写真編集ソフトウェア掲示板

1: ⑥-31  2: ⑥-41  3: コピペ記録1  4: 雑文2  5: 浄明寺1  6: 雑欲1  7: 雑文1  8: 雑文1  9: 雑文1  10: 1  11: 雑文1  12: ①_(JPEGオリジナル)1  13: ②_(JPEG調整)1  14: ③_(RAWから現像 モノクロ)1  15: ④_(RAWから現像 カラー)2  16: 雑文1  17: 雑文1  18: 雑文1  19: 雑文1  20: 雑文1  21: 雑文1  22: 雑文1  23: 雑文1  24: 雑文1  25: 雑文1  26: 雑文1  27: 雑文1  28: fish eye検証結果1  29: fish eye検証1  30: 雑文1  31: 雑文1  32: 雑文1      写真一覧
写真投稿

⑥-3
Exif情報
メーカー名 NIKON CORPORATION
機種名 D800
ソフトウェア Capture One 6 Windows
レンズ
焦点距離 70mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/320sec.
絞り値 F9.0
露出補正値 -0.3
測光モード 分割測光
ISO感度 800
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 2048x1367 (1.61MB)
撮影日時 2015-12-30 01:48:10 +0900

1   kusanagi   2024/1/2 20:46

.

コメント投稿
⑥-4
Exif情報
メーカー名 NIKON CORPORATION
機種名 D800
ソフトウェア Capture One 6 Windows
レンズ
焦点距離 70mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/400sec.
絞り値 F8.0
露出補正値 -0.3
測光モード 分割測光
ISO感度 800
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 2048x1367 (1.5MB)
撮影日時 2015-12-30 01:51:52 +0900

1   kusanagi   2024/1/2 20:45

.

コメント投稿
コピペ記録
Exif情報
メーカー名 NIKON CORPORATION
機種名 D800
ソフトウェア Capture One 6 Windows
レンズ
焦点距離 24mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/200sec.
絞り値 F7.1
露出補正値 -0.3
測光モード 分割測光
ISO感度 100
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 2048x1367 (1.8MB)
撮影日時 2015-12-04 00:03:04 +0900

1   kusanagi   2023/12/31 12:59

★キヤノン板 『老人写真事情~写真とは遠い日の花火ではない~ 』 コピペ記録
https://photoxp.jp/pictures/226050

 老人主体の写真展を鑑賞してきました。若者写真事情を考えると同時に、老人写真事情と
いうのも考えてみましょう。ちなみに両者は断絶したものではなく、ある程度は連続体を構成
しています。
---------------------------------------------------------------
・老人写真趣味としての『サロン型写真趣味』(厳密な芸術写真という意味ではなく)の存在。

・撮影(個人あるいは撮影会)→大判プリント・額装(額装まで主宰者が一括作業することも
 ある)→展示会場設営→会場をサロンとして各種茶話(思い出話、自慢話、情報交換等)を
 楽しむ・・・という一連のサイクルを毎年楽しむ。

・少しずつ衰退している。

・衰退理由は、コロナ禍で開催が中断し再開が困難、参加者の高齢化など担い手の不足。

・これほど高齢者が増えているのに、高齢者主体の写真教室、写真クラブの会員は減少
 している。

・2000年代のデジカメブーム、団塊世代の大量退職者の趣味サロンデビューといった、
 ボリューム層が徐々に消えていっている?

・そろそろバブル層が「高齢者デビュー」に達しつつあるが、この世代から下は、団塊世代
 から上のように無趣味を誇るような企業戦士気風が薄く、退職前から余暇・趣味活動に余念
 がないため、退職後の余暇を考える傾向にないかもしれない。(かといってスパッと線引き
 できる境界線もないと思う)

・バブル世代以下がサロン(茶論)的活動を嫌うものではなくて、サロン的写真活動は、
 オタク文化の行動形態と大いに被る。(額装写真を前に語らうのも機材を並べて語らうのも、
いずれ劣らぬオタク趣味。)

・サロン的写真趣味とは異なる「放し飼い型写真展」にも出くわす。

・サロンスペースを想定しない、常駐当番のいない、放牧型の展示がそれで、彼らは承認
 欲求ではなく表現欲求のみに従っているのかもしれない。(それを偽装した、実は承認欲
 求まみれの展示も一方では存在する。ただし承認欲求のない撮影者はこの世に一人も
 存在しない)

・写真表現や撮影技術はそれぞれであるが、どちらの展示でも心引かれるものは散見する
 ため、あくまで分類上の違いであり、写真そのものに明確な違いはない。
------------------------------------------------------------

・・・・サロン写真、という表現は「芸術志向の強い写真」という文脈で使われることがあるよう
ですが、ここでは「額装した写真を前に茶飲み話を楽しむような写真スタイル」を指しています。
 40代以下の人々がそれをしないわけでもないです。また、20代も実は「額装なんてコスパも
タイパも悪い」なんて言いません。重点の置き方はわかりませんが、10代の人々の額装写真
展もよく見かけます。
 アナログ→デジタル→アナログの反動振り子現象の一環で、物質感と手触りのある写真と
しての額装写真が若者にブームとなる時期も来ると考えています。

 余談ですが、20代に聞いてみると、「タイパ」は彼らが言い出したものじゃないのだそうで、
「うだうだと無駄な時間が流れる会議や上司の自慢話を聞かされる飲み会を嫌って断った
結果、その上司層が若い人々はタイムパフォーマンスを重視するから仕方ない、と言い訳に
使ったのであろう」との見解がありました。
 その上司層は、かつて「新人類」と言われた世代であろうが、そのワードもまたその上司層
が造り出したものであります。

 そもそも「時は金なり」「光陰矢の如し」とか、昔からタイパに類したことわざは存在するし、
人類の進歩は時間を克服する戦いでもあったのです。医療=長寿命、家電・即席食品・代行
サービス・宅配=消費可能な時間の拡大、高速交通機関=生存時間のうちに移動できる
範囲の拡大、デジタルカメラ=写真アウトプットの即時消費・・・というように。
 SF上の概念でしかありませんが、何らかのテクノロジーにより、人間のクロックを高速化す
ることで、有限の時間から無限の時間を取り出すというものがあるそうです。移動時間中に
仕事や趣味を楽しむ環境づくりというのもこれに近い考え方で、ラップトップパソコンやウォー
クマンなどもこのカテゴリーに入ってきます。

 老人と若者では時間の流れる感覚が違うのでしょうが、セイコーが発表している時間白書
では、若者は将来に対する不安を持っていて、これは単なる社会不安というよりも、自分が
若さを喪失していくことに対しての不安があるようです。若いうちの時間を無駄に過ごしたくな
いという焦りが、本当の意味での「タイパ」なのかもしれませんな。
https://www.seiko.co.jp/timewhitepaper/2023/
 この時間白書では、年齢に対するステレオタイプ的な考え方に対する反発の意見も見られ
ます。要するに老人写真も「遠い日の花火ではない」ということで、別に老人ポートレートも、
老人ポートレート写真家もじゃんじゃん出てきてほしいものであります。
 老人は、現在と同時に今に至る過去からの時間を楽しむ観点で写真に向き合うのですが、
そうした老人写真家は被写体としてもとても魅力的であり、彼らの背中には重厚長大な物語
を感じるところです。



★キヤノン板。『爽やか美人百景 ~若者写真事情~ 』 コピペ記録
https://photoxp.jp/pictures/226046

とある忘年会で、20代の男女に、どのような写真を撮っているか、またどのように保存して
いるか尋ねてみました。
-------------------------------------------------------------------
・会話に参加した20代は男子1名、女子3名。

・保有している撮影機材は全員スマートフォンのみで、デジカメ、フィルムカメラ(使い捨て
 カメラを含 む)、チェキの使用者はいなかった。

・撮影は配偶者や彼氏彼女との記念写真、旅先の風景、趣味の作品の撮影など。

・保存はスマートフォン内部で済ませているが、ごくまれにプリントすることもある。

・プリントはコンビニ等を利用。

・・・・これらの傾向はスマホ撮影者のプリント動向調査とおおむね似通っている様子。
 https://mmdlabo.jp/investigation/detail_1939.html

・チェキ写真は全員が認識しており、うち女子2名が「かわいいので好き」との感想。

・チェキ機材がなくともコンビニでスマホ撮影の写真をチェキ風にプリントするサービスがある
 とのこと。

・スマホ撮影写真と、大口径レンズ+デジタル一眼レフで撮影した写真とを見せたところ、
 後者について、1名の20代女子から「写真がキレイ」との感想あり。具体的にどうキレイと
 感じるのか尋ねたところ、「写真館で撮影した写真のようだから」との感想あり。

・この20代女子は、「キレイな写真」として「写真館で撮影する写真」をイメージしているが、
 彼女はいわゆる『インスタ女子』であり、写真趣味で言うところの「ボケフォト」や「ポートレート
 写真」には親和性を感じるとのこと。(ただしそうした用語を使っているわけではない)

・また、彼女は、節目節目で写真館(スタジオ撮影とは限らない)で撮影してもらってきた経歴
 があること。またかなりの美貌の持ち主で、写真を撮られることに抵抗がなく、また自らの
 美意識の表現としてセルフポートレート撮影にも関心が高い様子。

・少しだけ、彼女のインスタを見せてもらったが、なかなかに魅力的だった。

・フォトブックを注文した経験は全員なし。女子3名のうち2名は新婚だが、ウエディングフォト
 のサービスとしてもフォトブックを利用しなかった様子。

・20代男子も趣味は多様で、料理から「オリジナルの皮靴作り」まで、その記録のためスマホ
 撮影する機会は多いとのこと。

・この20代男女4名のうち、趣味レベルで写真に関心があるのはインスタ女子の1名と思わ
 れるが、残りの3名もスマホ撮影機会は多い。

・インスタ女子以外の女子1名が、地域フォトコンの部門賞に入賞した経験があるとのこと。
 それは撮影者としてでなく被写体として。だが、地域振興のフォトコンはそのへんが寛大で
 あり「未発表で応募者本人が撮影した写真であること」という制約はないが、それ以前に、
 ある意味、20代女子が「写真は撮影者ではなく被写体人物のモノ」という考えを持っている
 こととも思えた。

・・・・「チェキ写真がかわいい」というのは、やはり20代女子である私の娘も、自分ちのリビン
グに家族写真をチェキ風にプリントしてたくさんディスプレイしているので、理解できます。
余白にメモやメッセージが書き込めるのもよさげです。なお、私の娘もチェキ機材は保有して
おらず、スマホ撮影を「チェキ風にプリント」しているもので、専用アプリでプリント注文し、
最寄りの店舗で受け取るとのこと。

・・・・フォトブックは、コロナにより市場拡大が失速した傾向が見られ、例えばキヤノンは
今年、いったん撤退しています。キヤノンは2024年中を目処に新サービス開始との意向では
ありますが、「努めてまいります」との表現であり、再開を保証するものではありません。同社
の主力商品「フォトジュエルS」は私も利用していますが、写真印刷のクォリティに文句はない
ものの、飾り文字やレイアウト、背景などが20世紀的で、このあたりが競争力の低下につな
がったのかもしれません。
https://cweb.canon.jp/photojewel-s/

・・・・私は残念ながら今年は「キレイな女子」写真をあまり撮れませんでしたが、春先までの
名所・写真映えスポットで観察している限り、インスタ的撮影は一段落し、TiKTok系の撮影を
見かけることが多く感じました。しかし、女性の「キレイに撮りたい、撮ってほしい」という願望
が衰えるはずもなく、「被写体であり撮影者でもありたい」「ワタシが撮るキレイなワタシ」とい
うセルフポートレートジャンルは確固たるもののようです。

・・・・デジタルネイティブ世代もぼちぼち結婚して子供を持つ年齢となってきており、彼ら彼女
らは家族の写真共有サービス「みてね」を大いに活用しています。
このサービスはMixi社のメガヒット商品であるが、自らの子育て期の記憶が薄れつつある
親世代(つまり私あたり)と、子供の写真を共有することで子育て情報、助言(あるいは小言、
説教かもな)も共有できています。
 新規子育て世代は、月齢なりの発達発育に不安を持ちがちだが、「みてね」で共有されて
いる現在の子供写真は、その子たちが大人になって子育てする側になるとき、貴重な記録
資料となるかもしれません。
 我が家の場合、子供の撮影は、20世紀末に生まれた娘は幼稚園まではフィルム・デジタル
混成で、21世紀になって生まれた息子は、デジタルのみで写真を残してますが、とても月齢
ごとの記録をカバーできるほどの写真は残っていません。もちろん、「みてね」が物理的にも
商業的にも、これから先20年、現在のフォト共有サービスを継続できるかどうかは未知数で
ありますが。

・・・・それにしても、写真関係の統計を検索すると、しばしば「デジタルほどクリアには撮影
できないフィルム写真が、なぜか人気復活」という趣旨の記述によく出くわします。
 2005年頃の記憶では「フィルムほどクリアーには撮影できないデジタルだが、利便性から
人気沸騰」というような表現が目立っていたと思います。
 2000年代は、写真館で七五三撮影をお願いしても、デジカメは構図確認のための補助手
段であり、供給される写真にネガフィルムが添えられていたものです。老舗の子供写真館
スタジオアリスは、2006年まではフィルムであったとの情報もあります。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14186112664  

 上記は個人の顧客による推測ですが、スタジオアリスがフィルムからデジタルに移行する
にあたっては壮大な中央制御システムを構築したようで、子供写真と顧客情報が高度な
個人情報であることに鑑みて、セキュリティも確保できる独自システムを2005年度から順次
導入した、との報道も残っており、上記の個人顧客の情報と時系列はほぼ一致します。
https://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/0509/09/news061.html

 なお、スタジオアリスは出自がフジフィルムグループ企業との合弁であり、その後、フジ
フィルムとの事業提携も行って現在に至っているため、撮影機材にFinePix S3Proあるいは
S5Proが使用されていたとの情報があります。
 
