どうしたらもっとうまく撮れるの?を目的とした掲示板です。 すばらしい作品はご遠慮下さい。http://www.nature-photo.jp/
1 裏街道 2016/9/25 12:02 構図的に気に入っているのですがいかがでしょう。
構図的に気に入っているのですがいかがでしょう。
2 一耕人 2016/9/25 13:40 こんにちは右に寄せてバランスを取って私的にも好きな構図です。ただ、彼岸花を斜めに分けた草は処理して欲しかったです。
こんにちは右に寄せてバランスを取って私的にも好きな構図です。ただ、彼岸花を斜めに分けた草は処理して欲しかったです。
3 裏街道 2016/9/25 18:16 一耕人 さん、コメントありがとうございます。私としては良いポイントになっていると感じております。^^邪魔だったかもしれません。
一耕人 さん、コメントありがとうございます。私としては良いポイントになっていると感じております。^^邪魔だったかもしれません。
4 zzr 2016/9/26 23:43 一耕人さんには珍しく厳しいコメントですね。私は楽しいと思いますけど。。こういったアクセントは私も良く入れたりします。鑑賞者がその面白さを理解してくれると嬉しいんですよね ^_^
一耕人さんには珍しく厳しいコメントですね。私は楽しいと思いますけど。。こういったアクセントは私も良く入れたりします。鑑賞者がその面白さを理解してくれると嬉しいんですよね ^_^
5 東大阪の裏街道 2016/9/27 08:14 zzrさん、おはようございます。明らかに主題を食ってしまう様なアクセントはいけませんがちょっかいを出してる程度なら時には良いかなと思ってます。^^富士山頂に初冠雪がありそろそろ雪のシーズンがやってきます。毎年、北国向けのお仕事が増えてくるので楽しみです。まってろ!知床根室稚内。^^
zzrさん、おはようございます。明らかに主題を食ってしまう様なアクセントはいけませんがちょっかいを出してる程度なら時には良いかなと思ってます。^^富士山頂に初冠雪がありそろそろ雪のシーズンがやってきます。毎年、北国向けのお仕事が増えてくるので楽しみです。まってろ!知床根室稚内。^^
6 一耕人 2016/9/27 09:46 私はダメなんですよ。ご存知の通りの神経質な性格なもので、ごめんねって画面から出ていってもらう方なんです。>まってろ!知床根室稚内。^^ なんて羨ましいお仕事なんでしょう。地名を聞くだけで血が騒ぎます。きっと曾祖父が北海道で一発当ててくると家を出て帰ってこなかった人らしいので、きっとその血が流れているんでしょうね!!
私はダメなんですよ。ご存知の通りの神経質な性格なもので、ごめんねって画面から出ていってもらう方なんです。>まってろ!知床根室稚内。^^ なんて羨ましいお仕事なんでしょう。地名を聞くだけで血が騒ぎます。きっと曾祖父が北海道で一発当ててくると家を出て帰ってこなかった人らしいので、きっとその血が流れているんでしょうね!!
1 一耕人 2016/9/25 14:44 こんにちはモミ焼き、稲わら焼きのあの香り。遠くからでも流れてくるんですよね。懐かしい秋の想い出です。
こんにちはモミ焼き、稲わら焼きのあの香り。遠くからでも流れてくるんですよね。懐かしい秋の想い出です。
2 zzr 2016/9/25 11:05 余計な仕事?もやっと終わってホッとしてます。今日は晴れる予報なので海の写真を撮りに行ってきます。今朝の近所の風景です。
余計な仕事?もやっと終わってホッとしてます。今日は晴れる予報なので海の写真を撮りに行ってきます。今朝の近所の風景です。
3 裏街道 2016/9/25 11:27 こんにちは。モミ焼き、北国では晩秋の風景とも言えますねぇ~。真ん中に煙突を立てる地方もありますが収穫が終わっていよいよ冬支度って感じがする風景です。芋とか仕込んでいませんかねぇ~。^^
こんにちは。モミ焼き、北国では晩秋の風景とも言えますねぇ~。真ん中に煙突を立てる地方もありますが収穫が終わっていよいよ冬支度って感じがする風景です。芋とか仕込んでいませんかねぇ~。^^
4 zzr 2016/9/26 04:27 裏街道さん、こんばんは。そういえば煙突が立ってませんね。ゆっくり長く燃えるようにしてるのかな?何か仕込んでるかも。後で聞いときます ^_^一耕人さん、こんばんは。いい匂いですよね。例のお話しですが苦手な方も行くようなのでパスさせていただきます。現場で会っちゃうと色々面倒なんです ^_^;すみません。
裏街道さん、こんばんは。そういえば煙突が立ってませんね。ゆっくり長く燃えるようにしてるのかな?何か仕込んでるかも。後で聞いときます ^_^一耕人さん、こんばんは。いい匂いですよね。例のお話しですが苦手な方も行くようなのでパスさせていただきます。現場で会っちゃうと色々面倒なんです ^_^;すみません。
5 一耕人 2016/9/26 12:45 zzrさん こんにちは例の件。了解です。穏やかなzzrさんが苦手な方ってどんな人なんでしょ。もしかして「私」?
zzrさん こんにちは例の件。了解です。穏やかなzzrさんが苦手な方ってどんな人なんでしょ。もしかして「私」?
6 zzr 2016/9/27 00:08 一耕人さん、違いますよ。近所に住んでる写真趣味の人で主に女性のポートレートやヌードを撮ってる方。コンテストの賞も何回かあるみたいです。時々そういった撮影に誘われるんですが私はそっち系は興味が無いって断ってるので ^_^;
一耕人さん、違いますよ。近所に住んでる写真趣味の人で主に女性のポートレートやヌードを撮ってる方。コンテストの賞も何回かあるみたいです。時々そういった撮影に誘われるんですが私はそっち系は興味が無いって断ってるので ^_^;
1 中井PAの裏街道 2016/9/25 08:39 おはようございます。DPPにて歪み等を調整した後ライトルームで調整、現像した写真です。ご批評、アドバイスをお願いいたします。^^
おはようございます。DPPにて歪み等を調整した後ライトルームで調整、現像した写真です。ご批評、アドバイスをお願いいたします。^^
2 zzr 2016/9/25 10:57 中井PAの裏街道さん、おつかれさまです。そちら稲穂も色づいてきてますねー。いい風景です。山形では田んぼに彼岸花はあまりない気がします。私はこの前の彼岸花の風景が好きかな。。
中井PAの裏街道さん、おつかれさまです。そちら稲穂も色づいてきてますねー。いい風景です。山形では田んぼに彼岸花はあまりない気がします。私はこの前の彼岸花の風景が好きかな。。
3 裏街道 2016/9/25 11:38 こんにちは。自分もスケール的に縦の方がいい感じがしております。じっくり探してじっくり撮らないと思い描く様な写真にはなりません。(^^ゞ
こんにちは。自分もスケール的に縦の方がいい感じがしております。じっくり探してじっくり撮らないと思い描く様な写真にはなりません。(^^ゞ
4 一耕人 2016/9/25 13:35 裏街道さん こんにちははるか遠くにも咲いてますね。羨ましい限りです。私は初期の頃からシルキーですので他のソフトのことは分からないのですが、調整によって似たような絵になるのではないかななんて安直に考えています。zzrさん こんにちは今回の旅行で思ったのですが、山形だけでなく東北地方全体に彼岸花自体が少ないように思います。本日夕方帰宅予定です。例の件、検討されましたか。
裏街道さん こんにちははるか遠くにも咲いてますね。羨ましい限りです。私は初期の頃からシルキーですので他のソフトのことは分からないのですが、調整によって似たような絵になるのではないかななんて安直に考えています。zzrさん こんにちは今回の旅行で思ったのですが、山形だけでなく東北地方全体に彼岸花自体が少ないように思います。本日夕方帰宅予定です。例の件、検討されましたか。
1 奈良の裏街道 2016/9/24 01:04 こんばんは。陶器の里、佐賀県有田町は彼岸花の盛りでした。町に溶け込む様に立つ赤レンガ造りの煙突が柔らかなひさしに映え寄り添うように咲く彼岸花の光景が素晴らしかった。のですが・・・、電柱と電線が雰囲気をぶち壊しておりましたぁ~。(^^ゞ
こんばんは。陶器の里、佐賀県有田町は彼岸花の盛りでした。町に溶け込む様に立つ赤レンガ造りの煙突が柔らかなひさしに映え寄り添うように咲く彼岸花の光景が素晴らしかった。のですが・・・、電柱と電線が雰囲気をぶち壊しておりましたぁ~。(^^ゞ
2 kusanagi 2016/9/25 00:01 あっこれ、上手いですね。今節では最高の彼岸花っていう気がします。彼岸花をわざわざ撮ったというよりも、風景を描写してその中に花も入れたという仕込み絵みたいなものです。裏街道さんは縦位置写真が上手です。というか、風景を撮っては持ち前のセンスが光るんですね。それはなぜかというと、立体感覚とか遠近感覚が人一倍優れているからでしょう。3次元の視感覚が飛び抜けて優れていて、そういう人は本質的に絵画とか写真に向きます。この写真も地形のウネリが上手く捉えられていて無駄のない効果的な構図になっています。光もよく読まれていますし、雲までもが遠近感を誘っているかのようで、そういうのを一瞬に視野に捉えて脳内で演算して写真に構図として表現できるという素晴らしい頭脳を持っているわけですよ。非常に多様な要素を瞬時に読みきって表現できるというのは実は稀有な才能なんですね。こういう立体感感覚とか遠近感覚というのは何も大自然のランドスケープだけではなくて、昆虫などの世界の描写でも同じことが言えそうです。m3さんのシジミチョウの写真を見ていると、その蝶の世界の空間に深く引き込まれてしまいます。蝶そのものもきっちり撮らなければならないという制約の中で、ああいう素晴らしい構図がとれるというのは並大抵のことではないですね。電線や電柱が写真の雰囲気をぶち壊してしまうというのは考えすぎです。そういう考えは、自分の頭のなかの写真(意識)のセオリーが間違っているというしかありません。そもそも自分が思い込んだ絵材だけで、写真としての絵を組み立てるというのは初心者のやることです。プロ写真家も電線を外しますが、それは写真の掲載されている出版物の読者がそもそも写真の初心者であって、それに合わせているだけなのです。具体的に言えばそういう写真は編集者がダメといいます。初心者の写真を見ていると、自分が見たい部材として被写体が写真に入っているだけで満足するでしょう? 写真そのものが傾いていてもピントが外れていても気にしません。それから写真に自分の関心のモノが入っていても、それをより深く注視することはありません。それは例えば「花」というキーワードで脳内意識領域が発火して、そのキーワードに相当するものがファインダー内に収められていさいすればOKであるからです。この花がどんな状態なのか、自分の考えていて花とどう違うのか。そういうことは考えません。同様に観光写真とかの風景も、その観光地の象徴する建物とか景色が捉えられていればよいのです。そしてその写真を撮ったことで自分は○○の地へ行ったんだという満足感が脳内で充足するんですね。そういうのは実はものごとを視る力に直結しているんですね。初心者は目前の光景を漫然としてしか見ていません。見ているようでいて見ていない。写真の初心者でも、本当に視る力があるものは初めてカメラを持たしても写真が上手いです。写真の下手な人はこの視る力というものが希薄であり虚弱なのです。その分を補うとして、言葉で自分を表そうとします。言葉とはワードでして、私が今綴っているのは文章であってワードとは違います。センテンスですね。この言葉というのは脳内でシンボライズされていて、それに変更を加えるというのは難儀ですね。しかしセンテンスの中では言葉は縦横無尽自在にその意味を变化することが可能です。つまり、写真は言葉たけではダメで、文章という考え方を持ってこないと高度な写真となり得ないということです。ですから、「写真を読む」、という言い回しが可能なんですね。美しい農村風景のなかで人工物があれば興ざめをするかも知れませんが、それは写真を言葉、この場合では、電線、電柱、という在り来りの言葉の毒素に左右されているからですね。言葉だけしか理解できない写真の読者にはそれは不快かもしれませんが、写真をより高度に読むことができる読者にとっては電線電柱は毒素になり得ず、無視もできるし、また逆に薬物にもなり得るものです。ちよっと難しいことを書き過ぎたかもしれませんが、この場を借りて、なぜ写真の初心者とベテランは違うのか。ベテランにとって初心者の写真はなぜ不快に感じるのか。そういうことも考えて欲しかったからです。ネット初心者はまた、言葉しか知りません。しかも数少ない語彙。それで文章というものを読むことも書くこともできかねます。しかし出来なくても言葉の羅列でネットに参加できますね。今はそういう時代ですがその時代はある意味で世界の劣化現象なのであって、それをそのまま突き進めていけば世界の構造は砂のように崩れさっていきます。私ごとを言えば、写真の黒白時代の最後の世代の人間だろうと思っています。私より年齢が上の人はこの板にも多くおられるようですが、私が特異なのは、十歳代に写真に目覚めてから黒白写真しかせず、たまにリバーサルフィルムくらいで、写真を白黒写真の文化として捉えていたことです。つまりカラー写真はやっていないんです。カラー写真が全盛になっても見向きもせずで、黒白写真現像が家庭事情で自分で出来なくなってからは写真そのものをやめました。写真を復活したのはデジタル化になってからです。その当初も白黒写真でありリバーサルであり、フィルムをPCスキャンしてやってました。そして、そもそも白黒写真というのは、今のデジタルとかフィルムカラー写真とはまったく違う文化の背景を背負っていたんですよ。例えば当時の写真の文化では写真評論家という方々が必要だったのです。白黒写真というのは相当に慣れないと写真として成り立たなかったというか、写真を読む技術とか無論写真を撮るテクニックは持てなかったんです。また写真と社会との接点とも言うべき写真論も盛んでした。今でも画像として黒白写真をたまにする人がいますが、それは単なるファッションですね。自分の撮る写真が全て黒白であるのとはその重さがぜんぜん違います。その写真評論家という活字文化の職種が完全に無くなったのは写真がカラー化してからです。カラー写真というのは人が見る光景と同じですから、もはや写真を読んだりする必要性を感じなくなったのでしょう。今は写真の評論は大学教授がやってるのかな。写真がカラーになりますと、写真の文化には商業主義が押し寄せて来ました。おそらく多くの写真趣味の方々は、その写真の商業主義の時代に写真を始めた人達でしょう。写真店は写真愛好家を育てて写真を撮ってくれる、言い換えれば、フィルムやプリントを使ってくれるお客を大事にします。またカメラもどんどんと買って欲しいですしね。そうなってくるとそういう写真愛好家には対しては商売として接するというか、なんでもいいからどんどん撮ってね、カメラも新しいのが入ったよ、買ってね。となるわけです。写真愛好家自身も、俺は客だぞ。大事にしろ。と偉そぶるようになるのはこれは人間の性のようなものです。そういう時代が長く続いたのでしょうね。もっともその時代、私は完全に写真とは無関係でしたが。その写真の商業主義の文化(文化と言えるのかどうか)を未だに引きずっているのか現在のデジタル写真の写真ですね。この掲示板もそういう人達がメインです。完全にデジタルカメラから写真を始めた人達はまだ少数派ですね。これが完全にデジタル世代が主流になってくるとまた違ってくるのでしようが、今はそういうようにはなっていません。とにかく、さらーと写真の歴史のようなものを見てきましたが、とにかく白黒写真の時代というのは、今の時代と違い、写真の社会的な文化的な地位は高かったですね。文化人と言われる人はなべて写真に対しての造詣がありました。私が写真を始めたのは学校の写真部からですが、叔父が写真好きだったという影響もあったのでしょう。当時、写真部から写真を始めますと、徹底的にこの写真の文化というか、読み方とか社会的な意味というものを教えこまれます。新人が写真を初めてもシゴキというか体育会系のなりでおよそ写真を褒めてくれるなんていうことは絶対ありません。徹底的にしごかれるんですよ。しかし自分の写真は下手で、先輩や先生や顧問の方の写真は素晴らしいというのは分かりますから、それは何がよくて何が悪いのか、そういうことを自分で考えるようになるんです。と言うか、そういうことを自分で考えるようにするために態としごかれるんですね。ですから私が写真を初めて良かったなあって思うのは、教えてくれるんではなくて自分で考えるという、そういう自助努力の習慣が身についたことなんです。カメラがなければ先輩が貸してくれる。しかし写真のテクニックとか写真が上手くなることはほとんど教えてくれません。上手くなりたければ自分で盗めっていう感じでした。また写真評論家や写真集なんてのも多く読みましたね。これも貸してくれたり自分で買ったりで。ちなみに当時はカメラの貸し借りとかは普通で、私も後輩に貸したりあげたりしたカメラは多いです。あの時期、当時のカメラのほとんどは使いましたから。先輩や顧問には写真館とか写真屋さんのプロもいましたからそこでアルバイトもしたりカメラも貸してくれたりで技術はそこで覚えたのかな。余談が過ぎましたが、周囲から徹底的に、自分が写真をやっていくならば、自分で見て考え、自分で発見し自分でやり抜け、っていうことを骨の髄まで教えこまれたことは、後々の自分の人生にとって大きな財産となりましたね。とにかく当時の写真の文化というのは、それほどに高くて裾野が広くて、一人の青年の生き方までも変えてしまうほどのものでした。どうでしょうか。今の写真の時代とはぜんぜん違うでしょう?(^^;私は今、こういうデジタルやネットの時代に写真をやっているんですが、そのこころの本心は昔の黒白写真の文化を引きずっているというか、やはり無くしてはならないものだと考えているんです。カラー写真の商業主義の時代は見向きもしなかったですし、デジタル時代になれば多少は可能性はあるのかということで、今このようにして書いているわけですが、それでもかつての時代とはまるで違うわなって正直、思います。写真というのは徒弟的なところがあって、やはり現在でも写真に本当の意識が芽生えるのは写真学校とかそういう正式な教育を受けてでないと難しいところがあります。自己流でネットなどで写真を学ぶっていうのは有り得そうでありえないですかねぇ。現在、写真の専門学校とか、高校大学の写真部の学生ってほとんどは女性なんですよ。本当に真剣に写真を学びたいやってみたいという人間は女性です。もちろん男性もいますが少ないですね。しかし写真というものを通じて、ネットでもいいから色んなことを情報交換し切磋琢磨して学ぶっていうのはけっして無駄なことではありません。誰でもいつでも年齢を性別を問わず初められるのが写真であるわけですから。話がえらく脱線してしまいましたが、写真の当初は自分で現像しプリントしていたものから、商業主義の他人任せの時代になり、さらにはデジタルとネットでさらに簡単になってしまい、今我々の写真というものは、果たしてどこにいるのだろうと迷走しないためにも、写真の原点をもう一度見なおしてもらいたいとという願いがあるんです。というか、私自身、もう一度振り返ってみたかったんですね。写真が軽くなればなるほど、実は我々自身、自分自身を見失います。そんなんならば写真などしないほうがいいんです。たとえ写真をやめてしまっても、写真の本当のこころを知っているものはその写真のこころを活かした生き方をすることができます。こちらのほうがもっと大事かな。写真に対して画像以外の何も持たなった人間は、写真をやめればただ白紙に戻るだけです。
