その他デジタルカメラ用掲示板。
1: 雑記1 2: 雑記1 3: 雑記1 4: 雑記1 5: 雑記1 6: 雑記1 7: 雑記1 8: 雑記1 9: 雑記1 10: 雑記1 11: 雑記1 12: 雑記1 13: 雑記1 14: ビオラ1 15: 山茶花UP1 16: 無題1 17: 無題1 18: 無題1 19: 無題1 20: 無題1 21: 雑記1 22: 雑記1 23: 雑記1 24: 雑記1 25: 雑記1 26: 雑記1 27: 雑記1 28: 白いバラ1 29: 雑記1 30: 雑記1 31: 雑記1 32: 雑記1メーカー名 | SONY |
機種名 | α7R |
ソフトウェア | Capture One 8 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 40mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/80sec. |
絞り値 | F6.3 |
露出補正値 | -0.3 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 100 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 2048x1367 (991KB) |
撮影日時 | 2013-02-05 03:39:03 +0900 |
個人的に現在は単焦点の35ミリレンズがお気に入りになりました。大体に於いて標準レンズというのは
35ミリから60ミリくらいを指すのでしょうか。広角が好きな私としては24ミリくらいから標準領域ではないの
かという気分もありますが、最近は広角領域のレンズをあまり使っていません。今は35ミリくらいのミリ数
のほうが落ち着いた感じがしているのです。そういう画角度が気に入っているということでしょう。
それともうひとつ、標準領域のレンズは広角領域よりも画質が優れています。もっと優れるのは望遠レン
ズであるわけですが、風景撮影主体の私としては使いにくいものになります。
24ミリよりも35ミリや50ミリのほうが設計が楽であり高品質の画質を出すことができます。私がいま35ミリ
を好きになっているのは、おそらくそのレンズが醸し出す画質でしょう。
そしてこれは結果論的にオーバーラップしますけど、標準レンズのほうが画質表現としては良い被写体と
なるわけなんですね。広角だと空が入り過ぎて地面とのコントラストが強くなりすぎます。そして望遠だと
ボケが出すぎて主体が狭められます。それでちょうど良いのが35ミリから50ミリくらいなんです。自然に
描写ができるということです。それでいてというかそれだからこそ高画質が生きるということなんです。
最近の撮影は、何々を求めてという具合ではなくて、どこでもいいから自分が歩いていけるところで撮影
をしています。現地までは車で行きますがそこは近場です。隣の町というくらいのところで里山が主体
です。そこには必ず山と池があり草木があり石や花があり被写体には困りません。それらを歩いて巡る
撮影行となるわけですね。散歩撮影という言葉がぴったりと当てはまりますね。
このような撮影は日本であればどこでも可能です。特別に香川県が優れているというのでありません。
いや日本でなくてもどこの国でもそういう撮影をすることができます。安易な撮影という見方もできますが
もしすればこういう撮影こそが写真として原初的でゆるぎないものではないかという気がしてきます。
メーカー名 | SONY |
機種名 | α7R |
ソフトウェア | Capture One 8 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 40mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/200sec. |
絞り値 | F3.5 |
露出補正値 | -0.3 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 100 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 2048x1367 (1.97MB) |
撮影日時 | 2013-02-05 03:28:45 +0900 |
習近平政権があっさりと、威圧的なコロナ政策を引っ込めました。習近平のホロスコープを占いたいと
願っているのですが、その正しい生年月日が不明です。国家機密となっているのかもしれませんね。
くまのプーさんと言われているので牡牛座生まれかなって感じますが、生年月日が不明では手も足も
でないのが占星術です。(笑)
とにかく長期独裁政権が可能になったわけで、その動向が注目されます。牡牛座生まれかどうかは
分かりませんが、極めて牡牛座的であるのは確かです。この牡牛座というのは読みにくい星座です。
そして用心深いところがありなかなかその本性を見せてくれません。
ただ確実に分かることは独裁者というのは最後には崩壊するということです。スターリンのソ連もそう
でしたから。独裁者は自分一代程度にしか考えていなくて恒常的な国家観が育ち難いのですね。
そこのところが欧米の民主主義国家群とは根本的に違うところです。勿論日本とも異なります。
日本は欧米の国家群とは少し異なりますがやはり民主的、国民が主体であるということには違いが
ありません。しかし中露などの独裁国家群は覇権者が主体であって国民や民衆はその道具であると
いうわけです。これは非常に遅れた未発展の国家形態であり、それらがこの地球を人類を主導させる
ことはありえません。あくまでも一時的に力を持っているだけに過ぎないのです。
そういう力というものは実は幻想であって、実際に戦争となるとその実力の差が見えてきます。
ロシアはグルジアなどの小国には勝ててもウクライナや欧米には勝てません。中国も香港は支配は
できても台湾(そして日米)には勝てないのです。
ソ連ロシアは米国と同じような核大国であり、中国は米国に迫ろうかという経済帝国ですけど、それは
あくまで見かけ上のことであり幻想的な数字です。そりゃあ広い国土や巨大な人口があれば数字的
にそういうことは可能であるわけですが、その中身というのが問題ですね。肥満体質の人がスポーツ
で勝てないというのと同じですから。国家も人の身体も膨大で緻密な組織群でありその実質は良く似た
ようなものです。いくら脳が優れていても身体が劣っていると健康ではありません。その身体というのも
体力、つまり筋力や心肺能力だけではなくて、内臓の力、循環器や皮膚の力、免疫力なども健康力の
