXメイキング<大ヒット上映中!>
https://www.youtube.com/watch?v=tej6GCean34
日本最強コンテンツ 70年愛される「ゴジラ」最新映画 制作の裏側(2023年12月1日)
https://www.youtube.com/watch?v=OQJWwXmGZNQ
山崎監督も雄叫び!アカデミー賞にゴジラがノミネート 日本映画は今後どうなる?
https://www.youtube.com/watch?v=TJ8C3ClgMPg
オマケ
War Thunder Cinematic : J7W1 Shinden From Godzilla Minus One ゴジラ-1.0, 震電
https://www.youtube.com/watch?v=k87eYYFsgHE

こういう映像画像の制作現場というのは、これはプロの仕事ですから、我々趣味の楽しみ方とは全く
違います。そういうのはプロの写真家とも同じです。頭はフル回転させていますし時間にも追われ
ています。じっくりと画像に没入するというか無駄に耽溺している暇はないんですね。
良く似た画像とも言えるものをモニターで見ていても、プロとアマチュアとは脳の中が全く違います。
そういうのは仕事でゲームを製作する人達と、その出来上がったゲームを楽しみ消費する人達とは
頭の脳内の働き方が180度違うということだと言うわけです。
一方はそれで金を稼いで他方はそれで時間も金も失っているということ。
よく似た画像でも、金をとって人様を満足させるのか、それとも密かに自分だけを満足させるのか。
その違いはあまりにも大きいです。大方のアマチュアはそのことがよく分かっていますので謙虚な
写真行為をしています。

コメント投稿

雑
Exif情報
メーカー名 Canon
機種名 EOS 5D Mark III
ソフトウェア Capture One 6 Windows
レンズ
焦点距離 58mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/197sec.
絞り値 F5.7
露出補正値 +0.0
測光モード 分割測光
ISO感度 100
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 2880x1920 (2.67MB)
撮影日時 2023-10-01 00:14:34 +0900

1   kusanagi   2024/2/20 21:32

カラー版
【MAD】ゴジラ−1.0 [ Godzilla Minus One ] Theme
https://www.youtube.com/watch?v=E3b61vU3qNc
モノクロ版
All Godzilla -1.0/C Scenes In Order - Godzilla Minus One
https://www.youtube.com/watch?v=SXJyN5x-0G0
オマケ
War Thunder Cinematic : J7W1 Shinden Godzilla Minus One/Minus Color
https://www.youtube.com/watch?v=v6eUkGngKJI
CGのモノクロって初めて見ました。

こうして見比べてみると、やはりモノクロは映像がよく分かりません。私は既にカラー版の映画を
見ているので、モノクロ版を見ても分かりますが、初めての人がモノクロ版を見ても細かくは分か
らないんじゃないですかね。
しかし画像はモノクロのほうが綺麗ですね。静止画となるとその画像の綺麗さ、そして解像力の
良さが生きるという気がしてます。

私は今の若い人(若ぶってる高齢者のことです)はモノクロ写真は分からないと思ってます。でも
本当に若い人だと分かるかも知れません。なにしろ、このゴジラの映画はZ世代が作っているん
ですね。
現在、10歳代末から20歳代の人はこれから恵まれた時代に生きることになりそうです。ちょっと
羨ましいような気がします。

コメント投稿

雑
Exif情報
メーカー名 Canon
機種名 EOS 5DS
ソフトウェア Microsoft Windows Photo Viewer 6.1.7600.16385
レンズ 28mm
焦点距離 28mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/128sec.
絞り値 F5.7
露出補正値 +0.0
測光モード 分割測光
ISO感度 100
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 2880x4320 (4.62MB)
撮影日時 2015-02-13 20:45:37 +0900

1   kusanagi   2024/2/15 20:49

写真というのは、見る力が必要ですが、これは何も写真に限らず、物事を見る能力というのは重要
です。そしてそれに劣らず、聞く力というのも大切だと私は思っています。見ると、聞く。この2つは同じ
くらいの深い意味合いがあるんではないですかね。
例えば人の顔を見て話すというのと、むしろ相手の声を聞いてこちらも話すというのがあるわけです。
もしかすると見るよりも聞くほうが間違いがないのではと思う時があります。見ることだけでは案外に
相手を知ることができないかも知れなくて、それよりも相手の声を聞くほうの方がより正確なんでは、
と感じることがあります。

写真というのはともすれば見ることだけで完結してしまいそうになるわけですが、これは大いに片手落ち
のところがありそうです。投稿写真にはコメントがつきます。これは言わば聞くことに通じるわけですが、
それは読むというになるとしても、基本は相手の思いや考えを聞いている、ということになるのだろうと
思ってます。
そして写真という画像自身も、ただ見る・見せるということだけでなく、相手の語りかけという声を、画像
から読み取る、もしくは聞き出すということをしなければならないだろうと考えるわけです。

仕事柄、相手と会話する時、この場合は見ることではなく圧倒的に聞く能力がものを言います。正確に
聞き取れなければこちらも話すことができないからです。相手の話すことを最後まで正確に聞き取る。
これが営業職の第一歩ですかね。(笑)
そういう社会生活のいろはがあるとしても、やっぱり、この聞き取る能力を写真に生かすことは難しい
かもしれません。写真はやはり見ることと見せることに軸足を置いているものなのですから。

それでも、この、聞くこと、聞かせることを写真なるものに生かせれば、面白いのじゃないのかなって
思うことがあります。
見ること、見せることは一瞬で完結するのですが、聞くこと、聞かせることは、一瞬ではなくて、時間の
経過や流れが必要です。ですから、静止画よりも動画のほうが、聞く・聞かせることに長けているよう
な気がしますね。しかし我々は静止画という写真マニアですから。

とにかく、自分でも分けがわからんことを書いてますが(^^ゞ、これからの撮影では、ただ見る、観察する
だけでなく、被写体の声を聞くことを考えながら、写真を撮って行きたいなって考えてます。
結局は、人は見たいものだけ見て、見せたいものだけを見せるという我意識があり、その点は、聞くと
というのは比較的我意識が少ないと感じるからです。

2   kusamagi   2024/2/20 19:08

ぷす~!