 デジタルの普及とそれに伴うアナログの衰退、そして反動のようにアナログが復活してくる
傾向は、音楽メディアでも同様ですが、デジタル消費が時短と省スペースをもたらすことで
生じた時間と空間をアナログ消費にあてる。つまり時代に応じた余暇消費の最適化というも
ので、最近言われる「モノ消費→コト消費→トキ消費」も新規のものではなく、人類はずっと
それを繰り返してきたものだと思います。

 たとえば最初期の写真は、相当な時間が掛かるし描写にも限界はあっただろうけれども、
絵画よりは格段に早く、精密で忠実な表現(再現)を可能にしたと思われます。かつて絵画
は、今日の記念写真の機能を果たしていたと思うのですが、写真にその立場を争奪されるこ
とで、絵画は抽象画や超常画、戯画などの別方向に進み、かえって表現として多角化したよう
に思えます。
 写真のフィルムに対して、音楽のレコードはスクラッチなどのDJ用途で新しい表現に活用
されていますが、一方で「使用していると音質が劣化する」というレコード特有の要素も「時間
を楽しむメディア」と、むしろポジティブにとらえられる可能性があります。
フィルム写真は現像焼き付けに時間はかかるし、時間とともに品質は劣化していくものです
が、それもまた「時間を楽しむ」ことでもあるのです。

・・・・忘年会で4名と話をしただけで「若者の写真事情」を断定することはできませんが、大が
かりな意識調査結果ではどうでしょうか。
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000346.000044800.html

 20代以下の「カメラ単体の保有率」は50%を切っていますが、スマホもかなり高性能なカメラ
だと考えると、現在の20代はほぼ100%カメラを保有していると言えるでしょう。この調査にお
いて一人の10代男性がカメラを保有している理由を「彼女を綺麗に撮りたいから」としている
のが印象的です。
 そもそもカメラはその歴史の大部分、「世帯普及率」が普及の指標であったわけですが、
1980年代に飽和状態に達したカメラの世帯普及率の数値に、2020年代のスマホは達してい
るわけで、スマホをカメラに含めるなら、2020年代のカメラ世帯普及率は100%に近づいてい
ると考えられます。
https://tokaigakuin-u.repo.nii.ac.jp/records/2495

 上記「写真コミュニケーションの社会史」は論文ではありますが、写真趣味の人間にとって
は楽しい読み物です。
「若い女性にとって写真撮影や写真そのもののハンドリングは日常的な行動パターンの一つ
となり、写真は人との関係の中で消費するもの」
「高齢男性にとっての写真は道具立てにも注意を払うことが必要な特別な行為であり、写真
は消費するものではなく精魂込めて作り上げ鑑賞するもの」といった解析は、多分にステレ
オタイプ的ではあるものの、若い女性にとって写真は、より日常のものとなり、高齢者が各種
オタク化していくことを予測した点では、概ね当を得たものと言えそうです。

 カメラ単体での世帯普及率は低下しても、写真撮影機材としての世帯普及率は飽和に達
し、個人の撮影枚数も、1980年代とは比較にならない数字となっていると思われます。
 ちょっと乱暴な言い方をすれば、1980年代の標準的なアマチュアカメラマンよりも、2020年
代のスマホ女子のほうが、総合的な写真技能は優れている可能性もありえます。感じ方も
考え方も人それぞれですが、写真をコミュニケーションのツールとして自由自在に活用する
若い人たちは、まぶしく、うらやましくも思えるものです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

以上、2点ほど、S9000氏は良く分析されていると思い、コキペにて記録させていただきました。
一部文脈などをオリジナルから変更しているところがありますが、これは私自身が見やすく、より
良く理解できる為に行った操作です。
私自身は、もう世間一般の写真事情には関心が薄れてしまい、既に関心は遠くなってしまったわけ
ですが、昨今の老若男女達がどのようにして写真たるものを楽しんで居られるのかが分かり、大変に
有意義な分析だと思っています。
このフォトXP写真掲示板は、参加者のほとんどが高齢者であり、そういう意味では写真を楽しむ高齢
者達のサロン的役割を果たしているものと思われます。言わば現代のデジタルサロンですかね。

コメント投稿
雑文
Exif情報
メーカー名 NIKON CORPORATION
機種名 D800
ソフトウェア Capture One 6 Windows
レンズ
焦点距離 70mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/125sec.
絞り値 F5.6
露出補正値 -0.3
測光モード 分割測光
ISO感度 100
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 1367x2048 (1.49MB)
撮影日時 2015-12-03 21:23:10 +0900

1   kusanagi   2023/12/27 21:02

「わびさび」、グーグルでちょっと検索してみました。(^^ゞ 
・・・そもそも「侘び寂び」とは? 日本特有の美意識である「侘び寂び」。 「侘び」とはつつましく、質素な
ものにこそ趣があると感じる心のこと。 一方、「寂び」とは時間の経過によって表れる美しさを指します。

侘しい・・・心を慰めるものが無く心細い。 静かで物寂しい。 みすぼらしい。

寂しい・・・「寂しい」の意味 「寂しい」の「寂」という文字は「ひっそりとして静かなさま」を表すことから、
「物寂しい」情景や状況を表す際に使われます。 例えば、全く人の気配のしない路地裏や荒廃した野原
など、誰がみても「寂しい」状態であることがポイントです。

・・・「寂しい」は、人の気配のない場所や物静かな状況。「淋しい」は誰かを失った孤独な心情に使われ
ます。今回は、混同しがちな「寂しい」と「淋しい」の意味や違い、使い方、類語、英語表現などを解説しま
す。・・・

等々。こんな感じですかね。(^^ゞ 
なお、
西行法師は全国津々浦々歩いているようで、こちら香川県の善通寺の里山山中にも西行庵があります。
えっー、こんな質素な庵に一時住まれていたのかと驚くほどです。
https://www.kukainavi.com/spot/watch/entry-34.html
https://www.fureai-cloud.jp/_view/tie/doc/view/4426/

私が言うところの風水、西洋占星術では、わびさびとは蟹座であり月です。つまりは母親であり、無償の
愛を示します。自らは腹をすかせボロを纏っても子どもには恥ずかしくない格好をさせる。それが何よりも
喜びでありまた強さでもあるのです。
それを美意識に転化させたのが、所謂わびさびではないのでしょうかね。本来は美とは何の関係もない
ものなのですが、日本人のもうひとつの特徴である華美でエネルギッシュな獅子座的な美学がそうさせる
のでしょう。蟹座的な母に大事に育てられた、獅子座的な子どもの、その眼で母を賛美しているような。
しかして、わびさびとは日本人特有の、母親のような生き方を美意識化させたものだといえそうです。

海外で話題の映画、ゴジラ・マイナスワンを見てきました。マイナスというのは戦争でゼロになった日本に
さらに追い討ちをかけるように、ゴジラが上陸し破壊をして、ゼロからマイナスになっちゃった・・ということ
から名づけられたようです。
映画では敗戦直後の東京が映し出されます。東京は瓦礫の山で人々はボロを纏っています。わびさび
そのものの時代ですか。しかし海外の反応では、この映画は美しいといいます。映像も美しいのですが、
やはりそのストーリーが美しいと感じさせるのでしょうかね。
この映画、なんと年明けからは黒白映像で再上映されるそうです。今度は黒白でゴジラを再度観ようか
と思っています。

2   鎌倉M   2023/12/28 18:04

わびには 簡素な様も入るかもしれません。
枯山水や 兼好法師が徒然草で、語っている
慎ましい住み家の様子等。

尚、西行が大磯で読んだ歌があります。
こころなき 身にもあはれは 知られけり 
鴫立沢の 秋の夕暮

コメント投稿
浄明寺
Exif情報
メーカー名 Canon
機種名 EOS 7D
ソフトウェア Photoshop Elements 19.0 (Windows)
レンズ EF-S18-55mm f/4-5.6 IS STM
焦点距離 18mm
露出制御モード 絞り優先
シャッタースピード 1/64sec.
絞り値 F5.0
露出補正値 +0.0
測光モード 分割測光
ISO感度 100
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 2200x1467 (955KB)
撮影日時 2021-12-11 18:48:58 +0900

1   鎌倉M   2023/12/27 08:17

わびさび とは何か?
春雨の 軒たれこむる つてづれに
人に知られぬ 人の住み家か 西行 

コメント投稿
雑欲
Exif情報
メーカー名 NIKON CORPORATION
機種名 D800
ソフトウェア Capture One 6 Windows
レンズ
焦点距離 24mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/125sec.
絞り値 F5.6
露出補正値 -0.3
測光モード 分割測光
ISO感度 800
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 1367x2048 (2.12MB)
撮影日時 2015-12-11 01:32:00 +0900

1   kusanagi   2023/12/17 22:30

私の黒白写真とは何か。それが次第に分かりつつあるように思います。黒白撮影に嵌ってしまった
わけですが、そのスタイルとしては、よくよく考えてみれば・・・
例えば、F344さんの三脚を使った写真。氏は三脚撮影以外の撮影はほとんど見られません。
そして、シッポ座さんの、オールドレンズでのマニュアル撮影。これもそれ以外の撮影はないのでは。
こんな感じで、本来オールマイティに撮影できるデジタル写真を、敢えてその撮影スタイルや撮影手法
を狭めることで自身の写真をやられているわけですが、そういうのと同じように、私も黒白撮影をやって
いるだけじゃないかと考えれば、至極納得のいくことであるのです。

撮影手法やスタイルを狭めれば、これは撮影枚数は自然と落ちます。その累計総情報量は少なくなる
というわけです。三脚での撮影は極めて撮影枚数は少ないはず。MFと露出マニュアルも自然と撮影数
は少なくなります。
それからスラムさんの、これは投稿のスタイルですが、低ピクセルでの投稿ですので当然に情報量は
少ないです。そして私の黒白撮影も同様であって、撮影枚数は多いのですが(手持ちだしAF撮影で)、
しかし黒白にすることで情報量はカラーに比して1/3になるのです。JPEGスモール撮影なので、さらに。

こういう具合に、身に余ったデジタル写真の過剰情報量を自ら減らしていくというスタイル。その手法。
これがデジタル写真時代に於いて、自らを失わない手法でスタイルなのではないかと思い立ったわけ
です。
そう考えると、私の黒白写真なんぞは決して新しい手法ではなくて、F344さんやシッポ座さん、スラム
さんの後追いをしていただけだと理解できます。そしてこういう撮影者自身の独自なスタイルは、自身
以外には通じることはなかろうということも理解できるわけです。
三脚撮影は分かってはいてもそれを常用する人は少ないですし、マニュアル撮影にしてもそうです。
良さそう、面白そうだと表面的には理解できたとしても、それを自分の撮影・写真スタイルとする人は
ほとんどいないでしょう。

しかし三脚撮影も、マニュアル撮影も、嵌ればはまるんではないですか。私も当然にそれらを少しずつ
やったことはあるんですが、それに強く親しむことはありませんでした。そして私が嵌ったのは黒白写真。
方向が違うだけで、そういう特定の写真術に敢えて自分をはめ込むことで得られる充足感というのは
確かにあるんです。自分はもうこれ以外のスタイルには行かないという決意のようなもの。
しかしこれはよっぽどでないと、その境地には行けません。私にしても黒白写真を知らなかったわけで
はなくて、黒白写真しか撮れないカメラを手にすることで初めて、それを突破できたのですから、如何に
その関門が高いのかがわかります。

こういう独自スタイルを獲得すると、写真とか機材とかに目移りすることがなくなります。色んな写真を
撮りたいとか、種々の機材を使ってみたいという雑欲がなくなるんですね。つまり目移りをしなくなる。
ストレートに自分の写真に向き合うことができるようになるのでしょう。
機材欲がいっぱいだった私が、黒白写真以降に購入した機材は、ペンタモノクローム用にと購入した
たったのレンズ1本だけ。今まで自分からすれば驚くべき変貌です。

結局は雑欲の排除というものが本筋としてあるんではないですか。そしてそれは写真としての情報量
を低減することではじめて得られるもの。この情報量逓減の法則というものがあるということ。これを
知ることが極めて大事だろうということです。

※投稿写真は石仏ですが、実は彩色している石仏なんです。それは黒白写真ては分かりません。
良い具合に彩色が薄れてきてイメージーなんですが、それを(記憶として)知っているのは撮影者である
私だけ。しかしその楽しみを他者に伝えようという気は起きません。写真や撮影の自分だけの楽しみ
を全て伝えるというのは本当はできないものですし、またそうすべきだとも思いません。そういうのも
雑欲のように思えてます。

コメント投稿
雑文
Exif情報
メーカー名 NIKON CORPORATION
機種名 D800
ソフトウェア Capture One 6 Windows
レンズ
焦点距離 16mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/100sec.
絞り値 F4.5
露出補正値 -0.3
測光モード 分割測光
ISO感度 100
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 2048x1367 (1.67MB)
撮影日時 2015-12-10 01:23:04 +0900

1   kusanagi   2023/12/12 21:07

⑳+⑤
先日の新聞記事。フジフイルムのチェキが売れているそうです。売上高1500億円に。15年3月期に
比して今年は3倍。4期連続して過去最高の更新が続く。
写真をプリントする不便さがスマホ世代に新鮮。専用フイルムの生産供給が追いつかない状態。
チェキにスマホに接続すればスマホ内に撮り溜めた写真もプリントできる。世界のチェキは数千万台。
年間10億枚が撮影される。スマホでは年間数兆枚撮影されるという。これもチェキは取り込みたい
ということらしい。
富士フイルムHDの24年3月期の連結営業利益のうち、最大のものはヘルスケア部門で1120億円
だが、カメラなどのイメージング部門は、前年比21%増の880億円。全体の3割。そのイメージング
部門の営業利益のうち数百億円をチェキ事業占めて、営業利益率は20%と全部門で最も高い。
欧米が最大市場、ついで日本や中国などのアジア市場。