要素です。
メーカー名 | SONY |
機種名 | α7R |
ソフトウェア | Capture One 8 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 40mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/125sec. |
絞り値 | F2.8 |
露出補正値 | -0.3 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 250 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 1367x2048 (1.25MB) |
撮影日時 | 2013-02-05 03:16:33 +0900 |
土星木星の会合は人類のエネルギー転換の問題だけでなく、宇宙への発展も加速させるようです。
月基地を手ががりとして火星への人類到達です。それが今後の20年間でできるとは思えませんが、その
基礎は作られるように感じます。21世紀はこの人類の太陽系宇宙への進出が歴史的に達成される時代
になろうかと思います。
私が子供のころ、1960年代ですが子供向けの科学雑誌では宇宙旅行が明日にでも達成できそうな雰囲
気を出していたのですが、実現できたのはアポロ計画の月着陸だけでした。そう理想どおりには進まない
というわけですね。60年には土星木星が山羊座で合し、現在の星相と良く似ていました。今回期待するの
は月での恒常的な基地建設です。火星到達はまだまだ無理としても月に基地を作ることは達成できる
でしょう。
メーカー名 | SONY |
機種名 | α7R |
ソフトウェア | Capture One 8 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 40mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/200sec. |
絞り値 | F4.0 |
露出補正値 | -0.3 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 100 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 2048x1367 (2.15MB) |
撮影日時 | 2013-02-05 03:15:18 +0900 |
2020年の土星と木星の水瓶座山羊座における会合は今後20年間の世界の文化文明を変えて行きます。
おそらくその一環として現在のロシアウクライナ戦争というものも位置づけられるかもしれません。
それは石油やガスという地下資源エネルギーからの脱却です。そして炭素から水素への転換です。
これをリードしているのは欧米ですが日本も遅れじとばかり頑張っています。
核融合発電も現在は無理ですけど数十年後には商用化される見込みです。原料は海水中の重水素の
ようです。核融合発電も放射性廃棄物は出るようですが処理しやすいみたいですね。そして核分裂を
利用した現在の原発に比べれば即停止ができ安全性が高いそうです。
では核融合原子炉が万々歳かというと、今度は廃熱問題が浮上すると思います。これは今の原子炉に
も言えるので熱効率が悪くて膨大な利用できない(捨てられる)熱エネルギーが多すぎるという問題です。
地球温暖化では温暖化物質のCO2ばかり槍玉に挙げられますが、それと同時に文明が出す廃熱問題
があるはずなんです。再生可能エネルギーでは理論上廃熱問題はありませんが、地下資源のエネル
ギーを使った場合、それは問題化します。地下資源とは石油やガスだけでなく核物質や重水もそうです
から。それらは過去に蓄積されたエネルギーであり、再生可能エネルギーという現在太陽光エネルギー
を利用したものとは根本的に違います。
持続可能な経済成長(維持)というのは、現在太陽光として地球に降り注ぐエネルギー量を超えてはなら
ないというわけですね。
メーカー名 | SONY |
機種名 | α7R |
ソフトウェア | Capture One 8 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 40mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/250sec. |
絞り値 | F4.5 |
露出補正値 | -0.3 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 100 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 2048x1367 (1.44MB) |
撮影日時 | 2013-02-05 03:12:38 +0900 |
統一教会被害者救済法の元はといえば、それは安部元総理襲撃事件にあります。あれがなければ
宗教被害者はこれからも後を絶たなかったはずです。もうすっかりと国民は忘れているかも知れません
が、あの襲撃が、宗教2世などの被害者に世間の眼をそして光を当てたというわけです。
宗教者の持つ小狡さ、諸悪は安部総理にもありましたね。自民党もそうだったわけです。あの山上容疑
者の行為がなけれこれらの悪は覆い隠されたままだったわけですから。
それでは容疑者は正義の鉄槌をおろした攘夷の英雄だったかと言えば、そうではないと思います。彼も
また宗教によってその精神すら壊された人間だったろうと思いますから。襲撃時のあの冷静さは普通
ではないですから。なんのブレもなく銃撃していますし。精神鑑定をすればクロと出るように感じます。
そこまで容疑者を追い詰めたのは統一教会だったわけですけど、それは言い換えれば直接的には容疑
者の母親だったわけですよ。これは紛れも無い事実です。山上容疑者の兄は自殺し、そして小川さゆり
さんの兄も自殺しています。統一教会という法人だけでなく、それを構成する信者一人ひとりこそがこの
犯罪に手を染めた犯罪者集団であったということです。
21世紀の時代にロシアの醜いまでの戦争犯罪がまかり通っているように、宗教的狂信者が弱い立場の
人を苦しませています。21世紀であろうがいつの時代でも人類の歴史というものはそういうものです。
戦争も抑圧も無くなることはありません。しかしロシアは世界の鉄槌を受けなければなりませんし、わが子
を苦しませてきた狂信的犯罪者も正義による世間の眼で裁かれなくてはなりません。
メーカー名 | SONY |
機種名 | α7R |