あっこれ、上手いですね。今節では最高の彼岸花っていう気がします。彼岸花をわざわざ撮ったというよりも、風景を描写してその中に花も入れたという仕込み絵みたいなものです。裏街道さんは縦位置写真が上手です。というか、風景を撮っては持ち前のセンスが光るんですね。それはなぜかというと、立体感覚とか遠近感覚が人一倍優れているからでしょう。3次元の視感覚が飛び抜けて優れていて、そういう人は本質的に絵画とか写真に向きます。この写真も地形のウネリが上手く捉えられていて無駄のない効果的な構図になっています。光もよく読まれていますし、雲までもが遠近感を誘っているかのようで、そういうのを一瞬に視野に捉えて脳内で演算して写真に構図として表現できるという素晴らしい頭脳を持っているわけですよ。非常に多様な要素を瞬時に読みきって表現できるというのは実は稀有な才能なんですね。こういう立体感感覚とか遠近感覚というのは何も大自然のランドスケープだけではなくて、昆虫などの世界の描写でも同じことが言えそうです。m3さんのシジミチョウの写真を見ていると、その蝶の世界の空間に深く引き込まれてしまいます。蝶そのものもきっちり撮らなければならないという制約の中で、ああいう素晴らしい構図がとれるというのは並大抵のことではないですね。電線や電柱が写真の雰囲気をぶち壊してしまうというのは考えすぎです。そういう考えは、自分の頭のなかの写真(意識)のセオリーが間違っているというしかありません。そもそも自分が思い込んだ絵材だけで、写真としての絵を組み立てるというのは初心者のやることです。プロ写真家も電線を外しますが、それは写真の掲載されている出版物の読者がそもそも写真の初心者であって、それに合わせているだけなのです。具体的に言えばそういう写真は編集者がダメといいます。初心者の写真を見ていると、自分が見たい部材として被写体が写真に入っているだけで満足するでしょう? 写真そのものが傾いていてもピントが外れていても気にしません。それから写真に自分の関心のモノが入っていても、それをより深く注視することはありません。それは例えば「花」というキーワードで脳内意識領域が発火して、そのキーワードに相当するものがファインダー内に収められていさいすればOKであるからです。この花がどんな状態なのか、自分の考えていて花とどう違うのか。そういうことは考えません。同様に観光写真とかの風景も、その観光地の象徴する建物とか景色が捉えられていればよいのです。そしてその写真を撮ったことで自分は○○の地へ行ったんだという満足感が脳内で充足するんですね。そういうのは実はものごとを視る力に直結しているんですね。初心者は目前の光景を漫然としてしか見ていません。見ているようでいて見ていない。写真の初心者でも、本当に視る力があるものは初めてカメラを持たしても写真が上手いです。写真の下手な人はこの視る力というものが希薄であり虚弱なのです。その分を補うとして、言葉で自分を表そうとします。言葉とはワードでして、私が今綴っているのは文章であってワードとは違います。センテンスですね。この言葉というのは脳内でシンボライズされていて、それに変更を加えるというのは難儀ですね。しかしセンテンスの中では言葉は縦横無尽自在にその意味を变化することが可能です。つまり、写真は言葉たけではダメで、文章という考え方を持ってこないと高度な写真となり得ないということです。ですから、「写真を読む」、という言い回しが可能なんですね。美しい農村風景のなかで人工物があれば興ざめをするかも知れませんが、それは写真を言葉、この場合では、電線、電柱、という在り来りの言葉の毒素に左右されているからですね。言葉だけしか理解できない写真の読者にはそれは不快かもしれませんが、写真をより高度に読むことができる読者にとっては電線電柱は毒素になり得ず、無視もできるし、また逆に薬物にもなり得るものです。ちよっと難しいことを書き過ぎたかもしれませんが、この場を借りて、なぜ写真の初心者とベテランは違うのか。ベテランにとって初心者の写真はなぜ不快に感じるのか。そういうことも考えて欲しかったからです。ネット初心者はまた、言葉しか知りません。しかも数少ない語彙。それで文章というものを読むことも書くこともできかねます。しかし出来なくても言葉の羅列でネットに参加できますね。今はそういう時代ですがその時代はある意味で世界の劣化現象なのであって、それをそのまま突き進めていけば世界の構造は砂のように崩れさっていきます。私ごとを言えば、写真の黒白時代の最後の世代の人間だろうと思っています。私より年齢が上の人はこの板にも多くおられるようですが、私が特異なのは、十歳代に写真に目覚めてから黒白写真しかせず、たまにリバーサルフィルムくらいで、写真を白黒写真の文化として捉えていたことです。つまりカラー写真はやっていないんです。カラー写真が全盛になっても見向きもせずで、黒白写真現像が家庭事情で自分で出来なくなってからは写真そのものをやめました。写真を復活したのはデジタル化になってからです。その当初も白黒写真でありリバーサルであり、フィルムをPCスキャンしてやってました。そして、そもそも白黒写真というのは、今のデジタルとかフィルムカラー写真とはまったく違う文化の背景を背負っていたんですよ。例えば当時の写真の文化では写真評論家という方々が必要だったのです。白黒写真というのは相当に慣れないと写真として成り立たなかったというか、写真を読む技術とか無論写真を撮るテクニックは持てなかったんです。また写真と社会との接点とも言うべき写真論も盛んでした。今でも画像として黒白写真をたまにする人がいますが、それは単なるファッションですね。自分の撮る写真が全て黒白であるのとはその重さがぜんぜん違います。その写真評論家という活字文化の職種が完全に無くなったのは写真がカラー化してからです。カラー写真というのは人が見る光景と同じですから、もはや写真を読んだりする必要性を感じなくなったのでしょう。今は写真の評論は大学教授がやってるのかな。写真がカラーになりますと、写真の文化には商業主義が押し寄せて来ました。おそらく多くの写真趣味の方々は、その写真の商業主義の時代に写真を始めた人達でしょう。写真店は写真愛好家を育てて写真を撮ってくれる、言い換えれば、フィルムやプリントを使ってくれるお客を大事にします。またカメラもどんどんと買って欲しいですしね。そうなってくるとそういう写真愛好家には対しては商売として接するというか、なんでもいいからどんどん撮ってね、カメラも新しいのが入ったよ、買ってね。となるわけです。写真愛好家自身も、俺は客だぞ。大事にしろ。と偉そぶるようになるのはこれは人間の性のようなものです。そういう時代が長く続いたのでしょうね。もっともその時代、私は完全に写真とは無関係でしたが。その写真の商業主義の文化(文化と言えるのかどうか)を未だに引きずっているのか現在のデジタル写真の写真ですね。この掲示板もそういう人達がメインです。完全にデジタルカメラから写真を始めた人達はまだ少数派ですね。これが完全にデジタル世代が主流になってくるとまた違ってくるのでしようが、今はそういうようにはなっていません。とにかく、さらーと写真の歴史のようなものを見てきましたが、とにかく白黒写真の時代というのは、今の時代と違い、写真の社会的な文化的な地位は高かったですね。文化人と言われる人はなべて写真に対しての造詣がありました。私が写真を始めたのは学校の写真部からですが、叔父が写真好きだったという影響もあったのでしょう。当時、写真部から写真を始めますと、徹底的にこの写真の文化というか、読み方とか社会的な意味というものを教えこまれます。新人が写真を初めてもシゴキというか体育会系のなりでおよそ写真を褒めてくれるなんていうことは絶対ありません。徹底的にしごかれるんですよ。しかし自分の写真は下手で、先輩や先生や顧問の方の写真は素晴らしいというのは分かりますから、それは何がよくて何が悪いのか、そういうことを自分で考えるようになるんです。と言うか、そういうことを自分で考えるようにするために態としごかれるんですね。ですから私が写真を初めて良かったなあって思うのは、教えてくれるんではなくて自分で考えるという、そういう自助努力の習慣が身についたことなんです。カメラがなければ先輩が貸してくれる。しかし写真のテクニックとか写真が上手くなることはほとんど教えてくれません。上手くなりたければ自分で盗めっていう感じでした。また写真評論家や写真集なんてのも多く読みましたね。これも貸してくれたり自分で買ったりで。ちなみに当時はカメラの貸し借りとかは普通で、私も後輩に貸したりあげたりしたカメラは多いです。あの時期、当時のカメラのほとんどは使いましたから。先輩や顧問には写真館とか写真屋さんのプロもいましたからそこでアルバイトもしたりカメラも貸してくれたりで技術はそこで覚えたのかな。余談が過ぎましたが、周囲から徹底的に、自分が写真をやっていくならば、自分で見て考え、自分で発見し自分でやり抜け、っていうことを骨の髄まで教えこまれたことは、後々の自分の人生にとって大きな財産となりましたね。とにかく当時の写真の文化というのは、それほどに高くて裾野が広くて、一人の青年の生き方までも変えてしまうほどのものでした。どうでしょうか。今の写真の時代とはぜんぜん違うでしょう?(^^;私は今、こういうデジタルやネットの時代に写真をやっているんですが、そのこころの本心は昔の黒白写真の文化を引きずっているというか、やはり無くしてはならないものだと考えているんです。カラー写真の商業主義の時代は見向きもしなかったですし、デジタル時代になれば多少は可能性はあるのかということで、今このようにして書いているわけですが、それでもかつての時代とはまるで違うわなって正直、思います。写真というのは徒弟的なところがあって、やはり現在でも写真に本当の意識が芽生えるのは写真学校とかそういう正式な教育を受けてでないと難しいところがあります。自己流でネットなどで写真を学ぶっていうのは有り得そうでありえないですかねぇ。現在、写真の専門学校とか、高校大学の写真部の学生ってほとんどは女性なんですよ。本当に真剣に写真を学びたいやってみたいという人間は女性です。もちろん男性もいますが少ないですね。しかし写真というものを通じて、ネットでもいいから色んなことを情報交換し切磋琢磨して学ぶっていうのはけっして無駄なことではありません。誰でもいつでも年齢を性別を問わず初められるのが写真であるわけですから。話がえらく脱線してしまいましたが、写真の当初は自分で現像しプリントしていたものから、商業主義の他人任せの時代になり、さらにはデジタルとネットでさらに簡単になってしまい、今我々の写真というものは、果たしてどこにいるのだろうと迷走しないためにも、写真の原点をもう一度見なおしてもらいたいとという願いがあるんです。というか、私自身、もう一度振り返ってみたかったんですね。写真が軽くなればなるほど、実は我々自身、自分自身を見失います。そんなんならば写真などしないほうがいいんです。たとえ写真をやめてしまっても、写真の本当のこころを知っているものはその写真のこころを活かした生き方をすることができます。こちらのほうがもっと大事かな。写真に対して画像以外の何も持たなった人間は、写真をやめればただ白紙に戻るだけです。
3 中井PAの裏街道 2016/9/25 08:23 kusanagiさん、おはようございます。デジタル一眼に変えてから花のアップ写真写真を主に撮っていた様に思います。私の大好きな梅、チューリップやバラといった花々は探すのが簡単でしたから。(笑)で、ここに投稿をはじめてしばらくするとその撮り方に疑問を感じ風景を撮る様になったと感じます。この様な写真を撮ろうとするとチャンスがメチャ減りますね。まず咲く時期と私がその場所へ出かける時期が一致しなければいけません。出会えるチャンスは滅多になく、さらに出会えても時間がないとか駐車スペースが無いとか・・・。まぁ、気長に楽しむしかありませんね。^^白黒の写真で魅せられる写真家が本当の意味で写力があると思います。私にも『こんな写真を撮れる様になりたい』と思わせる写真家さんは何人かおられます。まぁ、気長に楽しみます。
kusanagiさん、おはようございます。デジタル一眼に変えてから花のアップ写真写真を主に撮っていた様に思います。私の大好きな梅、チューリップやバラといった花々は探すのが簡単でしたから。(笑)で、ここに投稿をはじめてしばらくするとその撮り方に疑問を感じ風景を撮る様になったと感じます。この様な写真を撮ろうとするとチャンスがメチャ減りますね。まず咲く時期と私がその場所へ出かける時期が一致しなければいけません。出会えるチャンスは滅多になく、さらに出会えても時間がないとか駐車スペースが無いとか・・・。まぁ、気長に楽しむしかありませんね。^^白黒の写真で魅せられる写真家が本当の意味で写力があると思います。私にも『こんな写真を撮れる様になりたい』と思わせる写真家さんは何人かおられます。まぁ、気長に楽しみます。
4 kusanagi 2016/9/26 00:49 今あるその場の光景を写し止めるという発想では如何でしょうか。わざわざ自分の得たいという場所や被写体を求めての撮影ではなく、いま眼前に広がる光景の中で自分の発想を発揮される方がより自然です。発想の転換とでも言えるべきものです。料理で言えば何々を作りたいから食材を買ってくるのじゃなく、冷蔵庫に入ってる材料で料理を考えるというやり方。出来上がった料理としてはどちらも同じように美味しいはずです。
今あるその場の光景を写し止めるという発想では如何でしょうか。わざわざ自分の得たいという場所や被写体を求めての撮影ではなく、いま眼前に広がる光景の中で自分の発想を発揮される方がより自然です。発想の転換とでも言えるべきものです。料理で言えば何々を作りたいから食材を買ってくるのじゃなく、冷蔵庫に入ってる材料で料理を考えるというやり方。出来上がった料理としてはどちらも同じように美味しいはずです。
1 kusanagi 2016/9/24 00:02 黒沢湿原の南側。大きな谷を挟んだ向こうの山は、杉林の伐採後の植林をしたばかりのようです。植生がなくなった山は、素晴らしく見晴らしが良いはずです。
黒沢湿原の南側。大きな谷を挟んだ向こうの山は、杉林の伐採後の植林をしたばかりのようです。植生がなくなった山は、素晴らしく見晴らしが良いはずです。
2 め組 2016/9/24 16:36 虎刈りの頭ですがな、意味が分からんです、、、(;^_^A タラ~~リ
虎刈りの頭ですがな、意味が分からんです、、、(;^_^A タラ~~リ
3 zzr 2016/9/25 11:02 上の方にあるのは茶畑に見えますが。。なんか、土砂災害がヤバそうな感じですー。ヤバいといえばあっちもそろそろ変な雰囲気ですね。しばらくは近づかない方がいいかもです。
上の方にあるのは茶畑に見えますが。。なんか、土砂災害がヤバそうな感じですー。ヤバいといえばあっちもそろそろ変な雰囲気ですね。しばらくは近づかない方がいいかもです。