コメント投稿

雑
Exif情報
メーカー名 RICOH IMAGING COMPANY, LTD.
機種名 PENTAX K-3 Mark III Monochrome
ソフトウェア Capture One 6 Windows
レンズ
焦点距離 20mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/50sec.
絞り値 F3.5
露出補正値 -0.7
測光モード 中央重点測光
ISO感度 320
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 2048x1365 (2.09MB)
撮影日時 2023-08-19 23:58:34 +0900

1   kusanagi   2024/2/14 21:26

写真に文字が入るというのは、街中だと普通ですが、これが山奥だと、ちょっと、ほっとするところが
あります。あるいても歩いても、木々と石と落ち葉の山道で、可愛い看板、いや説明案内板か。
これに出会って、それまでの行けどもいけどもの道を、やっと引き返す切っ掛けになりました。

山歩きはやはり確実に、自分の健康と体力の維持に繋がるようです。このところ忙しくて山歩きが
出来ていなかったのですが、案の定、体力が落ちているといのが如実に分かるようになります。
やっぱり自分には山歩きが必要であるということ。そしてそのためには写真とカメラが必須なのだと
いうことも。私の写真と機材は、この自身の維持の為にこそ役立っていると自覚するようになりました。
カメラや写真というハードウェアを駆使するソフトウェアとして、こ撮影歩きの哲学があるということ。

2   kusamagi   2024/2/20 19:07

ぷ~!

コメント投稿
雑文
Exif情報
メーカー名 Canon
機種名 EOS 5D Mark III
ソフトウェア Capture One 6 Windows
レンズ
焦点距離 28mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/128sec.
絞り値 F5.0
露出補正値 +0.0
測光モード 分割測光
ISO感度 200
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 2880x1920 (2.59MB)
撮影日時 2023-10-01 00:39:00 +0900

1   kusanagi   2024/2/19 21:52

占星術などは、一般的には関心のないことなのですが、私はこの占星術という、人の人生、及び時代
の風景の解析に興味があります。そしてこの占術と写真とは、案外に関係があるのではないかと
以前から感じていたのです。
今になって思うのは、写真は写真でも黒白写真に限定して、両者は関係があるのかもしれません。
私は昨年から黒白写真を始めました。もしかするとカラー写真にはもう戻れないかもしれません。
この黒白写真というのは、カラー写真と違って、すんなりとは写真が見えません。カラー情報がないので
特別な分析をしないと見えてこないというところがあります。しかし写真としての骨格は勿論あります。
それでカラー写真とは、随分と見方が違ってくるのだと考えています。

人の人生や性格や運勢というものも、色気を取り去ったところから見えてくる法則性というものがあると
して考えるのが占星術なのですが、それは極めて黒白写真のスタイルに似ていると思うのです。別の
言葉で言えば、この2つは共時性があったということです。
私のこれからの人生は、残り少ないかも知れませんが、この占星術と黒白写真でやっていこうと考えて
います。この20年余、無駄な時間を過ごしてしまったと思っています。それは後悔というのではなくて、
時代がそうだったのだと考えることにしています。しかしこれからの10年余はそうではないでしょう。
確実に時代が変わってきていることを感じるからです。

https://photoxp.jp/pictures/226611
この桐島容疑者の分析は、リバースエンジニアの類で、出生時刻が不明の場合、ネットからの色々な
情報を得て肉付けして分析し、不明の出生時刻を割り出すやり方です。時刻がでれば占術として動きが
出てきて、また占星術として完全となり、自由に計算ができるようになるのです。
そのためには、言わば写真でいうところのカラー情報というものが必要になります。
そういうわけですから、黒白写真(占術世界)だけではダメであって、カラー写真(現実世界)もなければ
ならないとなるのです。
ここでの私の能力とは、黒白とカラーの間を行き来できることだと思っています。
余談ですが、生成AIでもってモノクロ写真をカラー化できるようになりました。そうならば占星術もAI化
するのは時間の問題です。しかし本当に大事なのは、占うことではなくて占術を探求することのほうが
より大切です。最近はもっと上があるのではないかと考えるところがあります。

2   kusamagi   2024/2/20 19:06

ぷぷっ

コメント投稿

雑
Exif情報
メーカー名 NIKON CORPORATION
機種名 D800
ソフトウェア Capture One 6 Windows
レンズ
焦点距離 70mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/100sec.
絞り値 F2.8
露出補正値 -0.3
測光モード 分割測光
ISO感度 220
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 1367x2048 (1.49MB)
撮影日時 2015-12-03 21:22:16 +0900

1   kusanagi   2024/2/12 21:37

久しぶりの投稿ですが、実は写真の撮影もあまりできていません。しかし写真について考えること
が大だったわけで、そういうこともあって、少しは整理して書く気分が出てきました。
とあるネットのサイトでのやり取りは、私にとってはかなりのカルチャーショックだったと思ってます。
ああ、こういう人が居るんだということで、それは驚きであり、かつ非常に考えさせられましたね。
大まかでは、大前研一氏の低欲望社会の現象であるわけです。
この20年余ほど、日本は経済的に随分と苦しみました。米国が中国に大きく肩入れすることで、逆に
日本はパッシングされたというか、本来日本にあるべき技術や富が中国に流れてしまったのです。
その結果が日本の小子化ですし、若い世代の方は自らの欲望を抑えて生きざるを得なかったわけ
です。就職氷河期とかは記憶に新しいわけですね。そして数十万人といわれる無職の、就職ができ
ない人達も生み出しました。