販売が伸びている背景には、アナログ感やレトロな味わいがスマホ世代に支持されているという。
チェキはフイルムが出てきて数分間かけて徐々に写真が浮かびあがる。そのアナログ感や粗い質感
がエモいという。タイパなど効率を優先するデジタル社会に息苦しさを感じる若者は少なくない。社会
分析として、効率的な社会が進めば進むほど、非効率だが自分だけの体験が楽しめるアナログへの
反動が背景にあるという。
※エモいとはエモーション、エモーショナルの意味か。感情・感動的?
※タイパはタイムパフォーマンスらしい。コストパフォーマンスがコスパなのでもじったのでしょう。

とまあ、こんな感じの記事でした。
そしてすぐさま思ったのは、私自身の黒白回帰もこのチェキ現象と変わらないのだということでした。
チェキのじんわりと絵が出てくるというのは、黒白フイルム時代の暗室での現像を思い起こしますし、
粗い画質というのも情報量の低下ということで黒白写真と共通しています。
つまり人間、あまりにも高効率で過剰情報量という状態には耐えられないというか、そんなものは長続
きしないということでしょうね。それは極めて非人間的であり、そもそも人間の脳はその仕組みから
して、そのような状態には馴染めないということでしょう。

さらに思ったのはタイパ世代ではない比較的時間の余裕のある高齢者は高画素で高画質なカラー
写真でよいけれど、タイパ世代の若いスマホ世代では逆転していて、低画質の情報量の少ないアナ
ログ感を感じさせる写真がよいのだということですね。現代の写真趣味世代は、もう高齢者ばかりで
あるというのも、そういうことが背景にあるような気がしてなりません。
チェキも黒白写真も、自分だけの密やかな楽しみであるということでも共通しているのが特徴です。
しかしそれは極めて重要であるわけですね。この自分だけの楽しみというのは一見して、非社会性の
ように思われるかもしれませんが、そのような現象が広く行われていれば、それは結果として社会現象
になるわけです。

デジタル写真はここに来て第3世代に突入したという感想を持ちます。
第1世代は写真がフイルムからデジタルに移行した時代。
第2世代はデジタルカメラが高画質化し、他方でスマホというモバイルカメラが登場したこと。
そして第3世代とはその反動で、いつでもどこでも写真+高画素高画質な写真から、もう一度写真を
見直してみようかという新たな時代でしょうか。
こうして考えてみると、私が黒白写真にすんなりと慣れてしまったというのが良く理解できるように
なったと言いますか、それもひとつの社会現象であったということで納得ができるようになりましたね。

コメント投稿
雑文
Exif情報
メーカー名 NIKON CORPORATION
機種名 D800
ソフトウェア Capture One 6 Windows
レンズ
焦点距離 16mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/100sec.
絞り値 F4.0
露出補正値 -0.3
測光モード 分割測光
ISO感度 560
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 2048x1367 (2.5MB)
撮影日時 2015-12-10 01:25:06 +0900

1   kusanagi   2023/12/12 21:06

⑳+⑥
新聞記事で、エヌビディアの論説がありました。このAI企業は台湾系アメリカ人のジェンスン・フアン
が共同設立し以来CEOを勤めています。記者会見や講演では黒い革のジャンパーを着ることが多く、
これの写真を見たことは多いでしょう。かっこよくて中華系に見えない風貌です。
99年に最初のGPU(グラフィックボード)をリリースし、以来パソコンのパーツとしてはビックネームです。
特にゲーム機では絶対的に地位を占めています。このGPUチップの半導体を実際に製造しているの
が台湾のTSMCですね。

そして記事では現在の生成AIブームは、このエヌビディアのGPUの存在なくしては成り立たなかった
と書かれています。生成AIはニューラルネットワークの技術に基づいていますが、現実には膨大な
計算量が発生し、それを逐次こなしていく強力な並列的な計算能力がものをいいます。
GPUはゲーム機などのモニター画像の生成能力に進化した半導体ですが、これが生成AIに向くと
いうことらしいです。ファン氏がAI市場に自社のGPUが能力に気づいたのが2012年。4年後AI向けの
スパコンをオープンAIに納入。以来そのスパコンが生成AIの開発に使われています。
つまりゲーム機とAIは計算力がモノを言う世界であり、ゲームとAIは近似にあるということではない
でしょうか。
ゲーム機の画像をリアルに表現しようと思えば光の陰影をつけることですが、そうすれば立体的に
見えますからね。その処理は膨大となりますし当然に動画ですからスピードを求められます。そういう
ゲーム機で鍛えられたエヌビディアのGPU半導体。これが事実上、現在の生成AIブームを引き起こし
ているということです。

ここまで書いてきて、なんだ、生成AIとはゲーム機の副産物というか、もしすれば生成AIとはゲーム
機そのものではないのかと私は思いました。しかしだからこそブームになるんですね。ゲーム機は
世界中で人々を虜にし売れまくっています。(世界中のゲーム機はどれほどあるのでしょう、任天堂
からプレイステーションそしてインターネット参戦ゲームまで) ゲーム機が市場して成り立つように
生成AIも世界を席巻する。その基本はゲーム性でしょう。そしてその内幕は単純で膨大な計算世界。
別の見方をすればAIなんて言っているけどそれはゲームAIだったというわけです。

しかし記事はゲームだからといって侮ってはいけないとも書かれています。あのゲームの世界が、
もし現実化すると思えばそれは震撼すべきことではないですか。世界の人々はゲームの中の無数
のキャラクターと同じようになるということで、それを生成AIがこれからモニターの中の世界ではなく、
この現実の世界で作り上げていくということに他ならないのですから。
とはいえ、私はそんなに大げさなことは起きないと思います。バーチャル世界とリアルな現実世界とは
全く異なるからです。それでも我々の意識が、これから生成AIに迎合して、人間自体がゲーム化、バー
チャル化するのは避けられないことだと考えています。

例えば既にデジタルがもたらす写真世界に於いて、我々はそのモニター画像が本物のように錯覚を
しています。それを与えてくれたのはエヌビディアのGPUですね。そしてGPUという半導体は写真画像
やゲーム画像だけでなく、これからは人間の思考にまでその影響力を及ぼしていくというわけです。
画像生成だけでなく、所謂ものを見るという視覚情報は人間の思考の中枢と深く結びついています。
上手く画像を作れるようになれば、それがそのまま思考をも制御するというのは容易に想像がつくこと
ですね。画像生成GPUはそのまま思考の生成AIになるというの当然のことだったかもしれません。
そして以前からデジタル写真はゲーム脳に通じるのではないかと考えていましたが、これはハズレで
はなかったようです。
私も黒白写真に慣れつつあるのですが、半年経過してみて、これまでの自分のカラー写真は現実とは
異なる作り物(生成画像)だったということが少しずつ分かりかけています。それはゲーム脳に近かった
ということかもしれません。

コメント投稿
雑文
Exif情報
メーカー名 NIKON CORPORATION
機種名 D800
ソフトウェア Capture One 6 Windows
レンズ
焦点距離 35mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/100sec.
絞り値 F4.0
露出補正値 -0.3
測光モード 分割測光
ISO感度 100
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 2048x1367 (1.27MB)
撮影日時 2015-12-10 01:27:47 +0900

1   kusanagi   2023/12/12 21:04

⑳+⑦
「ジオガイトが1400 万年前のカルデラ跡発見!」 「三豊コールドロン」
https://taikai.geopark.jp/2023/wp-content/uploads/sites/6/2023/10/%E3%83%9D%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%EF%BC%88%E5%89%8D%E5%B7%9D%EF%BC%89%E3%80%802023.0922%E6%9C%80%E7%B5%82%E7%89%88.pdf
「髙松コールドロン(クレーター)五座 一筆書き縦走」
http://shimanamitai.sakura.ne.jp/r3-2gcrater5.html

こういうのがあるんですが、いづれも1400年前の巨大カルデラ火山の名残です。コールドロンといいます
が、それにしてもあまりにも古い地質学的な年代ですね。
しかし、面白いことに、現在の地名で、三豊コールドロンの場合は、火上山があり、高松クレーターの場合
には日山(麓の自治会館には火山と・・)と、日妻山があるんです。ひかみやま・ひやま・ひつまやま・・・
こういう「火」のつく山は香川には他にはないと思います。

このような古い年代のコールドロンは日本各地にあります。別に珍しいことではないんですけど、現地名
との関連が面白いんですね。昔の人々はその山が古の火山の名残と無意識の内に気づいていたので
しょうか。
香川の山の多くが、約1400万~1100万年前に起きた瀬戸内火山活動の名残です。そこで膨大な量の
溶岩や火山岩火山灰が溢れ出て、それが長い間に浸食されて残った部分が、今の三角山や台地状の
山となって残っているのです。当然にカルデラ火山レベルの巨大火山があってしかるべきだと言うことに
なるのですが、それがやっと見つかりつつあるということで面白いかなって感じます。

火のつく山は香川には上記のものしかないと書きましたが、実はもうひとつあるんですね。高松市国分寺
町と綾川町にまたがる、火の山、及び火の山北峰です。
http://natsumomohana.lovesick.jp/hinoyama290225.html
高松クレーターに近いのでここも何らかの関連があるのかも。

こんな感じで、地質とか歴史とかの興味が私にはあるんでして、その関連で写真を撮っております。こう
いうのは写真愛好家には少ないでしょうけど、一般の山歩き趣味の人や歴史好きの人とは通じるようで
す。
写真愛好家の方々の興味の対象は、極めて限られていて、イワユル何々ジャンルという以外のものは
撮れないようです。その点は一般の方達の自分の興味のあるものを素直に撮影するのであって、写真家
よりも一般人が優れていると思うところです。
写真趣味の方々はどうしても美学というものが邪魔をするんですかね。それとも写真やカメラの事ばかり
考えていて、自分の好きな被写体とは何ぞや、ということに気が回らないのかもしれません。

コメント投稿

雑
Exif情報
メーカー名 NIKON CORPORATION
機種名 D800
ソフトウェア Capture One 6 Windows
レンズ
焦点距離 26mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/160sec.
絞り値 F6.3
露出補正値 -0.3
測光モード 分割測光
ISO感度 100
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 2024x1351 (2.52MB)
撮影日時 2015-12-03 20:53:28 +0900

1   kusanagi   2023/12/4 22:21

⑳+④
最近はもう、自分の眼と脳が黒白対応になっているかのようで、最初に見るモノクロ写真と、その同じ
RAWデータからカラーを起こしても、後のカラー写真は不満足なんですね。なんか違うって感じてます。
自分が記憶している自然なカラーとは違って作り物の感じがするんですね。
人間は最初に見たものに強く拘るところがあって、その最初に見たものとは私の場合は黒白画像なん
です。それで同じ写真をカラーで見ても違和感がでるんだろうなって思ってます。

これほどまでに自分が黒白写真、モノクロームに入れ込むとは思ってもみませんでした。想定外という
のは、ほんとにあるんだということです。
私は写真は記録写真でよいとして、撮りっぱなしが多かったわけです。それで写真そのものに対する
思い入れは限りなく無くなっていたと思っていたんですが、そうではなったということでしょう。
カラーよりも黒白写真に拘泥するということは、まだ写真に思い入れが残っていたということですから。
面白いことに黒白になってから、撮った写真をけっこう見ているんですね。これもまた驚きです。

RAW+JPEGカラーで撮影している人は多いと思います。これのメリットはPC上で動作の速いJPEGで
確認をして、それがらこれぞと思う写真をRAWから改めて現像するほうがスピーディだからです。
それと同じ感覚で+モノクロJPEGで行くとPC作業の負担が軽減されます。肝は、PC保存時に、RAW
とJPEGを別フォルダにして保存することです。
私の場合はモノクロしか見ないという前提でやってますんで、この別フォルダ保存は絶対条件ですね。
殆どはRAW保存のデータを見ることはありません。特例を除き、ほぼ完全にモノクロJPEGのSサイズで
完結します。

モノクロ写真はカラー写真に比べて情報量は1/3です。これはPC上データではなくて脳内の情報量の
ことを言っています。この1/3というのは次元が違うというレベルです。したがって画像を見ても眼と脳
の疲労が異次元レベルで少なくなります。それで私は以前のように撮りっぱなしではなく、撮った写真
を大方に見ることができるんですね。
このモノクロで思い出すのが、かつてGEMさんが思い切ってライカモノクロームを買ってみようかと、
呟いたことです。もし彼がモノクロ機を使っていれば、もしかすれば、私のようにカラーを捨てることが
出来たかもしれません。

モノクロは情報量として1/3と書きましたが、JPEGのSサイズであればPC上でも軽快なデータ量である
わけですから、PC操作の負担も劇的に軽くなります。カラーを捨て更にRAWを捨てれば、こんなにも
写真が楽になるのかというわけで、とにかく劇的な労力低減であるわけです。
何事も考え方次第。今回はそれを深く学んだという気がします。

写真に対する思い入れが自分にはまだ残っていたという発見は嬉しい気がします。もうカラーで撮影の
最後には、写真は自分の歩きという健康維持の為の方便に過ぎないとすら考えていましたからね。
カメラを手に持てば自然と歩くというわけで、その歩きこそが私の写真であると思ってましたから。
それが黒白写真を獲得して徐々に変わりつつあるということでしょう。そういうことでは私の写真の復活
をしてくれたのがモノクロ写真であるというわけ。なんか面白いものですね。