4 kusanagi 2016/9/26 00:40 茶畑ではなく多分、杉の幼木を密集して植えているからでしょう。大きく育つ度に間引きしていくと思います。土砂災害がないように地面は小枝などのマルチを杭ドメして覆っているはずです。植林の最初の頃は手間がかかりますね。山林は数百ヘクタールという規模で管理しますので常にどこかで伐採し、植林し、間伐しというサイクルでやっています。
茶畑ではなく多分、杉の幼木を密集して植えているからでしょう。大きく育つ度に間引きしていくと思います。土砂災害がないように地面は小枝などのマルチを杭ドメして覆っているはずです。植林の最初の頃は手間がかかりますね。山林は数百ヘクタールという規模で管理しますので常にどこかで伐採し、植林し、間伐しというサイクルでやっています。
1 kusanagi 2016/9/23 23:57 イナゴでしょうか?イナゴにとっては雑草も、人にとっての大木や山に等しいのかも知れません。しかし昆虫は飛べるからなあ。(^^;黒沢湿原にて。
イナゴでしょうか?イナゴにとっては雑草も、人にとっての大木や山に等しいのかも知れません。しかし昆虫は飛べるからなあ。(^^;黒沢湿原にて。
2 笑休 2016/9/25 20:36 こんばんは写真文化論・・長文でしたが読ませていただきました。どう受け止めるか・・個人で違うと思います音楽でいうならばhttps://www.youtube.com/watch?v=CAtHvMP0QFwこの頃の曲は、歌詞が美しかったhttps://www.youtube.com/watch?v=rudHfB6hatwサザンの出現のころから、歌詞がメロディの一部分になってしまいました悪い事ではないが、何かフィーリングでとらえる詩8beatに日本語を乗せる為にMr桑田氏が革命をおこしたその後の歌曲が関を切ったように洋楽化したのも良いいみでの功罪その陰で失ったものもある写真文化の功罪もにたようなものかな・・と思ってみた。
こんばんは写真文化論・・長文でしたが読ませていただきました。どう受け止めるか・・個人で違うと思います音楽でいうならばhttps://www.youtube.com/watch?v=CAtHvMP0QFwこの頃の曲は、歌詞が美しかったhttps://www.youtube.com/watch?v=rudHfB6hatwサザンの出現のころから、歌詞がメロディの一部分になってしまいました悪い事ではないが、何かフィーリングでとらえる詩8beatに日本語を乗せる為にMr桑田氏が革命をおこしたその後の歌曲が関を切ったように洋楽化したのも良いいみでの功罪その陰で失ったものもある写真文化の功罪もにたようなものかな・・と思ってみた。
3 kusanagi 2016/9/26 22:57 音楽の話は以前、尻切れトンボに終わってしまったのですが、桑田佳祐のころから始まった歌詞と力の低下は、現在もう著しいというか、なにおか言わんや、という気がします。音楽は、歌詞+メロディ+リズムの3要素に分けられると思いますが、その3つが互いに競って最高度にならなければ良い音楽とは言えません。歌詞はその国の国語を反映します。正しく綺麗な日本語でなければならないはずなのですが、崩れた英語風の発音の歌詞は、日本人の自信のなさの現れとなります。この洋楽風の崩れた発音と歌詞は、音楽だけでなく、若い人の日常会話からダメにしているように思うんですね。日本人が日本語に対して自信を失ってしまったのは、おそらくPCコンピューターの出現と一致していると思ってます。コンピューターの基本を少しでも学べは、その原点は英語というものであるのが直ぐに分かります。多くのコマンドは英語の簡略であり英語が出来る人とそうではない人とはコンピューターに対しての理解力が違います。コンピューターが専門家の間だけで使われている間は良かったのですが、それが一般の人達の間でも使われるようになると、日本人の英語力のなさが露呈し、コンピューターが仕事に、日常に使われるようになればなるほど、日本人は自信を失ってしまったのです。これは日本だけの現象ではなく全世界的なものです。英語圏以外の国はみな自信喪失に陥っているんですね。ヨーロッパ圏ですと語彙的には英語と変わらないでまだマシですが、日本語だと全然違いますからね。それで自信喪失した日本の若い音楽家は、せめて発音だけでもと英語風にしたんです。そうなってくると文章はもうめちゃくちゃになるじゃないですか。聴いただけでは日本語になってません。しかしメロディに乗せて聞いた限りでは本場の英語圏の雰囲気になっていて、ところどころに英語も挟んで、なんか上等に聞こえるんです。そんなんだったら最初から最後まで英語で歌えよって言いたくなるんですが、もうここまで来てしまうと元には戻らないのかな。とにかく、桑田佳祐の罪は重いですよ。(^^ 国辱ものですからね。洋楽が、フォークとかロックとか、そういうのが日本に来たのは随分と古いです。50・60年代から70年代でそういうのが流行り、日本の歌曲に大いに影響を与えたのですが、その当時はキチンと日本語の歌詞を付けて日本語が壊されずに洋楽のエッセンスを受け入れたわけです。ところが90年代2000年代となると、コンピューターの出現というのが重なったわけで、これで一気に日本人は自信を失ってしまったんですね。そういうことを今の若い人は知らないんだろうっておもいます。今の若い人は英語が分かる人も多いですが、分からない人も依然として多いですね。そのどちらの人間にとっても今の崩れた日本の音楽は不幸です。日本のコンピューター教育は、ただ単に操作だけを覚えさせる教育がしばらく続いたのですが、あれは大いに間違いでした。まず英語を貴重としたコマンドの言葉を理解できるように覚えさせるべきでした。これを覚えれば自分でプログラムを作るのは容易になります。それからコンピューターは決してブラックボックスではなくて、家電と同じように電気製品であるということを徹底的に教育すべきでしたね。こういう技術教育は理系の人は学びますが文系の生徒は分からないままになるのが間違いなんです。それからね、英語教育は、まず英字ではなくカタカナでまる覚えさせるんです。日常会話などはカタカナでいいんです。それを覚えた後でやっと英字を学べばいいんですよ。これを同時にやるから普通の生徒はまるでついて行けなくなるんです。発音なんか適当でいいんですよ。とにかく日常会話のセンテンスを覚えさせる。これが一番大切です。小学生はまず、いきなり漢字ではなくて、かなとカナを覚えさすでしょう?漢字は簡単なものだけです。それと同じで漢字=中国語ですから、英語=英字なんです。英語を小学生に覚えさせるには、最初はカナで覚えましょうや。それから子供にはアルファベットは覚えさせても、ローマ字は覚えさせてはダメです。これと英字とは違いますから子供は混乱するんですね。ちなみに私はパソコンのローマ字打ちは大嫌いで使いません。カナ打ちでやってます。英字を打つ時は当然に英字なんでして、この2つだけできれば良いんです。私は日本人がカナ打ちを皆んながするだけで、日本のコンピューターのレベルは大分上がるって思ってます。英語もカタカナで書くだけで、英語嫌いがマシになるって考えてますし。日本人って兎に角、英字と英語に猛烈なコンプレックスがあります。その劣等感が日本人をダメにしているんですね。教育者や学者がキチンと英語と日本語を別のものとして覚えやすくさせれば、子供なんか直ぐに英語を覚えますよ。そして日本語もダメにならない。要するに教育者が無能だから日本を駄目にしているんですね。>8beatに日本語を乗せる為にMr桑田氏が革命をおこした。ではなくてエイトビートに日本語を乗せる為に、ミスター桑田氏が革命を起こした。と書かなければなりません。もしくは、 Mr.Kuwata in order to put the Japanese has revolutionized the 8beat musics.ミスター・クワタ イン・オーダー・ツー・プット ザ・ジャパニーズ ハズ・リボルーショナイズド ザ8ビート ミュージックス。ですかね。(^^ゞ音楽と英語とコンピューターの話ばかりになってしまったんですけど、写真はデジタル化してどうなったのかな。自分の中では、昔やってた写真から見ると今の私のデジタル写真は、ものすごく劣化してます。(^^ゞ何も考えることなく反射的に撮ってますしね。いくら撮ってもお金が掛からないというのがいけないのかもしれません。写真としてはダメになりましたが、その分、被写体に対して考え深くなったような気がします。写真以外での考察が深くなったのかな。例えば四国は過疎が著しくて経済成長からは置いてきぼりを食ったんですが、その分、自然が大分残されているところがあります。徳島とか高知ですね。その自然の良さがこれからメリットになる可能性があって、四国を見れば、もしかすればこれからの日本の行末が見えてくるのかもしれないな、と考えています。
音楽の話は以前、尻切れトンボに終わってしまったのですが、桑田佳祐のころから始まった歌詞と力の低下は、現在もう著しいというか、なにおか言わんや、という気がします。音楽は、歌詞+メロディ+リズムの3要素に分けられると思いますが、その3つが互いに競って最高度にならなければ良い音楽とは言えません。歌詞はその国の国語を反映します。正しく綺麗な日本語でなければならないはずなのですが、崩れた英語風の発音の歌詞は、日本人の自信のなさの現れとなります。この洋楽風の崩れた発音と歌詞は、音楽だけでなく、若い人の日常会話からダメにしているように思うんですね。日本人が日本語に対して自信を失ってしまったのは、おそらくPCコンピューターの出現と一致していると思ってます。コンピューターの基本を少しでも学べは、その原点は英語というものであるのが直ぐに分かります。多くのコマンドは英語の簡略であり英語が出来る人とそうではない人とはコンピューターに対しての理解力が違います。コンピューターが専門家の間だけで使われている間は良かったのですが、それが一般の人達の間でも使われるようになると、日本人の英語力のなさが露呈し、コンピューターが仕事に、日常に使われるようになればなるほど、日本人は自信を失ってしまったのです。これは日本だけの現象ではなく全世界的なものです。英語圏以外の国はみな自信喪失に陥っているんですね。ヨーロッパ圏ですと語彙的には英語と変わらないでまだマシですが、日本語だと全然違いますからね。それで自信喪失した日本の若い音楽家は、せめて発音だけでもと英語風にしたんです。そうなってくると文章はもうめちゃくちゃになるじゃないですか。聴いただけでは日本語になってません。しかしメロディに乗せて聞いた限りでは本場の英語圏の雰囲気になっていて、ところどころに英語も挟んで、なんか上等に聞こえるんです。そんなんだったら最初から最後まで英語で歌えよって言いたくなるんですが、もうここまで来てしまうと元には戻らないのかな。とにかく、桑田佳祐の罪は重いですよ。(^^ 国辱ものですからね。洋楽が、フォークとかロックとか、そういうのが日本に来たのは随分と古いです。50・60年代から70年代でそういうのが流行り、日本の歌曲に大いに影響を与えたのですが、その当時はキチンと日本語の歌詞を付けて日本語が壊されずに洋楽のエッセンスを受け入れたわけです。ところが90年代2000年代となると、コンピューターの出現というのが重なったわけで、これで一気に日本人は自信を失ってしまったんですね。そういうことを今の若い人は知らないんだろうっておもいます。今の若い人は英語が分かる人も多いですが、分からない人も依然として多いですね。そのどちらの人間にとっても今の崩れた日本の音楽は不幸です。日本のコンピューター教育は、ただ単に操作だけを覚えさせる教育がしばらく続いたのですが、あれは大いに間違いでした。まず英語を貴重としたコマンドの言葉を理解できるように覚えさせるべきでした。これを覚えれば自分でプログラムを作るのは容易になります。それからコンピューターは決してブラックボックスではなくて、家電と同じように電気製品であるということを徹底的に教育すべきでしたね。こういう技術教育は理系の人は学びますが文系の生徒は分からないままになるのが間違いなんです。それからね、英語教育は、まず英字ではなくカタカナでまる覚えさせるんです。日常会話などはカタカナでいいんです。それを覚えた後でやっと英字を学べばいいんですよ。これを同時にやるから普通の生徒はまるでついて行けなくなるんです。発音なんか適当でいいんですよ。とにかく日常会話のセンテンスを覚えさせる。これが一番大切です。小学生はまず、いきなり漢字ではなくて、かなとカナを覚えさすでしょう?漢字は簡単なものだけです。それと同じで漢字=中国語ですから、英語=英字なんです。英語を小学生に覚えさせるには、最初はカナで覚えましょうや。それから子供にはアルファベットは覚えさせても、ローマ字は覚えさせてはダメです。これと英字とは違いますから子供は混乱するんですね。ちなみに私はパソコンのローマ字打ちは大嫌いで使いません。カナ打ちでやってます。英字を打つ時は当然に英字なんでして、この2つだけできれば良いんです。私は日本人がカナ打ちを皆んながするだけで、日本のコンピューターのレベルは大分上がるって思ってます。英語もカタカナで書くだけで、英語嫌いがマシになるって考えてますし。日本人って兎に角、英字と英語に猛烈なコンプレックスがあります。その劣等感が日本人をダメにしているんですね。教育者や学者がキチンと英語と日本語を別のものとして覚えやすくさせれば、子供なんか直ぐに英語を覚えますよ。そして日本語もダメにならない。要するに教育者が無能だから日本を駄目にしているんですね。>8beatに日本語を乗せる為にMr桑田氏が革命をおこした。ではなくてエイトビートに日本語を乗せる為に、ミスター桑田氏が革命を起こした。と書かなければなりません。もしくは、 Mr.Kuwata in order to put the Japanese has revolutionized the 8beat musics.ミスター・クワタ イン・オーダー・ツー・プット ザ・ジャパニーズ ハズ・リボルーショナイズド ザ8ビート ミュージックス。ですかね。(^^ゞ音楽と英語とコンピューターの話ばかりになってしまったんですけど、写真はデジタル化してどうなったのかな。自分の中では、昔やってた写真から見ると今の私のデジタル写真は、ものすごく劣化してます。(^^ゞ何も考えることなく反射的に撮ってますしね。いくら撮ってもお金が掛からないというのがいけないのかもしれません。写真としてはダメになりましたが、その分、被写体に対して考え深くなったような気がします。写真以外での考察が深くなったのかな。例えば四国は過疎が著しくて経済成長からは置いてきぼりを食ったんですが、その分、自然が大分残されているところがあります。徳島とか高知ですね。その自然の良さがこれからメリットになる可能性があって、四国を見れば、もしかすればこれからの日本の行末が見えてくるのかもしれないな、と考えています。