写真とは何か。人それぞれに答えがあるわけですが、私の場合は、写真をすることで、野外に出歩き、
アクティブになったということがまず言えます。最初の頃は、3種のズームレンズを抱えて、イベントや
祭りの撮影に明け暮れました。そのころに知り合いになったカメラマンは多かったです。
さすがに、これは写真を撮り過ぎだということで考え方を改めて、風景撮影に振ったのですが、今度は
車で県外に出かけるというスタイルになりました。九州、山陰、紀伊、北陸、そして東北へと、撮影の
為に走り込みました。現在は地元香川と四国の撮影になっていますが、やはりカメラを持てば出歩く
という形になるのが普通だと思ってます。

写真趣味以前は、パソコンと読書という閉じこもった生活をしていましたので、写真とは何とアクティブ
なんだなって思うわけです。それが次第に研ぎ澄まされたというか、最終的には、山野の里山や溜池
の撮影に収斂していったような具合になってます。
しかし写真趣味というのは、やはり消尽的な部分が大きいとと思ってます。いわゆる道楽ですね。(笑)
出費が多くて得られるものは少ないです。これが読書やパソコンの時は、これも金は掛かりましたが
得られるものも大きかったです。パソコンは徹底的にやったので、その時に得た知識や技能というのは
今もって役に立ってます。
しかし写真はそうではないです。私が写真趣味で得たものと言えば、山歩きで体力を維持し、健康を
得るということだけだったと思ってます。それ以外はもう泡と消えてしまったという感じでした。(笑)

それはそうですよね。写真趣味って、積極的に何かを考えることじゃないですし、ただ感じて悦にいる
だけのようなものですから。だから道楽であり消尽であるということなのでしょう。
余談ですが、それが引っくり返ってしまったのが、黒白写真なんですね。カメラ機材の道楽が一変して
萎んでしまいましたから。
写真がカラーを捨て黒白になったからと言って、写真のもつアクティブさが影響を受けることはありませ
ん。カラー写真も黒白写真も撮影は何ら変わらないですから。ただ画像が違うだけです。

最近は忙しくて読書をする暇もないのですが、「半導体戦争・クリスミラー著」「情報Ⅰ・中山心太著」を
時間をかけて読み進めています。もう一度、自分はコンピューターの趣味に戻ろうという予兆かも知れま
せんね。しかし写真趣味を捨てることはありません。カラー写真はしないかも知れませんが、黒白写真は
始ったばっかり。これからが本当の黒白写真をやっていくということだと考えています。

そして冒頭に触れたカルチャーショックなんですが、これは写真を画像として究極にまで推し進めること
がどういうことなのか、ということを深く知る大きな切っ掛けになりました。
画像に埋もれ込むとでも言いますか、それは結局はモニタースクリーンに自分を埋没させるということ
ではあるんですね。
モニタースクリーンの罠とでも言いますがすか。古くはテレビやビデオ趣味。それから始ってテレビゲーム
やゲーム機、DVD、そしてインターネット、スマホにSNSなんかに変わってますが、よくよく考えてみれば
写真趣味というのも、そういうものの立派な仲間だったということなんです。
こういうモニタースクリーン文化というのは本物ではないですね。実物ではないという意味です。そして
写真は確かに本物を自分で撮るわけですが、それをスクリーンに映し出した瞬間から、リアルではなく
バーチャルに変貌してしまうというわけです。写真にはそういう罠が潜んでいるというわけです。

そしてモニタースクリーン文化というのは飽くまで受動的だということです。写真は本来、能動的である
わけですが、写真がカラーになり、そしてデジタル化して行くうちに次第に受動的な文化になっていって
しまったんではないですかね。
これをもう一度取り戻していかないと写真はダメになっちゃうという気がしています。
リアルを最小限にして、バーチャルを最大限にするという、そういう写真もあるんだということで、私は
大きなカルチャーショックを受けたわけですが、そういう写真にはやはり未来はないと思ってます。
そうではなくて、リアルを最大限にして、バーチャル(スクリーンモニター)を最小にするしか、そうして写真
をやっていくしかないと私は考えてます。
これは飽くまで私の考え方です。それと真逆の考え方感じ方をする人がいても不思議ではありません。
世界には星の数ほど様々な行き方があり、そういう生き方の表現をすることができるようになってます。
ですから否定はしませんが、それは私の行き方とは違うというだけです。

※写真は狛犬というか、ほぼ狛猫ですか。(笑) 寺院に付属した神社での撮影。

コメント投稿
⑦-1
Exif情報
メーカー名 PENTAX
機種名 645D
ソフトウェア Capture One 6 Windows
レンズ
焦点距離 33mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/640sec.
絞り値 F10
露出補正値 -0.7
測光モード 分割測光
ISO感度 1600
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 4224x3168 (11MB)
撮影日時 2010-01-04 00:42:56 +0900

1   kusanagi   2024/1/14 00:29

⑦-1
黒白写真になってからというものの、以前のように機種を違えて撮影することがなくなってきました。
もう何で撮っても良く似たものだから、カメラはなんでもいいや、っていう感じです。
しかしそれだとあまり勉強にならないんで、無理やりにも機種替えで撮影しなくちゃと考えてます。

今回使ったものは古いCCDのカメラで、撮影感度は低いです。よって、ノイズが出やすいですね。
いつものようにJPEGのSサイズ(1/4サイズ)+RAW(DNGファイル)でやってますが、
⑦-1はJPEGのSサイズ(1/4サイズ)から。
⑦-2はRAW(DNG)から起こしたカラー版。彩度を落としてのモノトーン風にしてます。
この2つを比べると、⑦-1のJPEGモノクロの方が画質も良さそうに見えて、しかも印象力の強いと
いう感じになったようです。あくまでも印象というレベルの話なんですが、(実際には元は同じデータ
です)、下手なカラー写真よりも、案外にモノクロの方がスキッとしてスマートだという気がしてきま
したね。