このように現在のデジタル写真を捉えている人は世界中で、もしかすれば私一人かも知れませんが、
いやどうしてとうして、世界というのは広くて、多分間違いなく私と同じ結論に達している人は、この日本
にも多く居られると思ってます。私の考えていることは誰でも意識があれば到達することなので同様の
結論を得ている人は多いでしょう。
ライカがモノクロームカメラを出した。そしてペンタックスも出してくれた。もうその時点で時代はモノクロ
写真への意識変革が始っていたというべきです。ペンタックスのリリースには、多くのユーザーがモノクロ
カメラを願望していたという事実があります。
モノクロ専用機はカラー機と違い、絶対的にカラー写真は撮れません。カラー機をモノクロモードで撮影
したり、カラーRAWをモノクロ出力するのとは次元が違うからです。
モノクロ機をペンタックスに念願したアンケート提出のユーザーは、そういう覚悟を半ばは持っていたと
思われます。

しかし大部分のモノクロ機願望の人は、おそらく専用機であれば本格的な白黒写真が撮れるから、
それでモノクロ専用機が欲しいと思っていたでしょう。そういうこの私もそうでした。
しかし実際にモノクロ機を使ってみると、まあ確かに画質としてはカラー機のモノクロとは違うよねって
分かりましたが、私の場合はそれだけに収まりませんでした。
ペンタモノクロームを買われたユーザーの9割8分は、カラー写真がメインであって、たまにモノクロ機で
遊んでみるか、という優雅な使い方をされているはずです。

私の場合はやっぱり、大昔に黒白フイルム写真を10年くらいやっていたという実績があったからこそ、
100人中の98人とは違っていたのだろうと思ってます。
黒白フィルムの長巻を買ってきてそれをパトローネに詰めることから始まり、撮影したフイルムは現像
タンクで現像定着水洗をし、乾かしてカットして、そして暗室(自作の暗室の場合も)で、引き伸ばし機で
露光し、印画紙をフイルムと同じように、しかし今度は大規模に現像定着水洗をする。そして乾燥。
この手順のどれをとっても手抜きをすれば良い写真はできません。
こういうことをやったことがない人間に黒白写真の良さが分かるはずがありません。

写真趣味は簡単ですね。カメラを買ってパソコンでやるだけ。少し前はカメラとフイルムを買って写真屋
に任せるだけ。そういうのは自分で写真をやっているのではなく、やらされているだけなんです。
経済学的なコンシューマーとしての役割を果たしているだけ。間違ってもクリエイターじゃないです。
最近のバカ丁寧な二重敬語の、「写真をやらさせていただいています。」、そのものです。
カメラやレンズを買わさせていただいてます。
写真を撮らさせていただいています。
パソコンを使わさせていただいています。
ソフトウェアをつかわさせていただいています。
インターネットや掲示板を使わさせていただいています。
みなさん、写真を見てくれてありがとう、と言わさせていただきます。
つまりは人任せにすると自分は何も得られないということでしょうね。

黒白フイルム写真の経験がなければ本格的に黒白写真はできないのか。
そんなことはありません。デジタル時代でも黒白写真に邁進することはできます。ただし条件があります。
カラー写真を捨てることからしか始りません。
「写真をやらさせていただいています。」から抜け出すことでしかできません。
カラー写真をやめることができれば誰でも黒白写真をすることができます。これは二者択一ですから。
そうすると始めて「私は写真をやっている」と言えることができます。

というのは、もちろん大嘘です。(笑) 写真は楽しければ良いのであって、それにはカラー写真は欠かす
ことができません。黒白写真なんかに嵌る人間はどこか偏っているわけです。老後を写真趣味として過ご
すことには意味があることですね。現代はビジュアルの時代です。その時代に遅れないためには、自ら
写真を撮影しPCやタブレットを操作しネットに参加することは有意義なことですね。
また写真をすれば色んな観光地にでかけ、人と交わることもできます。
※投稿写真はJPEG1/4サイズ撮影をし、少しPCソフトでシャープネスを落としてます。二コンはキヤノン
に比べて最初からメリハリがあります。レンズは24-70ズーム。

コメント投稿
雑文
Exif情報
メーカー名 Canon
機種名 EOS 5DS
ソフトウェア Capture One 9 Windows
レンズ
焦点距離 28mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/128sec.
絞り値 F4.0
露出補正値 -0.3
測光モード 分割測光
ISO感度 200
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 4320x2880 (14.2MB)
撮影日時 2015-02-13 23:16:17 +0900

1   kusanagi   2023/12/2 22:17

⑳+③
ところで、パナソニックのDC-G9M2というのが人気のようです。ライカモノクロームというモードがある
んですね。パナはライカ社と協業していますから、そのライカのモノクロ専用機のネームをもじった言葉
を借用しているんでしょうけど、確かにこれは便利でJPEGで撮影する場合は特に有用かと思います。
それはそうと、ペンタモノクロームに次ぐモノクロ専用機、とりわけフルサイズのカメラが出でくれないか
なって期待しているんですが、パナソニックさんが出してくれたら嬉しいですね。
パナのフルサイズカメラはDC-S5M2なんですが、これを元にモノクローム専用モデルとしてくれれば
言うことなしです。
DC-G9M2やDC-S5M2のモデルは、この板ではORCAMさんが投稿されています。

黒白写真は私が今やっているようにカラー機のデジカメでも問題なくできるんですが、やはり本格的な
黒白写真は専用機には敵いません。と言いますか、専用機あってこその権威付けが出来るのであっ
て、つまりカラー機のモノクロ化とモノクロ専用機は、兌換紙幣と本物のゴールドのような関係になりま
すか。(笑)やはり金の裏づけは必要かと考えています。
これは世間一般的に通用するという意味でそうなのであって、本当のところはカラー機をモノクロ化を
したもので十分なのですね。自分がモノクロ専用機としてのみ使用すると宣言すれば、カラー機でも
立派なモノクロ写真が撮れるんです。(^^ゞ 

もし、カメラのファーウェアアップデートで、「あなたのカメラはこのソフトのアップデートで、これからは
モノクロでしか撮れなくなります。しかしモノクロモードは現状よりも高画質になり、且つバラエティも
増えています。」というのがあったとすれば、人はそのアップデートを受け付けるでしょうか。これを
やれば無料でモノクロ専用機を手にすることになるのですが。
しかしそういう人は世の中には皆無かというと、きっと幾ばくかの人がモノクロ化にするんではないか
と思われます。センサーのカラーフィルターを駆使できるモノクロカメラは、それはそれで面白いから
です。

冗談は別にして、これからはカメラ搭載のモードとして、黒白写真がより以上に洗練されてくるのは
確かでしょう。デジタルのスチルカメラ部門として、その立脚点のひとつとして黒白写真があるという、
そういうスタンスが一般にも認められてくるのではないでしょうか。純粋で高尚な原理主義的な静止画
カメラとして、ブランドと評判を高めたければ黒白写真の高画質化は避けて通れない気がしています。

すでに黒白写真に特化したプリンターがあるように、モノクロに向いたグラフィックカードやモニターなど
を搭載したPCやソフトウェアなども出れば面白いです。
この20年間はデジタルカラー写真の時代だったわけですが、これからはカラーだけでなくモノクロも
写真として市民権を得るようになるかも知れませんね。まあ占星術的にはそうなってます。(笑)

モノクロを主体に自分の写真をやっていくとすれば、おそらく誰もが自分の意識というものを変えざる
を得なくなるように思います。私にしても、もうカラーでは写真をしたく無くなっていますからね。
カラー写真は皆さんに任せます。私はモノクロでいきますから、という具合です。
写真には、カラー意識とモノクロ意識というものがあって・・・という感じで、写真の根本を揺るがすほど
の写真の意識変革が訪れるかもしれません。大げさですねえ。

https://photoxp.jp/pictures/225633
これはモノクロ写真をキヤノン板に投稿したものですが、はっきり言えば何が写っているのかよく分から
ない写真となっています。いや、そもそもモノクロ写真というのは、カラー写真に比べれば、そういうもの
であって、分かりやすい写真ではないのです。カラーに比べればモノクロは情報量としては1/3になり
ます。ですからモノクロ写真には説明が必要なんですね。
新聞写真にしても本の写真にしてもモノクロ写真であればその写真の説明がなされています。写真には
タイトルが必要というのも説明がなければ写真はよく分からないというのが根本にあります。

今回はその写真のカラー版を上げているのですが、これとてもあまり良く分からない写真でしょう。
この写真は半ば耕作放置されたミカン山の撮影なのです。この車はバンですが、かつては農作業の
諸道具を収めていた車なんです。倉庫として使っていたわけで、だいたいは里山で見かける放置車は
そういう役割をしていたわけです。いらなくなったから捨てたという車ではありません。倉庫として第2の
役割を担っていたわけですが、ミカン山自体が見捨てられると倉庫車も放置車となります。

モノクロ写真は撮影者以外の他者が見る写真としてはすこぶる不便な写真です。
ところが撮影者自身がするにはモノクロ写真は立派に写真として成り得る写真なんですね。それは
撮影者は撮影時に得た記憶というものがあって、それを基にモノクロ写真を見ることができるからです。
撮影時記憶+モノクロ画像なのであって、それでやっと完結する写真なのではないですか。
つまりモノクロ写真は他者に見せるというサービス精神には富んでいないのです。

しかし撮影者としてはモノクロ写真は楽しめるのですし、無駄がない実にスマートな写真であるわけです。
特に現在のデジタルモノクロ写真というのは、徹底的に撮影者自身の為の写真であって、撮影者だけが
有意義に楽しめる写真ではないのか、と思い始めてきました。
カラーデジタル写真というのは、そういうことでは他者・鑑賞者にオモテナシをする写真かも知れません
ね。カラー写真は何も考えずにパッと見て分かる写真でしょう。これは何なのかと考えながら読み取る
ような写真ではありません。でもモノクロ写真はよっぽどよく見て考えて読み取ることをしなければならな
い写真であるわけです。

こう考えるとカラー写真とモノクロ写真の違いはものすごく大きいです。
そしてカラー写真とは、オモテナシをするがゆえにそれは撮影者や作者にとっては大きな重荷になって
いるんではないでしょうか。カラー写真はモノクロに比べて情報量の多さから3倍は疲れる画像だといえ
ます。
現在のデジタル型モノクロ写真は、あくまで撮影者個人が楽しむべき写真であって、鑑賞者へのオモテ
ナシを振り切った写真だと言えそうです。
しかし考えてみますと、なぜ撮影者がお金を掛けて苦労して撮った写真を、鑑賞者は無料で観ることが
できるのですか。それはおかしいことではないですか。なぜ鑑賞者は、撮影者が鑑賞者の為に手取り
足取りして尽くさなければならないのでしょうか。それで得るものは撮影者に何かあるのでしょうか。

これらは根本的な問いですね。それから鑑賞者の側からしても、そんなに尽くして写真を見せて貰っても
しようがないというところがあります。押し売りは御免だし只ほど高いものはないということで鑑賞者側
も貴重な時間を奪われていることになるのです。本当に見たかったら写真も読み解いてみなさい、という
ことです。
もしかすればお互いに不利益を被っているのが現在のデジタルカラー写真かも知れません。

とにかくモノクロ写真、取り分けJPEG撮影は撮影者としては大変に楽です。こんなに楽ちんに写真が
できるものとは知らなかったです。(笑) そして機材に対する物欲もなくなったように、無駄なことをしなく
なりました。そういうわけでデジタルモノクローム写真は、スマートでエスディージーズですし、これこそが
現代の写真ではないかと思うほどです。

今回は、黒白写真は、撮影者には分かるし楽しいのですが、鑑賞者にはよく分からない写真だ。そういう
ことが、私にも次第に理解できつつあるということで書きました。
撮影者は撮影時のカラーの記憶があるからなんですね。しかし鑑賞者にはそれがない。この違いは大き
いです。撮影者はモノクロ写真をカラー写真として類推して見ることが出来るけれど、鑑賞者はそれが
できないということ。
そして撮影者にとってモノクロ写真はストレスフリーです。画像で疲労するということがない。これは狙い
通りでした。

モノクロ写真をカラー化できるサービスが盛んです。クラウドAIを使ってやるんですが、やがてはモノクロ
写真を、AIを使用して鑑賞するということが流行るかもしれません。(笑) もう人間はAIに敵わなくなって
いるのかも知れずで、黒白写真を読み解くことができなければAIに頼ることになるのでしょう。
私にも大昔に撮った古いフイルム黒白写真が多々あるのですが、当然に既に撮影当時の記憶はありま
せん。そうなればAIでカラー化して鑑賞するという手がありますね。

私は建前としてはモノクロJPEGで撮影していますが、同時記録でRAWでも記録しています。別保存を
していますので、そのRAWを見ることは、今回のような例外を除き、していません。
この、モノクロしか見ていないというのが大事であって、それでモノクロJPEGにしているんですね。
それで随分と黒白写真に慣れて来ていて、ずっとこのままで行けそうな感じです。
古いカメラは何台もあるので少しずつ、これまでカラーで撮ってきたカメラを今度は黒白で撮っていこうと
考えています。そういう意味で機材には不足していません。

モノクロで撮影すると機材ごとに違う顔を見せるというか、それぞれに個性があるんですね。無論装着
するレンズでも異なります。キラキラ色イロを削ぎとった写真が少しずつ分かるようになっているのかも
知れません。
考えてみると本当にカラーRAW写真画像は人を疲れさせるというか、無駄な消耗をさせることがわかる
ようになりました。そしてそういう写真とは余所行きのオモテナシの写真なのであって、自分が本来として
楽しむ写真ではなかったということも分かるようになりました。
亀ならぬカメラに乗せられていたわけです。(浦島太郎です)

モノクロにセットしたカメラは、何故か以前カラー設定と違って自分に忠実なような気がしています。
フイルムを詰めたカメラのように生きものとは感じませんが、自分を裏切ることのない純粋な道具として
感じられるんです。不思議にカメラが軽く感じられるみたいです。
デジタルモノクロームには不思議な力があるように思います。一時は、私のモノクロとは若い時分に
やっていたフイルム黒白写真へのノスタルジーではないのか。とも考えていたのですが、そういうもので
はないですね。オールドレンズを使えばノスタルジックになるとかいうのとは次元が違っています。
敢えて申せば、2千から数千万画素のカメラ時代に、数百万画素のオールドなデジカメを使うのに似て
いるのですが、それ以上にストイックで本質的でしょう。