ソフトウェア | Capture One 8 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 40mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/250sec. |
絞り値 | F4.5 |
露出補正値 | -0.3 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 100 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 2048x1367 (2.03MB) |
撮影日時 | 2013-02-05 03:07:43 +0900 |
私は若いときからかなり哲学思想とか仏教などの研究をしてきました。蔵書を整理しておりますと、当時
読んだ本などはそういう類のものが多くあります。そういうある程度の宗教的な知識がありますと、統一
教会やオウム真理教などの新興宗教などは、子供だましのイカサマであるっていうのは直ぐに分かるん
ですが、世の中にはあんな低レベルなものを簡単に信じきってしまうような人が多く後を絶ちません。
まあ何も知らないから騙されるんでしょうけど、それにしてもある程度の科学なりの教育を受けていれば、
ちょっとはオカシイなって気づきそうなものですけどね。要するにバカなんだろうと思います。馬鹿に付け
る薬はないと言いますか、それよりも大きな問題は、宗教によって騙される人間は、同時に今度は自分
が騙す側に変わるということです。
そうであるからこそ教団という詐欺組織集団は巨大になっていくんですね。
宗教で騙されるとされている人間は被害者であると同時に加害者でもあって、そこに小ずるさ、小悪が
あるという構図なんです。教団に一億円騙し取られたといいながら今度は子どもたちには加害者となって
諸悪を振りまいているからです。この狡さはまるで知能犯のようなものです。被害者として同情を集めな
がら、弱い立場の我が子に加害者として振舞う。宗教2世として苦しまれている方にはたまったものでは
ないわけですね。この狡猾な悪の連鎖、それが犯罪集団としての新興宗教の実態でしょう。
メーカー名 | SONY |
機種名 | α7R |
ソフトウェア | Capture One 8 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 40mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/250sec. |
絞り値 | F4.0 |
露出補正値 | -0.3 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 100 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 2048x1367 (2.04MB) |
撮影日時 | 2013-02-05 03:06:02 +0900 |
旧統一教会などの被害者を救済する新たな法案(救済法案)が可決され成立したようです。あっという
間の新法成立であり、その成り行きを注意深く見守っていた小川さゆりさん(仮名)という方がおられます。
新聞に過去の経緯などを書かれていましたが、興味深かった下りは、彼女が完全に行き詰まり家を出
てから大転換が始ったというという気がすることです。多少のタイムラグはあるんですが、まず両親との
決別。家を出たということ。そして教団からの脱会。そこらがピークと言いますかボトムですかね。しかし
一人暮らしをするようになってからも自殺を考えたりでボトムは続くんですが、しかし大事なことは住む
ところを変えたというのが大事な事柄だろうと思ってます。
それは、要するに就寝する場所、その就寝時の身体の寝る方向が劇的に変わっただろうと推察される
ことです。この方向方位というものが変わらない限り、人生は好転いたしません。
その後、彼女は趣味の音楽を通じて知り合った男性と結ばれ子ども授かりました。そして現在の積極的
な教会と対峙する姿勢にまで劇的に向上したということです。
四国遍路の巡礼の旅なとも実はそうなんですね。もうどうしようもなくなって(死別や病気などで)、これで
はどうにもならないということで、家を出るということに意味があるのだというわけです。家を出れば以前
とは違う場所で寝泊りします。その就寝時の方角も違ってきます。野宿をすることすらあるかも知れませ
ん。とにかく過去の最悪状態を脱するために旅に出、家を出るということなんです。
家のというのは人を縛ります。家族という家庭もそうですが、実は家屋というのもそうなんです。家屋と
いうものは単なる木材の囲みでしかないのですが、一番大事なそこに住む人ですら、囲みすぎて縛って
しまうところがあるんです。
こういうのは仏壇なんかもそうです。あれは単なる木細工にしかすぎず、墓石も単なる石でしかありま
せん。一番大事なのはあくまでも人であり、そして自分です。そういうことを忘れがちになるのが家に限
らずモノというものです。モノとか物、金に縛られすぎてはいけません。
私は文化財とかにも興味はあるんですが、心の中ではあまり評価はしておりません。無くなるのであれ
ばなくなっても構わないという考えです。所詮はモノですからね。一番大事なのは今生きている人間です。
メーカー名 | SONY |
機種名 | α7R |
ソフトウェア | Capture One 8 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 40mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/320sec. |
絞り値 | F5.6 |
露出補正値 | -0.3 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 100 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 2048x1367 (1.77MB) |
撮影日時 | 2013-02-05 03:03:33 +0900 |
シグマ40ミリf1.4、そして35ミリf1.2の両方を使って撮影しているのですが、一般的には35ミリのほうが
切れがあり解像力もあります。しかし発色の豊かさは40ミリの方が優れているように感じますね。
私の使っている40ミリはシグマ一眼レフのマウントでそれをアダプターを介して使っているのでして、もし
アルファ7のミラーレス用の直接マウントであれば切れも解像力も逆転する可能性があります。そして