まあこういうのは一概には言えなくて、カメラの機種ごとに違ってくるんだとは思います。今回の
カメラはCCDですので、感度こそは低いんですが、陽が当たっているところの輝度は高くなるんで
すね。日陰りところはノイズだらけですが、光が強いところはキレイにでるんです。そういうのが
印象力としてCCDの持つ良い点ですかね。

CCDカメラは解像感が低く、シャープさなどもCMOSのカメラには敵わないですね。しかしそれでも
このペンタ645Dは5000万画素あるので、ピクセル数を1/4にしても1200万画素はあります。
けっこう、黒白写真で撮ってもいけそうだなっていう気がしてます。


いろいろとカメラを変えて黒白写真をしても、やはりデジタルカメラとしての黒白写真の原点は、
なんといってもペンタ・モノクロームであるという気はしていて、それが私のデジタルモノクロームの
基準のようなものになっていますね。
リコー製モノクローム機の、あの鮮烈ともいえる解像力とシャープさ、ヌケの良さなどは、カラー機
がどんなに頑張ってみても敵わないということです。

『フォトヨドバシ PENTAX K-3 Mark III Monochrome』
http://photo.yodobashi.com/pentax/camera/k3iii_monochrome/
http://photo.yodobashi.com/pentax/camera/k3iii_monochrome-2/
http://photo.yodobashi.com/pentax/camera/k3iii_monochrome-3/
http://photo.yodobashi.com/pentax/camera/k3iii_monochrome-4/
これは写真を見るのではなく(ネットで写真を見ても分かりませんから)、カメラマンの文章をみていた
だきたいですね。
例えば、
・・・・すでに暑苦しさドバドバのテキストからもお分かりの通り、これは撮る者の冷静さを奪い去るカメラ
です。ある種の狂気すら呼び起こすカメラです。もちろん良い意味で。そして、魅力的なプロダクトとは
そういうものですよね。実際、取り憑かれたようにこのカメラで撮り歩きましたし、これほど仕事を忘れて
(=結果を考えず)撮影という行為に没頭したのも久しぶりかもしれません。以下、正直にお話しします。
ライカM MonochromやシグマのFoveonセンサー機で経験済みということもあってか、今回撮影を始めた
当初は、思ったよりも驚きはありませんでした。まあ、なにせあの時は初体験でしたからね。ただ、K-3
Mark III Monochromeでしばらく撮り進めるうちに、「このカメラ、すごいわ」と思うに至りました。つまり
ある程度の予想ができてもなお、心を鷲掴みにするカメラであり、モノクロで写真表現を極めてゆくための
完璧な素材なのです。・・・・

こんな感じでして、プロのカメラマンをも唸らせるものが、このリコーペンタ・モノクロームにはあるようで
す。そりゃあ、リコーの中では最高に良く出来た一眼レフですから、シグマとかライカとかとかは、カメラ
としてのモノが違いますからね。使いやすさや性能は比べるべきものではありません。
私としても、こうして他の方の印象文を見るに付け、やはりこのリコーモノクロームが圧倒的に優れて
いたからこそ、新しいデジタルモノクロームの世界に行けたんじゃないかって思うようになりました。
もうフイルム時代の黒白写真なんかは関係なくて、あくまでも現在のデジタルモノクロームですかね。
そういうものの扉を開いたのが、このカメラだったというわけです。
そしてリコーモノクロームを原点の基準として、一般的なカラー機によるデジタルモノクロを試していると
いうのが今の私なんでしょう。

ところで・・
https://photoxp.jp/pictures/226146
これはKazさんのキヤノン最新機種によるデジタルモノクロです。見事に決まってますね。筋肉質の
モデルさんの持つ、秘めた躍動感が静止状態でも溢れんばかりです。
R7は3000万画素のカメラですが、1/4にすれば大体この投稿写真のサイズになります。
カラー機のモノクロは、カメラの持ってるカラーフィルターでモノクロの色調節ができるのが最大のメリット
なんですが、この写真はそれを大いに使っていると思います。そうでなければもの肌の感じはでない
でしょうから。そしてバックの真っ黒感が凄いなって思います。

「カメラマン・リターンズ♯10」によると、リコーモノクロームのモノクロセンサーは偶々既製品があったの
で作れたカメラだといいます。ですからそう簡単にモノクロ専用機は作れないということです。
ということは、ユーザーはカラーカメラを使って黒白写真をこれからやっていく、というしか手立てはない
ということですね。
そしてKazさんの黒白写真をみると、頑張ればこれくらいは出来るだろうということでもあって、それは
良い指針になったということです。
モノクロ写真の強さというのは、その持っている圧倒的な印象力というものでしょうね。その印象力は
長期にわたって続く記憶に残ります。長期記憶というやつです。それは黒白が一番なんですね。

もっとも私としてはもっと気軽に黒白写真をやって行きたいのでして、これからも気軽なモノクロ写真を
追い続けるだけです。
とにかく、機材としてカラー機によるモノクロ写真では、やはり3000万画素オーバーのフルサイズ以上
が有利であるということ。やはりこれが最低限の基本かなっていう感じ。
そしてレンズは標準レベル以上が欲しいということ。
もちろん敢えてそれをパスするという手もあります。低画素のカメラで廉価レンズを使っても黒白写真も
おおいにあるわけです。しかしそれらはあくまでも応用編ですね。
黒白写真を永続的にやっていくということを考えるならば、基本のスペックを満たしたモノクロ写真を
まずやっていかないと長続きしませんから。
一番簡単な方法は、リコーなりライカの専用機を使ってみること。しかしリコーはともかく、ライカは
高過ぎです。どこかのメーカー、例えばキヤノンがモノクロ専用のフルサイズセンサーを作ってくれれば
最高なんですけどね。70万円以下でね。(笑)