4 kusanagi 2016/9/28 22:06 書いた後で気がついたんですが、最近の子どもたちの名前。名前やその漢字の読み方が独特ですよね。読み名も、みう、れな、とか。こういうのもおそらく、英語コンプレックスから来ているんじゃないかって思います。会話も、中学生くらいの女の子のグループで彼女らが素のママに話してみるのを聞くと、もう外国語のような気がします。英語かな?中国語?・・・耳をすまして聞くと、これが日本語だったりする。そんな具合でもの凄い勢いで日本語は英語化、じゃなくて見かけだけ英語風にみせて劣化していると思います。その原因は、庶民レベルでのコンピューター時代の到来が元凶なのかな?っていうことを書きました。本当かどうかは分かりませんが数百年経てば歴史検証ということで分かるようになるでしょう。写真はといえば、これは言葉ではなく画像だから、さほどの劣化はしていないと思うんですが、逆に言えば写真は言葉を必要としないので、人気の趣味になるような気がします。音楽だと歌詞があるので嫌だなっていう人も多く出てくるかもしれないけど、写真はその影響を免れているから、大変な人気趣味になってもおかしくないですね。コンピューターの進歩は日進月歩ですから、やがては言語の違いを気にせずに使えるようになるでしょう。スマホとかタブレットはできるだけキーボードを使わない方向に行ってますが、これからますますそうなっていくでしょう。画像検索をするときに現在では言葉を打って画像を探しますが、これからは画像から画像をダイレクトに検索できるようになりそうです。しかし言葉を使わないようになれば、ますます言葉や国語は劣化・退化していきますね。コンピューターの基本が英語だからといって、じゃあ英語が一人勝ちをするのかというと、そうじゃなくて、英語も日本語などの外国語のライバルがいなくなれば自然に劣ろえます。そもそもコンピューター言語が英語一種というのがおかしいのであって、日本語を基本としたコンピューターがあってもいいというか、本来はそうあるべきなんですよ。世界中の言葉をひとつにしたのがコンピューターなんでして、それが良かったのか、悪かったのか。人工知能の時代に何を言っているのか?と思われそうですが、英語のAIは人類を滅ぼすかもしれないけど日本語のAIはそうはならないかもしれませんよ。(^^;写真もどうたろう?英語の写真と日本語の写真って違いがあるのかな?カメラはあると思います。カメラとセンサーの殆どは日本製です。世界中の人々は高級機では日本製品以外の選択肢がありません。ところでフォビオンは米国製です。開発はアメリカで行なっています。米国人の考えたセンサーであり絵作りであるわけで、そこのところが重要だと私は思ってます。フォビオンセンサーのカメラが多くの人達に(日本人ですが)違和感を持って迎えられているのは、そのセンサーの開発が米国人であるということもあるんじゃないですかね。フィルムの時代、私はコダック製品を使っていました。他に選択肢がなかったのですが、これがカラーフィルム時代になるとフジですから日本製になりましたね。当時はフジとコダックで世界を2分しました。フォビオンセンサーはそのコダックの色に似ているんじゃないかって思ってます。私としては好きなのですが、普通の人はそうじゃないかもしれない。このコダックの画質を継承したのがフォビオンだと私は考えています。日本は英語の壁のハンディがあるのでコンピューターでは米国に大きく負けてしまったのですが、その分、画像方面で頑張りました。ソニーセンサーは高級イメージセンサーの圧倒的な世界シュアを占めていて他の追従を許しません。カメラもレンズもセンサーも今や日本製です。写真だけでなく映像関係でも、シグマが動画専用レンズを出してきたように、これからソニーやキヤノンを始めとする日本製が世界を牛耳るのは間違いのないところです。日本はコンピューターで負けたけどカメラで勝ったんですね。実はコンピューターもセンサーも同じなんですよ。製造は同じCMOSでして設計によってインテルになったりキヤノンになったりするだけなんです。まあ、大きくコンピューターで負けたんですから、せめて映像くらいで勝たないとね。コンピューターの分野で負けていないのはスーパーコンピューターだけですかね。これは専用オペレーターが動かしますからね。彼らには英語コンプレックスが微塵もありません。しかし一般の人達はスマホをみても分かるように米国製をありがたがっているじゃないですか。アイフォーンしかりアンドロイドしかりですから。日本製のはガラケーとかになって独自OSもなくなりました。とくかくこの一般の日本人の英語、アメリカコンプレックスはなんとかしなければなりませんね。自分の子供に米国人風の名前をつけて喜んでいる姿は情けないという悲しいかぎりです。若いパパママはスマホを捨ててデジカメで写真を撮りましょう。デジカメにインフォメーション機能を持たせてスマホを駆逐しましよう。(^^ゞというよりも刹那的なスマホに溺れんじゃなく、デジカメで本格的に写真を撮りましょうや。
書いた後で気がついたんですが、最近の子どもたちの名前。名前やその漢字の読み方が独特ですよね。読み名も、みう、れな、とか。こういうのもおそらく、英語コンプレックスから来ているんじゃないかって思います。会話も、中学生くらいの女の子のグループで彼女らが素のママに話してみるのを聞くと、もう外国語のような気がします。英語かな?中国語?・・・耳をすまして聞くと、これが日本語だったりする。そんな具合でもの凄い勢いで日本語は英語化、じゃなくて見かけだけ英語風にみせて劣化していると思います。その原因は、庶民レベルでのコンピューター時代の到来が元凶なのかな?っていうことを書きました。本当かどうかは分かりませんが数百年経てば歴史検証ということで分かるようになるでしょう。写真はといえば、これは言葉ではなく画像だから、さほどの劣化はしていないと思うんですが、逆に言えば写真は言葉を必要としないので、人気の趣味になるような気がします。音楽だと歌詞があるので嫌だなっていう人も多く出てくるかもしれないけど、写真はその影響を免れているから、大変な人気趣味になってもおかしくないですね。コンピューターの進歩は日進月歩ですから、やがては言語の違いを気にせずに使えるようになるでしょう。スマホとかタブレットはできるだけキーボードを使わない方向に行ってますが、これからますますそうなっていくでしょう。画像検索をするときに現在では言葉を打って画像を探しますが、これからは画像から画像をダイレクトに検索できるようになりそうです。しかし言葉を使わないようになれば、ますます言葉や国語は劣化・退化していきますね。コンピューターの基本が英語だからといって、じゃあ英語が一人勝ちをするのかというと、そうじゃなくて、英語も日本語などの外国語のライバルがいなくなれば自然に劣ろえます。そもそもコンピューター言語が英語一種というのがおかしいのであって、日本語を基本としたコンピューターがあってもいいというか、本来はそうあるべきなんですよ。世界中の言葉をひとつにしたのがコンピューターなんでして、それが良かったのか、悪かったのか。人工知能の時代に何を言っているのか?と思われそうですが、英語のAIは人類を滅ぼすかもしれないけど日本語のAIはそうはならないかもしれませんよ。(^^;写真もどうたろう?英語の写真と日本語の写真って違いがあるのかな?カメラはあると思います。カメラとセンサーの殆どは日本製です。世界中の人々は高級機では日本製品以外の選択肢がありません。ところでフォビオンは米国製です。開発はアメリカで行なっています。米国人の考えたセンサーであり絵作りであるわけで、そこのところが重要だと私は思ってます。フォビオンセンサーのカメラが多くの人達に(日本人ですが)違和感を持って迎えられているのは、そのセンサーの開発が米国人であるということもあるんじゃないですかね。フィルムの時代、私はコダック製品を使っていました。他に選択肢がなかったのですが、これがカラーフィルム時代になるとフジですから日本製になりましたね。当時はフジとコダックで世界を2分しました。フォビオンセンサーはそのコダックの色に似ているんじゃないかって思ってます。私としては好きなのですが、普通の人はそうじゃないかもしれない。このコダックの画質を継承したのがフォビオンだと私は考えています。日本は英語の壁のハンディがあるのでコンピューターでは米国に大きく負けてしまったのですが、その分、画像方面で頑張りました。ソニーセンサーは高級イメージセンサーの圧倒的な世界シュアを占めていて他の追従を許しません。カメラもレンズもセンサーも今や日本製です。写真だけでなく映像関係でも、シグマが動画専用レンズを出してきたように、これからソニーやキヤノンを始めとする日本製が世界を牛耳るのは間違いのないところです。日本はコンピューターで負けたけどカメラで勝ったんですね。実はコンピューターもセンサーも同じなんですよ。製造は同じCMOSでして設計によってインテルになったりキヤノンになったりするだけなんです。まあ、大きくコンピューターで負けたんですから、せめて映像くらいで勝たないとね。コンピューターの分野で負けていないのはスーパーコンピューターだけですかね。これは専用オペレーターが動かしますからね。彼らには英語コンプレックスが微塵もありません。しかし一般の人達はスマホをみても分かるように米国製をありがたがっているじゃないですか。アイフォーンしかりアンドロイドしかりですから。日本製のはガラケーとかになって独自OSもなくなりました。とくかくこの一般の日本人の英語、アメリカコンプレックスはなんとかしなければなりませんね。自分の子供に米国人風の名前をつけて喜んでいる姿は情けないという悲しいかぎりです。若いパパママはスマホを捨ててデジカメで写真を撮りましょう。デジカメにインフォメーション機能を持たせてスマホを駆逐しましよう。(^^ゞというよりも刹那的なスマホに溺れんじゃなく、デジカメで本格的に写真を撮りましょうや。
1 zzr 2016/9/22 13:02 ニコン板にもUPしましたがこちらはSDです。少し風があったのでブレてるのがほとんどでした。これも止まっているような、ブレてるような。。^_^;元々暗かった背景をソフトでさらに落としました。
ニコン板にもUPしましたがこちらはSDです。少し風があったのでブレてるのがほとんどでした。これも止まっているような、ブレてるような。。^_^;元々暗かった背景をソフトでさらに落としました。
3 zzr 2016/9/22 19:54 阿武町の裏街道さん、こちらにもコメントありがとうございます。こちら三脚使用です。設置してる時に蚊が寄ってきて大変でした。虫除け、もういいかなと思ってたら大誤算。酷い目にあいました。シグマだとJPG開けた時に失敗は一目で分かります。即廃棄です。ニコンは多少おかしくてもナントカなるかなって粘って結局ダメのパターンが多いです。
阿武町の裏街道さん、こちらにもコメントありがとうございます。こちら三脚使用です。設置してる時に蚊が寄ってきて大変でした。虫除け、もういいかなと思ってたら大誤算。酷い目にあいました。シグマだとJPG開けた時に失敗は一目で分かります。即廃棄です。ニコンは多少おかしくてもナントカなるかなって粘って結局ダメのパターンが多いです。
4 zzr 2016/9/22 19:57 追伸です。裏街道さんならDPメリルは使い勝手が良いとおもいます。一台持ってみませんか?
追伸です。裏街道さんならDPメリルは使い勝手が良いとおもいます。一台持ってみませんか?
5 kusanagi 2016/9/22 20:49 彼岸花。ニコンのほうが良い感じかも。薄いピントが効果的でした。こちらは水滴があまりありませんね。本来ドキツイ彼岸花には浅い発色のカメラが向いているのかもしれません。
彼岸花。ニコンのほうが良い感じかも。薄いピントが効果的でした。こちらは水滴があまりありませんね。本来ドキツイ彼岸花には浅い発色のカメラが向いているのかもしれません。
6 有田の裏街道 2016/9/23 00:28 またまたこんばんは。シグマのカメラをお仲間に加えると5D2君がぐれそうです。『俺の出番がなくなっちゃうよぉ~、グレてやるぅ~』(^^ゞ
またまたこんばんは。シグマのカメラをお仲間に加えると5D2君がぐれそうです。『俺の出番がなくなっちゃうよぉ~、グレてやるぅ~』(^^ゞ
7 zzr 2016/9/25 10:49 kusanagiさん、おはようございます。やっぱ濃過ぎますか^_^;ドギツイ彼岸花、ちょっとだけ彩度を上げてさらにきつくしました。中井PAの裏街道さん、おはようございます。そうですか、残念です。裏街道さんと某板の大御所さんが撮ったの、見てみたいんですけどねぇ。。
kusanagiさん、おはようございます。やっぱ濃過ぎますか^_^;ドギツイ彼岸花、ちょっとだけ彩度を上げてさらにきつくしました。中井PAの裏街道さん、おはようございます。そうですか、残念です。裏街道さんと某板の大御所さんが撮ったの、見てみたいんですけどねぇ。。
1 kusanagi 2016/9/19 19:52 アスファルトに止まった蝶。こういうのは冷えた体を温めているんでしょうか。
アスファルトに止まった蝶。こういうのは冷えた体を温めているんでしょうか。
2 め組 2016/9/19 20:44 意味が分からん作品ですがな、、、(;^_^A アセアセ・・・
意味が分からん作品ですがな、、、(;^_^A アセアセ・・・
3 m3 2016/9/19 21:45 今晩は、近ごろ昆虫も撮影されるのですね。>冷えた体を温めているんでしょうか。チョウ類は一般に気温が15℃を超えると体が温まり飛翔しますので、そうかもしれません。この撮影時間帯の気温は、如何でしたでしょうか。アリに運ばれているのは「アオスジアゲハ」、この種は「コミスジ」というタテハチョウの仲間です。コミスジの幼虫の食餌は、マメ科のクズなどです。この成虫、樹液や花の蜜にも訪れます、匍匐して観察すると判明したでしょう。もしかすると、口吻で吸水、腐果汁、獣糞でミネラルなどを補給していのかもしれません。口吻(こうふん):栄養分をとるためのストロー状に伸びた口、吸収管とも呼ばれています。よい光景をみせて頂き感謝です。
今晩は、近ごろ昆虫も撮影されるのですね。>冷えた体を温めているんでしょうか。チョウ類は一般に気温が15℃を超えると体が温まり飛翔しますので、そうかもしれません。この撮影時間帯の気温は、如何でしたでしょうか。アリに運ばれているのは「アオスジアゲハ」、この種は「コミスジ」というタテハチョウの仲間です。コミスジの幼虫の食餌は、マメ科のクズなどです。この成虫、樹液や花の蜜にも訪れます、匍匐して観察すると判明したでしょう。もしかすると、口吻で吸水、腐果汁、獣糞でミネラルなどを補給していのかもしれません。口吻(こうふん):栄養分をとるためのストロー状に伸びた口、吸収管とも呼ばれています。よい光景をみせて頂き感謝です。
4 kusanagi 2016/9/20 20:20 m3さん、私のような初心者にご丁寧なコメント、大変有り難うございます。蝶の名前はなかなか覚えられないのですが、少しづつ覚えていこうと思ってます。このアスファルト蝶は、四国山地の山の中、標高500メートルくらいのところですが、撮影日は8月末なので20度を切るということもなかったと感じます。実際、他の多くの蝶は盛んに飛び回ってましたし。ただ、撮影場所は開けて暖かったのですが森の中はけっこうひんやりします。ここへいく途中、森の中に沢の滝壺が有り、水に浸かろうかと思いましたが冷たくてやめました。(私、水浴びと温泉大好き人間でしてところかまわず水に飛び込む変な癖があります)このアスファルト蝶(サトオオイナズマチョウですかね)とか、下のアオスジアゲハはよく見かける蝶です。蝶の種類によって幼虫が好む餌というか植物があるんですね。成虫はそういうところに卵を産み付けるんですか。獣糞でミネラルを吸収ってのもあるんですか。この世の中、無駄が無いですね。
m3さん、私のような初心者にご丁寧なコメント、大変有り難うございます。蝶の名前はなかなか覚えられないのですが、少しづつ覚えていこうと思ってます。このアスファルト蝶は、四国山地の山の中、標高500メートルくらいのところですが、撮影日は8月末なので20度を切るということもなかったと感じます。実際、他の多くの蝶は盛んに飛び回ってましたし。ただ、撮影場所は開けて暖かったのですが森の中はけっこうひんやりします。ここへいく途中、森の中に沢の滝壺が有り、水に浸かろうかと思いましたが冷たくてやめました。(私、水浴びと温泉大好き人間でしてところかまわず水に飛び込む変な癖があります)このアスファルト蝶(サトオオイナズマチョウですかね)とか、下のアオスジアゲハはよく見かける蝶です。蝶の種類によって幼虫が好む餌というか植物があるんですね。成虫はそういうところに卵を産み付けるんですか。獣糞でミネラルを吸収ってのもあるんですか。この世の中、無駄が無いですね。
5 m3 2016/9/20 20:42 >このアスファルト蝶コミスジ です。体を温めるのに地面で翅を開いて休止している光景はよくあります。
>このアスファルト蝶コミスジ です。体を温めるのに地面で翅を開いて休止している光景はよくあります。
6 kusanagi 2016/9/20 20:59 あっ、コミスジですか。ありがとう御座います。(^^;
あっ、コミスジですか。ありがとう御座います。(^^;
1 kusanagi 2016/9/19 19:47 道を歩いていると、こういう光景も。たぶん車にはねられたんでしょうね。よく見ると蟻が一匹、蝶の死骸を運んでました。
道を歩いていると、こういう光景も。たぶん車にはねられたんでしょうね。よく見ると蟻が一匹、蝶の死骸を運んでました。
1 kusanagi 2016/9/19 19:46 私も撮ってみたトンボ。前足がかろうじて見えます。
私も撮ってみたトンボ。前足がかろうじて見えます。
2 狭山PAの裏街道 2016/9/20 01:31 あちゃぁ~~~、ここまで来ちゃったかぁ~~~参ったなぁ~。(^^ゞこのトンボはみた事が無い様に思うのですが・・・四国の固有種でしょうか。(^^ゞところで、カモシカって食べちゃっても・・・・良かったっけ・・・。(^^ゞ
あちゃぁ~~~、ここまで来ちゃったかぁ~~~参ったなぁ~。(^^ゞこのトンボはみた事が無い様に思うのですが・・・四国の固有種でしょうか。(^^ゞところで、カモシカって食べちゃっても・・・・良かったっけ・・・。(^^ゞ
3 kusanagi 2016/9/20 20:19 単なる普通の糸トンボじゃないですか?(^^; (知らないのに適当に言ってます)私は望遠マクロレンズは持ってませんし、眼がよくないのでMFも出来ません。こういう昆虫撮影は向かないのてすが、掲示板の皆さんの影響を受けてか、門前の小僧、習わぬお経を・・みたいなもんですか。単なる真似事ですね。カモシカでも鹿でも熊でも害獣となれば捕らえて食っちゃってもいいみたいです。山をカメラ片手に歩いていると、地元の色んな方に遭遇し、あることないこと教えてくれます。(^^; 要するに見つからなければ問題なしだと理解しました。(笑)そうそうウリ坊をとっ捕まえて庭先で飼って、大きなってイノシシ鍋にするっていうのも。野生のイノシシより衛生的ではるかに美味いそうです。
単なる普通の糸トンボじゃないですか?(^^; (知らないのに適当に言ってます)私は望遠マクロレンズは持ってませんし、眼がよくないのでMFも出来ません。こういう昆虫撮影は向かないのてすが、掲示板の皆さんの影響を受けてか、門前の小僧、習わぬお経を・・みたいなもんですか。単なる真似事ですね。カモシカでも鹿でも熊でも害獣となれば捕らえて食っちゃってもいいみたいです。山をカメラ片手に歩いていると、地元の色んな方に遭遇し、あることないこと教えてくれます。(^^; 要するに見つからなければ問題なしだと理解しました。(笑)そうそうウリ坊をとっ捕まえて庭先で飼って、大きなってイノシシ鍋にするっていうのも。野生のイノシシより衛生的ではるかに美味いそうです。