35ミリのほうはミラーレス専用レンズですから。
やはりマウントアダプターで繋ぐと様々な欠点が出てきます。画質も当然に落ちるわけでしてね。レンズ
の性能はただガラスレンズだけではなく鏡胴の作りにも多く影響を受けるからです。
このレンズの基本的に特質は、途中にミラーボックスがある一眼レフよりも、それが省かれているミラー
レスカメラの方が当然に高性能であるという結論にも達するというわけです。ミラーレスカメラ+ミラー
レス専用レンズ(できれば専用設計)の組み合わせこそが最高であるということ。これは宿命のようなもの
ですか。
カメラ一台に着けっぱなしレンズ1本だと、そのレンズと会話をしながら撮影をするという気分に浸れる
ことになります。変な例えですが一夫一婦制のようなものです。カメラ一台に複数のレンズを持参します
と一夫多妻制となりますか。(笑) ちなみにズームレンズというものは一夫多妻制のレンズかもしれま
せんが、対象を逆転させると、カメラ1台に複数本のレンズというのは、男をとっかえひっかえしている
浮気な女とも捉えることができます。
冗談はともかく、1台1本主義での撮影は有意義です。これしかないと思えば人は工夫をして撮影する
ものでして、格段に対象物や光景と向き合うことになるからです。
メーカー名 | SONY |
機種名 | α7R |
ソフトウェア | Capture One 8 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 40mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/60sec. |
絞り値 | F11 |
露出補正値 | +0.7 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 100 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 2048x1367 (1.8MB) |
撮影日時 | 2013-02-05 02:57:54 +0900 |
シグマかタムロンか、と問えば私としてはやはりシグマの絵がすきです。タムロンは絵としてベターと
していて、シグマは絵に透明感があり実写的です。シグマはヌケがよくコントラストも強いのですが、
日中の日差しの強いときは暗部が潰れ気味、明部が飛び気味なるときがあります。そういう時は
タムロンの押さえの利いた画質が好ましいと思う場合もあるんですがね。タムロンは柔らかい描写が
特徴です。
いずれも好みの問題であってさほどの違いはありませんけどね。シグマでは35ミリが好きですが、
この撮影をした40ミリも気に入っています。35ミリにはない発色の色濃さがあります。ミリ数が異なるので
35ミリより40ミリの方が色を出しやすいのかもしれません。
40ミリは35ミリよりも少し広角が狭められており写せる範囲がやや狭いですが、50ミリに比べれば広角
となります。レンズ1本のみ持参で撮影をしようかと思えば40ミリレンズが限界となります。
メーカー名 | SONY |
機種名 | α7R |
ソフトウェア | Capture One 8 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 40mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/125sec. |
絞り値 | F11 |
露出補正値 | -0.3 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 100 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 2048x1367 (1.62MB) |
撮影日時 | 2013-02-05 01:31:46 +0900 |
古代日本のユダヤ人渡来説は、これが大きく説かれ始めたのはちょうど中国が経済的軍事的に力を
持ち始めた時と一致しているように感じられます。
そして昨今のお城ブーム、神社ブーム、また古墳にも。こういうのは中韓から渡来した文化とは異質
のものだということです。中韓の文化、それは平たく言えば仏教ですね。寺院です。それらは中国や
朝鮮から日本に来た文化であるのですが、しかし現在の日本人はその深層に中韓渡来の仏教ではなく、
それとは別のアイデンティティを求めようとしているかのようです。
近代城郭はこれは紛れもなく日本で発達したものです。それと軍事施設であることにも注目ですね。
そして神社や古墳というものは、学問的には詳しくは分かりませんが、中韓文化や仏教文化とは異質
のものであるということです。この異質性であると皆さんが鋭く感じ取っているということが大切です。
現在の日本人の深層の意識として、中韓とは距離を置こうという気持ちの現われとして、城ブームや
神社ブームというのがあるというのが私の考えです。そしてだたそれだけの消極的なものから、神社
とか国古墳というものは、遠くオリエントからの文化が取り入れられたものであるという考察に到ること
ができれば、それはもっと積極的な姿勢となりますね。古代日本のユダヤ人渡来説は一考に価します。
メーカー名 | SONY |
機種名 | α7R |
ソフトウェア | Capture One 8 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 40mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/160sec. |
絞り値 | F11 |
露出補正値 | -0.3 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 100 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 1367x2048 (2.28MB) |
撮影日時 | 2013-02-05 01:24:41 +0900 |
田中英道氏はユダヤ文化説を唱えていますが、邪馬台国や卑弥呼などは偽説であるということも
提唱しています。邪馬台国は三国史の魏志倭人伝にしか登場しないものであり、日本神話には何も
書かれていません。考えてみれば怪しい話ですよね。こういう偽の説は、現在の韓国での慰安婦報道
とよく似ているのかも知れません。中韓はあまり信用はないほうがよさそうです。
メーカー名 | SONY |
機種名 | α7R |