コメント投稿
⑦-2
Exif情報
メーカー名 PENTAX
機種名 645D
ソフトウェア Capture One 6 Windows
レンズ
焦点距離 33mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/640sec.
絞り値 F10
露出補正値 -0.7
測光モード 分割測光
ISO感度 1600
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 4224x3163 (9.92MB)
撮影日時 2010-01-04 00:42:56 +0900

1   kusanagi   2024/1/14 00:28

⑦-2

コメント投稿

①
Exif情報
メーカー名 RICOH IMAGING COMPANY, LTD.
機種名 PENTAX K-3 Mark III Monochrome
ソフトウェア Capture One 6 Windows
レンズ
焦点距離 20mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/50sec.
絞り値 F2.8
露出補正値 -0.7
測光モード 中央重点測光
ISO感度 3200
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 2048x1365 (2.69MB)
撮影日時 2023-07-16 01:57:12 +0900

1   kusanagi   2024/1/2 20:55


昨年の写真としての私の1年は、自分なりに大きな出来ごとがありました。前半はいつものように
レンズ遊びでやりましたが、しかし後半はどんでん返しの黒白写真ライフに大転換してしまったのです。
この黒白写真ばかりの撮影がいつまで続くのは分かりませんが、今の私の写真のスタンダードは
黒白写真であり、もう二度とカラー写真が主体になることはないのかなあ、という感じになりました。
カラー写真と黒白写真には、実は大きな違いというか隔たりがあります。同じ写真として一括ることは
不可能ではないのか、とすら思っています。それはまったく別の写真文化なのかもしれないと感じて
います。

黒白写真は、思うにフイルム時代の自家現像の経験がなければできないのではないか?とすら
感じます。
例えば、俳優の佐野史郎さんが黒白写真の愛好家ですが、彼の母の実家が老舗の写真館。そして
医師だった父が写真マニアだったということで、氏は子ども時代から自然と黒白写真に接していたと
言います。薫陶を受けていたと言っていいのかもしれません。それくらいの経験というか環境がなけれ
ば、黒白写真の良さというものは実際のところ分からないかもしれませんね。
つまり黒白フイルムでの体感的な経験の有無が必要なのかも、とすら感じています。

面白いことにカラー写真も黒白写真も、それはフイルム時代でも現在のデジタルカメラであっても、
同じ機材が使えるという不思議さです。フイルム時代はカメラに入れるフイルムを変えればとぢらでも
可能であり、デジタル時代ではカメラ設定、もしくはPCソフトでの変更だけで選択が可能です。
それぼとに近似であって親和性が保たれているのに、その両者は文化として異なるという具合です。

しかし黒白フイルム写真の経験や記憶があるような人は稀ですね。佐野さんにしても父が残した膨大
な黒白フイルムや写真を見て、それで黒白写真の良さに気がついたと申されていました。もしその父の
遺産がなければ佐野さん自身も黒白写真に目覚めなかったかもしれません。
私の場合にしても、過去の黒白フイルムの経験は淡く封印されていて、それが目覚める切っ掛けは
黒白デジタルカメラの購入がきっかけになっています。もしこのカメラを手にすることがなかったならば、
もしかすれば私も永遠に黒白写真に向かうことはなかったのではないかと感じています。

このちっょとした切っ掛け。歴史時間の揺らぎのようなものが、その後の人生の歴史時間を変えてしまう
という不思議さですか。そういうものもあるのかも知れないねっていうことですか。
私が黒白写真をするようになってから、その劇的変換は、無駄なことをしなくなったということです。
無駄だったこと、贅肉を削ぎ落とせたということですか。それは機材にしても、時間にしてもそうでして、
シンプルさが増したということです。

もう何度も記しましたが、カラー写真のもつ属性である、キラキラと色イロがない黒白写真は、それを
製作する人間に対してもキラキラ色イロ感覚を削いでくれるようです。このキラキラ色イロは考えてみれば
写真自体の本質ではありませんね。言わば過剰な付加物であったわけですから、黒白写真に転換して
も写真そのものは変わらずで、事実、私の写真の撮影はちっとも変わっていません。
すでに撮影そのものは黒白写真に行くまでに自ら自覚して贅肉を落としスマートにしていたからでしょう。
それで大きく影響を受けたのは、機材に対しての無駄な欲望がなくなったということになります。

カラー写真はまさに豊穣という言葉が当てはまります。それは色情報が多岐に渡り、カメラやセンサー、
レンズの、種々の影響を複雑に受けて多様化するからです。それらをいちいち抑えていけば切がない
ほどです。
黒白写真をそれらを無駄なものとしてバッサリと刈り込んでいくわけですね。そりゃあ、機材に対しての
欲がなくなるのは当然なのでしょう。

黒白写真に行くまでに、私自身は既に自分の写真行為は、写真という画像ではなく写真を撮影するという
写真する行為の方に向いていました。つまりはカメラを手にして、それを手土産にして、自分が撮影に
かこつけて歩く行為自体が目的であるという風に。
とは言え、やはり撮った写真の画像は気になるものです。撮った写真をあまり見なかった私ですが、
この獲得画像の縛りというものはやはりあったわけで、それでレンズ遊びなんかもしていたわけですね。それを徹底排除できたのはやはり黒白写真です。

黒白写真をするには、その黒白の表現の良さ、奥の深さとでも言うのですか、と、いうものを自覚できな
いと行えません。これがない限りは黒白写真を永続できず、カラー写真のキラキラ色イロに留まるという
ことになります。
これは本質的にはその人個人の美学の問題です。黒白に美意識を見出すのは、多分、不足感という
独自の美意識を理解できていないと難しいかもしれません。例えば水墨画とか枯山水という美意識は
決してカッコイイものではないと思っています。それは不足していて、貧であり、さびしいものです。しかし
それで十分に事足りるという強さがないと理解できないものかもしれません。