色を削ぎ落としキラキラ色イロを無くしたモノクロですが、本当はキラキラ色イロは自分の脳内に自分の
中にあったのだ。ということにも気づかされました。画像の中のキラキラ色イロよりも、そういう魅力的な
ものは本来は、自分の中にあるほうが良いですからね。
とにかく自分で撮影するモノクロ写真というのは一般的な概念としての黒白写真とは違うのだということ
です。自分撮影の黒白写真は、モノクロであるようでいて脳内記憶を使ったカラー写真であるということ。
もっと良く慣れれば、人様が撮影した黒白写真もやがてはカラーに見えてくるだろうとの予感もあります。
モノクロ写真を撮りだしてからまだ半年も経っていません。
それでも様々なことがわかるようになりましたが、まだまだこれからでしょうね。モノクロ写真とは何かが
分かるようになるのは。

コメント投稿
①_(JPEGオリジナル)
Exif情報
メーカー名 NIKON CORPORATION
機種名 D800
ソフトウェア Ver.1.10
レンズ 35mm F1.4
焦点距離 35mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/100sec.
絞り値 F3.2
露出補正値 -0.3
測光モード 分割測光
ISO感度 100
ホワイトバランス オート
フラッシュ なし
サイズ 3680x2456 (4.03MB)
撮影日時 2015-11-23 18:58:06 +0900

1   kusanagi   2023/11/28 20:55


純粋にモノクロ写真、モノクロ画像とは何なのか、というと、これはとっても難しいと思っています。
私にはとてもじゃないですが分かりません。それでも自分なりに考察すると・・・
それで4っつほど作例を上げますが、
 ①モノクロJPEGオリジナル、つまりJPEG撮って出しです。調整はなしでカメラの設定のまま。
 ②上記の画像を編集ソフトで微調整したもの。
 ③同時記録のRAWデータからモノクロに現像したもの。
 ④RAWデータからの普通のカラー現像をしたもの。
それぞれ自分の主観に基づいて調整しています。(①以外は) レンズはコシナ35ミリF1.4で柔らかい
レンズですね。最新のMFレンズです。建前上JPEGのモノクロモードSサイズで撮っていることにして
いますが、実際はRAW同時記録でやってます。ただしJPEGとRAWは別保存としていて、常はモノクロ
しかPCで見ていません。

モノクロの画像に慣れた眼には、もうカラー画像は、何だか作り物のような感じがして違和感があるの
ですが、それは自分が撮影時に裸眼で見て抱いていたイメージと、カラー画像が違うのだろうという
気がしています。つまり脳内記憶画像とカラー画像の、ちぐはぐな違和感が生じるのですね。
その点はモノクロ画像だとコントラストのみなので、きっと色情報は記憶画像で補っているので落差が
でないんでしょう。勿論これは心理的なものです。

モノクロ①から③は、主に白い花が白く飛んでいるところがあるので、それを出そうとして調整を試みて
います。やはりRAWデータは調整幅が大きいですね。それから当然ながら解像感やシャープさは
RAWが勝るでしょう。なにせ元のデータ容量が違いますから。しかしJPEGのSサイズでも調整をすれば
十分に見れる画像となっているのは頼もしい気がします。

撮影時に裸眼で見て抱いていたイメージと、カラー画像が違うのだろうという・・・これは当然の話です。
どんなに頑張っても、裸眼の想像力というか期待値を上乗せしたイメージには、実際の写真というものは
敵わないのであって、それは写真の宿命のようなものです。
私は思うに、モノクロ写真は撮影時の自分のカラーイメージを損なうことなく維持できるということが利点
として上げられると思っています。しかしそういう撮影時の初期のイメージというものは儚いものでして
やがては消滅していくでしょう。それで初期イメージの記憶が無くなったときに改めて保存された
モノクロ画像を見るときには、再び自分の想像力を求められるのだと感じています。

つまり有り体に言えば、モノクロ写真とは徹頭徹尾、想像力の産物であるといことかも知れません。
画像は想像力の原資を提供するだけで、それを写真とするのは見る者のイメージ力で想像力でしかな
いのかも知れませんね。

それからカラー画像は、パッと見た印象で済ませられることが多いのですが、モノクロはパッと見た目で
は分からないところがあり、どうしても細部を良く見てそれから類推して全体に戻るという見方をする
ところかあり、写真の見方がカラーに比べて複雑です。
それで黒白画像は細部の表現が大切だろうと思います。つまり解像力やシャープさが大事だろうという
ことです。もちろん中間色のグレーの諧調も大切なんですが。( これを損なうと写真としての立体感が
なくなります。ベターっとした絵では幾ら細部が良くても写真とはならないでしょう。)

黒白写真における細部の解像と怜悧さを得る為には、やはり優れたカメラのセンサーや装着レンズが
ものをいいます。しかしまあこれはキリがないのでそこそこで良いのだと思います。
とにかく黒白写真は極めて難解だと思っているのですが、これを地道にやって行くと結果としてカラー
画像でも、そのスキルが上がるという気がしてますね。
現代に於ける写真の基本はあくまでカラー写真です。人間の眼はカラーで認識できていてその仕組は
不思議にデジタルカメラと同じです。そういう意味でモノクロ写真は異端児であるわけですが、このモノ
クロ写真を学ぶことで、よりよくカラー写真がスキルアップするのは間違いがないでしょう。

コメント投稿
②_(JPEG調整)
Exif情報
メーカー名 NIKON CORPORATION
機種名 D800
ソフトウェア Capture One 6 Windows
レンズ
焦点距離 35mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/100sec.
絞り値 F3.2
露出補正値 -0.3
測光モード 分割測光
ISO感度 100
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 3680x2456 (3.59MB)
撮影日時 2015-11-23 18:58:06 +0900

1   kusanagi   2023/11/28 20:54


写真撮影に於いて、カラー写真も黒白写真も何ら違いはないのですが、実は少しだけ違う場合があり
ます。それはミラーレスカメラで撮影する場合、ファインダーがモノクロモードだとそのファインダーまで
モノクロ化するということです。もちろん光学一眼レフの場合はそういうことはありません。

昔あるサイトで、モノクロフイルム撮影をする場合に光学ファインダーもモノクロだったらいいのに!という
のを書いている方がおられました。私はそういうことを考えたことがなかったので少し驚いたのですが、
ファインダーはあくまで現実光景の小窓であるべきであって、このような考え方には違和感を覚えたもの
です。
こういうのは被写体としての現実と、結果としての写真画像を混同しているのではないかということです。
入り口と出口の混同、主客転倒と言ってもいいかもですね。

ミラーレスカメラで、電子ファインターはカラー表示のままで、そして記録はモノクロという具合に選択で
きればよいんですが、そういうことができるという話はあまり聞きません。
とにかくコンスタントに黒白写真を撮りたい場合、やはり光学ファインダーのあるデジタル一眼がベストと
いう気がしてます。(ライカのようにレンジファインダーでもいいです)
そして私はまだミラーレスで黒白撮影をしたことがありません。する気が起きないというか。

コメント投稿
③_(RAWから現像 モノクロ)
Exif情報
メーカー名 NIKON CORPORATION
機種名 D800
ソフトウェア Capture One 9 Windows
レンズ
焦点距離 35mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/100sec.
絞り値 F3.2
露出補正値 -0.3
測光モード 分割測光
ISO感度 100
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 4096x2734 (4.03MB)
撮影日時 2015-11-23 18:58:06 +0900

1   kusanagi   2023/11/28 20:52

⑳+①
デジタルカメラはフイルムカメラに比べて、全て電気で動くというか、フイルムのような柔らかい生の部分
がありません。メディアは単にデータを記録するものでしかなく無くても構いませんし。
フイルムの代わりに半導体チップが全てを携ります。この半導体集積回路こそがフイルムに相当するもの
でして、その半導体を作成する過程で写真の技術が応用されています。現像定着洗浄だけでなく、ステッ
パーという巨大な引き伸ばし機(ではなく縮小機の露光装置)が使われています。一番高額な機器では
ないですかね。例えば、こういうの。
世界が依存するオランダの半導体装置メーカーASML
https://ampmedia.jp/2023/05/01/asml/
https://ja.wikipedia.org/wiki/ASML
つまり、デジタルカメラとは、大きく考えれば、そういう半導体製造の最終端末部でしかないのだということ
です。それは我々のネットに接続したPCが、グーグルなどのクラウドサーバの端末でしかないのと同じです。


「光と影のTSMC誘致」 深田萌絵編集 かや書房刊 という本があります。高度な半導体を製造する為に
膨大で良質の水と、同じく膨大な電力が必要で、かつ環境汚染も大きいということを報告しています。
そういうのはインターネットサーバーシステムとか、AIサーバーシステムでも同じであり、日々膨大な
電力を消費し、それが地球環境を悪化させているのは間違いがないことです。
世界が半導体化・ネット化・EV化すればするほど地球は温暖化していくというジレンマというか、逆説が
あるようですね。便利は決して只ではないのです。
デジタルカメラでは無限に写真が出来る。それは本当は嘘です。その過剰すぎる画像と引き換えに
我々は環境や資源、そして未来を失っているのですから。

「TSMCが熊本の水汚染を引き起こす」
https://www.youtube.com/live/ZmDrRjRqiWc?app=desktop
【ゲスト:深田萌絵〔 IT ビジネスアナリスト〕】及川幸久
https://www.youtube.com/watch?v=JT7E9pqDbhQ
半導体工場が次々火災。ついに日本のルネサスまで!背後に・・の影?
https://www.youtube.com/watch?v=3ryA5nuFCfw&t=10s
こういうのをみると、なぜ台湾という、二流国なのに世界最先端の半導体が作れるのか。以前から不思議
に思っていたのですが、その理由が分かったように思います。台湾人といえども半分は中国人ですし、
台湾の国としての歴史は新しいのです。結局は日本や米国という先進国が半導体製造を手放したのは、
環境汚染などのデメリットが大きくて、環境意識の低かった台湾や中国へ押し付けたということではない
かと思うこどあります。そう考えると納得がいきますね。

ところで、グーグルマップなんですが、意匠が変わりました。地形図になったのは便利です。そして何と
いっても大変化は、韓国の地名表示が日本人の読めないハングル文字から漢字になったことです。
これは日韓の接近の政治事情を反映しているものと思われます。
台湾が好きで韓国が嫌いな人はネット民の中に多いんじゃないですか。しかし韓国は日本にとって無くて
はならない国ですね。だいたい両国の歴史が違います。韓国朝鮮半島の歴史は古く日本とも深い関係が
あるんですね。そして韓国は国家ですが、台湾はまだ独立国家とは言えない段階ですね。

「半導体ビジネスの覇者」-TSMCはなぜ世界一になれたのか? ワン・バイルー著 日経BP刊
を読み進めていますが、米国の強いバックアップがあればこそ、TSMCはナンバーワンになれたという
のが良く分かります。そういうのは日本の企業もそうでしたね。しかし日本とは少し違うところがあるよう
で、創業者は中華系米国人と言っても差し支えないレベルのような気がします。米国との緊密度が日本
とは違うという感じです。中国人はとことん米国人になれるというか、そういうのは良くも悪くも日本人には
できない芸当です。
ところでTSMCが日本にやってきました。日本にとっては外資ですね。エルピーダメモリを買収したマイク
ロンと同じような外資系になるわけですが、はたしてどこまで日本がTSMCの技術を取り込めるのか、
そこに興味があります。そして半導体製造の微細化技術はもう限界に達しているみたいですね。だから
こそTSMCは台湾を出て、日本だけでなく米国やドイツにも工場を作っているのでしょう。これまでとは
シーンが変わりつつあるようです。

とにかく日本人を目覚めさせるには外国人、外国軍に外資というのが、日本の歴史の通り相場です。
つまり外圧がないと日本人は眠ったままになりますからね。そういうことでTSMCの黒船は大歓迎です。

コメント投稿
④_(RAWから現像 カラー)
Exif情報
メーカー名 NIKON CORPORATION
機種名 D800
ソフトウェア Capture One 9 Windows
レンズ
焦点距離 35mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/100sec.
絞り値 F3.2
露出補正値 -0.3
測光モード 分割測光
ISO感度 100
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 4096x2734 (7.42MB)
撮影日時 2015-11-23 18:58:06 +0900

1   kusanagi   2023/11/28 20:51

⑳+②
今現在、占星術では時代を写す木星は牡牛座を運行しています。2023年5月の半ばくらいから、それ
までの牡羊座から牡牛座に突入。そしてこの木星は2024年の6月には牡牛座を抜けて双子座になり
ます。まだ半年以上は牡牛座に留居です。
それでウクライナ戦争ではロシア(牡牛座の国)が有利というところがあって、ウクライナ軍はなかなか
進軍できないでいます。残念ながらまだ半年はこの情況が続くと思われます。

そして占星術的には同じく牡羊座・牡牛座地帯と言われているイスラエル・パレスチナで戦争が起きま
した。
ガザ地区を支配していたハマスが突然にイスラエル側に突入し戦争というか紛争状態になったのです。
興味深いことに、ハマスがロケット弾などの侵攻の準備をし始めたのが2021年くらいからであり、それは
占星術的には、ロシアがウクライナ侵攻の準備をし始めたのと同じ時期であるということです。
これは占星術では戦争の星である、土星と天王星の凶角(矩形)の投影であったということです。