ソフトウェア | Capture One 8 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 40mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/100sec. |
絞り値 | F9.0 |
露出補正値 | -0.3 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 100 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 1367x2048 (3.41MB) |
撮影日時 | 2013-02-05 01:14:59 +0900 |
田中英道という方がいて、古代に日本に訪れたユダヤ人が日本の歴史に大きく影響を与えている
という説を書いています。田中氏以外にもこの説を唱える論客は大勢いて、私としてもこの歴史観は
そう間違いではないと感じています。
グローバル主義というものは何も現代だけでなく古代にも同じようにあったのではないですかね。
世界の歴史は定期的に国際化したり、逆に国内に閉じこもったりを繰り返しているように思います。
ですから古代日本においても地球的規模で文明の交換があっというわけです。
私の考えではそもそも根本には占星地政学の考えがあり、中東オリエントと親和性があるのは日本
列島なんですね。古代ユダヤ人が長く住み着くには日本は良かったのだと思います。もちろん地理的
にコーカサスや中国や朝鮮を渡ってきたのは間違いのないところですが居心地の良かったのは日本
だったというわけです。と言いますか文化が定着したのが日本だったというこどてす。波状的に長い
時代に渡って訪れたようであり、日本の文化に多大な影響を与えたようです。それらは私がかねがね
不思議に思っている神社の造りにも関係しているようです。
神社の持つあの直線的な配置の造りと、広々とした何もない空間はどう考えても縄文時代からの文化
とは異質な気がしていたからです。
古墳の増築というのもユダヤの文化と関わりがあるようです。稲作の灌漑設備などもそうでしょう。
日本は古代に於いて大きくグローバルな影響を受けたのではないですかね。それを言えば翻っては
大航海時代や明治以降の西欧化もそうですし。江戸期とは風景が一変しましたから。
日本人は合いの子に対してあまり違和感を持たないところがあり、若い娘は平気で外人さんと結婚
したりします。日本人は閉鎖的といわれますが同時に解放的なところもあるんではないでしょうか。
そういうわけで古代日本にもユダヤ人の血が入っているのかもしれません。
オリエントも含めた西欧の飛び地のひとつは北南米ですが、それと同じように飛び地として日本列島
が過去にあったのではないですかね。
メーカー名 | SONY |
機種名 | α7R |
ソフトウェア | Capture One 8 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 40mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/100sec. |
絞り値 | F9.0 |
露出補正値 | -0.3 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 100 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 2048x1367 (2.75MB) |
撮影日時 | 2013-02-05 01:32:22 +0900 |
田坂広志という人の「死は存在しない」という新書本を読みました。
この田坂さんという方の著作はあまり読んだ記憶がないのですが、新聞書籍広告で知っての
ことです。掲載された写真を見れば風貌がカッコイイじゃないかという程度。(笑) また田坂氏は
年齢的にも私と近似していますし福島原発事故での事故調査審議会か何かでも見かけたような。
そのなかでこういうことが書かれていていました。
・・・この「深層自己」は我々が生きている間も、すなわち「現実自己」が生きている間も、・・・・
この2つの自己はお互いにコミュニケーションを取り続け、時に対話も行い続けている。
・・・・現実自己はその意識の中に自我意識(エゴ)を強く持っているため、「自分とはその自我意識
である」と思い込む傾向がある。そのため、しばしばそのエゴが生みだす感情や衝動に流されて、
感じ、考え、動いてしまう。そしてそのエゴが強く働くときには現実自己の無意識は、その活動が
抑えられてしまうため、深層自己の無意識と繋がることが難しくなってしまう。・・・・
そしてこの深層自己というのが物理科学的に存在しうるというのが田坂説の肝です。平たく言えば
宗教と科学の融合というわけですね。これは素粒子レベルの量子力学の世界での話なんですか。
そもそもこういう話は宗教哲学では常識でして特にインド哲学なんかでは詳しく説かれています。
宗教や哲学を研究した人には常識だとしても、それに現代科学の光を当てて考察るというところに
田坂氏の面白みがあります。
私の考えとして、死は存在するか、しないかは、その人次第だと考えています。その人の意識の
レベルによると思ってます。たとえば私がやっている占星術ではここでいう深層自己でしか考察でき
ないものですから、ここでいうところり共通無意識での考察は当たり前のことになります。占星術上
では死というものは存在しません。そもそも最初から占星術には年齢も性別もないものですからね。
しかし現実の自己としてはやはり、物理的に死というものは事実として存在しますね。それは消滅
です。死が自分であれ、はたまた肉親であれ、死というものは永遠の別れを意味します。
生まれがあれば当然に死はあるものですし、出会いがあれば別れがあります。それが道理の必然
なのでして当たり前のことです。最初は何もなかったものが与えられたわけであり、それを喪失した
からといっても文句を言う筋合いはありせん。
人は無一文で生まれて無一文で死ぬのが当たり前。そうであればこそ今日一日を有意義に過ごし
たいものです。明日のことはしりません。(^^ゞ
我々が写真を撮る、その行為自体は深層自己に繋がっているので永遠に存在するかもしれませんが、
撮った写真というものはやがては消滅します。当然に、ここに上げた写真も文もすべて消滅の未来
がまっていますから。ですからそういうものは儚いものであるという自覚が必要です。
写真をするという根本の行為自体は永遠のものであって、かつては狩猟採集時代からあるものです。
でも写真画像というのは今の時代の一時のものであって、そこには永遠性はありません。この2つを