デジタルモノクロームではわかりませんが、商業印刷ではカラーとモノクロではコストの違いは大きいの
です。版代が4倍となります。日本画ではさらに差があります。岩絵の具は高く金箔ではもっと。水墨画
は墨のみなので安くあがります。こういうコストの面から考えるとカラーとモノクロには大きな違いがある
ことになります。
デジタル写真は基本がカラー対応なのでそういうコスト面のことを考えることはありませんが、本来は
カラーとモノクロには大変な差があるということです。フイルム時代のカラーとモノクロにも大きな違いが
ありましたね。

そうは申しても、黒白写真は何も我慢するだけのものではなく、そこに積極的な美意識を見出さなけれ
ば長く続けることはできません。黒白写真も極めれば黒白専用機とか、カラー機でも多画素高画質の
カメラが必要になり、レンズも良いものとなるのですが、そこまで行ってしまうと黒白写真の本質を踏み
外すことになりかねないので注意が必要です。

私はまだ黒白写真の撮影はJPEGの小サイズでやっています。同時記録でRAWも保存していますが、
まあ滅多に開けることはありません。まだまだ黒白写真としては入門クラスだと自覚しているので、
カラー画像の見えないJPEGで行こうというわけです。そして何といっても、JPEG撮影は簡易で無駄を
最小にできる点が高評価です。
画質はRAWでの黒白現像に比べれば随分と落ちるわけですが、そういう画質意識は写真の本質とは
違うと思ってますので。こういう意識もカラー写真時代ではなかったことで、黒白写真にしてから芽生えた
新しい意識です。

デジタルカラー写真は、何が何でもオーバースペックで、オーバークオリティです。まず撮影量からして
フイルムとは桁違い。撮影スピードもそうです。昔はクオリティも劣っていたデジタルですが今は完全に
逆転しています。この過剰なスペックにユーザーは振り回されているという気がしないでもありませんね。
その過剰さを本来のユーザーの等身大に戻す、振り返るという意味で、現在のデジタル黒白写真は
意味を持つのではないでしょうか。

そういうのはデジタルの、ピントがシャープすぎるという反発からマニュアルレンズでの撮影に。というの
もそうでしょう。撮れすぎるへの反発からマニュアルピント、マニュアル露出、三脚撮影というのもあるはず
です。
そう考えれば黒白写真も、そういうゆったりとした使い方をしたいっていう、ユーザーの意識から行き着く
ひとつの到達点だとも言えます。

※投稿した写真は年末恒例の金比羅山参拝での撮影。レンズはいつものシグマではなくて、ペンタックス
20-40ミリです。やはりシグマと違い、諧調が豊かですね。小型レンズなのでバッテリーグリップ不装着で
撮影。陽も落ちているのですが良い描写をしてくれます。RAWで現像すれば格段によくなるのですが
JPEG小サイズでの撮影。

コメント投稿

②
Exif情報
メーカー名 NIKON CORPORATION
機種名 D800
ソフトウェア Capture One 6 Windows
レンズ
焦点距離 24mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/640sec.
絞り値 F13
露出補正値 -0.3
測光モード 分割測光
ISO感度 800
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 2048x1367 (1.88MB)
撮影日時 2015-12-29 23:57:58 +0900

1   kusanagi   2024/1/2 20:54


年末仕事終わりの午後から登った鷲の山。300メートルちょいの小さな里山ですが、讃岐平野では異形
の姿をしていることで有名です。写真は南面からの撮影ですが、東側には採石場があり古墳時代からの古代から採石かが行われていた由緒ある山です。柔らかい柱状の安山岩が採れ加工しやすく、この石
で彫った狛犬は最高です。

この南面ルートは直行登山でして、後から調べるとあまり登った人はいないようですが、それでも登山路
には踏み後がありましたので利用はされているようです。いつもは手に持つカメラを肩に掛け両手も使っ
て小枝や笹根を掴みながら登る羽目になりました。帰りは尻をつけズリ落ちながらの下山。(笑)
翌日は時間をかけて西側から入山し、この山は実は東西ではなく南北に長い山です、アップダウンの多
い南北縦走をこころみました。起伏と変化に富んだ素晴らしい山でしたね。植生がまばらで見晴らしが
良いのもいいです。

写真は麓の溜池からの鷲の山ですが、左右の手前に伸びた小山は山体崩壊の跡です。この池はその
崩壊地の間の空間に作られた池ですね。崩れ去った鷲の山の崩壊痕の尾根筋が見えますね。抉れて
いる部分が崩壊した部分です。香川にはそういう崩壊痕跡が多くて、これは歩いてみれば直ぐに分かる
ほどです。崩壊して堆積したところは平らなんです。そして山になると一気に急傾斜になるんです。

日本アルプスなどの高山では崩壊すればそのまま谷に落ちて、それはすぐに土砂となり川から海へ流れ
落ちますが、川もない雨も降らない香川では、山体崩壊の跡がそのまま残るという現象をみることが
できるのです。
この鷲の山は、もともとは台形の台地状の山だったんですが、山体崩壊を繰り返しながら現在のような
尖ったギザギサの山容になったんですね。鷲が羽を広げた様ということで名づけられた山です。
この山の、加工しやすい輝石角閃石安山岩は風化すると白い土になるようです。写真では溜池の水際
が白いのでも分かります。
この輝石角閃石安山岩は柔らかく風化しやすい岩石のようで、しかも縦に柱状節理が走っていてさらに
風化の度合いが高いようです。台地状の山はメサと呼ばれていて、屋島とか大麻山がそうですが、上部
に載っている安山岩は硬くて崩れ難いのです。しかし鷲の山はそうではなかったので風化と崩壊を起こし
現在のようなギザギザの山になってしまったようです。