その土星・天王星の星相は既に崩れていて(2023年3月から)、占星術上からは戦争は終了していなけ
ればならないのですが、無論現実はそうなっていず今もって戦争は続いていますね。こういうタイムラグ
は占星術ではよくあることですが、やはりロシア・ウクライナ戦争は大分ダレているという感じです。
実は、占星術では土星・天王星の矩が崩れた後に続いて、今度は土星と海王星の合が出現したから
です。つまり一難去ってまた一難、という具合。

つまり現在は強い戦争の現われというよりも、ダラダラの混乱と不運が続いているという感じですか。
ハマスのイスラエルへの攻撃とその報復は破壊と不幸以外の何ももたらさないのですが、本質的には
シーア派のイランのイスラエルや米国への敵害心があります。イランはロシアへの戦争協力もしているの
です。それで2021-2023初めの土星・天王星の戦争の星とは、ロシアやイランの西側への戦争であった
ということになり、占星術の意味と良く合致します。

そして魚座での土星と海王星の合は、ヨーロッパの混乱をもたらす結果となります。これは2024年の夏
まで続きますね。ちなみにこの土星・海王星は2024年の7月に牡羊座に入り、もしかすればフィリッピン
海で大津波を起こす可能性のある星相です。私は当初、これは南海トラフ大地震の発生ではないかと
危ぶんだのですが、そうではなくて地震を伴わない津波。つまり海底火山噴火の可能性が高いだろうと
いう感じです。(参考までに書くと、南海トラフは2038年に起きるというのが学説のようです)
それは別として、土星・海王星の牡羊座入りは再び中東地区に混乱を呼び起こすことになるはずです。

木星の行方も気になりますね。24年の5月までは牡牛座ですが、それからは双子座、つまり中国に有利
となるようです。これは1年間続きます。
とにかくこのところの星相は巨大惑星の集合が著しく混乱の極みが続くのですが、最終的には土星と
天王星の双子座での合で、米中戦争という形で成就するという感じです。それは2030年6月です。
土星・天王星の合は、前回は1990前後でしたが、これでソ連は崩壊しました。冷戦の終結をもたらした
のですが、今度は米中間の冷戦がそこで終わるということでしょうか。

占星術では1990年前後に土星と天王星が射手座で会合しました。これは考えてみればソ連ロシアに
とっての危機ではなくて、本当は射手座の国であるアメリカの危機だったんですね。
これに気がついていない人が多いですね。この星相によって徐々に米国はその冨や技術を敵国である
ロシアや中国に垂れ流してしまったんです。そのツケが今になってきていますね。
そして2030年前後に今度は、土星と天王星が双子座で会合します。射手座が米国ならば双子座は
中国ですね。つまり表面的には中国が負けたように見えて実際は中国の変革が始まるということです。

この土星と天王星の合は、双子座で合するも直後には蟹座で2033年から35年ほど2年間は居ることに
なります。これは日本にとっては苦しい時期です。試練の時とでも言ってよいのかもしれません。
もしかすればここらで南海トラフとなるのかも知れず、もしくは中国の崩壊で日本にも大きな余波、難民
とかで苦労するのかも知れません。

とまあ、妄想力一杯で書きましたが、世界というのは刻々と動いているのであって、変化し続けている
のが正常の姿であるというわけです。それと日本という国は自然災害が大きくてそれへの闘いが歴史
であるというところがあります。他の国は気象変動はありますが戦争だけを心配していれば済むという
のとは違います。南海トラフだげてなく首都圏震災や富士の噴火という災害もあるわけで、これからは
そういう自然災害の当たりの時期になっています。
しかし私は悲観的にはなっていません。日本という国は歴史的にそういう災害を乗り越えてきたわけで
すから今回もきっと乗り越えていくでしょう。

ところで肝心のロシア・ウクライナ戦争ですが、その帰結。それはどうなるのかというと、ウクライナ側が
勝つわけです。それは自明のことですね。同様に米中戦争は米国が勝ちます。
専制主義国家が生き延びているのはあくまで米国などの技術力や国力を持っている国の不用意な失点
からであって、本気になって米国などの西側諸国が手向かえば専制国家は勝てません。日本はかつて
の戦争で身をもって体験していることです。

日本人はこのことを良く忘れずにいて、米ソ・米中の戦いに於いても負ける側につく人は少ないですね。
それにしても何故、かつて日本は米国と戦うことになったのでしょうか。このことを深く分析している人は
稀てすね。
それは日本が大陸に進出して、日本が中国化してしまったからだろうと私は考えています。とくに軍部
がチャイナ化しました。ロシアと戦った勝った日本軍が中国軍のようになってしまったわけです。
つまり日本が中華思想化したわけです。それが大東亜共栄圏ですね。

占星術的な地政学で見れば日本と中国。共通する部分もありますがかなり違います。ヨーロッパの国々
が同じ地政学を共用しているのに対して、日本と中国は全く別の文明圏になるのですね。
このことを知っていれば、日本が上がれば中国が下がる。中国が上がれば日本が下がるということが
良く理解できるようになります。そういうシーソーのような関係が日中関係なんですね。
それで日本が身近に影響力を及ぼしていいのは、近隣の島嶼部と半島くらいのものです。そして何と
いっても米国やヨーロッパと深く結びつくことですね。

これは占星地政学から明らかなことですが、米国・西欧・日本は大洋の影響を地政学的に受けている
というのが共通しているからです。大洋とか海洋は領土でもなく人も住めませんが占星術上からは利益
を受けるのです。これは眼に見えない受益であって常識が見逃していることですね。
もしも、世界地図に日本列島が存在しなければ、今度は中国が大洋の影響を受けることになり、米欧と
並ぶことになったでしょうね。しかし現実には日本という存在が中国の太平洋への受益を妨げています。
日本人の持つ細やかな知的能力と努力心、また他への思いやりや協力精神は西太平洋の占星術的な
特質です。

日本列島は小さな島国ですがそのバックに太平洋の半分があるということ知ってほしいですね。
そう考えると日本は大国であるということになります。

2   シッポ座   2023/11/28 21:56

面白く楽しく読ませていただきました。
実に楽しい。

コメント投稿
雑文
Exif情報
メーカー名 NIKON CORPORATION
機種名 D800
ソフトウェア Ver.1.10
レンズ 35mm F1.4
焦点距離 35mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/100sec.
絞り値 F1.4
露出補正値 -0.3
測光モード 分割測光
ISO感度 140
ホワイトバランス オート
フラッシュ なし
サイズ 3680x2456 (3.42MB)
撮影日時 2015-11-24 01:51:42 +0900

1   kusanagi   2023/11/24 21:59


今回の投稿は久しぶりに二コン機を持ち出しました。いつものようにJPEGのSサイズで撮ってだし
です。撮影は愛媛県西条市。今回は前回より天気がましだったので、南側に聳える四国山地、
石鎚山系などが望めました。
香川県も南側には讃岐山脈が走るのですが、しかし標高は1000メートル。西条市のそれは2000
メートル近いのですね。これは圧倒的な違いです。
今回は主に農村部、とは言っても沖積平野の干拓を含む先進的な農業地帯です。そこを主に撮影
しました。撮影中、何度もずっと、南側の山地を見上げていました。高山山脈は私の憧れでして、
いつかは行って見たいぞ長野県なんですが、四国で見事な連山が見られるのは四国中央市から
新居浜市、そして西条市と連なる四国山地の中央構造線地帯だけでしょう。

高い山脈と広大な農地を要する平野部。西条市にはそのどちらも備わっていて、四国で一番私が
好きなところですね。市外は田舎町らしくのんびりとしていますが、豊富な水と相まって豊かな町
です。農業も漁業も工業も発達していますので観光には力が入っていないようです。
※この撮影は弘法水と言って、海の中(漁港)に噴出した出水(うちぬき)です。真水で飲めます。

コメント投稿
雑文
Exif情報
メーカー名 NIKON CORPORATION
機種名 D800
ソフトウェア Ver.1.10
レンズ 35mm F1.4
焦点距離 35mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/320sec.
絞り値 F9.0
露出補正値 -0.3
測光モード 分割測光
ISO感度 100
ホワイトバランス オート
フラッシュ なし
サイズ 3680x2456 (6.07MB)
撮影日時 2015-11-23 21:46:12 +0900

1   kusanagi   2023/11/24 21:27


フルサイズ5000万画素で黒白を撮り、それを1/4出力するというのは、なかなか良い手だだった
かなって感じています。つまり1240万×4で5000万画素ですかね。
これはどういうことかというと、ベイヤーセンサーは基本4画素ピクセルでRGB(正しくはRGGB)を
構成しているからです。つまりその4画素は、レッドは1/4、グリーンは2/4、ブルーは1/4になります。
それを補完水増し処理をして、4画素にそれぞれRGBの色を持たせているというわけです。
それをやめて4画素単位でもって、それを1画素としてRGBとするという考え方です。そうすると
必然的に、総画素5000は1/4の1240万画素となります。
かなり大雑把な考え方ですが、これはシグマフォビオンのセンサーの仕組から学んだことです。

ではフルサイズ2000万画素の場合は、1/4すると500万画素となります。イオス5Dマーク2や3が
これに当たりますが、正直言って黒白にすると画素数が足りないという雰囲気となります。
500万画素のカラーデジタルと1200万画素のカラーデジタルを比べれば、流石に500万画素では
物足りないとなるんですね。やはり写真として1000万画素を超えなければ不満がでてきます。
それと同じで、モノクローム専用機に対抗するには4000万画素オーバーのカラー高画素モデルを
使い、それを1/4で出力すればモノクローム専用機並みのシャープで解像感のある画像が得られ
るのではということです。

こういうハチャメチャ理論の展開をしているんですが、実際に撮った画像を見るとそれはしっくりと
くるんです。まずは実践ありきですね。
2000万画素のカメラでも強烈に高解像のレンズを使い撮影条件が良ければ、まあまあの黒白画像
が得られるですがそれは例外的とでもいうもの。やはりコンスタントに解像力とシャープネスが
欲しいとなると画素数の高いカメラの出番となります。

ペンタモノクロームの黒白画像でも、カラー画像と同じようにデータ量があります。RGBを捨てて黒白
2価で撮影しているにも関わらずです。何故なの?という気がしませんか。その理由は簡単です。
パソコンやデジカメというデジタル機器はカラー画像を基本としていて、たとえ黒白画像であっても、
それはカラー画像、RGBとしてしか表現ができないからですね。それでデータ量はカラーとモノクローム
は違わないのです。

ここのところはフイルム時代とは根本的に違っています。黒白フイルムは黒白の印画紙で焼くのが
正式で、黒白フイルムをカラー印画紙で焼くというのではなかったからです。
そういうことではデジタル時代にモノクローム写真をするというのは、モノクロフイルムをカラー用の
印画紙で焼いてしまったという例えになります。それは邪道であるとしてしまえばデジタルでは黒白
写真はできません。

黒白のデジタル画像をプリンターでプリントするとしますと、全てのカラーインキを使って黒白の絵と
してプリントします。黒白プリントにマッチしたプリンターなどはもしかすれば黒インキにプラスして
グレーのインキもあるかもしれません。しかし他の赤とか青とか黄とかのインキも使っちゃうんですね。
それで実は、そういう多種の色を使うからこそ、黒白写真のプリントが生き生きとするというのがあり
ます。黒は締まって深みがでてグレーも高諧調となります。
商業写真でも実は黒白写真は墨1色ではなくフルカラー、CMYKのプロセスカラーで刷っています。

そういう風に考えてみれば、黒白写真も実はカラー写真の変形であるだけ、ということになります。
こういうのは画像論ですから現実の黒白撮影とはあまり関係がありません。とにかくデジタル画像
もプリントも実際はカラーデータで処理しているんだということです。

コメント投稿
雑文
Exif情報
メーカー名 NIKON CORPORATION
機種名 D800
ソフトウェア Ver.1.10
レンズ 35mm F1.4
焦点距離 35mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/320sec.
絞り値 F9.0
露出補正値 -0.3
測光モード 分割測光
ISO感度 100
ホワイトバランス オート
フラッシュ なし
サイズ 3680x2456 (5.18MB)
撮影日時 2015-11-23 21:49:57 +0900

1   kusanagi   2023/11/24 21:26


黒白専用機はカラー機に比べて画素数は同じでも解像力とシャープさは群を抜いています。それと
撮影感度も高くなります。とにかくカラーフィルターもローパスフィルターもないのですから当然となります。
そういう解像感とシャープさはフォビオンセンサーと同じですが、高感度力はぜんぜん違いますね。
このように、カラー機とモノクローム機はデジタル処理は同じですがセンサー・撮像素子が根本的に
違うというわけです。

モノクロ専用機は色彩がない分、解像度とシャープさ、高感度を得ました。失うものがあれば得るもの
もあるというのが世の中の理です。
黒白写真と言えば、なんとなく暗いイメージですね。占星術で言えばカラー写真が華やかな木星とか
金星や太陽という吉星とすれば、黒白写真は重苦しい土星というイメージですね。たしかにその通り
なのですが、そういう凶星の土星や天王星や海王星には手堅い実力を得るチャンスという意味もあり
ます。
質素で堅実な土星、怜悧でスマートな天王星、イメージの宝庫の海王星などなど、そういう良い意味で
捉えることが大事だろうと思っています。

カラー機で黒白をする場合、モノクロ専用機とは違って、自前搭載のカラーフィルターを操作できるという
利点があります。これで色合いではなくて黒白の配分や割り当てが可能です。グレイの調整ができるん
ですね。
モノクロ専用機だとレンズ側にレッドとかイエローやグリーンフィルターを着けて調整するのが、カラー機
だとメニュー画面で調整できます。もちろんRAWで撮れば後でソフトでも。これは大きな利点ですね。

私はとにかく黒白写真に慣れるということで、今はRAWを捨てて黒白JPEGで撮っていますが、これから
本当に黒白写真というものに自信ができれば、その時はRAW撮影をして、その現像段階でカラーフィル
ターの操作をしようかと考えています。それで黒白写真の幅が大きく広がりますからね。
しかし今はまだその段階ではないと自覚しているので、とにかくまずはカラー写真を捨てるという初歩
の段階ですから、まだしばらくはJPEGスモールモードで撮ります。