区分して理解することが大切です。
写真の良し悪しというのはカメラという物質レベルとなんら変わりません。写真の芸術的な文化という
ものは一時的に現実自己にのみあるもので、深層自己という真実の世界にあるものではないんですね。
しかしながら深層自己に迫るような写真もある程度は可能なのかもしれません。個人も時代も超えた
ような写真ですね。
メーカー名 | Panasonic |
機種名 | DMC-FZ200 |
ソフトウェア | Picasa |
レンズ | |
焦点距離 | 9.1mm |
露出制御モード | 絞り優先 |
シャッタースピード | 1/2000sec. |
絞り値 | F4.0 |
露出補正値 | +0.0 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 125 |
ホワイトバランス | オート |
フラッシュ | なし |
サイズ | 3564x2673 (6.85MB) |
撮影日時 | 2022-12-09 18:48:12 +0900 |
鉢に寄せ植えしています。
アッサムとの寄せ植えです。
メーカー名 | Panasonic |
機種名 | DMC-FZ200 |
ソフトウェア | Picasa |
レンズ | |
焦点距離 | 4.5mm |
露出制御モード | 絞り優先 |
シャッタースピード | 1/200sec. |
絞り値 | F2.8 |
露出補正値 | +0.0 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 125 |
ホワイトバランス | オート |
フラッシュ | なし |
サイズ | 3020x2265 (4.54MB) |
撮影日時 | 2022-12-09 17:25:33 +0900 |
庭に咲く山茶花をUPしてみました。
接写しました。
メーカー名 | SONY |
機種名 | α7R |
ソフトウェア | Capture One 8 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 35mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/250sec. |
絞り値 | F8.0 |
露出補正値 | -0.3 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 100 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 2048x1367 (1.99MB) |
撮影日時 | 2013-01-23 01:00:24 +0900 |
神社の造りというのはだいたいがこんなもので、この神社は狭いので配置が圧縮されていますね。
まず鳥居、柱、狛犬、灯篭。各順番は入れ替わるところはありますが、この左右一対のアイテムを
揃えるのが決まりみたいなものですが、むろん予算によっては省かれること多しです。
この一直線にならんだストレートな石塔群の配置が神道としての長い歴史を感じさせます。
山がちで狭い日本の国でストレート配置というのは不自然かなっていう気持ちはありますがしかし
気分の良いものです。そこに何らかの思想なり宗教性があるのでしょう。
メーカー名 | SONY |
機種名 | α7R |
ソフトウェア | Capture One 8 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 35mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/160sec. |
絞り値 | F6.3 |
露出補正値 | -0.3 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 100 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 1367x2048 (1.44MB) |
撮影日時 | 2013-01-23 01:09:40 +0900 |
神社の石灯篭。動物の彫はいまいちですけど造形が凝ってました。
石灯籠や灯篭というのは神社に限らず道行くところに多く見られます。こちら香川には金比羅街道が
整備されていて(江戸期でしょう)、幾ルートかある街道にはある一定間隔で灯篭が今も存在してい
ますね。そういう大規模なものだけでなく、寺院にも庭園にも数多くの灯篭がつくられていて、さらに
個人宅の庭にもあります。おそらく石像物として最も数多く作られたのが石灯篭だろうと推察します。
お墓についで多く作られたのではないでしょうか。
石灯篭の歴史
http://sugimotosekizaiten.o.oo7.jp/newpage30.html
メーカー名 | SONY |
機種名 | α7R |
ソフトウェア | Capture One 8 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 35mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/320sec. |
絞り値 | F8.0 |
露出補正値 | -0.3 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 100 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 2048x1367 (2.61MB) |
撮影日時 | 2013-01-23 01:05:38 +0900 |
とある田舎の神社、タムロン35ミリf1.8での撮影だったか。手前は川です。
メーカー名 | SONY |
機種名 | α7R |
ソフトウェア | Capture One 8 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 35mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/100sec. |
絞り値 | F8.0 |
露出補正値 | -0.3 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 100 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 2048x1367 (2.78MB) |
撮影日時 | 2013-01-22 21:12:59 +0900 |