植生としてはウバメカシ、クヌギ、山桜など。赤松も昔は多かったはずですが、現在は枯れて絶滅状態。
今の香川の里山はすべからくそうです。イノシシとは2匹遭遇しました。夕暮れは彼らの縄張りですから。
細々とした石材採取くらいで何の役にもたたない山ですが、昔はこういう里山から落ち葉採取(肥料や
燃料として)や、木々(松ノ木や樫)を伐採して利用されていたわけですけど、今はただそこにあるだけ
の山になってしまいました。麓にはかつて耕やした畑の痕跡が多々見受けられました。

頂上には中世の山城跡があったそうですが、こういうのは本当の山城ではなくて、俺が一応は制覇して
いるんだぜ、というくらいのプレゼンのようなものです。山頂は平らですがそんなに広くありません。

こういうことを色いろと考察しながら山に登り、写真を撮っていくというのが私のスタイルになっています。
香川にはこういう里山と溜池がごまんとあり、一生かかって撮影しても、そのほんの一部しか見ることが
できません。しかし皆すべて個性的であり同じものはひとつとしてありません。

コメント投稿

③
Exif情報
メーカー名 NIKON CORPORATION
機種名 D800
ソフトウェア Capture One 6 Windows
レンズ
焦点距離 70mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/400sec.
絞り値 F10
露出補正値 -0.3
測光モード 分割測光
ISO感度 800
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 2290x4912 (11.1MB)
撮影日時 2015-12-30 00:00:47 +0900

1   kusanagi   2024/1/2 20:52


上の鷲の山を撮影しているとき、空に舞う鳥がいることに気づきました。ミサゴだ。私の大好きな鳥です。
着けている24-70ミリで撮ったのがこれ。同時記録したRAWデータから起こして、左右を大きくトリミング
しています。拡大してみるとミサゴでしたね。何しろ望遠レンズなど滅多に持参していませんから、標準
や広角で野鳥も撮影するのが私のやり方。(笑)

ミサゴは全国各地に生息していますが香川では三方を海に、そして川はないですが溜池が多いので
彼らも食っていけるようです。最近は溜池に浮上式太陽光発電設備が出来つつあり彼らにとっては迷惑
なことかもしれません。

コメント投稿

④
Exif情報
メーカー名 RICOH IMAGING COMPANY, LTD.
機種名 PENTAX K-3 Mark III Monochrome
ソフトウェア Capture One 6 Windows
レンズ
焦点距離 50mm
露出制御モード 高速プログラム
シャッタースピード 1/2000sec.
絞り値 F2.0
露出補正値 -0.3
測光モード 中央重点測光
ISO感度 200
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 2048x1365 (1.4MB)
撮影日時 2023-07-17 00:37:45 +0900

1   kusanagi   2024/1/2 20:51


里山歩きには医者いらず・・・これで理解できたのが、里山の中腹から麓にはお地蔵さん巡りが多くの
山で設置されているんですね。
なぜ山なのか? ひとつは場所の問題。平野部は耕作で貴重です。山だとその辺は緩やかです。
しかし何といっても大切なのは、お地蔵さんを巡り参拝するのは老人であるということ。現役から退いた
隠居の老人。特に長生きするおばあちゃん。
おばあちゃんは歳をとっても元気でいて欲しい。その願いが里山に地蔵さんを作ったのではないです
かね。おばあちゃんはただ地蔵さんにお参りするだけでなく、花も添えたり涎掛けなんかも着せたり
します。信心深いおばあちゃんであるからこそ、山で歩いて健康で長生きできるというわけですよ。

お地蔵さん巡りの社会人類学とでも言えそうな思いつきの考察ですが、案外と外れてはいないと
思っています。お地蔵さん、これを石屋に作らせて(けっこう金はかかりますよ)、それを山にまで持って
いって設置して、当然に道も作り、メンテナンスもし続けないといけません。
こういう一種の宗教的なインフラとでもいうんですかね。村人がお金と労力を出し合って造るわけです
が、その効果はあるのだということで、村人は納得しているわけですね。
「里山歩きには医者いらず」。おばあちゃんが長生きはしても病気だとすると大変です。お金は掛かるし
世話もすることで若い人の労力が削がれます。

「写真趣味老人に医者いらず」。・・・そういうのもあるんではないですか。(笑) お爺ちゃんには長生き
して欲しいけど、病気で寝込まれると困ります。ボケても困るし。いつまでも元気でカメラを持ってそこら
辺を歩いてくださいな。と、若い人が言っている様な・・・気がしませんか?

※写真はフイルム時代の50ミリF1.4レンズ。ちょっと柔らかすぎて黒白の風景写真には向かないかも。

コメント投稿

⑤
Exif情報
メーカー名 RICOH IMAGING COMPANY, LTD.
機種名 PENTAX K-3 Mark III Monochrome
ソフトウェア Capture One 6 Windows
レンズ
焦点距離 20mm
露出制御モード シャッター速度優先
シャッタースピード 1/320sec.
絞り値 F2.8
露出補正値 -0.3
測光モード 中央重点測光
ISO感度 12800
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 2048x1365 (2.31MB)
撮影日時 2023-07-17 02:25:47 +0900

1   kusanagi   2024/1/2 20:50


黒白写真にしてから、ほんとうに機材に関しての意欲がなくなって、撮影意欲は衰えないですが、使う
機種は限られてます。これまでに良く使ったカメラは、ペンタK3M3Mとイオス5DS/5DS2・3と、二コンD800
くらいかな。ペンタK2やシグマも1回使ったか。何故かそれ以上に使いたいという気がおきないんですね。
しかしこれは考えてみれば、普通のカメラマンと同程度であるわけですよ。
ではなぜ自分は多機種に渡ってカメラやレンズという機材を手にしてきたのだろうかというと、そういう
疑問が当然に涌くのですが、それは各種の機材の相違が見えてくる良質な受動機、パソコンやモニターと
いうものに投資をしてきたからだと思うんです。
そういう受動機というか受信機に、普通はあまり投資しませんね。適当なやつを1つ買ってそれておしまい
です。ですからカメラやレンズを換えても違いが分からないというわけです。