本当の黒白写真というのは、カラー写真を捨てても構わないという覚悟がなければできないと思って
ます。つまり、キラキライ色イロ主義から脱却しなければ真の黒白写真には行けないだろうということ
なんですね。
これは極めて精神的なものです。豊かさを敢えて捨てるということ。幸運を捨て苦難を選ぶということ
に繋がるでしょう。幸運というのは他力ですが苦難というのは自力で本当の実力を得るということでも
ありますから。こういう精神的なことを考えてこそ、それが私の黒白写真なのだろうと思ってます。

とにかくややこしい話は別にして、カラー機の高画素モデルを黒白カメラにして、そこに高解像度な
レンズを着ける。というのは大変に、アリで有効だということです。
フルサイズで4000万画素を超えれば、それに高解像力を持つレンズを装着すれば、モノクロ専用機と
タメを張れるというか、もしかすればカモルことができるのではないとは感じています。

正直言って、カラーの場合はフルサイズ2000万画素あればよく、それ以上は必要がないと感じていま
した。4000万画素も6000万画素も要らないということで。私だけでなく実際にそう感じておられる人は
多いのではないですか。それで皆さんもフルサイズ2000万前後のカメラを良くお使いです。
しかしこれがモノクロの専用機として使う場合には、解像感&シャープを得る為に1/4程度に圧縮する
必要性が出てきて、そこで高画素カメラの出番が出てくるというわけです。

結局は相対的なことなんですが、少なくとも現時点でのスタンダードしてカラー画像は2000万画素くら
いでよくて、白黒写真もやはりそれくらいは欲しいなとなるわけです。実際的には1000万画素~2000
万画素の黒白データが欲しいとなります。
当然ながらペンタモノクロームは2500万画素ですが合格ですね。しかしAPSなので半分としましょうか。
すると1250万画素となります。これでも合格です。(笑)
そしてカラー機を1/4化したモノクロ化カメラだと、総画素数は4000万画素から8000万画素となります。
合格できるのはアルファ7R2の4200万画素、二コンD850の4500万画素、イオス5DSの5000万画素が
それに当たります。6000万画素のアルファやシグマはもちろん合格です。これだと1500万画素になる
のでスペック上はペンタモノクロームを上回りますね。

こういう考え方が成り立つのかどうか。それは実際に自分で撮って実践してみるしかありません。自分
が十分に納得して満足できるものとなるのか否か。そういうことです。
モノクロ写真はカラー情報を捨ててますので、その分は解像力、シャープさ、そしてグレイ諧調という
ものだけで立ち向かわなくてはなりません。黒白写真なのだから適当でいい、というのは当初は許され
ますが本格的に黒白写真だけで行くとなると、持てる知識と技術を総動員しなければカラー写真には
敵わないのです。

コメント投稿
雑文
Exif情報
メーカー名 NIKON CORPORATION
機種名 D800
ソフトウェア Microsoft Windows Photo Viewer 6.1.7600.16385
レンズ 35mm F1.4
焦点距離 35mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/160sec.
絞り値 F10
露出補正値 -0.3
測光モード 分割測光
ISO感度 100
ホワイトバランス オート
フラッシュ なし
サイズ 2456x3680 (6.67MB)
撮影日時 2015-11-23 22:34:03 +0900

1   kusanagi   2023/11/24 21:25


黒白でのみ写真をしていると、カラー写真が本当に羨ましく感じます。(笑)
皆さんがカラー写真で満喫堪能されているのを見ると、なんてセレブな人達だろうって感じますね。
方や私の方は赤貧の生活を送っているようなものです。とにかく、カラーと黒白の間にも物凄い格差が
あるんですね。
カラー写真はほんとうに素晴らしいです。それはカラー写真を捨てると身に滲みて分かります。
しかしながら、カラー写真が羨ましいと感じているのでは、またまだ私は黒白写真を知らないのだろう
と思ってます。

【海外の反応】「日本人は恐ろしい民族です」と中国のTV放送で語るハーバード大学の教授の真意とは!?【総集編】
https://www.youtube.com/watch?v=_IvR-ivvwR4
ここではマイケル・サンデル、P・F・ドラッカー、ラムザイヤーの3氏が紹介されているのですが、私が
関心を持ったのは、ドラッカー氏が室町時代の水墨画や禅画などに関心を持ち、コレクターであったと
いうことでした。雪舟に代表される水墨画はほぼ黒白の絵です。これは、なるほどと感じました。
ドラッカーは経営学者であるわけなんですが、それは占星術では土星となります。

とにかく、カラー写真は黒白写真の次に来た写真であって、あらゆる面で黒白写真よりも優れているの
ですが、それは情報理論、とくに情報量の大きさに関してです。黒白写真は絶対的にこの情報量に
関してはカラー写真に太刀打ちできません。
しかしユーザーが、人が感じるその情報の質的なものに関しては話は変わってくると思っています。
つまり多すぎる情報量は返って質的感覚として妨げになる場合もあるのではないでしょうか。
黒白写真はカラー写真からすれば、削ぎ落としの理論とも言えなくはないですね。情報の削ぎ落とし
として黒白写真を見るということ。つまりは贅肉を落とすということですか。

非常に根本的な話をしたいのですが、我々が写真の趣味をすることは、その目的というものは、それは
一体何なんでしょうかね。
写真のコレクションでしょうか。色んなものを沢山撮ってそれを集めることでしょうか。写真も物のひとつ
だとすると物集めの楽しみでしょうか。
現実的にはそのようになってしまっているかも知れませんが、それを写真行為の目的だとはっきり言え
る人はあまりいないだろうと思います。結果として写真がコレクション的に集ったということはあるでしょ
うがそれが本当の目的ではないですよね。
また写真をすることの楽しみやその集積とか思い出とか言うのも簡単すぎます。

写真行為を重ねることで何らかの人生的な獲得物があるのではないかと考えるのが普通だろうと
思われます。写真はモノかも知れませんが、写真行為はモノではなくもっと何かの得がたいもの、それ
を捜し求める、いや結果として獲得することか目的と言えばそうなのかもしれませんね。
簡単に言えば人の頭の中にあるもの、それが本来の目的かもしれません。

ディアスポラという言葉があります。これは民族離散の憂き目にあった彼らの歴史を言うのだそうです。
その迫害の歴史を持つユダヤ人が、度重なる迫害によって、どうしても失うことがないものは一体何か
というと、それは奪われることのない頭の中の知識とか智恵とか思考能力とか、そういう物質でなく
形のないものであって、これだと迫害を受けても無一文になって放り出されても生きていけるということ
だそうです。
それでユダヤ人は子弟に教育を受けさせて、その頭の中のもので生き抜いていきなさい、ということ
らしいです。よく知りませんけどね。
人生において築きあげた家庭や家とか土地とか仕事や会社とかいうものは、これは迫害を受ければ
簡単に喪失してしまいます。家族は離散し、物は何一つない無一文で放り出されてしまいます。命が
あるだけまし、という具合です。

そういう究極の状態で我が身を保つものは何かと言えば、それはやはり個人の頭の中の蓄えた何かと
いうことになります。その財産のようなものです。とにかく生きている間はそれが頼りになるという具合
です。ユダヤ人が優秀だといういうのはそういう考え方の歴史があるからのような気がしますね。
これは究極の個人主義的な生き方とも言えなくはないのですが、我々日本人には想像もつかない厳しい
歴史的現実があったればこそかもしれません。

こういう話をしたのは、もしかすれば写真の行為のその原理というのも、そういうものと無関係ではない
のだろうかということです。もちろん知識全般がそうであるわけですが、その中のひとつに黒白写真と
いうものがあるのかもしれないということです。
写真は知識体系の学問と絵画芸術の間に位置するという感じですけど、物質というものがなくても成り
立つということでは、芸術というよりも知識に属するのかもしれません。

予め自分の結論を出してしまいましたが、カラー写真はともかく、黒白写真というものは画像というモノ、
物質がなくても成立する写真ではないかということです。現実が物質としてのカラー写真だとすれば
黒白写真はそのゴーストのような気がするのです。
これは飽くまで現在のデジタル時代における私の印象です。デジタル黒白写真は、写真でありそうで
いて、写真ではないのかも知れないと。物ではなく頭の中のゴーストのようなものかもしれないと。
しかしそのゴーストのようなものが、いざとなれば生きることに大変な威力を発揮してくれるのではないか
ということなんです。そういう生きる知恵のエッセンスが詰まっているような感じだと。

ところでピータードラッカー氏がその経歴からみてユダヤ人ではないのかと思う人は多いでしょう。
調べるとやはりそうだったようです。正確にはユダヤ系というようです。20世紀の知力の代表的な存在
であるドラッカー氏ですが、そういう人物が水墨画などの黒白芸術を好んでくれたのが嬉しいような気持ちになります。

コメント投稿
雑文
Exif情報
メーカー名 NIKON CORPORATION
機種名 D800
ソフトウェア Ver.1.10
レンズ 35mm F1.4
焦点距離 35mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/320sec.
絞り値 F9.0
露出補正値 -0.3
測光モード 分割測光
ISO感度 100
ホワイトバランス オート
フラッシュ なし
サイズ 3680x2456 (5.67MB)
撮影日時 2015-11-23 23:21:49 +0900

1   kusanagi   2023/11/24 21:23


この掲示板もコロナ禍をかい潜ってから随分と変わったというところがあります。総体的に皆さん大人
になったような気がして、落ち着いてきたというか思慮深くなったような気がしてます。そういう意味では
コロナの流行下で写真をあまり撮れなかったというのがプラスに働いていると思ってます。中には驚く
ほどに(良い意味で)変わられた方もおられますね。
コロナ禍であまり写真を撮れなかったというたけでなく、その2・3年間分だけ歳をとった、というところも
あるんでしょう。なるほど、高齢化社会を地で行く掲示板ではありますね。(^^ゞ 

写真行為は自我を発揮する極めて個人主義的なものです。そういう意味で西洋文化の系統に属する
でしょう。自分が写真なるものをしたいからするのであって、あまり他人目というものを気にしない文化
のように思います。つまり他者に迎合することの少ない芸で趣味ですか。まあ空気なんか読んでいては
確かに写真はできませんしね。
そして世の中の時流にそって、さらに自身の運勢に沿っても、自分の写真も変えていくというのが写真
というものであると思ってます。
それでも写真は永遠に極められないものなんですね。極点などというものはどこにもありません。ただ
淡々と自分の写真をやっていくというだけしかできません。

この掲示板は一般的な写真投稿サイトとは違って、あくまでも自分でカメラをもって写真を撮影するという
写真愛好者たちの掲示板です。それで自分の作品を見せるというよりも他の投後者の写真を見て、
ご自身が啓発されるという面が大きいのではと思ってます。
ああこの人はこういうカメラを使ってこういう写真を撮るのか、という具合で自分が発するサインよりも
受け取るシグナルのほうが高いのでしょう。そういうのはこの掲示板が始まった当時から、そういうよう
な伝統があるようで、今となっては極めて稀な写真のサイトになっているみたいです。

こういう掲示板がもう何年も十何年も続くというのは奇跡のような思いがします。
私が積極的に掲示板に投稿しだしたのは東日本大震災の年の2011年からですから、それからも既に
10年以上経っています。私が本格的にデジタル写真を始めたのは2000年ころからですが、その時の
自分の予想では、まあ10年はこの写真趣味でいけるだろうが、それ以降は続かないだろうと考えてい
ました。
それがいまだに写真をやっていて通算20年余もデジタル写真の趣味を持つことができています。それは
ひとえに、この掲示板のなせるお陰ではないかと感じ入っています。
この掲示板を運営し維持してくれている管理人さんには感謝の念しかありません。そしてこの掲示板に
写真投稿をされコメントも書かれている多くの方々にも御礼を申し上げたいと思います。

橘玲著 バカと無知 -人間、この不都合な生きもの 新潮選書 
橘玲・安藤寿孝共著 運は遺伝する -行動遺伝学が教える成功法則 NHK出版新書
というような本を今読んでいるのですが、こういう本で述べているような現実があるというのがこの世の
中の通例でして、とくにネットでのやり取りなどは非常によく正確に書かれていて関心をしています。
私としてはそういうことは有り得て当たり前だという感覚でしたので、当初から自分のコメントでの発信は
一方通交にしています。いちいちの追コメントに応えることなどはしていません。そんなことをしていては
自分の写真論などは出来ないだろうと最初から感じていましたので。

私が純粋にデジタル写真をやっていたのは最初の10年間であって、この掲示板に投稿しだしてからは
写真ではなく写真論をやっていたのだろうと思ってます。写真行為論とでもいいますか。
そしてその場を提供してくれたのはこの掲示板であって、これがなければありえなかったろうとでも言える
ものでした。

例えば私の今の黒白写真は写真表現としての黒白写真では全くなくて、写真行為としての黒白写真
です。前者は画像でありモノですが、後者は人の行為そのものを言います。
撮影をオートマチックではなくてマニュアルで撮影をする。とか、オールドレンズを態々使いにくいデジイチ
で撮影をするというのも、それも写真行為ですね。
写真論は最終的に写真をする人の総体的な行為論に収束するのではないかと考えています。
ですから写真する人、そのものが作品と言えば言えるのでしょうか。(^^ゞ 

コメント投稿
雑文
Exif情報
メーカー名 NIKON CORPORATION
機種名 D800
ソフトウェア Ver.1.10
レンズ 35mm F1.4
焦点距離 35mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/400sec.
絞り値 F10
露出補正値 -0.3
測光モード 分割測光
ISO感度 100
ホワイトバランス オート
フラッシュ なし
サイズ 3680x2456 (4.69MB)
撮影日時 2015-11-23 23:24:59 +0900