古墳の周りに植わっていたキャベツ。草と一緒ですが最近はこんな具合なのが多いです。このほう
が自然というべきか。
メーカー名 | SONY |
機種名 | α7R |
ソフトウェア | Capture One 8 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 35mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/160sec. |
絞り値 | F11 |
露出補正値 | -0.3 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 100 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 2048x1367 (1.36MB) |
撮影日時 | 2013-01-22 21:12:05 +0900 |
シグマ35ミリf1.4は使いやすいレンズです。手に持つにはちょうどよい大きさで左手でつかんで
もち歩くことができます。画質は35ミリf1.2ほどの臨場感はありませんが落ち着いた良い画質となります。
ところでこの古墳は以前から何度も撮影をしているのてすが、このように池を望んで撮影したのは
初めてです。水面を生かした写真は数多く見られますがなかなかに良いものだと思いました。
メーカー名 | SONY |
機種名 | NEX-3 |
ソフトウェア | Capture One 8 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 35mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/250sec. |
絞り値 | F2.2 |
露出補正値 | -0.3 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 200 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 2048x1363 (2.06MB) |
撮影日時 | 2010-01-03 23:03:42 +0900 |
超望遠レンズと超広角レンズにはズームレンズが多く出ています。こういう特殊な領域のレンズは
単焦点レンズでは不便です。だいたい両方とも大きくて重いですから。しかも高価ですし。
それで広角や標準、準望遠のレベルになると、単焦点レンズが多いですね。それでここらあたりの
ミリ数ではやはり単レンズを試してみたいというわけです。広角ズームや標準ズームではなく敢えて
単焦点レンズを使いたい。そんな感じがします。
単焦点レンズの魅力はやはりその画質にあります。ズームレンズとは一歩も二歩も画質が抜きん出
ています。たとえ安価なレンズでもそう。
そしてもうひとつの効用は、どうしても安易な撮影になりがちなズームよりも積極的な撮影ができる
というのが単焦点レンズの魅力です。
標準ズームひとつ持って撮影に望むよりも単焦点レンズひとつで撮影するほうがよりアクティブに撮影
することが可能です。
画質というのは実はレンズだけでなく、画像を表示するPCやモニターの性能に多く寄りかかっています。
これを知らない人が多いようで少し残念なような気がしますが、可能ならば高品位モニターや画質の
良いビデオアクセラレーター(ビデオカード・グラフィックカード)にしたいものです。
しかしモニターで良い画質が出るようになると今度はさらに良いレンズが欲しいとなって、レンズ沼に
落ちいりそうで私としてはなんとも申せません。(^^ゞ
しかし良い優れた画質が見れることはやはり自己満足は大きいです。要するに自分で見た現場の
イメージと、撮ったあとの画質の乖離が少なければ人は満足感を得るというものです。
ここに不満足があれば人はさらなるモノ(レンズやカメラ)の漁りを繰り返すのであって、最初から一発
良いレンズ、そしてそれを忠実に表すことのできるPC/モニターがあれば事情は変わってくるでしょう。
画質の優れた良いレンズというのは数少ないのです。本当に少なくてそれを買ってしまえばもう上は
ありません。シグマで言えば35ミリf1.2と40ミリf1.4がベストでそれ以上のものはないと思います。
そんな感じで、さほどの沼に浸からずに最高画質が得られるということで標準単焦点レンズの領域は
お手軽だといえます。
そしてさらに言えばシグマやタムロンといったサードパーティ製レンズが使えるソニーアルファマウント
のカメラはお得です。(笑) ソニーカメラの画質は一般的ですけど、ニコンやキヤノンに比べて劣って
いるとは言えません。お手軽なシグマ・タムロンのミラーレス専用レンズが使えないキヤノンやニコンは
もうひとつというところです。しかしこれが将来解消されればキヤノンなどのミラーレスに行くかも知れ
ませんが現時点では十分にソニーアルファで満足しています。
メーカー名 | SONY |
機種名 | NEX-3 |
ソフトウェア | Capture One 8 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 35mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/250sec. |
絞り値 | F2.5 |
露出補正値 | -0.3 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 200 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 2048x1363 (2.51MB) |
撮影日時 | 2010-01-03 23:00:19 +0900 |
前衛アーティストと言われるバンクシーの新作がウクライナ戦場で見られました。瓦礫に描いたアート
ですので、これを芸術というのか良くできた落書きと見るのかは微妙です。(^^ゞ
一方で欧州の美術館で名画にスープをかける行為も相次いでいますね。ふたつに共通するのは、
硬直化した芸術を打ち壊していきたいという現われでしょう。芸術作品は永遠なものではなくましてや
投資的な経済価値を持つものとしてはいけないということかも知れません。時代はそういうぐあいに
流れつつあるのでしょう。
幸い写真にはそういう価値観はないので(一部にはオリジナル写真の販売というのはありますが)、
写真をするものにとっては気楽です。せいぜい本の写真集に安価な値段が付くくらいの価値しかあり
ません。つまり写真とは経済的な価値観からは抜け出ているというわけで、写真をする者にとっては