4 八王子の裏街道 2016/9/21 12:28 なるほど、見つからなければ問題なし・・・ですね。(^^ゞそれでもウリ坊から大きくなるまで育てたら愛情が湧いちゃって鍋にはね~~~。(^^ゞ食欲の方が勝っちゃうのかなぁ~、その昔に鶏をってのはありましたがねぇ~。^^
なるほど、見つからなければ問題なし・・・ですね。(^^ゞそれでもウリ坊から大きくなるまで育てたら愛情が湧いちゃって鍋にはね~~~。(^^ゞ食欲の方が勝っちゃうのかなぁ~、その昔に鶏をってのはありましたがねぇ~。^^
5 zzr 2016/9/22 10:47 kusanagiさん、おはようございます。トンボ、種類が多くて好きな方じゃないと同定?は難しいと思います。キイトトンボのような気もしますが。。どうでしょうか。カモシカって天然記念物だった気がしますが ^_^;エゾジカは食べてたような記事が何かにあったような。猪は豚さんの仲間なので美味しいのではないでしょうか。天然と養殖。天然物は何でもクセがあると思います。ナメコなんかも原木で育てた物が天然のより好まれると思います。天然は土の匂いが強いです。キノコ取りに行ってました。今年は秋のキノコがあまり出てないです。。
kusanagiさん、おはようございます。トンボ、種類が多くて好きな方じゃないと同定?は難しいと思います。キイトトンボのような気もしますが。。どうでしょうか。カモシカって天然記念物だった気がしますが ^_^;エゾジカは食べてたような記事が何かにあったような。猪は豚さんの仲間なので美味しいのではないでしょうか。天然と養殖。天然物は何でもクセがあると思います。ナメコなんかも原木で育てた物が天然のより好まれると思います。天然は土の匂いが強いです。キノコ取りに行ってました。今年は秋のキノコがあまり出てないです。。
6 kusanagi 2016/9/22 20:48 こちら、昆虫はトンボに限らず、さっぱりです。(^^ゞ糸トンボにも地方色があるんでしょうね。これを撮ったのは前回出した黒沢湿原です。http://blog.goo.ne.jp/sa7012/e/c1689f3bd8e5ff6712318fcac45b0713これを見ると、場合により害獣と指定されれば狩って食してもいいんですね。http://www.a-kimama.com/gohan/2013/02/2076/缶詰だってありますから。(さて何が入っているのやら)天然記念物だからといって甘やかしてはいないのです。先日、ツキノワグマに襲われた人がいましたが、沖縄空手の貫手で目潰し。みごと撃退したそうです。http://www.akb48matomemory.com/archives/1061161649.htmlツキノワグマは天然記念物ではありませんが、環境省のレッドリストに載っています。たとえ相手が人間だったとしても、自分、もしくは他人が襲われて殺されそうになれば、そういう緊急事態では、よしんばその悪い人間を殺したって罪にはなりません。キノコ取りの季節になりましたね。そう言えば黒沢湿原の周囲は赤松の原生林がありました。探せばマッタケが出てくるのかも。
こちら、昆虫はトンボに限らず、さっぱりです。(^^ゞ糸トンボにも地方色があるんでしょうね。これを撮ったのは前回出した黒沢湿原です。http://blog.goo.ne.jp/sa7012/e/c1689f3bd8e5ff6712318fcac45b0713これを見ると、場合により害獣と指定されれば狩って食してもいいんですね。http://www.a-kimama.com/gohan/2013/02/2076/缶詰だってありますから。(さて何が入っているのやら)天然記念物だからといって甘やかしてはいないのです。先日、ツキノワグマに襲われた人がいましたが、沖縄空手の貫手で目潰し。みごと撃退したそうです。http://www.akb48matomemory.com/archives/1061161649.htmlツキノワグマは天然記念物ではありませんが、環境省のレッドリストに載っています。たとえ相手が人間だったとしても、自分、もしくは他人が襲われて殺されそうになれば、そういう緊急事態では、よしんばその悪い人間を殺したって罪にはなりません。キノコ取りの季節になりましたね。そう言えば黒沢湿原の周囲は赤松の原生林がありました。探せばマッタケが出てくるのかも。
1 kusanagi 2016/9/19 19:44 人工の渓流ダムの側水の魚道ですが、観客はサギが一匹。(^^上空にテグスが張ってあって、鳥が近づかないようにしているんですけどね。
人工の渓流ダムの側水の魚道ですが、観客はサギが一匹。(^^上空にテグスが張ってあって、鳥が近づかないようにしているんですけどね。
1 kusanagi 2016/9/18 23:10 カモシカ君かな?道を歩いていると向こうからカモシカらしきものが歩いてくるじゃないですか。さっと気がついてぴょんと飛び道を外れてヤブの中に消えましたが、途中、少しの間、じっとこちらを観察していました。好奇心なのか、何なのか、こういうのは草食動物らしいですね。大きさはヤギか鹿くらい。色は灰色で小型の牛みたい。これ、上手く料理すると美味いらしいです。
カモシカ君かな?道を歩いていると向こうからカモシカらしきものが歩いてくるじゃないですか。さっと気がついてぴょんと飛び道を外れてヤブの中に消えましたが、途中、少しの間、じっとこちらを観察していました。好奇心なのか、何なのか、こういうのは草食動物らしいですね。大きさはヤギか鹿くらい。色は灰色で小型の牛みたい。これ、上手く料理すると美味いらしいです。
2 め組 2016/9/19 16:38 あんた 動物に 君付けして置きながら 食べたいと?
あんた 動物に 君付けして置きながら 食べたいと?
1 kusanagi 2016/9/18 23:00 これも在庫から。放射状に流れているのが綺麗かな。これも手持ちです。
これも在庫から。放射状に流れているのが綺麗かな。これも手持ちです。
2 kusanagi 2016/9/18 23:04 データが出てないですね。確かDP1Mだったかな?忘れました。
データが出てないですね。確かDP1Mだったかな?忘れました。
1 zzr 2016/9/19 01:38 渓流はこんな雰囲気で撮れたらと思った三作品。中でも特にこの一枚が好きです。いいなぁ。。
渓流はこんな雰囲気で撮れたらと思った三作品。中でも特にこの一枚が好きです。いいなぁ。。
3 kusanagi 2016/9/18 23:06 こんなに大きなデータ量だとは気が付かなかった。レンズは記憶では17-55F2.8のAPSカメラ用レンズだと思います。
こんなに大きなデータ量だとは気が付かなかった。レンズは記憶では17-55F2.8のAPSカメラ用レンズだと思います。
4 め組 2016/9/19 15:59 写真古過ぎや 次回に期待
写真古過ぎや 次回に期待
5 kusanagi 2016/9/19 19:34 画素数リサイズなしで投稿したね。そうそう、こういうのは渓流って言うでしたっけ。(^^ゞ何時どこで撮ったかは忘れましたが、四国は山国ですのでこういう渓流は多いと思います。こういう渓谷は水量で出てるかどうかが大事で、雨が降って数日後くらいの撮影がよいのかな。まあ場所にもよりますけど。
画素数リサイズなしで投稿したね。そうそう、こういうのは渓流って言うでしたっけ。(^^ゞ何時どこで撮ったかは忘れましたが、四国は山国ですのでこういう渓流は多いと思います。こういう渓谷は水量で出てるかどうかが大事で、雨が降って数日後くらいの撮影がよいのかな。まあ場所にもよりますけど。
6 狭山PAの裏街道 2016/9/20 01:35 こんばんは。デカイデータ量ですねぇ~、さすがD800.写りも綺麗ですねぇ~、一瞬シグマ?って思ったらニコンで納得。^^
こんばんは。デカイデータ量ですねぇ~、さすがD800.写りも綺麗ですねぇ~、一瞬シグマ?って思ったらニコンで納得。^^
7 kusanagi 2016/9/20 20:58 D800(D810も)は非常に優れたカメラで、画質はとても綺麗です。先日はこのカメラをもって雨の中、延々と歩いてきました。基本、ライブビュー撮影なのですがファインダーで見て撮影するよりブレないです。無論防水カメラじゃないわけで、ファインダーの接眼部から少し水か入ったのか、曇りました。そういう場合にもライブビュー撮影は有利です。上は防水ウェアを羽織っていたものの長時間の濡れで中にも染みこんでもう全身びしょ濡れ。私もカメラも水浸しとなりましたが、しかし雨の日の撮影もまた良しです。撮影後の手入は、まず車にいれば乾いた吸湿性の良い布で水滴を拭き取り、エアコンで出来る限り乾燥。帰宅後も除湿機やエアコンで徹底的にカメラもレンズも乾燥させます。レンズは伸展させた状態ですね。もしくは伸縮を繰り返して中に入った水を徹底的に乾かします。きっちりメンテナンスさえしていれば、雨の撮影でも大丈夫です。過去にも大雨の中、イオス1DSとオリンパスE-1で撮影をしましたが、イオスはバッテリー部分、オリンパスは接眼部に水が入り込みました。しかし問題なく今でも動いています。カメラが防滴でもレンズがそうではない場合があります。そういう時にはハンカチとビニールを輪ゴム(女性の髪留めがよい)で巻き、簡易防滴とすることもできます。一度大雨に降られてカメラ2台を壊したことがあります。(防滴カメラではなくて) それに懲りて今はバッグの中にピニール、ポリエチレンの袋をいつも入れています。きちんと使えさえすればカメラはかなり厳しい状況でも動きますね。そうそう厳寒の冬、バッテリーがアウトになって動かなくなったこともあります。その時は2台持っていたので動く1台だけで撮影を続けました。(これは古い話なので今はどの機種でも問題無いでしょう)だいたいトラブルを起こすのは小型機です。中級機や大型機はまず大丈夫ですね。大型のプロ機はよっぽどのことがない限り壊れません。しかし撮影後のメンテナンスはとにかく大事です。
D800(D810も)は非常に優れたカメラで、画質はとても綺麗です。先日はこのカメラをもって雨の中、延々と歩いてきました。基本、ライブビュー撮影なのですがファインダーで見て撮影するよりブレないです。無論防水カメラじゃないわけで、ファインダーの接眼部から少し水か入ったのか、曇りました。そういう場合にもライブビュー撮影は有利です。上は防水ウェアを羽織っていたものの長時間の濡れで中にも染みこんでもう全身びしょ濡れ。私もカメラも水浸しとなりましたが、しかし雨の日の撮影もまた良しです。撮影後の手入は、まず車にいれば乾いた吸湿性の良い布で水滴を拭き取り、エアコンで出来る限り乾燥。帰宅後も除湿機やエアコンで徹底的にカメラもレンズも乾燥させます。レンズは伸展させた状態ですね。もしくは伸縮を繰り返して中に入った水を徹底的に乾かします。きっちりメンテナンスさえしていれば、雨の撮影でも大丈夫です。過去にも大雨の中、イオス1DSとオリンパスE-1で撮影をしましたが、イオスはバッテリー部分、オリンパスは接眼部に水が入り込みました。しかし問題なく今でも動いています。カメラが防滴でもレンズがそうではない場合があります。そういう時にはハンカチとビニールを輪ゴム(女性の髪留めがよい)で巻き、簡易防滴とすることもできます。一度大雨に降られてカメラ2台を壊したことがあります。(防滴カメラではなくて) それに懲りて今はバッグの中にピニール、ポリエチレンの袋をいつも入れています。きちんと使えさえすればカメラはかなり厳しい状況でも動きますね。そうそう厳寒の冬、バッテリーがアウトになって動かなくなったこともあります。その時は2台持っていたので動く1台だけで撮影を続けました。(これは古い話なので今はどの機種でも問題無いでしょう)だいたいトラブルを起こすのは小型機です。中級機や大型機はまず大丈夫ですね。大型のプロ機はよっぽどのことがない限り壊れません。しかし撮影後のメンテナンスはとにかく大事です。
1 kusanagi 2016/9/17 21:53 レンズがしょぼいので、アンシャープネスでごまかしてます。(^^ゞフィルム時代のシグマの12-24広角レンズてすが、順光で光量がたっぷりとあるとF7~8で非常にシャープな解像力がありますが、それ以外は常に収差が出てきますね。しかしピクセル等倍で見なければよいのであって、持ちやすく超音波モーターで使いやすいレンズなので重宝して使ってます。フイルターは着けられませんがAPSカメラの場合、フードが着くので安心です。私は広角大好き人間なので、キヤノンAPSの場合は10-22ミリがメインレンズです。キヤノンフルサイズだと17-40F4Lかな。APSカメラに着けると標準ズームになるし。そういう少し良いと言われるレンズが一番使いやすいと思ってます。
レンズがしょぼいので、アンシャープネスでごまかしてます。(^^ゞフィルム時代のシグマの12-24広角レンズてすが、順光で光量がたっぷりとあるとF7~8で非常にシャープな解像力がありますが、それ以外は常に収差が出てきますね。しかしピクセル等倍で見なければよいのであって、持ちやすく超音波モーターで使いやすいレンズなので重宝して使ってます。フイルターは着けられませんがAPSカメラの場合、フードが着くので安心です。私は広角大好き人間なので、キヤノンAPSの場合は10-22ミリがメインレンズです。キヤノンフルサイズだと17-40F4Lかな。APSカメラに着けると標準ズームになるし。そういう少し良いと言われるレンズが一番使いやすいと思ってます。
2 裏街道 2016/9/18 10:23 おはようございます。その17-40を早々に手放してしまった私・・・。(^^ゞ12-24だと被写体に近づいて撮ることが多くなるでしょうね。それこそが基本なんでしょうが・・・、手を抜いちゃってます。(^^ゞ
おはようございます。その17-40を早々に手放してしまった私・・・。(^^ゞ12-24だと被写体に近づいて撮ることが多くなるでしょうね。それこそが基本なんでしょうが・・・、手を抜いちゃってます。(^^ゞ
3 kusanagi 2016/9/18 22:47 広角レンズを被写体に近づけてクローズアップ撮影するというのは、アマチュア写真家の常套手法ですが、確かに近づいた被写体の描写はクリアで綺麗ですね。しかし私は普通に広角レンズは視野の広さを活かした遠景写真でしか使いません。撮影の難しさとしては、実は遠景写真の方がはるかに難易度が高いと思いますよ。接近撮影は空気の壁がありませんのでどんなレンズでもクリアに写ります。ところが遠景だとよっぽど空気が澄んでいないかぎりボヤッとしか写りません。それをクリアにシャープに撮ろうと思えば非常に難しいんです。さらにピントも難しいですし、ブレもそう。遠景・無限遠に行くほど撮影は難しくなります。一般の印象としては遠景ランドスケープ写真は簡単だと思っているかもしれませんが極めて難しいというのが本当です。それで遠景写真では画素数圧縮という手段を撮らざるを得ません。これがカメラ内で出来るのがシグマカメラです。本当は4000万画素のカメラがカメラ内圧縮されて1500万画素出ててくる。それでシグマはシャープに出るんですね。下のzzrさんの写真はシグマコンデジですが、まずピントがコントラスト検知なので正確。次にレンズシャッター方式なのでぶれない。この2つで遠景写真に向くカメラなんですね。さらにシグマ方式ですから圧縮画像が最初から出てくるし、さらに東北の地の撮影なので空気はクリア。この光景をデジイチでやろうとすれば三脚にミラーアップ、ライブビューでピント合わせでしなければなりませんが、シグマDPだと簡単に手持ちで撮影できます。広角レンズでは接近被写体を入れるっていうのは、撮影の基本でもなんでもなくて、要するにストレートな遠景写真が難しいから、ある意味でごまかしのテクニックであるというだけなんですね。それで広角にかぎらずストレートな遠景撮影がどれほど難しいこと知っている人は、必ず三脚で撮影するんですよ。たとえ広角レンズでも遠景撮影は、言わば銃の遠距離狙撃と同じでして、正確にピントで、かつブラさないというのが基本です。手持ちで撮影だと、拡大してボヤッとしていて、それがレンズの収差でない限りはブレとピント外れなんですね。それが理解できずにこのレンズは性能が悪いと皆さんおっしゃる。そうじゃなくて正しく使っていないだけなんですけどね。この滝の撮影は中景撮影ですし、そもそも記録として撮っただけなので、ブレていますし、レンズも開放で撮ってますので収差は盛大です。あんまり小難しいことを言うと、歩き撮影のメリットが出てきません。撮影はそこそこでよくて、それよりも歩いて自然に触れることが大切だと考えます。時間に忙しい方に三脚撮影などはできません。やはりデジイチは手に持って自分で歩いて気軽に写真は撮れればいいんじゃないですか。広角側は24ミリからあれば十分と考えます。私が広角ズームを使うのはあくまで記録として地形的に広域を収めておきたいと考えるからです。普通の写真描写としては広角24から28ミリで問題がないでしょうね。