1   kusanagi   2023/11/24 21:22


占星術的風水的に申しますと、黒白写真行為というものは(カラー写真に比して)不足のそれですから、
土星・天王星・海王星という所謂凶星下にあります。
そして華やかなカラー写真は、吉星としての木星・金星・太陽という具合ですね。
私も最初はデジタルでカラーをやっていました。面白かったなあっていう時期は、デジカメが1000万画素
以下の時代でした。その当時はCCDセンサーのカメラでしたね。画像としては不足感のあった時代です。
それが1000万画素、そして2000万画素となり現在は数千万画素の時代なんですね。
そして自分としては画素数が上がり、カメラの画質も洗練されていくにつれて、違和感が芽生えていった
という気がします。

これは何故だろうかと考えますと、凶星の星の下に生まれたこの私にとっては、豊で華やかで綺麗な
現在のカラー写真には向いていないということだろうと思います。それで不足感や抑圧感のイメージが
ある黒白写真に再び自分の居所を見出したのだろうということなんですかね。
ですからこれは、つまり黒白写真行為は、あくまで私だけの特殊な話であって、多くの人々は恵まれて
豊かな吉星のもとに生まれているのだから、最新の優れたカラー写真が最適だということです。
事実、私の皆さんが撮るカラー写真を見るのは楽しみです。そういう写真を見るにつけ、自分もそんな
写真を遠慮なく撮れたらいいのになあって思うのですが、それは私には分不相応であることを知って
います。

つまり写真行為というのは人によって違うのであって、それはけっして一様ではないのです。
人それぞれにピッタリと当てはまる写真というのがあって、それを各人が見つけ出す。ということだろう
と思いますね。
私の場合は、カラー写真ならば600万画素くらいがちょうど良かったのです。しかし技術発展は留まって
くれませんから、どんどんと画素数という情報量も画質も上がっていきます。そうすると私には分不相応
になってしまったのです。

黒白写真はカラー写真に比べて情報量は単純化すれば1/3から1/4ですね。RGBやCMYKというのを
思い出してくれれば分かると思います。それで逆算して600万画素を3倍から4倍すれば、現在のカラー
写真のレベルになるだろうと言うことです。
そしてさらに私はカラー写真機を黒白専用機のレベル(その解像感やシャープさ)に上げようとすれば
さらに1/4になるので贅肉を削ぎ落としたものになるのです。
5000万画素で1250万画素匹敵、3600万画素で900万画素匹敵という具合です。それをまた1/4とすれ
ば、400万画素とか300万画素ですかね。(笑) そういうカメラ、昔はありました。イオス1Dやイオス30D
です。そういうカメラほ昔に使っていた時代は充実していたと思います。

一頃フォーサーズ機に親しんだ時期もありました。1千数百万画素のカメラで、何といってもそのセンサー
が小型で、その情報量が大きなセンサーに比べれば少なかったというのが理由だったかも知れません。
今はそういうカメラはスマホになるのでしょうか。スラムさんの投稿写真を見て、スマホ写真も良いじゃ
ないかって思ってます。
私はまた一頃、超高画素高画質のカメラを批判していたことがありました。そういうカメラは自分を見失う
のではないかということだったわけです。
しかし皮肉なことに今は5000万画素のカメラを黒白化して使っていますね。使い切ることができないと
感じていたカメラも、黒白化して画素数を1/4にすれば、ちょうど良いんですね。(笑)

とにかく私にとっては、デジタルカラー写真ならば300~600万画素くらいがちょうど良かったのですね。
その当時は、まだフイルムカメラが主流だったんではないですか。カラーフイルムはライカ判リバーサル
ならば情報量としてはデジカメの2000万画素くらいだろうと言われていました。デジカメ600万画素の
時代、フルサイズ2000万画素というのはなかったんですよ。
あのデジカメにとって古き良き時代が今も続いてくれていれば、ほんとうに良かったんだけど、そうは
いきませんでした。時代は非情なんですね。
そして上に政策があれば下には対策、対抗策がある。ということで私は黒白写真行為というものを捻り
出したのではないでしょうか。

コメント投稿
雑文
Exif情報
メーカー名 Canon
機種名 EOS 5DS
ソフトウェア
レンズ 24-35mm F2 DG HSM | Art 015
焦点距離 25mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/128sec.
絞り値 F2.0
露出補正値 +0.0
測光モード 分割測光
ISO感度 200
ホワイトバランス オート
フラッシュ なし
サイズ 4320x2880 (3.55MB)
撮影日時 2015-02-06 23:13:38 +0900

1   kusanagi   2023/11/12 20:30


写真のキラキラ色イロ、これを取り除いた、もしくは濁りを除去し、その本質のみを蒸留したものが
黒白写真だ、という考え方を私はしているんですが、無論これはあくまでも私個人の考え方、捉え方
です。
とにかく黒白写真をしていくと、気は楽になりますね。よけいなことを考えずに済みます。無駄をしなくて
済むといいますか、シンプルな写真行為となります。色気がなくなるのだから当然ですけど、考えてみ
れば、これまで本当に無駄なことばかりをしていたという裏返しです。

5W1Hという言葉があります。これは新聞記事とかビジネス書などの文章を書く場合には必要なことで、
これを欠いた個人的主観の文では通用しないということです。
写真に於いてもそういうものがあるとすれば、カラー写真も黒白写真も5W1Hに関してはそんなに
違わないということです。黒白写真もきちんと最低限の5W1Hがあるということですね。

写真として5W1Hを考えると、それは画像として見せるということではなく、写真として読ませるという
ことになるのんも知れません。見せるのではなく読む、のです。写真を観る側も、読む、考える、という
ことに繋がるんではないでしょうか。
一方、見せる、というのは魅せるでもあり、理性ではなく感受性に訴えるものです。浸るということでも
ありますか。黒白写真は色という情報量が少ない分、より5W1Hに拘らないと、ほんとうに何を撮ってい
るのかわからないような写真になります。

尤もあまり理屈に囚われ過ぎると変な写真になりますしね。とにかくシンプルでストレートにいければ
それで良いんではないでしょうか。
そして、これは絶対的かなって思うのは、黒白写真は撮った自分は満足ができるということです。
写真を見ている他人は関係ないなっていうことで。自己充足感が高い写真だろうということです。
ここが特に大事なところで、黒白写真は個人的に満足感の高い写真手法だということです。ですから
誰かに頼まれて写真をする場合には、カラー写真でないとダメなんですね。自分が満足できるからと
いって、他人に黒白写真を押し付けることはできません。これは当然ですよね。

もちろんこれはカラー写真、デジタル写真が全盛の現代に於いてでの話です。そういう時代に黒白
写真をするということは、極めて個人的でマイナーで、典型的な少数派のエゴということでもあります。
私だけは黒白写真で多いに結構、満足だぜ、ということです。
今の時代における黒白写真というものの、その本質はきっとそういうところにあるんではないですかね。
黒白写真になってからは、機材に関心がなくなってしまった。これではメーカーも写真屋さんも困って
しまいます。消費者としてGDPに貢献もできなくなってしまう。そうみれば黒白写真はエゴなんです。

写真はキラキラ色イロ。それに堪能して満足感を更新し続けていくことが現代の写真です。それに
背を向けてしまってはこの世の中は成り立たなくなってしまう。まあ大げさですけどね。しかし何事も
例外があるもので百人の内、一人くらいはそうでない人間がいてもいいもんです。

コメント投稿
雑文
Exif情報
メーカー名 Canon
機種名 EOS 5DS
ソフトウェア
レンズ 24-35mm F2 DG HSM | Art 015
焦点距離 25mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/128sec.
絞り値 F2.0
露出補正値 +0.0
測光モード 分割測光
ISO感度 250
ホワイトバランス オート
フラッシュ なし
サイズ 4320x2880 (5.34MB)
撮影日時 2015-02-06 23:14:20 +0900

1   kusanagi   2023/11/12 20:29


黒白になれば、レンズは何を使っても一緒。ということを書きましたが、実はそれはいい加減なことを
書いたのであって、実際は違います。優れたレンズを使えば、当然ながら黒白写真でも優れた画質
を提供してくれます。
しかし今や、私はそういうことを、優れた画質の黒白写真をするという気持ちにはなれません。私として
は黒白写真は、もうJPEGの低画素サイズで十分とすら思っているのですから。

私が写真を始めた当初に、それが黒白フイルム写真だったということは極めて幸いだったかなって
思うところがあります。もしカラー写真から写真趣味を始めていけば、おそらく写真の意欲が衰えた時、
写真もそして撮影も自然に消滅していくだけだろうと思われるからです。
とにかく黒白写真に親しみがあったという記憶があることで、いまはこうして黒白写真で過ごすことが
できています。そして黒白写真は撮影に於いては何も影響を及ぼすことがありません。
ここが黒白写真の見事なところで、画像は大きくダウンするけど、撮影には変らないという事実です。

私が黒白写真に行ってしまった本当のところは、やはり過去への回帰だろうと感じてます。
ながらくデジタルで写真をやってみて、昔の自分の写真(黒白写真だった)とは違うんではないかという
違和感がどうしても拭えなかったんです。20年間余もデジカメをやってきたんですが、その間ずっと
その疑問はぬぐえませんでした。今になって判明したのは、それはパソコンの趣味の延長線でしかない
のではなかったのかということでした。実際、そうだったと思ってます。

ところがひょんなことから黒白カメラを手に入れて、そこでやっと昔やったスタイルの写真に戻ることが
できたというわけです。ですから今までのデジタル写真とは隔絶していくのは当然のことだったという
ことですね。
パソコン趣味の延長にあるのは当然に写真ではなく画像でした。そういうのはネット写真の評論化的な
鑑賞趣味というのが最近はあるらしいのですが、それも写真ではなくて画像趣味だというのと同一です。

コメント投稿
雑文
Exif情報
メーカー名 Canon
機種名 EOS 5DS
ソフトウェア
レンズ 24-35mm F2 DG HSM | Art 015
焦点距離 24mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/128sec.
絞り値 F3.5
露出補正値 +0.0
測光モード 分割測光
ISO感度 200
ホワイトバランス オート
フラッシュ なし
サイズ 4320x2880 (7.34MB)
撮影日時 2015-02-06 23:17:35 +0900

1   kusanagi   2023/11/12 20:27


シッポ座さんの・・
https://photoxp.jp/pictures/225467
https://photoxp.jp/pictures/225471
これは、tamron200-500 f 5.6ですね。こういう望遠レンズを使うっていうのは面白いんです。なぜかって
いうと、ひたすら身体的能力、腕力を鍛えられるからですね。AFではなくMF望遠だとさらにそうです。
こういうレンズは普通のレンズ遊びとはちょっと趣が違うかなって、私は思ってます。

レンズ愛好家だげてなく野鳥の撮影をされる方もこういう類の望遠レンズを使います。想像するに、彼ら
は野鳥を撮りたいっていうことが半分と、もう半分は自分は重量級レンズを使いたいっていう心意気で
あって、その2つが融合しているのだと考えてます。
ですからこういうレンズは、使いたいから使う。それが正解だろうと思ってます。
もしスマホのようなもので野鳥が難なく撮れる時代がくれば、野鳥撮影の熱は一気に覚めて野鳥オタク
は消滅するでしょう。

私は広角好きの人間であって望遠レンズは趣味ではないんですが、ただし望遠端が300以上のレンズは
多少持っていて、このタムロンも所持しています。こういのを持ち出すと、手持ち撮影であっても鍛えられ
ますし、三脚使用であっても三脚の重さが加わるので同じく鍛えられます。
こういう超望遠撮影。これは肉体と密接に結びついていますので、単なる機材道楽とは違うと思って
います。ですから超望遠レンズでなくとも、重量級レンズでさえあれば広角や標準レンズでもOKなんで
すね。しかしまあ普通は超望遠レンズとなります。
これは机上論の理屈ではなくて、骨身に滲みる男の現場世界での話です。

私の場合はレンズが2キロまでは手に持って歩いて撮影することができます。ボディが1キロなので合計
3キロです。それでもあまり長く歩くことはできませんね。それで、今でも欲しいなって考えているシグマ
60-600ミリは、レンズだけで3キロ弱なので計4キロとなり諦めています。
https://www.rentio.jp/matome/2019/04/sigma-60600-sports-review/
もし、4キロの機材を不自由なく持ち歩いて使えたら、それは素晴らしい事ですね。それで現実的には
シグマの旧製品の50-500までしか使えません。これはレンズ2キロクラスなのでオーケーなんです。

このシグマ60-600ミリ。最近、ミラーレス用も発売されていて、そちらのほうは少し軽くなっています。
https://www.rentio.jp/matome/2023/01/sigma-60600mm-dg-dn-os-review/
AFと手振れ補正能力は凄いようです。しかし画質はデジイチ用と変わらないようです。この新型のミラー
レス用レンズは、ソニーとパナソニックのミラーレス向けでイオスR用はないみたいです。

改めて上記のシグマ60-600デジイチ用の記事を見ると、重量は2700グラムです。これにフィルターを
付けると3キロ近くになります。
レンズフードはネジ固定式というのは嬉しいです。フードに手を添えて撮影してもフードが外れるということ
がないからです。そして三脚座が立派で、手持ちの場合はこれを上に回して左手で持つことができるから
です。
こういう機材は性能とか使いやすさとかが問題ではなく、その重量こそが正義です。この重力との戦い
に勝つことに意義があるんですね。

50-500、60-600という重量級高倍率ズームレンズは、重さの正義だけでなく、標準域までカバーして
くれていて、その標準レンズの場合にも重さが2キロ3キロというバカバカしさも魅力です。ズームロック
を掛ければ文字通り重量級標準レンズとして使えるのです。こういうレンズ、他にはコシナがあるだけです。

コメント投稿