ということで結論付けられるのは、多機種に渡って機材を試されているユーザーは、それなりの受動機
システムを持っているということでしょうね。逆算すればそういうことになりそうです。
しかしこれもまた、オーバースペックであって過剰投資であったということになります。
それともうひとつ、画像を受け取る人間側の問題もあるでしょう。例をあげると味音痴の人は何を食って
も同じであるということ。そういう裏事情もあるのかもしれないですね。

ともあれ、使う機材が少なくて済むというのはメリットであって、メンテナンスが容易であり保管場所にも
困らないということ。大変にコストパフォーマンスに優れています。なにも考えず適当ににカメラを掴んで
撮影に出かけることができます。このスマートさも黒白写真になってからの優位点です。
そして私の場合、黒白写真は基本、JPEGの小サイズで撮影しています。汎用性のあるJPEGですので
どんなソフトウェアでも開くことができ、動作も圧倒的です。ここは物凄い時間と労力の節約になります。

黒白写真の場合、カラーほどRAWとJPEGの画質差は感じないで済みます。本当はカラーもモノクロも
同程度の画質の相違があるはずですが、黒白はそう感じないですむだけなのでしょう。
このJPEG撮影でやるというのも、黒白写真であったればこそであって、これまでのRAWカラー写真と
比べて、圧倒的なコストパフォーマンスとタイムパフォーマンスを獲得するもとなっています。

コスパとタイパに関してはS9000さんが論説を書かれていましたが、私としては単に無駄を削ぎ落として
軽くする短くするという具合にしか考えていません。過剰クオリティは必要がないという考え方ですね。
考えてみますとカラーに比べてモノクロームはその情報量が1/3であるわけなので、1/3に削ぎ落として
も問題がないという大前提があります。

トータルな撮影データ量を1/3にするには、撮影ショット量を減らすという考え方もできます。マニュアル
撮影や三脚撮影がそれに当たります。AFや自動露出に比べればそれくらいに落ちるでしょう。三脚
撮影となればもっと落ちます。
そういう考え方をすれば黒白写真は便利さをそのままに、もっと過激に実質総量を減らしてくるという
感じです。

カラー写真からモノクロという大きな壁さえ乗り越えれば、黒白写真ほどコスパ・タイパの優れたものは
そうそうはないというところでしょうね。
よくよく考えてみれば、私が若い頃に黒白フイルム写真だったのは、当時はネガカラーフイルムが未熟
であったことや、リバーサルカラーフィルムは高価すぎたということもあって、必然的に黒白写真になら
ざるを得なかったのですけど、やはりそこにはコストが優れていたというのが根底にありました。
ですから学生の身分でありながら写真ができていたわけですね。

この白黒写真優位のコストパフォーマンスは、デジタル写真になってからも生きているわけでして、さらに
タイムパフォーマンスすらも獲得しています。
コンパとかタイパといのは経済学、エコノミーからの視点ですが、無視はできないことだと考えます。
写真趣味の経済学とでも言うんですかね。そういうものあるんだと考えています。

※写真は社殿はなくて石の祠と囲いがあるだけの弁天さんを祭った宮。正月の供物として定番の、
お酒、塩、お米、水、そして餅。
私は大小のお宮さんやお寺の写真を撮りますが、参拝はしませんし手を合わすことはありません。
しかし賽銭はいつもあげています。ここにも正月だけの小さな賽銭箱が置いていました。
お賽銭は撮影料というわけ。(笑) お賽銭だけでなく、寄進のチャンスがあればそれをもやっています。
匿名での寄進ですね。
この世の中、只のものはありません。ただで利用できると思っていても、誰かがそれを負担しているか、
または我々にも回りまわって請求が来るのに気がつかないだけです。ならば私としては、出来る限り
直接的に支払うのがシンプルかなって考えてるだけですね。量販店ではケーズデンキとドラッグストアの
コスモスがそうしてます。好感がもてますね。

コメント投稿
⑥-1
Exif情報
メーカー名 NIKON CORPORATION
機種名 D800
ソフトウェア Capture One 6 Windows
レンズ
焦点距離 70mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/500sec.
絞り値 F11
露出補正値 -0.3
測光モード 分割測光
ISO感度 800
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 2048x1367 (1.62MB)
撮影日時 2015-12-30 01:22:01 +0900

1   kusanagi   2024/1/2 20:48

⑥-1
黒白の風景写真で私が気に入っているのが、茫洋として遠くに行くに従い消失するグラデーションです。
その消失感というのが遠近感を生むと言いますか、黒白写真独自の美学にもなっていると思ってます。
水墨画でもこのような手法を使います。遠くに行くにしたがって、墨を薄く表現するのですね。

黒白写真はカラーに比べて、解像力とシャープさに優れているのですが、この茫洋感覚はそれとは真逆
です。むしろ想像力を駆使させる手法となっています。これは極めて東洋的な感覚なのだろうと思って
います。カラー写真に於いてのボケ手法と同じかもしれません。
この茫洋にはフィルム時代でしたら粒子感、デジダルではノイズ感を加味することで、さらに味がでると
考えています。単なるグレイのグラデーションではなく、そこに情報消失の感覚を織り込むというか。

コメント投稿
⑥-2
Exif情報
メーカー名 NIKON CORPORATION
機種名 D800
ソフトウェア Capture One 6 Windows
レンズ
焦点距離 70mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/640sec.
絞り値 F13
露出補正値 -0.3
測光モード 分割測光
ISO感度 800
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 1367x2048 (1.58MB)
撮影日時 2015-12-30 01:29:36 +0900

1   kusanagi   2024/1/2 20:47

.

コメント投稿