広角レンズを被写体に近づけてクローズアップ撮影するというのは、アマチュア写真家の常套手法ですが、確かに近づいた被写体の描写はクリアで綺麗ですね。しかし私は普通に広角レンズは視野の広さを活かした遠景写真でしか使いません。撮影の難しさとしては、実は遠景写真の方がはるかに難易度が高いと思いますよ。接近撮影は空気の壁がありませんのでどんなレンズでもクリアに写ります。ところが遠景だとよっぽど空気が澄んでいないかぎりボヤッとしか写りません。それをクリアにシャープに撮ろうと思えば非常に難しいんです。さらにピントも難しいですし、ブレもそう。遠景・無限遠に行くほど撮影は難しくなります。一般の印象としては遠景ランドスケープ写真は簡単だと思っているかもしれませんが極めて難しいというのが本当です。それで遠景写真では画素数圧縮という手段を撮らざるを得ません。これがカメラ内で出来るのがシグマカメラです。本当は4000万画素のカメラがカメラ内圧縮されて1500万画素出ててくる。それでシグマはシャープに出るんですね。下のzzrさんの写真はシグマコンデジですが、まずピントがコントラスト検知なので正確。次にレンズシャッター方式なのでぶれない。この2つで遠景写真に向くカメラなんですね。さらにシグマ方式ですから圧縮画像が最初から出てくるし、さらに東北の地の撮影なので空気はクリア。この光景をデジイチでやろうとすれば三脚にミラーアップ、ライブビューでピント合わせでしなければなりませんが、シグマDPだと簡単に手持ちで撮影できます。広角レンズでは接近被写体を入れるっていうのは、撮影の基本でもなんでもなくて、要するにストレートな遠景写真が難しいから、ある意味でごまかしのテクニックであるというだけなんですね。それで広角にかぎらずストレートな遠景撮影がどれほど難しいこと知っている人は、必ず三脚で撮影するんですよ。たとえ広角レンズでも遠景撮影は、言わば銃の遠距離狙撃と同じでして、正確にピントで、かつブラさないというのが基本です。手持ちで撮影だと、拡大してボヤッとしていて、それがレンズの収差でない限りはブレとピント外れなんですね。それが理解できずにこのレンズは性能が悪いと皆さんおっしゃる。そうじゃなくて正しく使っていないだけなんですけどね。この滝の撮影は中景撮影ですし、そもそも記録として撮っただけなので、ブレていますし、レンズも開放で撮ってますので収差は盛大です。あんまり小難しいことを言うと、歩き撮影のメリットが出てきません。撮影はそこそこでよくて、それよりも歩いて自然に触れることが大切だと考えます。時間に忙しい方に三脚撮影などはできません。やはりデジイチは手に持って自分で歩いて気軽に写真は撮れればいいんじゃないですか。広角側は24ミリからあれば十分と考えます。私が広角ズームを使うのはあくまで記録として地形的に広域を収めておきたいと考えるからです。普通の写真描写としては広角24から28ミリで問題がないでしょうね。
4 狭山PAの裏街道 2016/9/20 01:38 グサッと突き刺さりまスた。(^^ゞ
グサッと突き刺さりまスた。(^^ゞ
1 zzr 2016/9/17 10:01 こちら稲穂もよい色になってきました。出張、睡眠不足、夏バテの三重苦からやっと抜け出せそう。とにかく体調が最悪でした ^_^;暑い時の暴飲暴食が内臓にきてたと思います。反省です。
こちら稲穂もよい色になってきました。出張、睡眠不足、夏バテの三重苦からやっと抜け出せそう。とにかく体調が最悪でした ^_^;暑い時の暴飲暴食が内臓にきてたと思います。反省です。
2 裏街道 2016/9/17 16:11 こんにちは。家主さんがお出かけで寂しかったですよぉ~。(^^ゞごゆっくり休んでください。^^
こんにちは。家主さんがお出かけで寂しかったですよぉ~。(^^ゞごゆっくり休んでください。^^
3 kusanagi 2016/9/17 21:50 こういうランドスケープ写真は私の大好物です。この空間の広さがなんともいえないんですね。ドローンでちょっと上空から撮影をしたいなあっていつも感じます。しかしカメラだけ持ち上がっても仕方がないわけでね。(^^ゞ私はこの夏の暑さは大丈夫でした。もっともその前の今年の冬はひどかったですが。実は反省をして、この春から、少しでも時間を見つけてカメラを手に持って歩き撮影をしていたんです。その効果はちょっとあったかなって感じます。
こういうランドスケープ写真は私の大好物です。この空間の広さがなんともいえないんですね。ドローンでちょっと上空から撮影をしたいなあっていつも感じます。しかしカメラだけ持ち上がっても仕方がないわけでね。(^^ゞ私はこの夏の暑さは大丈夫でした。もっともその前の今年の冬はひどかったですが。実は反省をして、この春から、少しでも時間を見つけてカメラを手に持って歩き撮影をしていたんです。その効果はちょっとあったかなって感じます。
4 zzr 2016/9/19 00:51 裏街道さん、こんばんは。私、家主さんだったんですか ^_^;私も知らないうちに無理の利かない年頃になってきたようです。この夏、というか若い時のツケなのかも。kusanagiさん、こんばんは。前にこんな感じのが好きだと聞いてたので撮った写真です。メリルの1番機ですがセンサーが寿命なのかな、最近解像感が落ちたような。。絞りの事を忘れてたのもありますが。ドローンは興味あります。DPなら軽いからぶら下げて撮影できるかなぁ、とか天気が良い日ならシャッタースピード上げてインターバル撮影ならなんとかなる?。。なんて妄想してます ^_^;連休中日の今日、キノコ採りに誘われて午前中は山の中を引きずり回されてました。午後は舞楽を撮りに。結構忙しい一日でした。
裏街道さん、こんばんは。私、家主さんだったんですか ^_^;私も知らないうちに無理の利かない年頃になってきたようです。この夏、というか若い時のツケなのかも。kusanagiさん、こんばんは。前にこんな感じのが好きだと聞いてたので撮った写真です。メリルの1番機ですがセンサーが寿命なのかな、最近解像感が落ちたような。。絞りの事を忘れてたのもありますが。ドローンは興味あります。DPなら軽いからぶら下げて撮影できるかなぁ、とか天気が良い日ならシャッタースピード上げてインターバル撮影ならなんとかなる?。。なんて妄想してます ^_^;連休中日の今日、キノコ採りに誘われて午前中は山の中を引きずり回されてました。午後は舞楽を撮りに。結構忙しい一日でした。
5 kusanagi 2016/9/19 19:33 絞り値開放で、これだけ出ていれば文句ないんじゃないですかね。古いカメラのセンサーなり回路が劣化するのではないか?という心配は私にもありますよ。しかし詳しく検証してみると、なかなか劣化というのはなさそうです。(背面の液晶はすこぶる劣化しますが)解像感が落ちたような気がするのは、まずソフトの問題があります。最新のSPPはクワトロ優先であって、メリル現像の場合は手を抜いているという指摘もどこかであったように記憶します。つまりSPPのバージョン問題ですね。これを気をつけていないと、たとえ最新だからと言って、自分の手持ちのカメラにジャストフィットしているとは限らないのです。「シグマSPPバージョン履歴」http://powerapple.at.webry.info/201406/article_44.htmlhttp://powerapple.at.webry.info/201406/article_45.html当然ながら古いバージョンは現在ダウンロード不可ですね。しかし例外的に4.2だけがダウンロードできるようです。無論メリル対応ではありません。http://www.sigma-dp1.com/jp/software/spp/それでカメラを買われた時の添付CDからSPPをインストールすれば大丈夫でしよう。それからPCやモニターが変わってくると、これも過去の自分の記憶とは違ってきます。実際に過去に撮ったRAW画像と、現在のRAW画像を比べてみると容易に比較できると思います。
絞り値開放で、これだけ出ていれば文句ないんじゃないですかね。古いカメラのセンサーなり回路が劣化するのではないか?という心配は私にもありますよ。しかし詳しく検証してみると、なかなか劣化というのはなさそうです。(背面の液晶はすこぶる劣化しますが)解像感が落ちたような気がするのは、まずソフトの問題があります。最新のSPPはクワトロ優先であって、メリル現像の場合は手を抜いているという指摘もどこかであったように記憶します。つまりSPPのバージョン問題ですね。これを気をつけていないと、たとえ最新だからと言って、自分の手持ちのカメラにジャストフィットしているとは限らないのです。「シグマSPPバージョン履歴」http://powerapple.at.webry.info/201406/article_44.htmlhttp://powerapple.at.webry.info/201406/article_45.html当然ながら古いバージョンは現在ダウンロード不可ですね。しかし例外的に4.2だけがダウンロードできるようです。無論メリル対応ではありません。http://www.sigma-dp1.com/jp/software/spp/それでカメラを買われた時の添付CDからSPPをインストールすれば大丈夫でしよう。それからPCやモニターが変わってくると、これも過去の自分の記憶とは違ってきます。実際に過去に撮ったRAW画像と、現在のRAW画像を比べてみると容易に比較できると思います。
1 kusanagi 2016/9/16 21:49 忙しい人ほど、カメラを持って歩きましょう。それからカメラは必ず、肩に掛けないで歩いているあいだじゅうは手に持ちましょう。右手だけでなく左手でも。必ず交互に持ちましょうね。忙しい人は時間が取れませんから歩く時間は十数分・数十分という具合になるでしょう。そういう場合は歩く距離を稼げない分、カメラを重くしましょう。大型のカメラとか重いレンズ。時間が取れる人は数キロ十数キロと歩けるのだから、その距離を踏破できるように軽めのカメラにしましょう。だからといって高齢者でない限り、コンデジやミラーレスでは軽すぎて運動になりません。カメラの重さの感覚は、人によって違いが大きいのですが、中級機に標準ズームが平均値だとしますと、それを持ったまま10キロを撮影しながら歩けるのが標準体力でしょう。そのカメラにバッテリーグリップと大口径ズームを着ければ大型のカメラになります。それだと歩ける距離は半減します。だいたいそんな感じですね。なぜこんなことを書くかというと、手に負荷をかけながら歩くというのは足腰を強靭にするんですね。実は手ぶらで歩くのは案外に効果は薄いです。足腰は身体の基本でして、これが強くなれば体力が高まります。いくら上半身を鍛えても足腰が虚弱では持久力がでません。カメラを左右に持ち替えて歩くというのは体軸を正すためです。右手ばかりで持っていては逆に疲労が溜まりますから。(同様の意味で肩に掛けるバッグは小さく軽めに)忙しい人は少しでも時間を見つけ10分でもいいから、カメラを手に歩く習慣をつけますと数ヶ月でその効果は出てきます。慣れればカメラを少し重くしてやる。写真を撮れなくても構わないから、とにかく持って歩くこと。これが大事なんです。この効果は実際にやってみるとその効果に驚くほどです。歩く人には大病はありません。病気をしても手に負荷をかけながら歩くと病気は治ってきます。※写真は神山町、県道31号線沿いの、鮎喰川の支流だと思います。この道をずっと南に行くと神山の中心地にいけます。
忙しい人ほど、カメラを持って歩きましょう。それからカメラは必ず、肩に掛けないで歩いているあいだじゅうは手に持ちましょう。右手だけでなく左手でも。必ず交互に持ちましょうね。忙しい人は時間が取れませんから歩く時間は十数分・数十分という具合になるでしょう。そういう場合は歩く距離を稼げない分、カメラを重くしましょう。大型のカメラとか重いレンズ。時間が取れる人は数キロ十数キロと歩けるのだから、その距離を踏破できるように軽めのカメラにしましょう。だからといって高齢者でない限り、コンデジやミラーレスでは軽すぎて運動になりません。カメラの重さの感覚は、人によって違いが大きいのですが、中級機に標準ズームが平均値だとしますと、それを持ったまま10キロを撮影しながら歩けるのが標準体力でしょう。そのカメラにバッテリーグリップと大口径ズームを着ければ大型のカメラになります。それだと歩ける距離は半減します。だいたいそんな感じですね。なぜこんなことを書くかというと、手に負荷をかけながら歩くというのは足腰を強靭にするんですね。実は手ぶらで歩くのは案外に効果は薄いです。足腰は身体の基本でして、これが強くなれば体力が高まります。いくら上半身を鍛えても足腰が虚弱では持久力がでません。カメラを左右に持ち替えて歩くというのは体軸を正すためです。右手ばかりで持っていては逆に疲労が溜まりますから。(同様の意味で肩に掛けるバッグは小さく軽めに)忙しい人は少しでも時間を見つけ10分でもいいから、カメラを手に歩く習慣をつけますと数ヶ月でその効果は出てきます。慣れればカメラを少し重くしてやる。写真を撮れなくても構わないから、とにかく持って歩くこと。これが大事なんです。この効果は実際にやってみるとその効果に驚くほどです。歩く人には大病はありません。病気をしても手に負荷をかけながら歩くと病気は治ってきます。※写真は神山町、県道31号線沿いの、鮎喰川の支流だと思います。この道をずっと南に行くと神山の中心地にいけます。
2 裏街道 2016/9/17 16:17 こんにちは。なんでしょうかねぇ~、歩いていると『ん?怪しい奴・・・』って見られるんですよ。(^^ゞで、必要以上に右手のカメラを目立つ様にしております。『こんにちはぁ~』と声をかけてくれるのはおばちゃんと小中学生くらいですね。(^^ゞ
こんにちは。なんでしょうかねぇ~、歩いていると『ん?怪しい奴・・・』って見られるんですよ。(^^ゞで、必要以上に右手のカメラを目立つ様にしております。『こんにちはぁ~』と声をかけてくれるのはおばちゃんと小中学生くらいですね。(^^ゞ
3 kusanagi 2016/9/17 21:49 農村や山村での歩きは、ちょっとそういうところがありますかね。しかし街でのスナップ撮影でも同じですよ。でも気にしない、気にしない。(^^;しかし地元の人には、積極的にこちらから大きな声で挨拶をしましょう。もっとも話し込んでしまうと長くなって時間がなくなりますから、そこらは適当に。そういうことでは自分は風景写真を撮っているのだという意思表示を示す為にもカメラは一眼レフ、しかも大きめのやつがいいです。
農村や山村での歩きは、ちょっとそういうところがありますかね。しかし街でのスナップ撮影でも同じですよ。でも気にしない、気にしない。(^^;しかし地元の人には、積極的にこちらから大きな声で挨拶をしましょう。もっとも話し込んでしまうと長くなって時間がなくなりますから、そこらは適当に。そういうことでは自分は風景写真を撮っているのだという意思表示を示す為にもカメラは一眼レフ、しかも大きめのやつがいいです。
1 上郷SAの裏街道 2016/9/15 23:01 こんばんは。今年初めて撮れました。^^
こんばんは。今年初めて撮れました。^^
2 kusanagi 2016/9/16 21:48 彼岸花との今年はじめての出会い。こんにちは、彼岸花さん。(^^桜の花に出会い、藤の花に、コスモスに彼岸花に。そして紅葉に、樹氷に。日本は花鳥風月の国です。この国に生まれてよかったです。
彼岸花との今年はじめての出会い。こんにちは、彼岸花さん。(^^桜の花に出会い、藤の花に、コスモスに彼岸花に。そして紅葉に、樹氷に。日本は花鳥風月の国です。この国に生まれてよかったです。
3 裏街道 2016/9/17 16:09 kusanagiさん、こんにちは。ですね、この国に生まれて幸せです。^^って、この国は花鳥風月さんのものだったのか・・・。(^^ゞ
kusanagiさん、こんにちは。ですね、この国に生まれて幸せです。^^って、この国は花鳥風月さんのものだったのか・・・。(^^ゞ