自由を満喫できるというものです。(^^ゞ
写真をプリントすべきかどうかという議論はありますが、それはあくまでも作成者側の問題であって、
一般的には写真は現在、データでも十分に写真足りえると考えています。
そもそも写真は芸術ではないという考えもできます。写真は趣味であって芸術作品なのではないと
いうわけですね。芸風の趣味、というくらいのものかもです。(^^ゞ
メーカー名 | SONY |
機種名 | NEX-3 |
ソフトウェア | Capture One 8 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 35mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/400sec. |
絞り値 | F3.2 |
露出補正値 | -0.3 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 200 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 2048x1363 (1.79MB) |
撮影日時 | 2010-01-03 22:49:51 +0900 |
人類の文明がこれだけ進化してきたのは、そういう言葉の論理力の賜物だと言えそうです。それを担保
したのが紙に書く言葉ですね。つまり文字です。粘土板でも木簡(もっかん)でもいいんですが視覚的に
言葉を文字化しますと、その思考力は格段に向上しますね。これが文明を生み出したと言ってもよいでしょう。さらに安価な紙の発明と印刷機の発明で近代文明が生み出されるようになりました。
そして現在は電子的データ思考というものが出現してきましたね。電子的な論理回路でもって高速で
思考する機械です。これを兵器に応用すると確実に狙った目標を破壊することができます。機械は眼を
持ち、考える力をもって与えられた仕事を確実にこなすことができるようになりました。
しかし機械はあくまでも文明の成果なのであって生物の自然な進化ではありません。機械は人間が
作るものであって機械自体が機械を生み出すことが、つまり生命を創造することはできません。機械自身
が自然に進化して人間を人類を凌駕することはないでしょう。
ところでこの機械に良く似たものがウイルスという気がしてます。ウイルスというのは生物が作った機械
が自動的に繁殖しているというイメージですね。そう考えれば思考力を獲得した機械の登場は人類文明
のウイルスのような役割をこれから果たしていく可能性があります。それからウイルスというのは悪い
イメージがどうしても付きまといますが、このウイルスによって遺伝子的に生物が進化したという事実も
あるようです。そうであればこれから思考機械による文明の、より高度な発展もありうるということかも
しれませんね。いうなれば人類と機械の融合的な発展と進化が望まれるということです。
かつて人類が言葉を、そして文字を発明して格段に文明が進歩したように、これからは思考する機械に
より、さらに極限にまで進歩するということです。論理的に言えばそうなるしか道はなさそうです。
メーカー名 | SONY |
機種名 | NEX-3 |
ソフトウェア | Capture One 8 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 35mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/320sec. |
絞り値 | F2.8 |
露出補正値 | -0.3 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 200 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 2048x1363 (2.8MB) |
撮影日時 | 2010-01-03 22:46:51 +0900 |
言葉というのは、ひとつは模倣であり連想なんですけど、もうひとつは論理的で数学的なものですね。
やはり最後は言葉にして論理力を使って組み上げるとその思考の力が増します。なんだかんだと
いっても言葉の力は強力です。理系だと言葉は数学にもなるわけでして、数式化すると極めて強力に
なりゆるぎないものになるでしょう。
よく論理性の乏しい文章なりを見ることがありますが、そんなレベルではなく、もうめちゃくちゃといい
ますか、たぶん御本人もよく分からず言葉を使われているような最近文章に出会いました。感情や気持
ちの発露としては分かるんですが、とにかく論理性がない文章というのはやっぱり危ういところがあり
ます。マインドコントロールを受けやすい人というのはそんな方かもわかりませんね。
そこで感じたことはまず、ひとつひとつの言葉の意味をよく理解していないだろうということ。漠然と感覚
でとらえているのだと。そしてその不安定なワードを連想的な感性で結び付けているんですね。
それで論理的には破綻した文章となっています。思考力がカオス状態であって、それが発する言葉に
表れてきているんでして、それでは次のステップに行くことができません。堂々巡りのループに陥る可能
性があります。
しかし私が面白いと感じたのは、その文の著作者が文中でしきりに「同訓」という用語を書いているんで
すね。これは同訓異字とも言い、例をあげると・・
あと:後・后・痕・跡・址・墟・蹟・踪
うた:歌・唄・詩
なみ:(水面のなみ)波・浪・涛;(普通)並・平・凡・庸
のり:(貼り付ける材料)糊;(おきて、ものさし)規・則・法・度・律・憲・範
うつす:写す・映す・移す・遷す・撮す
うむ:生む・産む・膿む・倦む・熟む・績む
こわい:怖い・恐い・強い
ゆたか:豊か・富か・裕か・穣か
なんかです。著作者はこの同訓異字に強く関心があり、それを自分のイメージの源としているような気が
します。同訓異字は英語にも多々ありますが日本語や韓国語には極めて多く存在します。
これは論理的に言えば本来縦に走る性質のある論理性を、敢えて横断的に横に走らせたイメージが
あります。意識して破綻をもくろんでいるところがありそうです。これはよく考えてみればともすれば硬く
硬直化して行き詰る論理性を大きく打破する可能性を持った、一種の言葉の技術なんじゃないかって
感じました。
あるもののイメージの持つ微妙な雰囲気をより的確に表そうとすれば自然とそうなる、ということです。
言葉というのは論理だけで語られるものではなくて想像的なイメージでもって柔らかく膨らませることの
できるものだったというわけですね。