4 kusanagi 2016/9/19 00:08 花鳥風月というのは本来、個人名の名前じゃないですね。(^^;それはともかく、「め組」さんという方、賑やかですね。どうやら花鳥風月さんとよく気が合うようです。今はもう、この板くらいしか覗いていないのですが、たまに他の板を見ますと、もう流れが分からなくて、ぜんぜんついていけません。(^^ゞそれでちょっと見た限りでは、花鳥風月さんとめ組さんは、こういうのは新しいスタイルの写真なのかなって感じますね。我々はというか、私はもう古いタイプの写真人なので、ああいう軽快な写真撮影やコメントは出来ないのですが、そういうのも新しい写真のスタイルという気がしてくるんですね。既成概念を破るような新しい写真というのは、不思議に昔からその時代の軽快なカメラから生まれています。ライカしかり、キヤノンやニコンも当初はそうでした。今の時代では小型APSカメラとかコンデジでしょうね。そういう小型の軽快なカメラひとつで、自分の写真ライフを構築する。そういうスタイルは確かに新しいです。私はというと、膨大な機材を持て余して写真というよりも機材を持つのが楽しいという倒錯した写真生活を送っているんですが、こういう馬鹿げたことをしているようじゃ本当の写真に近づくことはとうていできません。おそらく、これからは花鳥風月さんやめ組さんのような人が、新しい写真の流れを形作っていくような気がします。花鳥風月さんは今はともかく、当初は大分叩かれましたね。その急先鋒だったのは○○○さんですが、その方はもう今では同じ板で花鳥風月さんと仲良く共存しているようです。随分と大人しくなったみたいですが、花鳥風月さんの作る時代の流れには勝てなかったということでしょう。同様に、め組さんも新しい写真の流れを作っていく可能性を秘めていますね。今回のめ組さんに対しては裏耕人さん達が担当されているようですが、これとて最後はめ組さんに根負けしてしまうかもしれないですね。(^^ゞまあどうなるかは、粘ったものの勝ち、ということでしょう。写真の歴史のジンクスとして、軽い最新の機材が最後には勝つ。どうやらそういうものがありそうですね。この感覚はベビー機材の持ち主には絶対理解できないことなんですが、しかし私はある程度は分かりますよ。カメラを手に持って歩き撮影をしていると、重い機材の場合と軽い機材の場合とでは、その歩きの軽快さに圧倒的な差がついてしまうことを自分でよく知っているからです。私は小型コンデジ機から大型機まで使っていますからよく分かるのです。そもそも大型機材を好む人は本来保守の、新しいことをしたがらない人間なんです。無難で間違いなく行きたいという人間ですから、私も典型的にそういう人間のひとりです。だからこそ分かるのですが、そういう人間は新しい時代を切り開くことができません。もう、その時点で、いや最初からアウトなんですね。花鳥風月さんを叩いたのは大型機材の持ち主でした。今回のめ組さんに対しても大型機材の持ち主が叩いています。古い保守が新しい革新を叩く。しかし時代の流れに抗しきれずに保守は最後には革新に道を譲る。ありふれた構図ですかね。と言いつつも、古いデジイチがなくならずに新しいミラーレスと共存しているのが現状ですから、花鳥風月さんやめ組さんが我々に取って代わるというのではなく、我々と共存していくということになるんでしょう。
花鳥風月というのは本来、個人名の名前じゃないですね。(^^;それはともかく、「め組」さんという方、賑やかですね。どうやら花鳥風月さんとよく気が合うようです。今はもう、この板くらいしか覗いていないのですが、たまに他の板を見ますと、もう流れが分からなくて、ぜんぜんついていけません。(^^ゞそれでちょっと見た限りでは、花鳥風月さんとめ組さんは、こういうのは新しいスタイルの写真なのかなって感じますね。我々はというか、私はもう古いタイプの写真人なので、ああいう軽快な写真撮影やコメントは出来ないのですが、そういうのも新しい写真のスタイルという気がしてくるんですね。既成概念を破るような新しい写真というのは、不思議に昔からその時代の軽快なカメラから生まれています。ライカしかり、キヤノンやニコンも当初はそうでした。今の時代では小型APSカメラとかコンデジでしょうね。そういう小型の軽快なカメラひとつで、自分の写真ライフを構築する。そういうスタイルは確かに新しいです。私はというと、膨大な機材を持て余して写真というよりも機材を持つのが楽しいという倒錯した写真生活を送っているんですが、こういう馬鹿げたことをしているようじゃ本当の写真に近づくことはとうていできません。おそらく、これからは花鳥風月さんやめ組さんのような人が、新しい写真の流れを形作っていくような気がします。花鳥風月さんは今はともかく、当初は大分叩かれましたね。その急先鋒だったのは○○○さんですが、その方はもう今では同じ板で花鳥風月さんと仲良く共存しているようです。随分と大人しくなったみたいですが、花鳥風月さんの作る時代の流れには勝てなかったということでしょう。同様に、め組さんも新しい写真の流れを作っていく可能性を秘めていますね。今回のめ組さんに対しては裏耕人さん達が担当されているようですが、これとて最後はめ組さんに根負けしてしまうかもしれないですね。(^^ゞまあどうなるかは、粘ったものの勝ち、ということでしょう。写真の歴史のジンクスとして、軽い最新の機材が最後には勝つ。どうやらそういうものがありそうですね。この感覚はベビー機材の持ち主には絶対理解できないことなんですが、しかし私はある程度は分かりますよ。カメラを手に持って歩き撮影をしていると、重い機材の場合と軽い機材の場合とでは、その歩きの軽快さに圧倒的な差がついてしまうことを自分でよく知っているからです。私は小型コンデジ機から大型機まで使っていますからよく分かるのです。そもそも大型機材を好む人は本来保守の、新しいことをしたがらない人間なんです。無難で間違いなく行きたいという人間ですから、私も典型的にそういう人間のひとりです。だからこそ分かるのですが、そういう人間は新しい時代を切り開くことができません。もう、その時点で、いや最初からアウトなんですね。花鳥風月さんを叩いたのは大型機材の持ち主でした。今回のめ組さんに対しても大型機材の持ち主が叩いています。古い保守が新しい革新を叩く。しかし時代の流れに抗しきれずに保守は最後には革新に道を譲る。ありふれた構図ですかね。と言いつつも、古いデジイチがなくならずに新しいミラーレスと共存しているのが現状ですから、花鳥風月さんやめ組さんが我々に取って代わるというのではなく、我々と共存していくということになるんでしょう。
5 狭山PAの裏街道 2016/9/20 01:45 確かにねぇ~、根負けしちゃってます。(^^ゞまぁ、型からはみ出したと言えばそうですが人の心をもてあそぶ感じが好きになれません。ひょっとして携帯から投稿しているのかな?なんて考えております。それだと、コメントを読んでいない感じも貼る写真のサイズも納得がいくというか・・・。
確かにねぇ~、根負けしちゃってます。(^^ゞまぁ、型からはみ出したと言えばそうですが人の心をもてあそぶ感じが好きになれません。ひょっとして携帯から投稿しているのかな?なんて考えております。それだと、コメントを読んでいない感じも貼る写真のサイズも納得がいくというか・・・。
1 裏街道 2016/9/14 22:47 kusanagiさん、こんばんは。テーマ・・・難しいなぁ~。(^^ゞ今の自分には仕事の合間に引き付けられた被写体にカメラを向けるそんな感じですね。行く先々で気に入った風景を撮ることぐらいですね。(^^ゞ
kusanagiさん、こんばんは。テーマ・・・難しいなぁ~。(^^ゞ今の自分には仕事の合間に引き付けられた被写体にカメラを向けるそんな感じですね。行く先々で気に入った風景を撮ることぐらいですね。(^^ゞ
2 箱崎の裏街道 2016/9/14 14:28 こんにちは。彼岸花は不発でした。(^^ゞ
こんにちは。彼岸花は不発でした。(^^ゞ
3 kusanagi 2016/9/14 22:22 大和市郷土民家園とありますね。お供え物は、柿、栗、さつまいも、豆腐、団子かな。肉がないなあ・・・川魚に絞め殺した鶏かウサギでもあれば・・・(笑)もちろん肉は直ぐに腐ってしまうから供え物にはふさわしくないだけで昔の人も動物性蛋白質はちゃんと摂ってましたから。彼岸花はいつでも、来年でも撮れます。それよりかは今でなければ撮れない写真をとるべきですね。その為には自分の今の関心事を常に持っていなければなりません。敢えて言えば、テーマのようなものです。写真は被写体優先で行きたいです。写真の為の被写体写真では、写真がもったいないです。カメラがもったいないです。時間がもったいないです。平成28年9月14日は二度とめぐってきません。
大和市郷土民家園とありますね。お供え物は、柿、栗、さつまいも、豆腐、団子かな。肉がないなあ・・・川魚に絞め殺した鶏かウサギでもあれば・・・(笑)もちろん肉は直ぐに腐ってしまうから供え物にはふさわしくないだけで昔の人も動物性蛋白質はちゃんと摂ってましたから。彼岸花はいつでも、来年でも撮れます。それよりかは今でなければ撮れない写真をとるべきですね。その為には自分の今の関心事を常に持っていなければなりません。敢えて言えば、テーマのようなものです。写真は被写体優先で行きたいです。写真の為の被写体写真では、写真がもったいないです。カメラがもったいないです。時間がもったいないです。平成28年9月14日は二度とめぐってきません。
4 kusanagi 2016/9/15 21:50 テーマっていう言い方はまずかったかな。それに使い古された古い言葉だし。それで改めて、スタイルって言ってもいいかな。テーマは目的って感じたけど、スタイルは途中経過の様(さま・様子)ですかね。お仕事から僅かな撮影時間を見出して撮影をするというのは、特定の被写体は選べないことが多いですね。しかし日本全国、どこにでも出没できるというのは普通ではできないこと。短所の陰には長所がありというわけで、裏街道さんの撮影スタイルは実にユニークで価値あるものです。被写体が選べないと言っても、そこには一定方向のテーマのようなものが見て取れますし、広角レンズを多用し緑と海と空と、日本全国のランドスケープが、ある意味では裏街道さんのテーマなのかも知れません。自分の写真のスタイルやテーマは大切で、これを常々考えていないと自分を見失うことなってしまい、自分の写真に満足感が得られません。ちなみに私の場合、車で出かけて行って、撮影のためには「歩く」ということを大切にしています。本当のことを言うと、歩きたいがためにカメラを持ち写真を撮っているといっても言い過ぎではありません。(^^;それでよく歩ければ満足で、歩きが足りなければ不満足というところがありますね。勿論、良い景色に出会えて写真を撮れればもう最高です。150パーセントの満足感が得られますから。そういう場合の「歩き」は、私の写真のスタイルであり、被写体は自然界であってそれはテーマと言っていいでしょう。とりわけ地形や地勢に興味があります。もっとそのテーマを掘り下げれば、私の場合は水辺の自然ということになりますか。その自然と言っても、絵に描いたような人工物を一切排したような観光写真は求めていません。それは返って不自然だからですね。こんな風にして、自分なりの撮影スタイルや被写体テーマを追い求めていくということが何よりも大切だと思っています。それから、写真の満足感には、写真の「画質」、ということが大きく関わってきます。画質を上げたければ、高価で大型の機材を使うのが一番に効果があります。それで皆さんは大型のカメラやレンズや三脚を使うわけですが、この場合には撮影のスタイルというものと深く関わってきますね。特に撮影には長時間の歩きが大事と考えている私には、重い機材は負担になります。撮影スタイルを取るのか、画質を取るのか、ここら当たりは悩み抜きます。(^^ゞ短い撮影距離であれば大型機材はOKですが、撮影距離が長くなれば小型機でなければ身が持ちません。それから私の場合は撮影中はカメラを肩に掛けて歩くということをしません。カメラは常に手に持ったままです。こんな感じで自分の撮影や写真に対して煮詰めていくということが大事で、それが自分の写真に満足感が得られる最大の秘訣だと思っているのですが、まだまだ考えが足りないと痛感しているところがあります。写真に対する考え方は人それぞれであり、長く経験の豊富な方ほど自分の考え方を持っているものでしょう。しかし私が最近思うことは、案外に皆さんは自分の写真行為に不満足なのではないか?ということです。何となくですが、そう感じるんですね。そしてそれは何処から来ているのだろうと。
テーマっていう言い方はまずかったかな。それに使い古された古い言葉だし。それで改めて、スタイルって言ってもいいかな。テーマは目的って感じたけど、スタイルは途中経過の様(さま・様子)ですかね。お仕事から僅かな撮影時間を見出して撮影をするというのは、特定の被写体は選べないことが多いですね。しかし日本全国、どこにでも出没できるというのは普通ではできないこと。短所の陰には長所がありというわけで、裏街道さんの撮影スタイルは実にユニークで価値あるものです。被写体が選べないと言っても、そこには一定方向のテーマのようなものが見て取れますし、広角レンズを多用し緑と海と空と、日本全国のランドスケープが、ある意味では裏街道さんのテーマなのかも知れません。自分の写真のスタイルやテーマは大切で、これを常々考えていないと自分を見失うことなってしまい、自分の写真に満足感が得られません。ちなみに私の場合、車で出かけて行って、撮影のためには「歩く」ということを大切にしています。本当のことを言うと、歩きたいがためにカメラを持ち写真を撮っているといっても言い過ぎではありません。(^^;それでよく歩ければ満足で、歩きが足りなければ不満足というところがありますね。勿論、良い景色に出会えて写真を撮れればもう最高です。150パーセントの満足感が得られますから。そういう場合の「歩き」は、私の写真のスタイルであり、被写体は自然界であってそれはテーマと言っていいでしょう。とりわけ地形や地勢に興味があります。もっとそのテーマを掘り下げれば、私の場合は水辺の自然ということになりますか。その自然と言っても、絵に描いたような人工物を一切排したような観光写真は求めていません。それは返って不自然だからですね。こんな風にして、自分なりの撮影スタイルや被写体テーマを追い求めていくということが何よりも大切だと思っています。それから、写真の満足感には、写真の「画質」、ということが大きく関わってきます。画質を上げたければ、高価で大型の機材を使うのが一番に効果があります。それで皆さんは大型のカメラやレンズや三脚を使うわけですが、この場合には撮影のスタイルというものと深く関わってきますね。特に撮影には長時間の歩きが大事と考えている私には、重い機材は負担になります。撮影スタイルを取るのか、画質を取るのか、ここら当たりは悩み抜きます。(^^ゞ短い撮影距離であれば大型機材はOKですが、撮影距離が長くなれば小型機でなければ身が持ちません。それから私の場合は撮影中はカメラを肩に掛けて歩くということをしません。カメラは常に手に持ったままです。こんな感じで自分の撮影や写真に対して煮詰めていくということが大事で、それが自分の写真に満足感が得られる最大の秘訣だと思っているのですが、まだまだ考えが足りないと痛感しているところがあります。写真に対する考え方は人それぞれであり、長く経験の豊富な方ほど自分の考え方を持っているものでしょう。しかし私が最近思うことは、案外に皆さんは自分の写真行為に不満足なのではないか?ということです。何となくですが、そう感じるんですね。そしてそれは何処から来ているのだろうと。
5 上郷SAの裏街道 2016/9/15 22:50 kusanagiさん、こんばんは。歩いて探して見つけて撮る・・・確かに歩くことは必要です。私は時間が許し、気分的にもGOサインが出ればカメラを右手に持って歩き回っております。今日も小川の対岸に群れ咲く彼岸花を撮りたくてだいぶ歩き回りました。橋がないんですよ、ジャブジャブ行ってやろうかと思いましたよ。(^^ゞ
kusanagiさん、こんばんは。歩いて探して見つけて撮る・・・確かに歩くことは必要です。私は時間が許し、気分的にもGOサインが出ればカメラを右手に持って歩き回っております。今日も小川の対岸に群れ咲く彼岸花を撮りたくてだいぶ歩き回りました。橋がないんですよ、ジャブジャブ行ってやろうかと思いましたよ。(^^ゞ
1 stone 2016/9/13 20:38 繋ぐ繋がない重ねたまんまも面白いかも~の一枚です。
繋ぐ繋がない重ねたまんまも面白いかも~の一枚です。
2 kusanagi 2016/9/13 21:30 これ、すごく良い! 自動でステッチングをやっている限りは、こういうアートは生まれません。手動でやっているからこそ、その途中のアーティステックが見られるのであり、面白さ意外さはオリジナル百倍です。また写真は四角くなければならない道理は1ミリもないわけであり、こういう多角形のマルチフォトは、こういう写真ばかりで綴った写真集が出てもおかしくないほどのインパクトがあります。stoneさんて、アーテイストだったのだ。
これ、すごく良い! 自動でステッチングをやっている限りは、こういうアートは生まれません。手動でやっているからこそ、その途中のアーティステックが見られるのであり、面白さ意外さはオリジナル百倍です。また写真は四角くなければならない道理は1ミリもないわけであり、こういう多角形のマルチフォトは、こういう写真ばかりで綴った写真集が出てもおかしくないほどのインパクトがあります。stoneさんて、アーテイストだったのだ。
3 大和の裏街道 2016/9/14 14:31 こんにちは。組み合わせた感じの一枚…インパクト大ですね。でも・・・斬新過ぎて私にはまだついて行けそうもありません。(^^ゞ
こんにちは。組み合わせた感じの一枚…インパクト大ですね。でも・・・斬新過ぎて私にはまだついて行けそうもありません。(^^ゞ
4 zzr 2016/9/17 09:52 stoneさん、こんにちは。この作品、私も凄く好きです。パソコンの壁紙に頂きです m(_ _)m
stoneさん、こんにちは。この作品、私も凄く好きです。パソコンの壁紙に頂きです m(_ _)m
5 stone 2016/9/29 19:01 こんばんはお返事がとっても遅くなってごめんなさい。kusanagiさん、並べただけの写真もいいでしょ^^私のスタンスは絵描きさん。なのです。あんまり描いてないけど(笑)裏街道さん、斬新なんてとんでもないですよ~。とても古い見せ方です。デジカメ以前のフィルム現像&プリント時代の表現スタイルなのですこれ。zzrさん、こだわらない撮り方並べ方をこれからもずっと続けます。もっともっとどんどこと!
こんばんはお返事がとっても遅くなってごめんなさい。kusanagiさん、並べただけの写真もいいでしょ^^私のスタンスは絵描きさん。なのです。あんまり描いてないけど(笑)裏街道さん、斬新なんてとんでもないですよ~。とても古い見せ方です。デジカメ以前のフィルム現像&プリント時代の表現スタイルなのですこれ。zzrさん、こだわらない撮り方並べ方をこれからもずっと続けます。もっともっとどんどこと!
1 kusanagi 2016/9/12 21:43 蝶(蛾でも)は華の化身
蝶(蛾でも)は華の化身
2 stone 2016/9/12 22:04 ツマグロヒョウモンでしょうか綺麗な蝶です。メス(妻?)は女の子らしく少しおめかしした装いです。この蝶は昆虫には珍しく、メスの方が派手なのです。
ツマグロヒョウモンでしょうか綺麗な蝶です。メス(妻?)は女の子らしく少しおめかしした装いです。この蝶は昆虫には珍しく、メスの方が派手なのです。
3 kusanagi 2016/9/13 21:29 徳島神山町にある、「雨乞いの滝」に行く途中で出会いました。周囲は石垣を組んだ田んぼで、まさに稲刈りの最中でしたね。「雨乞いの滝」は日本百選に選ばれているみたいで、この時期、水量も豊富でした。夕暮れで人気もないので、ちょっと滝に打たれてきました。というか滝壺に入浴しただけ。(^^ゞ 数秒で立ち上がらなければならない程の水の冷たさ。数分で水からは退散したんですが、あー、でも気持よかった。滝は二本流れていてしかも幾つもの段差がついていて、その奏でる水音はまるでシンフォニーのようでした。高い音、低い音、短い音、長い音。無数の楽器が複雑に奏でているようです。滝壺には風が舞い、木の葉がそよぎ、水と風と生命という流動する資本が相まみえる様を目撃したかのようでした。滝はただ撮影するだけではもったいない。全ての現場は、持てる五感全てを使って味わい尽くすべきで、そこに長く佇む理由があります。私の撮影テーマとでも言うべきものがあるとすれば、それは水という流動する自然資本の有様をこの体で目撃することであり、滝もまたその一部であります。そうだ。今後はちょっと滝にも関心を向けてみたいなって。(^^;
徳島神山町にある、「雨乞いの滝」に行く途中で出会いました。周囲は石垣を組んだ田んぼで、まさに稲刈りの最中でしたね。「雨乞いの滝」は日本百選に選ばれているみたいで、この時期、水量も豊富でした。夕暮れで人気もないので、ちょっと滝に打たれてきました。というか滝壺に入浴しただけ。(^^ゞ 数秒で立ち上がらなければならない程の水の冷たさ。数分で水からは退散したんですが、あー、でも気持よかった。滝は二本流れていてしかも幾つもの段差がついていて、その奏でる水音はまるでシンフォニーのようでした。高い音、低い音、短い音、長い音。無数の楽器が複雑に奏でているようです。滝壺には風が舞い、木の葉がそよぎ、水と風と生命という流動する資本が相まみえる様を目撃したかのようでした。滝はただ撮影するだけではもったいない。全ての現場は、持てる五感全てを使って味わい尽くすべきで、そこに長く佇む理由があります。私の撮影テーマとでも言うべきものがあるとすれば、それは水という流動する自然資本の有様をこの体で目撃することであり、滝もまたその一部であります。そうだ。今後はちょっと滝にも関心を向けてみたいなって。(^^;
1 kusanagi 2016/9/12 21:41 羽がブレないように高速シャッターを切ってみました。(^^ゞ
羽がブレないように高速シャッターを切ってみました。(^^ゞ
2 stone 2016/9/12 22:00 綺麗なアゲハですね。色良く空気良くと、素直に可愛らしく撮れてます。大きく撮れた時は翅がぶれてもいいやって思いますがこれくらいだときっちりと止まったのがいい感じですね。近頃全然蝶を撮ってない感じの私です。シジミチョウくらいしか出会わないのですよ、アゲハがいいなと思っていても。少し大きめでもヒョウモンチョウかタテハさん。
綺麗なアゲハですね。色良く空気良くと、素直に可愛らしく撮れてます。大きく撮れた時は翅がぶれてもいいやって思いますがこれくらいだときっちりと止まったのがいい感じですね。近頃全然蝶を撮ってない感じの私です。シジミチョウくらいしか出会わないのですよ、アゲハがいいなと思っていても。少し大きめでもヒョウモンチョウかタテハさん。
3 kusanagi 2016/9/13 21:28 この蝶の撮影地は、徳島県神山町(かみやまちょう)の盆地です。徳島県は、池田町(現、三好市)が廃れ、代わりにこの徳島市に近い神山が脚光を浴びてきています。時代の流れとともに、廃れ流行りがあるものですが、この神山町はICTソフト企業の誘致に成功しています。シリコンバレーならぬグリーンバレー(青い谷)というわけですが、また山中に現代アートの展示もあります。そう言えば、アートで成功しているのは瀬戸内海の直島(なおしま)もそうです。立地条件が良く、岡山(ベネッセの地元)に近く、かつ高松空港にも近いということで、要は時代の流れだけでなく立地に恵まれ、かつ現代人が求める自然環境の良さが引き金になるのだということのようです。
この蝶の撮影地は、徳島県神山町(かみやまちょう)の盆地です。徳島県は、池田町(現、三好市)が廃れ、代わりにこの徳島市に近い神山が脚光を浴びてきています。時代の流れとともに、廃れ流行りがあるものですが、この神山町はICTソフト企業の誘致に成功しています。シリコンバレーならぬグリーンバレー(青い谷)というわけですが、また山中に現代アートの展示もあります。そう言えば、アートで成功しているのは瀬戸内海の直島(なおしま)もそうです。立地条件が良く、岡山(ベネッセの地元)に近く、かつ高松空港にも近いということで、要は時代の流れだけでなく立地に恵まれ、かつ現代人が求める自然環境の良さが引き金になるのだということのようです。
4 大和の裏街道 2016/9/14 14:36 こんにちは。上山町って言ったらマジ山の中ですよね、ビックリです。酷道で知られる439とつながる438ですから交通の便が気になります。(^^ゞ
こんにちは。上山町って言ったらマジ山の中ですよね、ビックリです。酷道で知られる439とつながる438ですから交通の便が気になります。(^^ゞ
5 kusanagi 2016/9/14 21:38 神山町、マジで山の中?っていうつもりで行ったんですが、ぜんぜんそんなことはなかったです。行きは吉野川南岸の国道192号線の鴨島町から山中を抜ける狭い県道31号線を走ったのですが、帰りは徳島市を目指して国道438号線をフルスピードで走り抜けました。道はなかなか良いです。徳島市からは1時間あれば神山の中心部にいけるんじゃないですか。考えてみれば神山は、徳島市に隣接しているんです。奥座敷っていう感じでしょう。とにかく今、徳島県が熱いんですよ。もう四国の玄関といってもよいほど。もちろんこれは明石鳴門ルートがあるからですね。鳴門コンジャンクションから降りて11号線を南下すれば徳島市はすぐです。もっとも高松自動車道が完全複線化すれば(現在複線化の工事してます)、高松にも余録が出てくるでしょうけど。徳島は紀伊水道(サーフインで人気)と、四国山脈の東側を持ってますので自然は豊かです。四国霊場も徳島から出発ですし。徳島空港がわりと市内に近いというのも有利ですか。徳島県イコール吉野川という時代はもう古くて、開発は神山をはじめ徳島市の南側に波及するような気がします。
神山町、マジで山の中?っていうつもりで行ったんですが、ぜんぜんそんなことはなかったです。行きは吉野川南岸の国道192号線の鴨島町から山中を抜ける狭い県道31号線を走ったのですが、帰りは徳島市を目指して国道438号線をフルスピードで走り抜けました。道はなかなか良いです。徳島市からは1時間あれば神山の中心部にいけるんじゃないですか。考えてみれば神山は、徳島市に隣接しているんです。奥座敷っていう感じでしょう。とにかく今、徳島県が熱いんですよ。もう四国の玄関といってもよいほど。もちろんこれは明石鳴門ルートがあるからですね。鳴門コンジャンクションから降りて11号線を南下すれば徳島市はすぐです。もっとも高松自動車道が完全複線化すれば(現在複線化の工事してます)、高松にも余録が出てくるでしょうけど。徳島は紀伊水道(サーフインで人気)と、四国山脈の東側を持ってますので自然は豊かです。四国霊場も徳島から出発ですし。徳島空港がわりと市内に近いというのも有利ですか。徳島県イコール吉野川という時代はもう古くて、開発は神山をはじめ徳島市の南側に波及するような気がします。
1 stone 2016/9/12 20:59 繋ぐ繋がない繋がない方が良さそうそう思いました。
繋ぐ繋がない繋がない方が良さそうそう思いました。
2 kusanagi 2016/9/12 21:36 そう、パノラマを前提に撮ったものでも、あえて1枚に繋がないほうが、見る自分の想像力が刺激されて結果的に良いのではないか、という時かあります。完璧な仕事をした写真って、鑑賞者の眼でみれば、案外に想像力をスポイルされる時があるんですね。あえて8割方の仕事をして、残り2割は鑑賞者の為に残しておく。そういう写真のほうが案外に面白かったりするみたいです。
そう、パノラマを前提に撮ったものでも、あえて1枚に繋がないほうが、見る自分の想像力が刺激されて結果的に良いのではないか、という時かあります。完璧な仕事をした写真って、鑑賞者の眼でみれば、案外に想像力をスポイルされる時があるんですね。あえて8割方の仕事をして、残り2割は鑑賞者の為に残しておく。そういう写真のほうが案外に面白かったりするみたいです。
3 stone 2016/9/12 22:08 こんばんはエレメンツで現像してpicasaで縮小してペイントで二点並べ原寸保存した自信作(笑)です。picasaで色直ししましたので上下の色が変わっちゃってます。
こんばんはエレメンツで現像してpicasaで縮小してペイントで二点並べ原寸保存した自信作(笑)です。picasaで色直ししましたので上下の色が変わっちゃってます。
1 stone 2016/9/12 19:19 等倍の実寸画像を並べてみました。DPPは色合わせが面倒なので諧調具合を見る程度の仕上げ方です。嘴の黄色の飽和感をどうにかしたかったのですが断念しました^^;使いやすさはPSエレメンツが断然良いですが淡い諧調出しの画質自体はRawTherapee(ロウセラピー)が一番素直です。セラピーで現像してエレメンツで色調整仕上げとするのが一番良さそうに思いました。RawTherapeeはフリーウエアですがDPPよりずっと調整項目が多く、丁寧なコントロールができます。そして動作が驚くほど軽い(64bit版)のが良い感じです。(32bit版はエラーが多かったです)
等倍の実寸画像を並べてみました。DPPは色合わせが面倒なので諧調具合を見る程度の仕上げ方です。嘴の黄色の飽和感をどうにかしたかったのですが断念しました^^;使いやすさはPSエレメンツが断然良いですが淡い諧調出しの画質自体はRawTherapee(ロウセラピー)が一番素直です。セラピーで現像してエレメンツで色調整仕上げとするのが一番良さそうに思いました。RawTherapeeはフリーウエアですがDPPよりずっと調整項目が多く、丁寧なコントロールができます。そして動作が驚くほど軽い(64bit版)のが良い感じです。(32bit版はエラーが多かったです)
2 stone 2016/9/12 21:50 こんばんはRawTherapeeさんって通常現像以外にとんでもCGなアレンジ現像もありましてPhotoshop的に遊ぶことができるので各ツールをちゃんと把握したいのです~が、通常現像で手一杯な感じの今です。今度とんでもないのひとつ作ってみますね。^^;
こんばんはRawTherapeeさんって通常現像以外にとんでもCGなアレンジ現像もありましてPhotoshop的に遊ぶことができるので各ツールをちゃんと把握したいのです~が、通常現像で手一杯な感じの今です。今度とんでもないのひとつ作ってみますね。^^;
3 二本松の裏街道 2016/9/12 21:22 こんばんは。DPPが一番自然の感覚に近いですね、私的感想ですが。(^^ゞ
こんばんは。DPPが一番自然の感覚に近いですね、私的感想ですが。(^^ゞ
4 stone 2016/9/12 21:33 こんばんは白の色の雰囲気はそんな気がします。でも他の色がちゃんと出ないのですよね~オレンジや黄色が特に難しそう。私的にはエレメンツが自然に思ってます。セラピーはトーンカーブを弄って試してみたので白がおかしくなってます(笑)淡い諧調を飛ばさないことだけに注意したサンプルって分けです。DPPで一番いやな点は輪郭(NRによる)が太いことですね。麺棒でなぞったみたいな変な線が現れてしまうこと、原寸では全然ダメと感じます。
こんばんは白の色の雰囲気はそんな気がします。でも他の色がちゃんと出ないのですよね~オレンジや黄色が特に難しそう。私的にはエレメンツが自然に思ってます。セラピーはトーンカーブを弄って試してみたので白がおかしくなってます(笑)淡い諧調を飛ばさないことだけに注意したサンプルって分けです。DPPで一番いやな点は輪郭(NRによる)が太いことですね。麺棒でなぞったみたいな変な線が現れてしまうこと、原寸では全然ダメと感じます。
5 kusanagi 2016/9/12 21:35 RawTherapee(ロウセラピー)というのがあるんですか。そういえば以前、ちょっと使った記憶があるような・・・(^^ stoneさんに教えてもらったのかな。とにかく、ソフトは自分の納得がいくものがベストですねー。
RawTherapee(ロウセラピー)というのがあるんですか。そういえば以前、ちょっと使った記憶があるような・・・(^^ stoneさんに教えてもらったのかな。とにかく、ソフトは自分の納得がいくものがベストですねー。